命のゼンマイ②





 地下40階層。

 昏く深いこの闇の底には、消し去りたい記憶が沈殿している。

 かつての大戦で活躍し、今は役目を終えた兵器や機材。忌まわしい戦火の記憶を蘇らせる戦災廃棄物は深く闇の底に押し込まれ、腐り果てて瘴気を放ち、人の住む上層を蝕み侵す。

 ――忘れるな、と。忌まわしき我らの存在を、あの懐かしい戦火の揺らめきを。忘れることなど許さないと言うように。今日も有毒の大気を吹き上がらせる。


「残った者は、これだけか」


 都市下層のここは、もはや生物の住まう環境ではない。ここに在るのは打ち棄てられた兵器だけ。瘴気を吐いて、戦火を懐かしむ戦鬼、ただそれだけ。


「スリープウォーク、コーカサス、ワイルドウェスト、ハイドアンドシーク、サーフクィーン……そして、ヒートアイランド。この僅かな期間で多くの、実に多くのかけがえのない友を失った」


 四方を囲む巨大なモニタ群が照らす病んだ緑の光が、そこに在るものの姿を朧に照らす。男は歪な笑みを浮かべて、そこに並ぶ者たちを見渡した。


「――実に素晴らしい事だ。諸君、乾杯しよう」


 彼の声に応えてグラスを掲げた者は、僅かに四人。

 地上で最も忌まわしい<911中隊>の恐るべき戦鬼どもは、今や大きく数を減らしていた。

 それでも尚、彼らの長である男――大尉と呼ばれる戦鬼は喜悦の色を隠しもしない。どころか、戦友が死に、戦いが激しく悲惨なものになればなるほど喜ばしい、と言うようですらあった。


「死したものは英雄だ。だが英雄とは敗北の美談の上にその死を語られる存在でしかない。誇るといい、今ここに生き残った君たちこそ真の強者だ。君たちは真に一騎当千の、真に忌まわしき厄災の戦鬼どもだ」

「身に余る光栄であります」


 主より賜った賞賛を受けて、若い戦鬼は目を伏せて歓喜に打ち震えた。

 黒いミリタリーコート。白く逆立った髪。左頬に紅く獣の顎のような刺青を施した、鋭すぎる目の戦鬼だった。

 大尉は彼に柔らかな笑みを向けた。


「君もまた、あの大戦から一つも変わらないな。あのクソのような戦場を生き抜いた、クソのような戦争兵器のままだ。素晴らしい。全く素晴らしいよ、インヴィテイション」

「有難き幸せ。私は貴方の弾丸であればこそ、今も狙いを違わず征けるのです」

「そうだ。私が弾を籠め、私が照準を合わせ、私が引き金を引く。そして君は奔り、殺せば良い。それで良い、友よ」


 鋭すぎる目の戦鬼は――インヴィテイションは、侮蔑とさえ取れるような大尉の言葉を甘んじて受け止め、その言葉を賜る光栄に震えた。

 彼は生き残った他の戦鬼たちの中では最も若輩ではあったが、実力ではなんら劣ることはない。その血気盛んな戦鬼の背に、下卑た嘲笑が浴びせられた。


「ご主人様のご命令で西へ東へ駆けずり回って、それが光栄かい。ご苦労なこったな、我が親愛なるクソのような戦争兵器殿」


 インヴィテイションの鋭すぎる目が、殺意をこめて声の主を睨んだ。彼の薄い唇は、忌々しげに「マディ・マウス」と言葉を結んだ。それが、この戦鬼の名だった。


「黙れ、狂犬」

「噛み付くなよ、大尉に飼われた室内犬同士仲良くしようぜ」

「……ふざけた口利きやがって、てめェから死ぬか」


 擦り切れた旅衣の男。だらりと脱力した両腕は、一切肌を覗かせず包帯に覆われている。

 男は、マディ・マウスと言う名の戦鬼は、その顔に飢えた獣のような笑みを浮かべて、言う。


你敢やってみろ、喰い殺すぞ玩童クソガキ


 耳慣れぬ言葉を吐いてマディ・マウスは嗤い、異常に鋭い犬歯を噛み合わせる。

 底無しの飢餓を訴える野犬の如きその様に、汚染大気に満たされた空気が淀む。インヴィテイションは嫌悪に顔を歪め、ゆっくりと立ち上がった。ゆらり、と彼の周囲の大気が歪んだ。


「死ね」

「お前がな。お前の愛する大尉もお前がここで死ねばきっと喜んで乾杯して下さるだろうよ」


 鋭すぎるインヴィテイションの目がマディ・マウスを睨むと、硬質な振動音が大気を震わせた。それが彼の殺意の発露であり、戦鬼としての機能の顕現であることは自明であった。

 マディ・マウスは両腕をだらりと脱力させて、椅子に座ったままでいる。殺意の振動音が高まると、その腕を覆う包帯が一巻き、はらりと解けた。飢えた獣が、うずく牙を軋らせる。


「殺――――」


 ――瞬間、マディ・マウスへ目掛けて吶喊しかけたインヴィテイションが、弾かれたように背後を振り返る。

 その先に在るのは、ボロ布に包まれた鉄くず。否、ただの一瞥によって破滅に傾きかせた場の空気を掌握し、より巨大な戦慄によって支配しせしめた、恐るべき戦鬼。


「……パニッシュメント」


 確かな畏怖を込めてインヴィテイションにそう呼ばれた戦鬼は、特段気に留める事もなく、傍に座し、この瞬間まで沈黙を守ってきた戦鬼へ水を向けた。


「状況、を、知りたい。フェイスレス」


 鉄の軋むような声。言葉を発するのにさえも難儀するように、崩れた戦鬼は言った。

 それに応えて、表情の無い女は――フェイスレスは感情を見せない声音で言う。


「現在30階層にて対象とコールドエッジが交戦中」

「見当たらねえからくたばったかと思ったが、なんだ先走ってやがったか。相変わらず空気の読めねえ奴だ。美味しいとこは年長者に譲らにゃあな。なァ、パニッシュメントの叔父貴よ」

「構わん。する事、は、同じ……だ」


 色の無いフェイスレスの言葉をマディ・マウスが軽薄に茶化し、掠れた鉄のような声でパニッシュメントが答える。

 彼女の話に出た「対象」が何を示すのかは、ここに居る者にはもはや説明するまでもなく共有された情報であるらしかった。


「そろそろ教えてくれてもいいんじゃねえのか大尉よ。奴は何者なんだ」


 奴――と呼ばれたのが誰なのか。

 それこそは、<911>の戦友を悉く討滅し、その復讐の炎で無価値な残骸に変えた恐るべき『戦鬼殺し』に他ならない。

 余裕に満ちた笑みを浮かべて、大尉は答えた。


「彼はかつて<911>の戦鬼だった。といっても書類上所属していたというだけの事で、実際に面通しをしたのは私くらいのものだろう。彼は、最も恐ろしい戦鬼であるべしと創り出された存在の、その一つなのだ」

「へえ」


 マディ・マウスは獣めいた笑みを深め、インヴィテイションはその鋭すぎる双眸を驚愕に見開いた。恐らくは、大尉の言葉にこめられた何らかの意味を察したのだろう。



「……つまり、<特別製>、と、言うこと、だ」


 パニッシュメントが、途切れ途切れに補足した。

 どこまでも暗い、冷たい、冷たい声だった。






***





「<顕身>」


 呟きと同時、顕れたのは戦鬼の躯体。

 向かい合う人間二人分のかたちを内側から食い破るように、鋼の異形が世界に現出する。

 二つの内一方、失った右腕の空白から超自然の炎を燃やす恐るべき戦鬼が言う。


「ミナに手を出すな」

「元よりさして興味もない」


 蒼い鋼の戦鬼は答え、同色の刀身を持つ刀を腰から抜いた。

 針、と冷えた金属音が響き、静かな脅威に世界が凍りついたかのように沈黙する。


「貴様、<911>の戦鬼だな」

「そうだ」


 『蒼白い爪痕』と名乗った戦鬼は首肯し、刀を手に一歩踏み出した。

 硬質な足音は、世界の全てを凍て付かせるよう。顔の上半分を覆う鬼面の上から読み取れる表情は少なく、露わになった口元もまた、ただ静かに、冷たい言葉を吐くのみ。


「これは制裁だ、『戦鬼殺し』。お前の炎に灼かれた全てのものが、お前に望む清算だ」


 温度の無い言葉。ただ殺意だけで空気を振動させる音。

 ミナは背筋を冷たいものが這うのを感じた。口をついた反論は、半ば絶叫じみていた。


「お前だって、お前だって奪ってきただろう! 殺してきただろう! 私の両親を殺したのはお前達だ! お前達が私をここに落としたんだ!」


 自分の叫びを、ミナはどこか遠く聞いていた。下らないことを言っているな、と思った。空虚な残響は、誰の心にも響かなかった。

 戦鬼が一歩進み出た。


「俺の剣は死を願う生命に振り下ろされる断頭台の刃だ。死を振りまきながら命を乞うのか。命を奪いながら正しさを主張するのか。逃げ切れるつもりで罪を重ねて来たのか、お前は」

「お前は違うとでも言うのか、戦鬼め」

「俺は請け負った。お前達に精算を求める事をな」


 その目に迷いは無い。機械のような冷たさで、戦鬼は一歩ずつ距離を詰める。硬質な足音は、死を告げるように暗い。


「やはり度し難いな、万死に値する」


 誅伐、制裁、断罪、報復――

 己が正しさを説いて剣を振るうもの、その正しさのために戦う事を、自分の意味にした戦鬼。

 コールドエッジは誅伐の刃だった。世界に容認されざる仇人を裁いて回る、異国の刑刀を携えた首切り判事だった。

 その男が、誅伐の剣が、無慈悲なる断罪者が、相対する修羅畜生の戦鬼に、喰らった命の精算を求めている。


「いいや、死ぬのはお前の方だ」


 低く掠れた声。燃えるように冷たい、軋むほどに研ぎ澄まされた、戦鬼の声。

 死を告げる音を発する為に造られた楽器のように、それは言った。


「頸を差し出せ、戦鬼」


 荒涼とした風が吹いた。二者の間に、茫漠とした戦場の荒野の、あの匂いが蘇った。それは懐かしい、彼らの故郷の匂いだった。


「――差し出すのは、お前だ」


 瞬間、コールドエッジが駆けた。

 冴えた蒼い刃は空気を切り裂いてキィと高く唸りを上げて、戦鬼殺しの頸へ最短の道を走った。

 同時、質量を持って炎上する戦鬼殺しの炎が刃を阻み、拮抗した。


「見せてみろ、ヒートアイランドを下したお前の力を」


 答える代わりに、オウガスレイヤーは赤錆びた鋼を纏う左腕で殴りかかる。コールドエッジはこれをバックステップで回避し、同時に刀を鞘に収めた。

 油断では無い。戦闘を止めたわけでも、もちろん無い。それこそが静かに必殺を誓う、この戦鬼の構えなのだ。


「ヒートアイランドは仲間だった。死したものは英雄だと奴は言ったが、俺はそうは思わない」


 空虚に呟いて、半歩下がる。

 それを追って、オウガスレイヤーは半歩踏み出す。

 右腕の炎が薙ぐ。コールドエッジは飛び退く。熱風を掻き分けて、オウガスレイヤーは更に全身する。その脇腹に槍のようなサイドキック。赤錆びた左腕が蹴りを防ぎ、コールドエッジはその反動で後ろに飛び退く。

 五歩。およそその程度の距離。鞘に収めた刀を握る手に力がかかるのを、オウガスレイヤーは見た。


「その死に様を語る者がいて、初めて死者は英雄になり得るのだ。――せめてもの餞けだ。お前の頸を以って、彼らの死を飾ろう」


 抜刀。

 抜き放たれた刃は、バラバラに砕けて――否、不可視の魔力線に紡がれて鞭のようにしなり、オウガスレイヤーの赤錆びた躯体を切り刻んだ。


「ロシン!」


 名を呼んだ。彼女が付けた名を。押し付けた意味を。

 蛇腹状に分割されてしなる刃の渦の中、オウガスレイヤーは、彼女が叫んだ意味を、自身に託された復讐を成就すべく、深く、深く息を吐いた。


「殺す」


 右腕の炎が燃え、赤錆びた躯体が軋みを上げた。

 内側から存在そのものを作り変えるような、歪な音が響いた。


「戦鬼、死すべし」




***





「我々戦鬼は、体内に組み込まれた魔力回路を闘争によって回転させ、以って生命とするいきものだ」


 闇の中で、大尉は訥々と語り始めた。それをはばむ者は無い。

 周知の事実を確認するように、大尉はゆっくりと続けた。


「我ら戦鬼にとって戦闘は生命維持活動そのものであり、闘争心こそが生命の対価なのだ。我らはその闘志によって、個々の形態や能力を獲得する。ある者は炎をあやつり、ある者は激流を制し、ある者は恐るべき武器を創出する」

「だが、稀に、そうで無い、ものも、いる」


 金属の擦り切れるような音で、パニッシュメントが言葉を継いだ。彼が口を開くのは珍しい事だった。言葉を発するのさえ難儀するほど朽ちた身体の戦鬼は、しかしかつてなく饒舌に、続けた。


「……戦鬼、は、その形態の変化、に、一定の制約が、ある。それは、自身、が制御可能、な力の臨界、と、言って、も、いい。増幅、する自身の力、で、崩壊する、のを防ぐ、ため、の、リミッター……だ」


 ぼろ布の奥で、朽ちかけた顔で、鬼のような形相で、パニッシュメントは笑った。

 キィ、と彼の体が軋んだ。


「<特別製>というのは、つまりはその制約が無いという事だ。闘争心の高まる限り、際限なく自身の性質を変化させ、強化し続ける事ができる戦鬼の究極にして、決して生まれるべきではなかった忌むべき禁忌の生命体だ。その力が、今我らの手中に収まろうとしている。スリープウォークを残骸にせしめ、ハイドアンドシークを爆砕し、ヒートアイランドを闘技場の砂に変え、そして今、コールドエッジと相対しているあの恐るべき戦鬼こそ、我らの探し求めた悲願の結晶、正に忌まわしき運命の失敗作だ」


 大尉は言葉を区切り、薄闇に拳を掲げた。

 刮目せよ、と拳は語る。

 我らが大望は今こそここに成就せん、と。


「さあ行けインヴィテイション。君の力を、絶対と信じるものを私に見せてくれ」

「御意のままに」


 鋭すぎる目の、白い戦鬼は恭しく一礼し、応えた。

 己よりも強大なものへの憧憬が、彼に意味を齎していた。


「マディ・マウス。さぞ空腹だろう。今がその時だ。飢える君を満たすものは其処にある。共に行こうじゃないか」

「どこまでも、大哥ボス


 飢えた野犬のような目で、耳慣れぬ言葉で、危険な戦鬼が応えた。

 己よりも放埓な者への共感と信頼が、彼に牙を振るう意味を与えていた。


「フェイスレス、状況を開始せよ。私には君が必要だ。ついてきたまえ」

「委細承知致しました、我が主」


 感情の無い声と表情で、能面のような戦鬼は応えた。

 己を支配する絶対なる者への忠誠が、彼女を構成する全てだった。


「さあパニッシュメント。約束の時は目の前だ。我らも重い腰を上げるとしよう」

「永く、永く待った。行こう、友よ」


 朽ちた戦鬼は、笑いながら応えた。

 己と並び立ち、共にあり続ける無二の戦友との信頼が、彼を駆動させる動機だった。



 ここに集う全ての戦鬼が、拳を掲げる彼に、大尉に、付き随う理由を見ていた。

 全ては彼の描く理想に集い、彼の見る黒い朝陽をともに描く意思持つ災厄そのものだった。


「思う様壊せ、思う様燃やせ。何を躊躇う事がある。この世の全ては燃えカスと、燃え損なったカスだけだ」


 戦鬼達は立ち上がり、飲み干したグラスを床に叩きつけた。

 割れたグラスに反射する悪鬼どもの姿は、既に人の形を失って、忌まわしき本性を顕していた。


「状況を開始せよ、<911中隊>――今こそここに、黒い朝陽を描くのだ」


 悪鬼どもは一人残らず姿を消し、共に飛び立った。

 戦場を求めて。情け容赦ない死を求めて。鉄風雷火の、懐かしき彼らの故郷を求めて。

 悲劇を起こし、破滅を齎し、全てを壊し、無価値にし尽くす。

 それこそが、彼らの持つ意味である故に。

 そうして、そうなった後での事など、何一つ気にかける事など無く。

 そうして、黒い朝陽へ至る惨劇は開始する。

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オウガスレイヤー アスノウズキ @8law

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