24話:今後の方針

 水は豊富にあるからと、アイヴィーは調理に使った胸当てを洗いに奥の部屋へと出ていく。

 残った三人は空腹感を覚えつつも、今後についてどうしようかと話始めた。


「さて、ではこれからどうするかだが」

「やっぱり、優先すべきは食料調達じゃないですか?」

「そうは言うけど、その調達先の当てなんてあるの?」


 返すキサの言葉に、ショウはユイを見やることで、それがないことを言外に匂わす。

 話を振られ、調理で使った焚火を暖代わりに、薪をくべていたユイが顔を上げる。


「期待されているところ悪いが、私にも命刈り取る死の領域アイソレイト・フィールドに関する知識はキミたちと大差ないぞ。大戦時は私もまだ小学生だったのでな。所謂大戦未経験者の温室育ち世代ナーサリーチルドレンというやつだよ」


「確か、アイヴィーさんって、穢れた惨禍の世代ダーティーチルドレンの中じゃ最年少クラスなんでしたっけ?」


「少なくとも私はその認識だな。今でこそ大魔導士になれば二つ名を襲名する制度になっているが、アイヴィーは仮にも大戦時からの数少ない名持ちネームドだ。キミたちの歳の頃には戦争に参加していたはずだ。初期からとは言わずとも暗黒期と言われた大戦の中盤は経験しているんじゃなったかな?」


「その辺は、一緒にいることの多いショウの方が詳しかったりしないの?」


 指摘された通りアイヴィーとの付き合いも早いもので七年になる。普段から年の差を感じさせない距離感でふざけ合ってはいるが、彼女がこれまでどんな人生を歩んできたのか、思い返してみれば知らないことが多い。

 バカをやることが多いアイヴィーだが、実際はそれすら場を和ませるため計算でやっているのではと思える節はある。少なくとも公的医療機関の最高責任者であるシグレが有能な助手と太鼓判を押すほどには頭が切れる。

 そもそも本当の愚者ならば、二度の大戦を生き抜くことなどできなかっただろう。

 熱せられた薪が音を立てて弾け、揺らめく陽炎がショウの顔を照らす。


「そういう話ってしたことないんだよな。ほら、何か気が付いたらアイヴィーさんに全部ペース持ってかれてる感じしない?」

「あー、それわかるかも。話題を誘導してるんじゃないかって思う時があるもの」


 腕を組み、キサがうんうんと頷き共感する。

 会話に間が出来たところへ、炎を育てていたユイが「こういう話は知っているか?」と切り出した。


「アイヴィーの二つ名は【万能薬師エリクサー】じゃないってものだ」


 突然のユイの言葉にショウは驚きを隠せなかった。それもそのはずで、アイヴィーの二つ名は有名どころの騒ぎではない。治癒薬ポーションを作らせれば右に出るものはいない。これは大魔導士に限った話ではなく、シグレを含む賢者ですら敵わないのだ。

 の有名な、賢人会第三席【怒り狂う治癒師バーサクヒーラー】氷室ナギ以上。

 正真正銘、世界最高の薬師。それがアイヴィー=バセットだ。

 ゆえにアイヴィー製の治癒薬ポーションはその高品質から万能薬エリクサーとも言われ、彼女の二つ名になったほどなのだ。

 現にアイヴィーの公式情報は【万能薬師エリクサー】で登録されている。


「そんな話聞いたことある?」

「私も初耳よ」


 揃って説明を求める二人に、ユイが坦々と話し始めた。


「元々大戦時から薬師として一目置かれている存在だったのだが、二人も知っての通り回復役ヒーラーとしても後衛役サポーターとしても、その才覚はずば抜けている。その上、先の魔王との戦いで見せた攻撃役アタッカーとしての実力」


「キサが標的タゲ取り負けるほどでしたからね――って、いたっ!?」


 笑いながらほじくり返すショウの大腿をキサがつねる。


「何するんだよ」

「一言多いのよ、あんたは!」


 にらみ合うショウとキサだったが、構わず話を続けるユイに視線を戻す。


「不測の事態を想定した事前準備の周到さ。このサバイバル技術の高さもそうだが、それを可能にする道具類あってのものだ。正直私は今日ほどアイヴィーのことを恐ろしいと思ったことはないよ」


 ユイの言葉通り恐ろしいほどの徹底ぶりだ。

 第一に、魔王と遭遇した際の強制執行による持続時間延伸及び、その後の生属性指輪を起動して生命活動の確保。

 第二に、種を持ち歩くことによる現地栽培の自給自足。

 一体どれだけのことを想定しているのか、改めて意識を向けると寒気がする。

 同じことを思ったのか、キサも左手で口元を覆い隠し表情は硬い。


「私の師匠――【悪魔の人格シュラ】が以前、仲間集団パーティーを組むなら他の賢者の誰を差し置いても、アイヴィーを最初に指名すると言ったことがあってな。当時の私は師匠の真意を汲むことが出来なかった。魔導試験でアイヴィーとは何度か対戦したことがあったし、強いとは思ったが勝てないと思ったことはないからな。実際、アイヴィーとの対戦成績は勝ち越している」


「私もですね。最後に負けたのはたぶん私がまだB級の時だったはず」


「僕の記憶でもアイヴィーさんのランキングって毎年二十位台後半をうろうろしてるってイメージですね。今年も二十五位とかそのくらいで例年通りだったはず。A級の中じゃ決して弱くはないけど中の下って感じ」


「――だが、その考えは今日を以って改めるよ」


 空気が締まり、ユイの放つ殺気に当てられたショウとキサの毛穴が閉じる。

 ここに至り忘れていた事実を思い出す。

 美人で頼りがいのあるお姉さん。ユイから滲み出る隠しきれないその素養に嘘偽りはない。しかし、それはあくまで彼女の一部なのであって全てではない。

 現在最も賢者に近いと目されるA級大魔導士、不動のランキング一位。

 キサですら、ユイに勝ったことがあるのは形状遠隔維持操作を編み出し、公式戦初お目見えの虚を突いた一度きりだ。


 とても二十二歳とは思えない圧力にのまれ喉を鳴らす。


 先ほど、ユイは温室育ち世代ナーサリーチルドレンと俗語を使い自虐したが、その実、正確性を欠く。

 魔導大戦こそ経験していないが、七年前の聖戦に招集され、命の刈り取り合いじっせんを肌で学んできた列強なのだ。

 ひりつく空気に完全に気圧された場でただ一人、活動することを許可された強者が明確な意思を表示する。


「実践形式……遭遇戦に置いてアイヴィーは賢者に引けを取らない。ハッキリ言って大魔導士以下ではアイヴィーに勝てる魔法使いは存在しないと言い切れる」


 燃え盛る火に焼かれ、パチパチと爆ぜる薪の音だけがエントランスホールに響く。

 どれだけ無言だったのか、スッと、ユイの顔が綻ぶと、何事もなかったかのように、いつもの弛緩した雰囲気が戻ってくる。

 緊張が解けた瞬間、引き締まっていた毛穴が開き、忘れていたとばかりに汗腺が仕事を始める。

 キサに見つめられていたユイが「どうした?」と反応する。


「アイヴィーさんが、賢者昇級試験で一次さえ突破できれば、二次と三次はフリーパスって聞いことがあります」


 真剣な面持ちのキサに、たわいないことだと、薪をくべる作業の片手間に答える。


「一次試験は賢者になるに相応しい実力があるかの個の力を問われるのに対し、二次試験は一次突破者たちによる遭遇戦。まぁ、バトルロイヤル形式だな。勝ち上がれるなら誰と組んでもいいし、組んだと見せて裏切ってもいい。要は機転、状況判断能力を見る。三次は完全なる格上である賢者集団に対して、二次試験通過者による連合集団。絶体絶命の状況でも結果を出せるかどうか。チームワークも見られるな。三次の仕組みを考えれば、絶対にアイヴィーは欲しい。そうすると、二次でアイヴィーを落とそうとする者はまずいない。私だって、もしアイヴィーが二次に勝ち上がってくるなら、全力で援護して三次に進ませる。その方が三次で楽できるからな」


 肩をすくませ、さもそれが当たり前の戦術だと雄弁に語る。


「三次に至っては魔王戦を経た今、もはや説明不要だろう?」


 このサバイバル能力の高さで籠城戦。治癒薬ポーションの大量生産なんてされた日には、いくら賢者集団と言えど、早々落とせない。

 毎年一次試験で落ちていると侮っていたが、アイヴィーからすれば、この一次こそが最大の関門であり、突破すれば賢者への昇級が確約されているようなものだ。


「確かにそうですね。それで、ユイさん、肝心の【万能薬師エリクサー】の二つ名が違うってのは何なんですか?」


「ん? ああ、そう言えば、そう言う話をしていたんだったな。話が脱線してしまったな」


 失敬と。一つ謝辞を述べ、本題へと舵を切る。


「アイヴィーの大戦時の二つ名は【万能薬師くすし】でエリクサーだ」


「何でもできる薬師ってことですか……」


 首肯するユイに異を唱える要素は微塵もない。名前負けしていないどころか、むしろこの二つ名ですら、アイヴィーを表現するのに相応しくないとすら感じる。

 本来の二つ名が、いつしかアイヴィー製の万能薬と混ざり合って、広く浸透した誤用が正式名称として定着したのだろう。


「――私抜きで話弾んでんねー。何話してんの?」


 狙いすましたかのように、絶妙なタイミングで件の女性が姿を現した。

 手にした胸当てからは雫が絶え間なく垂れ、洗っただけなのが丸わかりである。


「アイヴィーさんせめて拭いてから帰って来ましょうよ」


 ショウに正対する形で腰を下ろすアイヴィーに、開口一番小言から入った。

 互いに日常的に繰り返してきたやり取りだけあって、その後の流れも実にスムーズなものである。


「いいんだよ、どうせここで乾かすんだから」


 枝の一本を掴むと、三脚衝立の要領で胸当てを焚火の熱波で乾燥させ始めた。

 先ほどまでの一連の流れもあり、つくづく効率厨なのだと呆れさえ抱く。

 さすがのアイヴィーも何やら異様な雰囲気を感じ取り、三人の顔を順番に見るなり「何?」と目で訴える。


「いえ、アイヴィーさんて穢れた惨禍の世代ダーティーチルドレンですよね?」

「そういう俗語スラングは覚えなくていいんだよ、ショウ坊」

「すみません」


 眉間に皺を寄せ、目を細めるアイヴィーのこの顔は、結構本気で怒っている時であることをショウは知っていた。

 時折見せる保護者としての側面に対し、条件反射で謝るのは染みついたさがである。


「――で、それがどうしたのさ?」

「えと、現地栽培できるって言っても、アイヴィーさんが単独で遭難しても大丈夫な蓄えですよね?」


 問いかけに、アイヴィーは目線を少し上部へ向け、考える素振りをする。


「そだねー。一人だったら一ヶ月は過不足なく野営できるけど、四人ってなると、まぁ、一週間かな」


「だったら食料調達って重要だと思うんですよ。命刈り取る死の領域アイソレイト・フィールドはそれなりに詳しいですよね?」


「……なるほど、言いたいことはわかった。確かにショウ坊の言う通り命刈り取る死の領域アイソレイト・フィールドはそれなりにわかるよ? 仮にもここが超高濃度魔素汚染地帯デッドスポットになって住めなくなる前は拠点にして活動してたくらいだしねー。でも、却下」


 バッサリと切り捨てられたことで、口をへの字に曲げ食ってかかった。


「何でですか?」

「あのさー、ショウ坊、良い? 紙一枚ちょうだい」


 右手の指先で炭を潰し、鉛筆代わりに、受け取った紙の上に簡易な地図を描いていく。


「食料を調達できる場所があるとしたら、ネファリア領。自然栽培で自給自足してたところだから、今でも木の実なんか色々残ってる可能性は非常に高い。じゃあ、そのネファリア領へはどうやって行くかだけど、カリエラ領のアルナム大森林を抜ける形で南下していくことになるんだよ。んで、ネファリア領はほぼ全域が森林地帯だから、アルナム大森林との国境線はないに等しいんだよね。気が付いたらネファリア領に入ってましたパターン。ネファリア領は魔導大戦で一度も落とされたことがない、どころか侵略されたことがない唯一無二の領土なんだけど、普通、戦時下での食料事情を考慮するなら絶対落としたい。でも、それができない。それはネファリア領が天然の自然要塞と呼ばれてたから。その理由がここなんだけど、マンチニールってわかる?」


 ネファリア領に当たる部分に二重円を描き、囲われた外周部を塗りつぶしていく。


「聞いたことないですね」


「一応、世界一危険な樹木として登録されてるから、非魔法使いいっぱんじんにも知られた猛毒の木なんだけどね。マンチニールの何がすごいって、実だけじゃなくて葉や樹液を始め、とにかく全部が全部毒。目に入れば失明、口にすれば喉はただれ内臓はぐっちゃぐちゃになるほど危険。水に溶けやすいから、霧に覆われたネファリア領は霧のある場所がもう全部毒。焼こうものなら立ち昇る煙が毒になる。なんなら遺伝子異常を引き起こして腫瘍を誘発させる。まぁ、癌だね。んで、ネファリアに侵攻するとしたら目的は食料事情になる。戦争なんていうのは、資源の奪い合いが原因で始まるもんなんだし、ぶっちゃけ焼くっていう選択肢はないんだけどねー」


 割と気楽に説明してくれるアイヴィーだが、耳を傾けていた三人は一様に顔を青くしている。とはいえ、それではネファリアに住む原住民はどうやって生活していたのか気になる。

 ショウが質問するより早く、アイヴィーが続きを喋りだした。


「当時は、見た目こそそっくりだけどネファリアの人間にはマンチニールと他の樹木の違いはわかったんだよ。ね」


 わざわざ二度繰り返し、強調する。

 今と昔では何が違うのか測りかねていると、枝を持ち上げ「これ普通だよね?」と言いながら見せつけてくる。

 彼女の言うように、どこにでもある至ってシンプルな枝だ。


「これって生存圏内ハビタブルゾーンだからこうなってるってだけで、命刈り取る死の領域アイソレイト・フィールドだと真っ白になるかんね」


 ショウの持つ偏った知識の中に、該当するものがあったと小さく言葉を漏らした。

 その反応を見たキサが説明を求めてきたので、覚えている単語をひねり出す。


「なんだっけな。確か、魔化反応による沈静樹木スティルネイト化?」

「魔化反応の一種である飽和吸蔵魔素圧下で発生する沈静樹木スティルネイト化だな」


 たどたどしいショウの説明を奪い取り、ユイが補足した。

 試験管の水で口内を潤し、注目する三人を焦らす。


「知らないのは無理はないさ。高等部の魔導理論の授業で習う分野だ。魔素は大気中だとほぼ無制限に収束するが、物質と結合した場合、魔化反応が起こる。しかし、この魔化反応には物質の種類によって上限があり、それが飽和吸蔵魔素圧。この状態になると樹木などは綿のようにぶよぶよと肥大化し、白化する」


「そうそう、それです、それ」


 完全に思い出した、とショウが人差し指を立てる。

 この飽和吸蔵魔素圧が鉱物で発生すると青化し、アイヴィーの杖の原材料である魔鉱石マナタイトとなる。

 話題となっている沈静樹木スティルネイトは、繊維加工することで衣服に仕立て上げられる。今着用しているコンプレッションウェアも沈静樹木スティルネイトを原料として生成されたものだ。

 正式名を沈静圧搾戦闘下着スティルネス・コンプレッション・バトルウェアといい、長すぎるので、基本的に誰も使わない。そのため、世間的には全くと言っていいほど浸透していない製品名だ。


「――と言うことだから、もうわかるよねー? アルナム大森林から先はすでに命刈り取る死の領域アイソレイト・フィールド。ネファリア領に入れば霧がかかってるからどこから猛毒地帯かわかるけど、全部白化して見た目一緒だから、どれが食べられるかなんて見分けつかないかんね?」


 ここまで徹底的に言いくるめられると、ぐうの音もでない。

 同年代から見れば、ショウの持つ魔導理論の知識は相当なものだが、アイヴィーとではそもそもの年季に差があり過ぎる。こと実用的な部類となると、雲泥の差だ。


「大体さー、遭難した場合、安全地帯に避難できたら動くなが鉄則なんだかんね! わかったー?」


 ダメ押しの一撃に、ショウは大人しく従うのであった。

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