第9話 ウインドミル

 美空はここに滞在する間は伯母の家に泊まっていた。築二〇年以上のマンションだが、そう思わせないほどには綺麗である。

「どうしようかな」

 あんな失態をさらした後で展望台に近づくこともできない。


 コンコン、とノックが響く。

 その響きとともに体がカチリと強張った。

 誰のものかは問うまでもない。家主のものに決まっていた。

 常ならば五秒以内にドアを開けなければならないが、それができるほどの元気もない。

「早よ、開けんかィ!」

 すぐ後悔すると分かっているのに。


 夏川あかね。三十五歳独身。

 夏川美空の伯母であり、夏川一族最強の女。おそらくは一生結婚はできないだろう。

「なんか言ったかい?」

「な、なにも言ってないよ!」

 ついでに勘も鋭い……。



「で、何の真似だい?」

「別に、何だってないよ」

 一応、口だけの反抗はしてみたものの、そのひと睨みで気持ちがしぼむ。

 生まれだからすでに出来上がっていたヒエラルキーなど、簡単に変えれるわけもない。

「馬鹿みたいに紙ヒコーキ飛ばしていた癖にさ。一昨日から家にコモリって、何してんの」

 その言葉に何も言えなくなる。

 伯母を恐れて、と言うだけでもない。

 その答えを美空は持ち合わせていなかった。

 押し黙った美空を見て溜息をつく。「本当に何があった?」と静かに聞いた。

「……喧嘩しただけ。友達と」

「喧嘩?」

 いや、正確には喧嘩ですらない。美空が勝手に癇癪を起こして逃げただけの話でしかない。

「一〇年前のこと、もう償えないって言われたんだ」

 その罪を誰にも口にしない。誰にも言えずに胸の内にあるだけのもの。

 そのはずだった。

「ひょっとして落ちそうになってた紙ヒコーキ掴んだことを気にしてんのかい?」

「え?」

 何故それを、と言わんばかりに目が開く。

「あんたは大人ぶってても、やっぱりまだガキだね」



「私はそりゃ、あの日からは知ってたよ」

 ごく当然のような物言い。驚きどころか気に留めもしないその態度に美空は肩透かしを食らったような気分だ。

「何で知ってるの?」

 美空はついこの間、ヤタローに聞かれるまで口にもしなかったというのに。

「あんたの父さんからに決まってるだろ」

「父さんが?」

 そんなはずはない。誰にも悟られない様にしていたはずだ。

「あんたの親父はそこまで間抜けじゃあないよ。しっかりと見守るくらいのことはできてる」

「だったらどうして父さんは何も言わなかったんだ」

「何でってそりゃ、あんたの親父はむしろ喜んでいたさ」

「喜ぶ?」


「娘と二人で挑戦を突破できたってさ」


 息を呑んだ。

 その文句を反芻して振り返ってみれば、それは確かに……、

「言いそうだね。あの人」

 口角が緩みむのを感じるほどには力みが取れていた。

「ま、最も実の娘がそのことでずっと悩んでることがわからないくらい間抜けだったわけだけど」

「まぁ、そこも父さんらしい」

 その言葉に「そうだね」と表情を和らげるも、それは一瞬。再び厳しい表情を見せる。

「あんたの言う『罰』には意味はないよ」

 咎めるようにあかねは言った。

「あんたがイヤイヤに楽しくなさそうにそんなことをしていると知ってあんたの父さんが喜ぶと思ってんのかい?」

 その一言で、美空は生き方など正せない。ならば、どう生きれば良いのか?

 見かねたあかねは姪に尋ねた。

「その紙ヒコーキの名前は?」

「……ウインドミル」

 その意味は「風車」だと、以前に弥太郎に説明した。

「風はもともとは動力として使われてた。小麦粉を作る製粉作業、水を汲みあげるポンプ機能。今なんかだと発電機がつけられたりとか」

「え?」

 美空はなんの話をしているのか分からなくなり、声を上げる。あかねは美空の声を無視してただ声をあげた。

「ウインドミルはただの風車じゃない。娘と言う一人の人間を大きく成長させるための動力となるように名付けたのよ」

 祈りとも受け止められるその由来に、美空はただ驚く。

「あんたは償うなんてバカなこと言っちゃダメだ」


 そして、不意に思い出した言葉がある。一昨日の別れ際に彼が言った言葉。


「そんな方法じゃ君は罪を償えてない。自己満足だよ」


 弥太郎の発した言葉の真意を遅まきながらに気付く。全てが遅いと言うことも。

「全部終わったような面をしてるね」

「もう、終わったんだよ」

 自分のしてきたことは何なのか。自分のしようとしていたことは、本当に贖罪なのか、今しなくてはいけないことは何なのか……。

 美空はそれを見失なおうとしている。

「そうかね。だったらありゃなんだい?」

 あかねはガラリとカーテンを開けた。

 広がる青空の中、何かが浮かんでいるのが見える。

 何か。

 それは、美空が見慣れた一つの飛翔体ひしょうたい

「ウインドミル……」

 折り方もつたなく、飛び方も頼りない。

 だが、あの折り方は遠くから見てもわかる。何百、何千と折ってきた。

「あんたの挑戦、終わっちまったのかい?」

 意地悪な言い方で美空に尋ねる。

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