第2話 今へと至る

 俺の名前は……な、中瀬なかせ。そうだ。中瀬だ。

 いや、これは名字だな、名前は、りゅ、琉夜りゅうや……

 そうだ! 俺は中瀬 琉夜だ!


 俺が自分の名前を思い出せた時、声をかけてくる人がいた。


「中瀬さん。大丈夫ですか? 落ち着いてくださいねー」


 身体が動かしにくいのでなんとか目をそちらに向けると白衣を着た中年の男性が俺に話しかけている。

 俺を興奮させないようにか、優しくゆっくりと話してくれている。

 今思えば、人の声をちゃんと認識したのが久しぶりだったので酷く安心した事を覚えている。


「中瀬さん。もし私の声が聞こえていたら、ゆっくりとまばたきをしてください」


 俺はその人物に言われたようにゆっくりと瞬きをした。


「中瀬さん。よく目を覚ましてくれました。本当にありがとう。

 色々と不自由がありますが、必ず私達が協力します。

 どうか、もうしばらく一緒に頑張っていきましょう」


 その人は妙に嬉しそうにそう微笑んでくれた。それが何故かとても嬉しかったことを覚えている。


 それからは少しづつ、本当に少しづつ、自分の身体を取り戻していく。

 口に入れられた管が外され、腕の管や気が付かなかったが下半身に着けられていた管も外されていく。

 自分の手や足の細さや、動かすだけで軋む事実に絶望しかけたこともあった。

 それでも、白衣の医師。大垣おおがき 楽蔵らくぞう先生や、たくさんの人達のお陰で、身体を起こせるようになり、食事が取れるようになり、リハビリを開始できるまでになった。


 そうして、俺がある程度の自我を取り戻して、現状を受け入れることが出来るようになった頃。事の顛末を教えてもらえることになった。

 

 結論から言うと、父親は即死だったそうだ。

 店を含め、家屋も全焼。

 アーケード内を含めて、死傷者23名。

 重軽傷合わせて54名という未曾有の大事故になった。


 心の何処かで、あの距離を離れていた俺でさえこの状態だから、父親は……

 それでも、たった一人の肉親を失った悲しみは、長い時間癒えることがなかった。

 さらに俺を苦しめたのは、俺を担いで走ってくれた。俺の命の恩人である男性も、亡くなっていた。たまたま非番で近くにいた消防団員の方で、俺以外にも5名の人命を助けていたそうだ。

 この事実は、ある意味父親の死よりもオレの心を締め付けた。


 父の葬儀や、様々な事柄は国と事故を起こしたタンクローリーの会社が用意した弁護士の方が滞りなく行ってくれたそうだ。

 しばらくして立派に作られた父親の墓の前で俺は、初めて父の死に関係して涙をながすことになる。


 事故の原因はタンクローリーの運転手の居眠り運転。

 いわゆる超ブラックな労働状況だったらしく、ほぼ不眠不休で走行していた。そんな中で起きた事件だったそうだ。


 その話を聞いても、俺はどうにも誰かに怒りを覚えるとか、そういう感覚が出なかった。

 ただただ、二度と取り戻せないものを失った虚無感と、自分が大学受験に失敗したバチが当たったんじゃないか? という思いが溢れ出していた。

 

 リハビリは過酷を極め、全身をいじめにいじめにいじめ抜いたが、それに耐えられたのは、これは自分に与えられた罰なんだ。という思いだったのかもしれない。


 ようやく事故による怪我が回復して、人並みの生活が自分で出来るようになった頃には、すでに4年の月日が流れていた。

 顔と身体には広範囲な火傷の痕。

 髪の毛は一部が生えてこないので丸坊主にしてもらった。

 鏡を見ると、丸坊主だった親父の面影を感じられて、少し、嬉しかった。


 退院した後の住居なども全て用意されていた。

 下請けの労働条件は悪かったが、それによる世間のバッシングなどを恐れて被害者には手厚い賠償がされたと聞いている。

 退院後、しつこいマスコミ関係者も多かったが、何を聞いても


「はぁ……」「まぁ……」


 くらいしか返さない俺に飽きてすぐに来なくなった。

 弁護士からは驚くような金額のはいった通帳や山のような書類を渡された。

 俺は、言われるがままその書類にサインをしていく。

 最後の書類にサインを終えて、これで俺は、国からも企業からも、全て終わった人間という位置づけになった。


 そこからの毎日は、平凡。

 いつの間にか成人してしまった俺は何に対しても興味も持てず、惰性で漫画やゲーム、小説やらテレビやらを眺めながら、胃袋に餌を入れて生きながらえていた。


 通帳の金額の減り方を考えて、問題なく老後までは生きていける。

 ただ、贅沢をしようって気も起きないし、だからといって、少なくとも俺を助けてくれた人のためにも生きてはいたい。

 必死に生きる気力はない、死なない努力は続けていた。

 そんな感じなので、自然と友人も去っていき、俺は一人になった。


 もう一度、貴方の人生を生きなおしてみませんか?


 そんな言葉を見たのは。死んだように生きていた、そんな頃だった。


 すでに俺は無駄に歳を重ねて39歳になっていた。 

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