18話:少年の夢と少女の告白

 昭和の古きおもむきのある観音扉には、職人の仕事が細部にまで行き届く。

 金の輪っかを引くと、おごそかな音と共に埃が舞い奥に隠された空間が姿をさらす。

 学校の教室と同程度の広さの中には、数は少ないが懐古レトロな調度品が並んでいた。白い粉が降り積もり、長年手入れがなされていない様はわびしい気持ちにもなる。

 平成が終わりを迎えて早二十六年になる現代において、二つも元号を遡る雰囲気はある意味新鮮だ。

 扉の開閉に合わせて風が吹き抜けるのは、露台に続く格子状の枠の窓が開け放たれていたからだろう。

 少年が後ろから近づくと、柵の上に腕を乗せ、外を眺めていた少女の横に並んだ。


「デッドスポットにもこんな景色があるんだな」


 ぽつりと口にした少年の言葉に、少女は反応を示さなかった。

 お嬢様気質な部分があり、校内では仕草一つ一つに気品を漂わせる。しかし、ひとたび狭間の世界へ身を置くと、感情表現豊かな少女へと変身する。

 だからこそ、今の姿にはどう接していいのか、過去同じ道を辿った少年にもわからなかった。

 激戦のあとも緊張が続いたこともあり、疲労度は限界に達していた。階下のエントランスホールでは、二人の女性が静かに寝息を立てている。

 誰よりも早く目を覚ました少年は、結局戻ってこなかった少女が気がかりになり、こうして足を運んだ。時間的には日が大きくなり、徐々に空が眩しくなる頃合いだが、こちら側に届くほどの光量ではないらしい。見渡す限りの闇の中に、洋館を照らす光が森林に抜け、うっすらと形を映すだけだ。

 何を話していいのかと、少年の脳内では言葉の波が渋滞する。この沈黙に耐えられず、下に戻ろうかと思った矢先、小さく耳朶を揺らした。


「ショウは――、すごいね……」


 少女の言葉だった。


「私さ、もう魔法使えないんだよね……ショウも、こんな気持ち、だったのかなって――」


 視線は変わらず外を向けたままで、気持ちを吐露するように、少しずつ、ぽつりぽつりと話し出した。

 すでにアイヴィーから診断結果を知らされていた少女――キサは、かつてショウが味わった絶望の道を歩もうとしている。魔法の使えない魔法使いの道を。


「でもね、そんな言うほど、落ち込んではないんだ」


 そう言って、初めてショウと向き合ったキサの顔はひどいものだった。一睡もしていない目元は隈がくっきりとつき、ずっと一人泣いていたとわかるほどに目は腫れていた。

 原因の一旦――、否、直接の原因を作ったショウの胸を締め付ける。

 あの時、なぜ強制魔力崩壊マナブレイクを選んでしまったのか。禁術に指定されるだけの危険性があると理解していたはずだ、と罪悪の念がショウの心に押し寄せた。

 ショウは気づいていなかったが、他人から見れば彼の顔も十分にひどい有様だった。


 キサは滑り落ちるように、柵を背もたれ代わりにして、膝を抱えて座り込んだ。


「本当よ」


 先ほどの言葉が〝強がり〟だと、ショウがそんな風に思っているだろうと見抜いたキサが、そう牽制した。

 ショウも同じように、胡坐をかく。


「私が最初だったら、きっと絶望の中でどうしたらいいのか分からず前を向けなかったと思う。でも、私は違った」


 独白に耳を傾けるしかなかったショウに、キサの偽りない笑顔が向けられる。


「ショウがいてくれたから。私がこれからどうしたらいいのか、道を照らしてくれている」


 風が吹き抜けた。

 ショウが感じたのは、完全に錯覚だ。しかし、実際に心地よい微風が、少年の中に巣くっていた黒い何かをはらった。


「だからさ、ショウ。私に魔法文字ルーンを教えて欲しいの」


 真面目に。願うように。欲するように。

 強者とは強い者ではない。勝てる者でもない。打ちのめされてなお、そこから這い上がる力のある者を指す。キサはここで終わっていい人間ではない。自然とショウの拳は固く握られ、喉でせき止められていた言葉が、ようやく解放された。


「当然じゃないか。教えるよ。僕でキサの役に立てるなら、なんだってするよ!」


 興奮気味にショウは前のめりになる。それが可笑しかったのか、キサは手で口元を隠し小さく声を出して笑う。


「うん、お願いね、ショウ」

「ああ」


 力強く頷くショウに、キサは遠慮しがちに質問を投げた。


「ねぇ、ショウはさ、将来はお父さんの後を継ごうと思ったことはなかったの?」


 突然の内容に、面を食らって目を瞬かせていたが、ショウは先ほどとは違ったトーンで「ああ」と漏らす。


「当然、そんな時もあったよ。魔法が使えなくなる前まではデッドスポットで魔法指輪マジックリングの試作品の試し打ちしまくってたって言っただろ? こんなすごいものを作れる父さんはすごい。将来は絶対父さんみたいな技術者になるんだってさ」


 子供の頃の夢を語る恥ずかしさから、ショウは鼻頭をかく。


「それじゃあ、今は継ぐ気はないってことよね? どうして?」


「魔法が使えなくなってから、というより、魔法が使えなくなったからこそ、これしか道はないって本気で勉強したことはあるんだ。魔法指輪マジックリングのクラッキングや、延伸する技術とかもこの時の知識のおかげなんだけどさ」


 魔導研究機構の下部組織、魔法道具生産部門。公務員の中では高給取りで知られる。年収は一般の技術者ですら八百万エイス。部門長では二千万にもなる。

 幼い時分ながら、魅力的な職業であることはショウも理解していた。

 それでも、夢が簡単に変わるのは童心からくるものなのかもしれない。

 魔法を失うことを流布されたくない国際魔導機関は、すぐさま過去の文献へ閲覧できる権限を与えた。望めば大抵のことは手配もしてくれた。時任時雨から魔法文字ルーンを習い、血液に魔力を込める術を発見した時もだ。


「キサには前に言ったことがあるけど、僕が使ってるのは正確には魔法文字ルーンじゃない。というより魔法文字ルーンだけじゃない」


神聖文字ヒエラティックだっけ?」


「うん。この神聖文字ヒエラティックを学ぶようになって、もしかしたら僕にも手が届くんじゃないかって、そう思えるようになったんだ。まぁ、そのなんていうかさ、すっごい大それたことだってのはわかってるんだよ。他にも足りてない知識もあるしさ」


「随分と勿体ぶるわね」


 ハッキリしないショウに、キサは膝の上に肘を置き、頬杖をつく。ジト目で睨みつける視線に耐えかねた少年は、言い難そうに頬を掻いて愛想笑いする。


「えと……笑うなよ?」


「笑わないわよ」


「えっとさ、鍛冶国家ディスラクティア王国が生み出す武器はどれも高級で、どれもこれもA級品ばかりだろ? 中でもコリア女王が生み出したS級武具は全部で五つ。いまだに現存するS級武具はこの五つしかない」


 遥かな高みを見据えるようにショウの瞳に力が込められる。

 ショウは自らの力が今はまだ遠く及ばないことを、頂きへと続く道程の険しさを知っていた。それでも子供の夢ではなく、現実的な目標として目指すと心に決めていた。


「――にも関わらず、二十年も前に作られた武器が今なお最強の魔法武器として君臨している」


 十二神武じゅうにしんぶ。全部で十二本からなる伝説級の武器。武器としての素体作りだけでなく、その後の魔法文字ルーン、魔石の装飾まで全てをたった一人でこなした天才。

 通常であれば、鍛冶師がこしらえた武器を、魔石職人が加工し、最後に付与師エンチャンター魔法文字ルーンを刻む。最高級武器とは、最低でも三人の職人を要する工程なのだ。

 【魔導技師】の二つ名で呼ばれた希代の天才、朝比奈あさひな律心りっしん


「僕は十二神武を超える魔法武器を作りたい。それが今の僕の将来の目標なんだ」


「十二神武って、大きく出たわね。普段はボケーとしてるのに、ちゃんと考えてたのね」


「おい……」


「冗談よ。それに比べて私には目標らしい目標はないのかなって、なんだかそう思ったの」


「キサ……」


「私はさ、小夜花お姉ちゃんが賢者だってこともあるけど、賢者にはなりたいと思ってた。ううん、ならないといけないっていう義務感があった」


 ぎゅっと膝を抱きかかえ、誰にも話したことのない心のうちを告解する。


「知ってる? 小夜花お姉ちゃんは賢者だけど、一番下っ端の【評議会】のままなんだよ」


 大魔導士以下にA~D級という階級分けがあるように、賢者にも階級がある。【評議会】とは賢者に成れば誰でも就くことができる役職だ。文字通り評議することが役目の会であり、大魔導士に昇級した魔法使いの二つ名などは、この【評議会】の決議によって決まる。


「階級が上がるにつれ段々と重圧プレッシャーが大きくなってきた。たぶん、それが原因なんだと思うの。大事な昇級試験の初戦を落としたのも。絶対負けられないって。ミハエルはすごいけど、それでもまだ私の方が強かった。勝てる試合だったのに負けた。ショウ、私ね。アイヴィーさんから魔法が使えなくなったって聞かされた時、ほんのちょっとだけ、ほっとしちゃったの。この重圧からやっと解放されたんだって」


 両ひざの中に顔を埋め、小刻みに震える。あの気丈なキサが弱音を吐くところをショウは初めて見た。

 枯れたはずの涙が溢れ、キサの言葉も濡れる。

 一度弱みを見せれば、氾濫した川のように濁流となって押し寄せる。


「仮に賢者になれたとしても、きっとそこがゴールなのよ。もし魔法が使えたままだったとしても私は絶対に【雷精霊ヴォルト】に届かなかった」


 数ある二つ名の中でもとされる精霊の二つ名。


 魔法は精霊の恩恵によって行使できることから、魔法使いの中では精霊は特別神聖視されている。その精霊の二つ名を冠するということは、現世において他の追随を一切許さない雲の上の存在の証明として扱われる。

 魔法を失い精神状態が不安定な今のキサはあまりに弱かった。頂きに手を伸ばすことを辞めた少女に、ショウは言った。


「ならさ、いっそのこともっと上を目指そうよ」


 ショウが指を天に向け、キサが顔を上げる。

 袖で涙を拭い「王にでもなれっていうの?」と力なく言うキサに、ショウは首を横に振った。

 政の能力と国民の支持を得るだけのカリスマ性さえあればなれる王なら、賢者にさえなれればキサにも就くことができるだろう。だが、そんなことを彼女が望んでいないことをショウは知っていた。



 ショウの言葉にキサの目が見開かれる。

 賢者は【王】と【評議会】とを兼任できないように、権力の一極集中はできない仕組みになっている。

 大賢者とは、多種多様な権限を与えられ、権力者である賢者の中において、全ての権限を剥奪された名誉職。賢者としての権力を与えれば、その途方もない影響力から独裁政権もあり得ると恐れられたがゆえの処置である。形の上では、最上位の椅子が用意されているのは、いわゆるご機嫌とりだ。


「何言ってんのよ、大賢者とかそれこそ無理でしょうが。明確な基準なんてないのよ」


「ないよ。でも、なる方法はある」


 真っ直ぐに二人の瞳が向き合う。熱を帯びた光彩がキサの弱い心に突き刺さる。


「僕は十二神武を超える最強の武器を作って【魔導器創生者アイテムクリエイター】になる。それなら大賢者になれるだろ?」


「それはそうかもしれないけど、そもそも賢者にならないと意味がないでしょ」


「なら賢者にもなる」


 じっと見つめてくるショウの眼差しに、キサが顔を逸らす。だが、それを許さないとばかりに、目の前の少年は両頬を抑え込んだ。

 正面から離れない少年の顔に、キサは頬を紅潮させた。自制を振り切り少女の胸は高鳴る。



 魔法を失った状態から這い上がってきた。お前はそこで終わりなのか、と存外に突き放す言葉。それでもキサには何よりも効果的だった。

 七年前のあの日から何も変わっていないのだ。

 少女は少年と出会ったあの日から、ずっと追いかけてきた。大賢者になると公言する少年を、少女が追わない理由がない。


「ほんと、私たちの関係は、あの日から何も変わってないのね」


 意味深なことを呟くキサに、ショウは首を傾げた。


「いいわよ、なってやるわよ、大賢者にでも何にでも」


 いつもの口調で、いつもの力強さでキサが答える。そうやって夢を語らい合った二人はしばらく見つめ合い、そして緊張が途切れたキサが眠気に負けて欠伸をした。


「ごめん。さすがに一睡もしてないから眠くなってきたわ」

「そっか、じゃあ、僕は下に――」


 立ち上がろうとして、ショウの袖をキサが掴んだ。


「あのねショウ。あんた魔王との戦いの時、私の言うこと何でも聞くって言ったの覚えてる?」


「確かに言ったけど、それが何……?」


 記憶にはあるが、この場面で何かお願いできることがあるのかと訝しがるショウに、キサは正座するように指示した。

 何が何だかわからないショウは困惑しながらも、その場で膝をたたみ言われた通りにする。

 次の瞬間、太ももにキサの頭が乗っかってきた。


「それじゃあ、おやすみ」


 いわゆる膝枕である。

 よほど疲れていたのか、キサは即座に静かな寝息を立て始めた。


「えーと……普通、逆じゃないか?」


 起こさないように静かにツッコミを入れるショウは、少女が目を覚ますまで大人しくしているのだった――

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