エピローグ ~失うことで始まる物語~

17話:廃墟での戯れ

 壁に埋め込まれた魔石が部屋を照らす。淡い光が優しく包み込み、眩しさを微塵も感じさせない。むしろ、どこか薄気味悪さすら感じさせるのは、部屋全体が寂れた洋館然としているのが原因であろう。

 歩くたびに、溜まった埃が舞いあがり、足跡がくっきりと残る。

 金の刺繍が高級感を演出する赤い絨毯に至っては、踏み荒らされた形跡があり、損傷も激しい。ともすれば、地縛霊でも出てきそうかと思えるほどには、内装の痛み具合が甚大だった。

 マーブルカラーが重厚感を醸し出す床は、V字型にあつらえられた木材が連続して配列するヘリンボーン張り。漆喰しっくいで装飾された壁面は清涼感があり、エントランスホール正面には二階へと続く階段が伸びる。

 さぞこの家の持ち主は財力があったのだろう。しかし、今ではこの有様である。

 解放感のある吹き抜けのエントランスホール中央に、二人の女性が陣取っていた。

 水色の髪を自由に遊ばせているアイヴィーと、左右と背面の三方向で亜麻色の髪を交差させているユイ。大雑把と几帳面の共演などと言うと、思考回路が小学生で止まっている最年長が憤怒するに違いない。


「言われた通り持ってきました」


 一人洋館の奥へと出かけていたショウが、そんなことを言いながら戻ってきた。

 手にはアイヴィーが持ってきていた水筒が握られていた。


「ありがとうショウ坊。ちゃんとあったでしょ?」


「はい、ありました。でも、すごいですね。魔石も交換してないのに蛇口捻ったら水出てくるとか、最初はアイヴィーさん何言ってんだって思いましたよ」


 二人が腰を据える場所に、三角形を描くようにしてショウが胡坐をかいた。


「ショウ坊、さり気なく私のことバカにしてるよね!?」


「さっきの魔王との戦いでバカやらかしたの誰でしたっけ!?」


 水筒を手渡しつつ、ショウは言い返すように数時間前の激戦を持ち出した。痛いところを突かれたと、アイヴィーは下手くそな口笛を吹いて顔を逸らす。

 時刻はすでに日付が変わり、深夜帯に突入していた。

 魔王の撃破に成功したあと、ショウたちは本来の目的地であった南障壁ゲートを目指した。

 幸いなことに、今までのように魔物の群れとの遭遇もなく、障壁ゲートもまた原型を留めていた。問題は、潜るだけで機能する転移システムが起動しなかったことだ。考えられるとすれば、何らかのトラブルで故障している場合だが、そんな話は魔導歴制定以降一度も発生したことがない。

 訝しがる一向はそれでも、次の手を打った。

 魔法指輪マジックリングに標準装備として備わっているホロウィンドウを開き、転送座標を次々と変更し、移動を試みたのだ。


 結果、惨敗した。


 最終的に実父が魔法指輪マジックリング生成の責任者であるショウが、後継ぎとして叩き込まれた知識を総動員し内部データを参照。原因を突き止めた。それは、障壁ゲートそのものに緊急停止処理が実行されていることであった。

 このことから、捜索隊の到着予定時刻に合わせて動いていたにも関わらず、一向に誰とも遭遇する気配がないことに合点がいった。捜索隊ですらフォレッタ領に転移してこれない事実を突き付けられたことで、本格的な孤立が確定してしまったわけである。

 ショウの背中で苦しそうに寝息を立てるキサの容態もあり、一刻も早く魔法王国に戻る必要があった。焦りが募る中、アイヴィーがある提案を持ちかけた。

 フォレッタ領から更に南下していくとカリエラ領に出る。しかし、その少し手前で東に向かうと、ノルティバリエ領がある。三つのデッドスポットの引力が大気中のマナを引っ張る関係で、ほんのわずかではあるがマナ滞留率が生存圏内ハビタブルゾーンにまで落ちる場所が存在する。

 それこそがかつて、新人類党が研究所として利用していた洋館である。

 アイヴィーは七年前の戦で乗り込んだことがあり、避難先として挙げたのだ。


 元々は治療薬ポーションを入れていた試験管に水を注ぎ、ショウが一気に飲み干す。


「しかし、実際水が出るのはどういう原理なんだ?」


 同じように、ショウの入れてきた水を飲み干したユイが首を捻った。

 これに、アイヴィーではなく実際に蛇口を捻ってきたショウが答えた。


「魔法道具と同じですよ」


 と、ショウはアイヴィーがかたわらに置いている杖を見た。

 魔法道具といっても特別なものではない。家庭で用いられる家電製品類は全て魔石を動力として動く。いわゆる電気を必要としないので家電製品ではなく、魔法道具なのだ。しかし、これらは全て電池と同じように使い捨てであり、魔石交換所で魔石を再購入してこなければならない。

 だが、ごく一部ではあるが、この魔石の交換を必要としないものがある。

 それが高級魔法道具に数えられるものだ。


「アイヴィーさんの杖って、魔石交換いらないやつですよね?」


「うん、そだよー。大気中のマナを自動で吸収して魔力を補充するタイプだね」


 愛杖を手に持ち、見せびらかすように眼前に突き立てる。

 耐久性、魔力耐性に優れる魔鉱石マナタイトは高級品として知られているが、アイヴィーの杖はまさにそれでできている。先端に極大魔石を嵌め込む台座と六本の爪がある以外は、至ってシンプルな作りだ。

 魔鉱石マナタイトの値段を考えれば、高級にはなるがそれでも四億エイスはあり得ない。精々一千万エイスが相場だろう。ならば、なぜこれほど値段が跳ね上がるのか、それは杖全体に描かれた魔法文字ルーン神聖文字ヒエラティックによるデュアル構造のミラーシステムによるところが大きい。

 原理としては強制魔力中毒マナバーストに近く、集めたマナを魔石に注ぎ込み半永久機関として機能させる。このミラーシステムの根幹となる神聖文字ヒエラティックを扱えるのは、現在、ショウを含めてもたったの三人しか存在しない。これが高額となる所以なのだ。


「だとしたら、蛇口もそうですけど、部屋を照らしている光の魔石も同じタイプですね。断言はできないんですけど、壁の内側に延伸用のコードか何かがあって、それを通じてマナが補充されてるんだと思います」


「ほう。なら、別の場所に魔法文字ルーンが描かれているということか」


 得心したようにユイは満ち足りた表情を浮かべる中、ショウはある可能性に思い至っていた。

 マナを集めるというのは、意味合いとしては特別なことではないが、それを記述できるかどうかは別の話だからだ。

 魔法文字ルーンは別名、標準文字と呼ばれ、個々の魔法に最初から備わる基礎設定でしか発動することはない。ショウの強化戦士の生成リィンフォースマテリアライズ魔法文字ルーン単体で記述すれば、全ステータスが均一に上昇する。魔王との戦いで扱った、多重定義技術オーバーロードスキルを再現するにはどうしても、より強い命令文である神聖文字ヒエラティックによる追加設定オプションが必要になってくる。

 この追加設定オプションを記述するには、デュアル構造のミラーシステムが基盤となっていなければならない。

 新人類党が誕生したのは魔法黎明期の魔法文字ルーン最盛期の時代だ。それを鑑みれば、ショウと同程度以上に造詣ぞうけいが深い人物がいても不思議はないだろう。

 そこで、ふと、ショウは今更ながらにキサがいないことに気づいた。


「そういえば、キサは? なんかさっきから姿が見えないですけど」


 頭を振り、辺りを見回すがエントランスホールには現在中央で陣取る三人以外の人影はない。

 アイヴィーにお使いを頼まれ席を立った時には、隅っこの方で横になっていたはずだ。そう思い返すショウに、ユイが二階の一室を指さした。


「ほとんど入れ違いで出て行ったよ。外の空気に当たって来るそうだ。ここは埃臭いしな」


「そうだったんですか。でも、いいんですか? まだ目を覚まして一時間も経ってないのに動き回って」


「私の治療薬ポーション飲ませたから、そこは安心していいよ。なけなしの魔力つぎ込んで回復魔法もかけといたし」


 キサが倒れてすぐにアイヴィーが回復魔法を施している。やや離れた位置にいたユイが遅れて合流し、前回同様口移しで治療薬ポーションも飲ませた。この初期対応が迅速に行われたことで、洋館にたどり着いて数十分後にはキサの意識が戻っていたのだ。


「いや、ほんとアイヴィーさんの魔力どうなってんですか? 激流の水圧トッレントサブマージョン撃って魔力空になったと思ってたのに、なんか普通に魔王と戦ってるし……」


「実際空だったよ?」


 何をとぼけたことを、とばかりにアイヴィーが疑問符を浮かべるが、ショウはますます理解が追いついていない。


「んとさ、だから、強制執行で最後の水魔石砕いてマナを取り込んで回復したんだってー」


 こんな簡単なこともわからないのかと、小馬鹿にしたように笑うアイヴィーの顔面をショウが鷲掴みにした。


「いたっ! ちょっっと、いたいいたい――ッ、ショウ坊、お前何してんだ!?」


「何してんだ、はこっちの台詞ですよ! あんた何やってんだ!?」


 こめかみを押さえつけるショウと、それを引き剥がそうとするアイヴィー。


「私の魔力容量なら、空の状態からだったらノーリスクで受け入れられるんだよ!」


「だったら、なんで作戦会議の時に何も言わなかったんですか!」


「言ったらショウ坊止めるでしょうがー!」


「当たり前じゃないですか! やることなすこと無茶苦茶すぎるんですよアイヴィーさんは!!」


 極小魔石は、常人なら五人分に相当するマナを保有している。強制執行はほぼ確実に死に至ることから、禁術に指定された経緯がある。

 アイヴィーは生まれながらに魔力の総量が多いのだが、そういった人間を先天性魔力異常症患者と呼ぶ。他の一般人からすれば、確かに彼女には受け皿はあったかもしれない。しかし、前例はないのだ。


「ショウ坊、お前、帰ったら色々と覚えとけよー」


 ようやく解放されたアイヴィーが、涙ぐみながら文句を口にした。


「ええ、いいですよ。僕も今回のアイヴィーさんの痴態を先生に言いつけますから」


 ぐぬぬぬ。とにらみ合う姿に、仲の良い姉弟だな、とユイがそんなことを思いながら眺めていた。

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