記者と政治家④

 東京に潜伏して一ヶ月が経った。その期間、めぼしい収穫は無く、時間だけが無情に過ぎていった。

 先輩はそれでも源田智和の尾行を続け、わたしもまたマンションの張り込みを続けている。

 この一ヶ月というのが、編集長から与えられた東京出張のリミットだった。

「――限界だね」

 経過報告をした際に編集長が一言ぽつりと言った。

 電話越しにでも残念そうに顔を歪めているのが容易に想像できる。別に悪いことをしているわけでもないのだが、やはり申し訳ない気持ちになった。しかし、それは源田智和がシロであることの証明に他ならないのであるのだから、それはそれで良かったのではないか。ネタとしては空振りだが、巷で漫然と流れているような悪名が噂に過ぎないことがわかったのだ。

 ただ、総理に最も近い男のスキャンダルは世間の目にどう映るのか。一記者として興味があった。それが本音ではある。先輩が調べあげた資料を見る限り、源田智和は限りなく黒に近いグレーであると印象を受けていたので、それは残念だと言える。

「もう少しだけ調査を続けさせていただけませんか」

 電話を変わった先輩が、編集長に懇願した。

 珍しいな、と先輩の姿を見たわたしはそう感じた。

 先輩の特徴を言葉で表現するならば、駆け引きの上手い人、とわたしは思っている。調査はとことん調べるが、ボーダーラインを見極め、引くところは引く度量も持ち合わせている。そんな先輩が編集長に物申す、ということは、まだボーダーラインが奧ということか、それとも見失ってしまっているのか……。

 先輩は左手の薬指に指輪を嵌めている。ゴールドリングの中央にはピンクダイヤモンドがあしらわれているが、結婚をしているわけではない。正確に言えば、離婚を経て今に至る。子供もいたらしいが、随分と会っていないことを酒の席で吐露していたこともある。それでも指輪を外さないのは、昔を後悔しているからなのか、自らに枷を課しているのか。先輩は何も教えてはくれなかった。

 先輩の懇願に対し、編集長は一歩も退かない考えで、それからしばらく口論を続けていたが、源田が一人残って調査を続けるということでなんとか話がまとまったらしい。今この調査で東京に出向いているのは、わたしと先輩を含めて総勢八名。それが一度に無くなるというのは、少し編集長も頑固というか冷徹にも思えた。

「わたし……残りますよ」

 電話を終え、他のメンバーに伝達をしていた先輩にわたしは言った。わたしが力になれることなど、たかが知られているが、なんとなく今はここにいるべきだ、と直感が働いた。

「いや、大丈夫だ」

 先輩はわたしの申し出にやんわりと断る。

「これは俺の問題だから。お前をこれ以上に巻き込むわけにはいかないさ」

「なんでそこまでして源田を追うんですか」

「なんでだろうな。俺はずっとこの男を追っていた。それこそ衆議院議員に当選してからだから、二十年以上だな。もう理由なんて忘れちまったよ」

 先輩は左手の人差し指で鼻をこすった。わたしはそれが先輩の嘘を吐くときの癖だと知っている。

「もっと簡単に見つかると思っていたんだけどなあ。やはり腐っても大物政治家だ。ひと筋縄ではいかないらしい」

「ボーダーライン」

「……え?」

「ボーダーラインは超えていませんか」

 不安になったわたしは先輩に詰め寄る。

「……大丈夫だよ」

 また左手の人差し指で鼻をこする。わたしの不安は募るばかりだ。

「だが、助かったよ。お前には本当に感謝している。もう一人前の記者の面構えになってきたじゃないか」

「そんなことないです」

「辛抱強く調査することはなかなかできることじゃあない。才能あるよ、お前は」

「……やめてください。なんでそんなことばかり言うんですか」

 わたしの涙腺は一気に崩壊し、身体ごと崩れ落ちた。

「先輩はわたしの目標なんです。わたしが超えるまで、ちゃんとわたしの前で、いつものようにふんぞり返ってもらわないと困ります。……だから、必ず帰ってきてください」

 床に膝をついたわたしは先輩を見上げる。先輩も涙ぐんでいるように見えるのは、わたしの自尊心か、それとも自分の目が涙で溢れているからだろうか。

 先輩はわたしの言葉に対し、何も答えなかった。

 その代わりにわたしの頭を軽く撫でると、部屋を出ていった。

 残された部屋にわたしのすすり泣く声が無情に響いた。

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