第一章:03




・・・



「――ハァッ! ハァッ! ハァ……」

――彼らを最初に見た記憶は、四歳の時だ。

彼らに足取りをつかまれ、間一髪身を隠すのに成功したとき、ニアミスしたのだ。

目的を空振った代替に関係ない人を襲い、エモーショナルデータを吸い上げるところを、

物陰から息を潜めてみていた。


あの無機質な仮面。怒りも喜びも感じさせない怪人が片手で人を持ち上げ、

口を掴まれた男性が見る見るうちに生気が抜けていった。

あの時の恐怖はその後の私の人生に刻まれ続け――今、克明に蘇っている。


「――ハァッ! ハァッ、……ッ! ハァ……ッ!!」

荒れる吐息に湿ったものが混じる。こみ上げる涙が肺に満ちるような感覚だ。

「おとッ……さッ……! おかッ……!!」

言葉にならないのは、走っているからだけではない。

父と母はもう……生きてはいないのだろうとわかったからだ。


二人はとても優しく、いつも怯えていた。

見えない影に怯え、常に転々と逃げ続けていた。

その姿が奇異に映らなかったのは――影が、実在していると知っていたからだろう。


私を逃がすために、囮になった。


息が詰まる。心臓が跳ね上がる。もういっそ、そのまま破れて死んでしまいたい。

でも死ねない。捕まるわけにもいかない。

だって、二人は私を逃がすために捕まったのだから――


夜の街を、ひた走る。表通りを走ると見つかりそうで、影に影に隠れながら進むと

いつのまにかあたりを草むらに囲まれた場所にでてしまった。


「……ッあ……!」


足がもつれ、倒れこむ。強くすりむいた手足から血がにじむ。

金色のツインテールが泥にすべりこみびちゃびちゃになる。


「いたッ……ッぅう……」


大した傷じゃ、ない。それでも涙が止まらない。

心についた傷が大きすぎて、それ以上足が動いてくれなくなった。

逃げなきゃ、逃げなきゃいけないのに……。

「おとッ……さぁぁ……! おかッ……さぁぁぁぁぁ……!」



ガシュ。



ビクッ、と体が痙攣し涙も嗚咽も止む。代わりに身体を伝うのは震えだ。

恐る恐る、音のなった方を振り向く。



小さい、小さい赤い光。

私にとっての、恐怖の象徴。



仮面の怪人が、私を見つけた。



「コチラ698号、目標ヲ発見。対応ノ是非ヲ求ム」

ここにいない誰かへ許可を求める仮面。相手がなんと答えたか聞こえなかったが、

すぐにこちらに歩を進める姿を見れば答えはわかる。

「ヒッ……! ひぃっ……!!」

すくみあがった足は立つどころか、まともに動きすらしない。ずりずりと、

後ろに這いずるのがせいぜいだ。

仮面は走りもしない。ただ歩くだけで、あっという間に私の眼前に立つ。

そして手を伸ばし――



「"アタール・ヘイロー"ッッ!」



――その腕が閃光に切り落とされ、飛んでいく。


「……ぁッ……ぐぅぅぅ!」


あまりに眩い光に目を焼かれまぶたをおさえて苦しむ。だが苦しいのは

私だけではなかったらしい。


「ォォォォォォォッッッ!」


斬り飛ばされた腕を抱え、苦しむ仮面。そいつと私の間に、誰かが立ち塞がった。


「遅れて、すまなかった」


その姿は、仮面たちと似ていなくもない。でも決定的に違うのは、

その背中から伝わる温かさ。


「これ以上、手は出させない」


――その赤い姿を見たことはない。でも、私は知っていた。聞かされていた。



「アルカー……エンガ……?」



その人は、私の前に立ちはだかった。おそろしいおそろしい、

仮面の姿が見えないように。


私の呼びかけにうなずき、彼は優しくささやいた。



「怖いものは、もう見なくていい」



・・・



――強い子だ。そして、悲しい子……。

彼女の前に跪き、その顔を覗き込んだ感想がそれだった。



すでに、博士たちはフェイスの手にかかったことを本部長から聞いた。

この利発そうな顔は、そのことを察しているらしい。だがまだ十五にもならないはずの

彼女は悲しみに満ちた表情をしながらも、取り乱すことがない。


……いつかこの日が来ることを覚悟していたのだろう。


そっ、と頭をなでる。自分の炎で焼かないよう、微かにだが。


「――間に合わなくて、すまない」


口をつくのは謝罪ばかりだ。彼女たちを守れる力をもった唯一の俺が、

間に合わなかったのだから。

だが彼女は悲しげに否定する。あなたのせいではありません、と。

そうして自分にまとわりつく不幸を誰のせいでもないと、言い聞かせてきたのだろうか。



「君を連れて行く。安全な場所へだ。……もう襲われることはない。

 みんなが君を、守ってくれる」



なんとか安心させようと慎重に言葉を選ぶが、無駄だということも彼女の顔を見てわかった。



すでに、フェイスはこの場所を仲間に伝えている。俺が現れたこともだ。

この場所は包囲されつつあると考えていい。自分ひとりなら突破も可能だが、

彼女を連れては難しい。

――この場で敵を殲滅する必要がある。


「――だがその前に、奴らを倒さなければいけない」

「そんな、こと……」

「大丈夫だ」

無理だ、という言葉を飲み込んだのだろう。

その彼女の手をできるだけ優しく包み込み、語り掛ける。


「俺にはできる。だから、君にもできることをして欲しい」

「私にできること……?」


そっと周囲を見渡す。複眼のように広がった今の俺の視界は、

視線を悟られることなく270度近い範囲を見ることができる。



あたりは背丈のある草に囲まれた道路だ。水路や排水溝など、身を隠せそうな場所は

いくつもあった。

その中から一番安全そうなところを見繕い、指をさす。



「あそこで息を潜めていてくれ。絶対に何があっても動揺せず、気取られないように。

 自分を鳥かなにかだと思って、ただじっと……忍んでいて欲しい」

「――わかった」



普通の少女ならおびえてしがみついてこようものを、聞き分けよく了承する。

その姿に胸の痛みを覚えつつも、今はその聞き分けのよさがありがたかった。


「ここは戦場になる。君は何も見なくていい。

 ――俺が全て終わらせる」


たった一人でやらねばならない重圧。それを仮面の奥に押し隠せることが、今はありがたかった。



・・・



「アルカーが現れた」

当然だ、と思った。


隊長の静かなつぶやきは彼の緊張を表していたのだろうが、

オレは淡々とそう思うだけだった。

なぜそう思ったのかはよくわからない。ただそう思ったのだ。



アルカーは現れる。必ず。



それは確かに道理だ。オレたちの邪魔をするのがアルカーで、彼らにとっての

重要人物を襲う俺たちの前に彼が現れるのは、当たり前だ。

だがオレが思ったのはそういうことではなかった。


誰かが理不尽に襲われているのだから、アルカーは現れる。

オレの胸中によぎったのはそんな言葉だった。


「……行きましょう」


オレが言った短い言葉に隊長は明らかにおどろいていた。

考えてみれば、オレが何かをしよう、という意味の言葉をだすのはこれが初めてだった。

その言葉に気をよくしたのか、隊長は深くうなずいて走り出す。



あえてその速度を越えない歩幅で、その後に続く。

アルカー。アルカー・エンガ。

オレはずっと、彼を見てきた。オレが見る彼は、いつも誰かを背に隠して戦っていた。



一人残った幼い少女。今も彼は、その少女を背に待ち構えているのだろうか。



・・・



激戦だった。



現れた三体のフェイスたちは、わざわざ姿を晒して襲い掛かってきた。

その行動に彼らは使い捨ての囮なのだと、察する。



はたして、本命のフェイスたちは俺と最初のフェイスとの戦いの最中に現れた。

俺が囮にとどめをさしたその一瞬を狙い、闇の中から仕掛けてきたのだ。


最初の数は、二。あえて正面から襲い俺の気を引く本命と、背後から不意を打つ

本命。


だが戦闘経験では俺のほうが遥かに上だ。特に多人数相手のものは。


囮にとどめをさした腕でそのままそいつを掴み上げ、ぐるんと振り回し

後ろに投げつける。

それと同時にけん制の後ろ蹴りを放つ。ちょうど前後が逆になった形だ。


警戒が強かった前方(今の後ろだ)はそれでも反応できたが、

かえって不意打ちをしかけた方は見事にはまってしまった。

投げつけられた同胞にあわれにも巻き込まれ、飛び掛ってきた方向へ逆戻りする。



その間にも俺は動きを止めない。後ろ蹴りをよけたフェイスへ再び向き直り、

アスファルトを抉って急接近する。

流石に敵もさるものだ、体勢を崩しながらも腕を広げ、独特の構えで俺を迎え撃つ。



その顔面に、礫をはなつ。回転した際に拾い上げたただの石。気取られぬよう

最低限の動きでだ。

さすがに激突した石はレンズより脆く、粉々に砕ける。だがそれによって

視界はふさがれる。

――それによって対応が一瞬遅れ、俺の正拳に反応が間に合わなくなる。

胸部のプロテクターをひしゃげさせ、崩れ落ちる。



視界の端を、赤い光が走り去る。復帰したフェイスが回りこんできたのだ。

一度失敗した以上、また後ろから襲い掛かるのは下策と踏んだのだろう。

ちょうど俺が正拳を放った腕側から、踏み込んでくる。


確かに伸ばしきった腕は隙が多い。だが奴は気づかなかったのだろうか?

















その隙を狙われることこそ、俺の狙いだと。


上から両手で放とうとした手刀を、肩だけで制動する。

振り上げた直後に抑えてしまえば威力などでない。

そのまま肘とわき腹でフェイスを挟み込む。


「ギガ……!」


独特な声で呻くフェイス。流石にこのまま押しつぶすのは無理だが――


「"レイン・ファイア"」


"力ある言葉ロゴス"が、俺の全身を炎で包み込む。ただの炎ではない。

物質を繋ぐ力を焼き溶かす、人智を超えた超常エネルギーだ。


「ギアアアアアアアアアアアッッッ!!!」


炎に包まれたフェイスがもんどりうって地面に倒れこみ、すぐに動かなくなる。

千五百度の熱にも耐えるはずのその装甲にも、有効な力だ。



瞬く間に五体のフェイスが沈む。だが彼らが時間稼ぎにすぎないことも、わかっていた。

いみじくもフェイスたちは次々と現れた。数に勝るのが連中の強みだ。



迫るフェイス、迫るフェイス。捌いても捌いても四方から襲い掛かり続ける。

確かに俺は背後の敵にも対処できる。だが目がついているわけではないのだ。

何度も何度も全方向から襲い掛かられ、少しずつ神経をすり減らしていく。

だがそれでも折れることなく戦い続けられたのは、

あの少女の悲壮な姿を見たからだろう。



あんな少女が耐えているのだ。俺が耐えられなくてどうする。



崩れそうになるたび、そんな叱咤をかける。

そうしているうちに、動くフェイスはいなくなっていた。


いつもどおりの戦い。いつもどおりの結果。

そんなタイミングだった――いつもとは違う相手が、目の前に現れたのは、



・・・



オレの心は震えていた。

死屍累々。ちらばるフェイスたちの中心でたたずむアルカーの赤いシルエットは、

まさに鬼神のごとくだ。



この震えは恐怖によるものではない。だが、何によるものなのかがわからない。



そんな困惑を胸に、オレはアルカーに向けて歩いていく。そう、歩いていく。

なぜかはわからないが、隙を突いて襲い掛かる真似はできなかった。

残ったフェイス、特に隊長と先ほど自我を獲得した二体のフェイスは

オレに何か考えがあるとみてそれにあわせることにしたようだ。



アルカーが、オレに気づく。

オレは、アルカーをじっと見つめる。



不思議なことに、アルカーも攻めてはこなかった。

手を出さずに、待ち構えるアルカー。黙々と歩を進めるオレ――フェイス戦闘員1182号。

手を伸ばせば触れる距離まで近づいてようやく、足をとめる。

生まれてからずっと求めてきた相手が、目の前にいる。



・・・



「……すさまじい」

隊長格フェイス――"コマンド・フェイス"は戦慄していた。

変り種の1182号がバカ正直に真正面から挑んでいったときは、故障でもしたのかと

真面目に考えた。

だがいざ戦いが始まるとそんな懸念は吹き飛んでしまった。


http://mitemin.net/imagemanage/top/icode/245437/


互角。完全に互角。

他のフェイスたちが結局はアルカーの動きについていけず敗北していったのに対し、

あの1182号はアルカーの攻撃を全ていなしていた。



おそらく、1182号もアルカーの動きを完全には捉えていない。また一撃食らえば

おそらく致命的なダメージとなる。


だが奴はアルカーの行動を完全に読んでいた。その結果、アルカーの攻撃は全て阻まれ

逆に1182号は着実にダメージを蓄積させていった。


「まさかとは思ったが……あやつ、これほどまでにアルカーを見切っていたとは……!」


隙をうかがい奇襲しようと周囲をめぐっていた自分や他のフェイスも、

手が出せずにいた。


まるで、雷雲。あるいは火砕流。

資格のないものが迂闊にちかづけばたちまち四肢を千切られる、

そんな威容を放つ戦いだった。



「――隊長」

気おされていると、自我を獲得したフェイスがある場所を示してくる。

その先を見ると――



・・・



アルカーも戦慄していた。

ついにきたか、と思った。



日々日々強くなるフェイス。今は自分が圧倒しているが、

いずれ自分に迫る日がくるのではないかと懸念していた。

今目の前に立ちはだかるフェイスこそ、その不安が形になってあらわれたようだ。



打ち込んだ正拳は、腕が伸びるまえに圧しとめられる。

蹴り上げた砂は気にもとめず俺を見つめ、隙をみせない。

単調な攻撃を繰り返したあとに突然パターンを変えてみせても、

まるで動揺せず対応してくる。

至近距離で飛び道具を放つ搦手を使っても、あたる気配がない。



おそろしい。

自分の手管が通用しない相手が現れたことが、おそろしい。



いままでは正対したフェイスは瞬時に倒してきた。だからこそ周囲に気をまわせたのだ。

だが今はこのフェイス一体に対応するので手一杯。背後を気にする余裕がない。


いつ襲われるのかわからない。さりとて、目の前の敵から気を抜くことができない。

背中があいているということが、こんなにもおそろしいことだとは。



アルカーは戦慄していた。



(俺の背中が空いていては――あの娘を、守れないじゃないか!)

ぎり、と歯をかみしめる。

守れないなら――何のための力だというのだ、炎の精霊よ!



・・・



フェイス戦闘員1182号も戦慄していた。

この日のために何度も何度もアルカーの戦いを分析してきた。

アルカーがどこを見ているのか。アルカーが何を狙っているのか。

アルカーが次に足を置くのはどこか……

彼の戦い方を、戦いざまをつぶさに観察し、シミュレートしてきた。自信も、あった。



だが実際はどうだ。



確かに、アルカーの動きは読めた。ギリギリのところだが、読むことはできる。

だが崩すことができない。



避けてはいる。抑えてはいる。だが――刺さらないのだ。



放つ拳が通じない。急所にあたったはずの蹴りが通用しない。物理的な攻撃だけでなく、

全ての攻撃を読みきってなお、動揺が見られない。



これは単なる装甲の厚さではない。

1182号は、直感で察していた。



物理的な強さではない。むしろ、意志の強さだ。

まるで動く気配のない巨岩に、ひたすら殴りかかる猿のような心境だ。

その姿は滑稽ですらないか? ――そんな思いすら胸をよぎる。





アルカーも、フェイスも、1182号も戦慄していた。

だが、1182号だけは――歓喜してもいた。


(やはり、アルカーは……強い。俺よりも、誰よりも)


敵なのだが。なぜか、その事実をたまらなく嬉しく感じてしまう。

不思議なことだった。同胞が人間から感情を奪い、自我が目覚めたときも。

幹部から期待を受けた言葉をもらったときも、こんな気分にはならなかった。

これまで何かに鬱屈していた気分が、暗雲が晴れていくかのように

すがすがしくなっていく気分が――





「イヤァァアアァアァァァァアァァアッッッ!!!」





――その叫び声でまたたく間に閉ざされていくのを、感じた。



・・・



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