第2話 言の葉

「結局……ボクは、ただ弱っちいだけなんだ。死にたいなんて思っても、そんな覚悟もできやしない。……それで結局こうやって、助けられて……みんなにもっともっと、迷惑かけて――」


 ベッドの上のしのりんは、僕の手をにぎったまま淡々と続けてきた話を、そういう言葉でしめくくった。


「弱っちいから、すぐにちょっとしたことで『死んじゃおう』なんて考えるくせに、だからってそこまで思い切れるわけでもない。ボク、ほんと、ただのダメな奴なんだよ……」

「なに言ってるの……!」

 僕はがばっと顔をあげて、さっきよりもさらに強く、しのりんの手を握り締めた。


「『生きたい』と思うことなんて、生きているなら当たり前でしょ。そう思って何がいけないの。『死んじゃおう』とかそんなこと、絶対やめてよ。お願いだよ……!」

「ゆのぽん……」

 しのりんが悲しそうにこちらを見た。その目がちらっと、僕の背後にずっと立ち尽くしている茅野の方を向いたようだったけれど、しのりんはすぐ、そこから目線をはずしてうつむいた。

 僕はしのりんの手をゆすって言い募った。

「しのりんには、あんな素敵なご家族もいる。僕や、茅野だっているんじゃないか。茅野なんて、君がいなくなったって連絡もらったらすぐに、こっちに来ることにしたんだよ? 僕はそれについてきただけだったけど……でも、それでも勝手にそんな、そんなことを勝手に決めて、どこかにいなくなったりしないでよ……!」

「あー。いや、俺は――」

 背後の茅野が、ちょっと困ったように機嫌の悪そうな声を出した。

 こいつの態度にだいぶ慣れた僕には分かった。こいつ、ガラにもなく照れているんだと。それはきっと、しのりんだって気づいていることだろう。

「俺のことはまあ、気にすんな。俺のはあれだ……要は、昔やらかしちまったことの罪滅ぼしっつうの? 半分ぐらいはまあ、そんなようなもんだし」

 茅野はそう言って、帽子のつばをぐいと引き下げ、そっぽを向く。気のせいか、その耳がいつもより少しばかり赤い気がした。


「けど、アレだ。シノもそうだが、あんたもよ――」

「え?」

「ずっと思ってたんだけどよ。二人とも、あんま、アホなやつらに振り回されんな。ああいう真似するどアホウどもにつきあってても、なーんもいいことなんざありゃしねえぞ」

「…………」


 こいつ、突然なにを言い出したんだろう。

 僕としのりんは、思わず黙り込んでじっと茅野を見上げてしまった。


「あー。まあ、あんたのこたあよく知らねえが。アホなやつらが何かしてきたからって、それでこっちが『死んじまおう』って、おかしくね? アホなやつらなんざほっとけよ。アホはアホ同士で勝手に不幸になってやがりゃあいいじゃねえか。ほっといたって自滅すんだよ、そういう奴らなんざ」

「茅野――」

「だってそうだろ? 考えてみろよ。そんなやつに、ちゃんとした友達がいると思うか? いるわけねえわ。だから誰にも心配もされねえ、大事にもしてもらえねえ。で、弱っちいくせに、それは認めたくねえもんだから、周りにちょっとでもつつけそうなターゲットを見つけたらかさにかかって攻撃すんだろ。てめえの弱さを誤魔化すためにな。要はそういう、憂さ晴らしに使われたってだけじゃねえか」

「…………」

「相手はそういう、くっだらねえ奴らなんだよ。対面サシでなんか言ってくる度胸すらねえクソだ。『弱っちい』ってんなら、あっちのがシノの何倍も、何百倍もそうじゃねえかよ。よく言やあ『カワイソウ』ってやつだ。なんでわざわざこっちが、アホで弱っちいそいつらのレベルに合わせて、ガタガタ騒がなきゃなんねえんだよ」


 ……「アホなやつら」。


 この場合、茅野が想定しているのはあの写真をばらまいた張本人と、その情報に乗っかってしのりんに悪意のある言葉をなげつけてきたやからのことに違いなかった。

 でもその時、僕の脳裏に浮かんでいたのは別の人間の顔だった。


(そう……か)


 そうなんだ。

 そいつに、そいつらに振り回される必要はない。

 そいつらが僕に、しのりんに何をしたって、だからって自分が幸せになるのを、ましてや人生や命を放棄するなんてバカのすること。

 茅野はつまり、そう言っているのだった。


「ほっとけばいいんだよ。シノはなんにも、悪くねえ。シノはちゃんと、自分で幸せになりゃあいいんだ。平気な顔で、堂々としてろ。そうするのが一番の、仕返しっちゃあ仕返しだろ。……ま、兄貴の最後の引きがねひいちまった、俺に言えるこっちゃねえけどな」


 最後はやっぱり、自嘲の色の濃い声になって、茅野はそれきり黙りこんだ。

 彼のお兄さんのことを思えば、その台詞の重さも痛々しさも半端なかったけれど、それだけに僕にも、しのりんにも多分、彼の言葉はしっかり届いた。


「しのりん、羨ましいよ」

 僕はしのりんの方を振り向いて、少し笑ってみせた。

「え? なに……?」

「こんないい友達、なかなかいない。ほんと、しのりんが羨ましいよ」

「って、オイ! やめろ」

 途端、茅野が歯軋りするような顔になってさらにキャップのつばをさげた。そうしてくるっと踵を返したかと思うと、次にはもう、猛然と部屋を出て行ってしまった。


「わ〜。わっかりやす……」

 半眼になってそれを見送ったら、しのりんが思わず吹き出した。

「あは、……は、あはは……」

 僕はびっくりして、しのりんのその笑顔を見つめてしまった。

 しのりんは泣き笑いの顔で涙をぬぐって、まだ笑っていた。

「はは……おっかしい。ゆのぽん、ほづとずいぶん仲良くなったんだね?」

 僕はそれにはちょっと首をかしげた。

「いや……。どうだろう? 別に、大した話はしてないし。あ、お兄さんの話は聞いたけどね」

「あ、……そうなんだ」


 しのりんがそこで、ふと俯いた。

 僕は笑って、言葉を続けた。


「でもあいつ、言葉が足りなさすぎるとこあるし。顔こわいし。怒ってるわけじゃないのに、いつも怒ってるみたいに見えるし。色々、人生損してるな〜とは思うなあ。ま、今はなんだか、随分としゃべってったけど。一生ぶんしゃべったんじゃないの? あれ」

「……やっぱり。かなり仲良くなってるじゃない」

 苦笑してこちらを見つめるしのりんに、僕は慌てて手を振った。

「ちょっと! 変な誤解しないでね? しのりんには悪いけど、あいつ、僕の好みにはこれっぽっちも、ほんとにまったく、かすってもいないんだから!」

「うわあ。分かってたけど、そこまで言う……?」

 しのりんが本格的に爆笑しはじめて、僕も思わず声をたてて笑ってしまった。


 そうなのだ。

 同じ作品が好きで、同人誌まで作っている僕らだけど、実は好きになる男性キャラはいつも、まったく違うタイプ。それだと普通、仲良くなれないことも多いのかもしれないけれど、幸い僕らはそうではないのだ。

 というかまあ、周りの人たちを見る限り、同じキャラが好きだとかえってぶつかるって人も多いかも。女の子の独占欲みたいなものと関係してるのかもしれないけど、そこはやっぱり「腐」としてのこだわりがぶつかりあっちゃうってとこなのかなあ。



 そっと病室を覗き込むようにしながら入ってきたしのりんのご家族は、大笑いしている僕らを見て、狐につままれたような顔をしていた。

 でも、お父さんもお母さんも、どこかひどくほっとしたような様子にも見えた。

 なぜか真響まゆらちゃんだけは、なんとなくふくれっ面になっていたけれど。

 思うに、多分、大好きなお兄さんをその友達に取られたみたいな気になってるんだろう。なんだか、かわいい妹さんだなあと思った。

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