第一章:04



・・・



本当に、フェイスより強かった。

父がそう言った時、心の中では信じてはいなかった。


あの怪人たちに、人間が勝てるはずはない。人生の大半を逃亡生活で過ごしてきた

ホオリにとって、それはもはや常識といってよかった。


だからあのプロテクタースーツの男がためらいもなく「倒す」と言い切ったとき、

それは自分を安心させるための嘘だろう、と思った。



だが果たしてどうだ。



自分の何倍もの数のフェイスに襲われ、四方八方から群がられるアルカー。

だが蹴散らされるのはフェイスばかり。正直、武道の嗜みすらない少女の身には

いったい何が起こったのかすらわからないが、アルカーには傷一つない。



頭をかすかに撫でていった手を思い出す。



自分たちの人生につきまとってきた影。それが今、なぎ払われている。

ぎゅっ、と胸を押さえるように組んだ手に力が入る。なぜだか涙がとまらない。


だがあらかたフェイスを倒したところで……""は現れた。

そのフェイスは見た目は他のものとまったく変わらないのに、別次元の強さだった。

それまでほんの数秒でフェイスを倒してきたアルカーが、

いつまでたっても仕留められない。


戦いの内容などわかるはずもないが、それでもアルカーに焦りが見えてきたのが

わかった。



ダメなのか。やはり、人はアイツラには勝てないのか――



――じっと息を潜めていてくれ。

彼が言った警句を一瞬忘れてしまう。知らず知らずに、隠れ潜んだ草むらから

ほんのわずかだけ身を乗り出してしまっていた。


はっと気づき、慌ててしゃがみこむ。だがその一瞬――別のフェイスと

があった気がする。


(~~~~~ッッッ!)


迂闊だった。服や顔が泥にまみれるのにもかまわず這いつくばって隠れる。

ほんの少しだ。草の陰から顔が覗いたのは、ほんの一瞬だったはずだ。

気づかれていない。


そう言い聞かせ、身動き一つとらずに息を押し殺す。気づいていない、気づいていない、

気づいていない――



ガサッ。



前方から、草を掻き分ける音が聞こえてくる。

――気づかれた。



・・・



フェイス戦闘員1072号は沸き立っていた。


ほんの一、二時間前までは、そんな感慨を知る由もなかった。

何も感じず、ただ命令に従うだけ。疑問もなければ欲求もない。


そんな時代の自分がいかに――無価値な存在だったか!


雷久保番能のエモーショナル・データを吸い取ったことにより初歩的な感情を

獲得した彼は、見える世界すべてが変わったことを存分に堪能していた。

任務に挑む高揚感。アルカーへの恐怖。娘を逃した無念さ……

すべてが、楽しい。

なるほど先達たちが浮かれたような態度をとるのもわかる。これは存分に味わうべきだ。

もっと、もっと感情を奪えば、もっと楽しめるのだろうか……



そんなことを考えながらも、アルカーと1182号の戦いから

気を逸らしていたわけではない。

いや、手に入れたばかりの感情によってその戦いに目を奪われてすらいた。



1182号は、強い。

そもそも、我々フェイスたちは


強い自我を獲得していくたびに、身体に対する制御の精度もあがっていき、

別次元の能力へと変化していくのだ。

生まれながらにして感情を持っていたという奴は、それゆえにアルカーに迫る力を

手に入れているのだろうか……。



どうにか割って入り、アルカーの決定的な隙を狙えないか位置を変えながら

はかっていると――


一瞬、何かと目があった。


人間だったら、この闇の中では見間違いにしか思えなかっただろう。

だがフェイスには違う。

昼間と大差なく、その姿がはっきりと見えた。



にんまりと笑う。口などなく表情は作れないが、心の中でそんな顔を思い浮かべる。

あの娘は殺してはならないが、エモーショナル・データを奪うことは問題ないはずだ。

隊長格フェイスをうながし、そっと近づいていく。



また、世界がひろがる。もっと感情を――奪いたい!



・・・



「イヤァァアアァアァァァァアァァアッッッ!!!」

「しまッ……!」

甲高い悲鳴を聞き痛恨の表情で振り向いた瞬間、

アルカーはもう一度しまった、と後悔する。


この強敵の前で背を向けるとは――なんたる失態!

これまで自分の挙動を全て見切ってきた相手だ。こんなデカイ隙を見逃すはずがない――



はずだった。



もう一度敵に振り向くまで実際には一秒弱、だがフェイスやアルカーにとって

十二分な時間。

だが――そのフェイスはなにもしてこなかった。



ただ、悲鳴のあがった先を見つめている。まるで自分がその悲鳴に気を取られたのと

同じように。



近づくフェイスを見て怯え、走り出す少女をじっと見つめたまま、動かない。



「――ッ!」

今度は、こちらがその隙を見逃さなかった。


力ある言葉ロゴスを纏う時間すらおしみ、全力で蹴り飛ばす。

流石にヒットする瞬間には向こうも飛び退り威力を減衰したようだが、明らかに遅い。


ガゴッ! と鈍い音を立てて闇の中へと吹き飛んでいく。

仕留められたかは疑問だったが、今はそんなことを気にしている場合ではない。



フェイスを蹴り飛ばした勢いそのままで飛び出す。

だが、すべてが遅かった。



「うあああぁぁぁぁッ!! あッ、あ……ぁ……ぅッ……!」



フェイスが、少女を無遠慮につかみあげ、吊るしている。

首元を押さえられ苦しんでいた少女が、徐々にその苦しみさえ顔から消えていくのを

見て、愕然とする。



――安全な場所へ連れて行くと、約束した。

――君を守ると、約束した。

その少女が――今、奪われようとしている。



「……おおおおおぉぉぉぉぉぉああああああああッッッ!!!」

もはや技もなにもない。全身をぶつけるようにして少女を捕まえたフェイスに突進する。


さすがにそれでは通用しなかった。だが、中断させることはできた。

そのフェイスは回避しながら、仲間のフェイスに少女を放り投げる。

ごみでも捨てるようなその扱いに怒りをつのらせるも、

フェイスより少女を優先しようとする。


だがそれは目の前のフェイスが許さなかった。目の前にたちはだかり、

こちらを制動してくる。

一体ではない。おそらくはリーダー格と目星をつけていたフェイス、

さらにもう一体のフェイスが行く手を阻む。



(くッ……! こいつらッッッ……!!)



ただでさえ疲弊している今、強行突破も難しい。じれた思いを押さえ込みながら、

放物線を描いて落ちて行く少女の体を目で追う。



高く放り投げられ、地面に落ちれば怪我をしかねない。

いまさらそんなことを心配しても、もはや遅すぎるかもしれないが――




が、少女の体が地面に激突することはなかった。




先ほどまで自身と激戦を繰り広げていたあのフェイス。大きなダメージを

受けているはずだが、それを感じさせない挙動で飛び上がると――柔らかく、

少女を受け止めた。



「イイゾ! 1182号!」

少女を捕まえていたフェイスが叫ぶ。――アレは、1182号と言うのか。

「ソノ娘カラ、エモーショナル・データヲ奪エ!

 オマエガ進化スレバ、アルカーニモ勝テル!!」

確かに、その危惧はあった。だが今はそれよりももっと大事なことがある。



(これ以上、その少女から奪う気か――!)



幼少期も、青春も、そのまだ短い人生の大半をフェイスの恐怖に奪われ。

両親を奪われ、今自分の感情さえも奪われようとしているその少女。

そんな哀れな娘からまだ――奪おうというのか!




だが、1182号は動かなかった。




先ほどまでの無骨な動きとはまるで真逆な所作でふわり、と着地すると、

その少女を抱きかかえたまま何もしない。

いや、みじろぐ少女を見て一度だけ、髪を撫でたような――




「1182号! ナニヲシテイル!?」

動かない同胞を尻目に、もう一人のフェイスも焦ったような声を出す。

もっとも、焦っているのはこちらも同様だ。一刻も早く少女を

奪還せねばならないというのに、目の前のフェイスたちも1182号ほどではないが強豪だ。

疲労と焦燥ではやった戦い方では突破できないこともわかっている。


(くそ……くそ! 俺の、俺の力では……俺一人では、ダメなのか!)


はがゆい思いが、胸を締め付ける。たとえ力が強くても、一人きりじゃ戦えない――

わかってはいたが、どうしようもなく後回しにしていたツケが、

今まわってきたのだろうか。


そんな俺からは目を離さず、リーダー格のフェイスまで怒鳴る。


「1182号! 早くエモーショナル・データを吸い出せ! そのガキにもまだ感情は

 残ってるはずだ!

 搾りカスになるまで吸い出せば、おまえならアルカーに対抗できるだけの……」





……。





一瞬、誰の声かわからなかった。――それも当然だった。

その声は、この場にいるものの中では




声の主は、もう動こうとしない。ただ立ち尽くし――腕の中にいる少女に、

何か語りかけている。


そして。



「せ……1182号……」

「騒ぐな」



強い言葉。その言葉自体に他者を黙らせる力があると、そう錯覚させるほどの怒気を

はらませ、フェイス戦闘員・1182号は仲間の声を遮る。




「怯えている……」




そのフェイスは、そっと半身を下げていた。抱えた少女の瞳に、

他の仮面が映らないように。



「――ォォォォォォッ!」

想定外の事態に、俺を含めた全員が茫然としている中。

最初にその少女をつかまえたフェイスが、猛然と1182号に突進していく。


「モウイイ、1182号! 貴様ガヤラナイナラバ、俺ガ最後マデ……ッッッ!」


――最後の一瞬。少女から突っ込んでくる同胞へ視線をかえたその刹那。

感情の読み取れない赤い光眼が、怒りに燃えているように見えた。



ドゥンッ!



轟音と軽い衝撃波とともに、大量の泥が地面から吹き上がる。いや……



1182


http://mitemin.net/imagemanage/top/icode/245438/


それも、片手で、軽くあしらわれ。たった一撃でだ。

叩きつけられたフェイスは、もうピクリとも動かない。




「なッ……!?」

次々と起こる事態に、誰もが混乱していた。

なぜ1182号は味方を攻撃したのか。ダメージがあるはずの身体で、

それまで奮ったことのない膂力を見せつけて。

なぜ――少女を庇うのか。



ただ一人答えを知るものは、黙して語らない。




・・・




なにか悲しいことが、あった気がする。

ふわふわとした浮遊感に身をまかせながら、ホオリは他人事のように考えていた。

いや、今の彼女にとって過去の感情はすべて他人のもののように感じられた。



お父さんがやられた。悲しい。

お母さんがやられた。悲しい。



ただそれだけだ。なんとなく、悲しい。でもそれ以上の思いが沸いて来ない。



今だってそうだ。あの仮面に投げ飛ばされて、自分の身長の何倍もの高さを飛んでいる。

このままだと地面に激突するだろう。運が悪ければ死ぬかもしれない。

怖いけど、まあいいか。そんな風にしか考えられない。



意識と身体がくるくると宙を舞い――地面に激突する前に、何かにとめられた。

そっと、羽が落ちるかのようにやさしく誰かが抱きとめたのだ。


「……? ――ッッッ!!」


麻痺した頭で誰だろう、と相手の顔を覗き込み――強い恐怖に身体が強張る。

仮面。赤い一つ目の、仮面。

忘れたはずの感情の中で、彼らに対する恐怖だけが鮮烈に蘇る。


「――ッッッゃあッ! いやッ! いやッ! いや……」

「大丈夫だ」


恐慌をきたし、その腕から逃れようとじたばたともがく。だがそんな彼女の意に反し、

その仮面は優しく――とても優しく、なだめてくる。


「――大丈夫だ。もう、おまえを襲うものはいない。アルカーが、守ってくれる」


一瞬、恐怖も忘れ、呆けた顔でまじまじと相手を見つめてしまう。

これまでの人生で、感情を奪われてなお恐怖するほどの、破滅の象徴。

その仮面が、無貌の怪人が、ゆっくりと語りかける。



「怖いものはもう、何も見なくていい。ただ少し――もう少しだけ、忍んでくれ」



大丈夫だ。君を守ってくれる。何も見なくていい。


それは先ほどアルカーが掛けた言葉に不思議なほどよく似ていた。仮面への恐怖が、

アルカーから感じた安心感と重なり消えていく。


そっ……と、髪を撫でられた気がした。なだめようとして、

でも自分が触れていいものかおどおどとした、そんな手つき。

不思議と、アルカーの手の感触が思い浮かんでくる。



ずっと、恐れてきた悪魔の仮面。その腕につかまっているというのに――

どうして、こんなにも落ち着くのだろう。



「――1182号! ナニヲシテイル!?」

恐ろしい怒声にビクッと身体を震わせる。そうだ、まだあいつらはいるのだ。

そう、すぐそこに赤い光眼が――


スッ、と自分を抱く仮面が身を動かす。そうすると赤い光が遮られ、

白く広い胸板だけが視界に広がる。


「おまえは何も見なくていい。おそろしいものは、誰も触れさせないから。

 ――ただ少し、目を閉じていてくれればいい」


つい先ほどまで、敵だった相手の言葉だ。だけどなぜだか素直に従って。

ホオリの意識はゆっくりと消えていった。おそろしい夢の中ではなく、

優しさにつつまれた淡い眠りの中に。




・・・




少女は、意識を失った。限界だったのだろう。

そっと顔にかかった髪を一房、おろしてやる。泥と血にまみれた、凄惨な姿だ。

この少女は、この一晩でどれほどのものを奪われたのだろう。



生まれてからずっと一緒だった両親を、奪われた。

生まれてからずっと持っていた感情を、奪われた。



作られてからまだ一月ほどしか経っていない身には、それがどれほど尊いものだったのか

心底わかりはしない。だが、それはとても大事なものだったはずだ。



それをまだ、奪おうというのか。

そう思った瞬間――身体が動いていた。



「……」

あのとき、この少女の悲鳴にアルカーとの戦いからすら心を奪われた。

アルカーとの戦いに喜び、舞い上がっていたはずの感情があの一声で

すべて霧散してしまったのだ。


怯える人間の表情。直接見たのは初めてだった。とても――イヤなものだ。

同胞たちはなぜ――あの顔を見てなお、奪おうとするのか。


その同胞たちがなにか喚き散らしている。内容など頭に入らない。

ただ、ようやく安らかに眠ったこの少女が、また顔をゆがめないかが心配だった。


「黙れ」

「騒ぐな」

「怯えている……」


それは、とても短い三つの言葉。だが1182号は理解していた。

これが、共に生まれた同類たちへの別離の言葉だと――。


雷久保番能から感情を奪ったフェイスが掴みかかってくる。

父親だけでなく、娘からも奪おうというのか。

その怒りを右手に込めて、そのフェイスの頭を掴み地面にたたきつけた。



「1182号……」

隊長格のフェイスが、茫然とした声でつぶやく。

「何故だ……何故、おまえがそんなことを……

 フェイス戦闘員のエリートであるおまえが、何故――!?」

「……違う」



右手を前に突き出す。彼女に近づく敵意あるすべてを、おしとどめるように。



「オレは、フェイスじゃないノー・フェイス



フェイスたちの閉鎖ネットワークから、自分の意識を切り離す。光眼の素子が

赤い光からオフラインを示す青い光に切り替わる。



「もうおまえ達に、何も奪わせない」



・・・


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