患者と医者⑥(完)

「……そうか、死んだ……か」

 私の長話にずっと耳を傾けていた美濃さんは口を開くとため息を吐くように呟いた。

「ずいぶんとあっさりですね」

「もう、五年も会っていないかったからなあ」

 美濃さんはしみじみとした感じは見せること無く、むしろ淡々と語った。

「当時は丁度離婚調停中でね。もう別居状態ではあったんだ。だから倅が同級生を自殺に追い込んだ、という情報を知ったのは随分経ってからだった」

 本当に申し訳ない、と頭を下げる美濃さんに、私は何も答えなかった。

「元女房ももう儂に頼るなんて恥を晒すことはしたくなかったのだろう。一番板挟みで辛い想いをしていたのは倅だというのに」

「そのかわいそうな息子さんに殺された私の息子に対しても仕方がないとでも言うつもりですか」

「そんなことは言わんよ。どの親も自分の子供が一番可愛い、それだけのことだ」

「息子さんの最期、見に行かれますか」

「いや、いい」

 美濃さんはあっけらかんと答えた。

「儂はもう倅の親でも何でもないしな。元女房に何て言われるかも考えたくない。倅の最期を見届けなかった罰当たりな駄目親父くらいが、儂には丁度いい。だがな、村田先生。あんな倅でも救おうとしてくれてありがとう」

 私は正直わからなかった。本当にあの患者――美濃洋介は、助からなかった患者だったのだろうか。確かに出血量から鑑みても助かる確率は低かった。しかし、それをいいことに心の迷いから、充分な処置をとらなかったのではないか。心の中では自分達が先に息子に会いに行きたいと言っておきながら、瀕死の仇敵を目の前にして冷静さを保っていただろうか。

 私の葛藤をよそに、美濃さんは話し続ける。

「ここで言うのも何だが、先生。儂はやっぱり手術も治療も受けんよ。儂にはもうこれで本当に生き永らえる理由は無くなった」

「……ふざけないでください」

 絞り出した声は自分も驚くくらいに怒気に満ち溢れていた。

「あなたの生死は医者であるこの私が握っています。生かすも殺すも私次第。そんな簡単にこの世から逃がしませんよ。息子に早く会いたいのであれば尚更です。意地でもあなたを生かさなければならない」

 何を言っているか支離滅裂だったが、どうしても美濃さんたちの思い通りにさせたくなかった。

「……治療を受けてもらえませんか」

 今度はわたしが頭を下げた。それと同時にまぶたに溜まった涙が地面に零れ落ちる。

 美濃さんはため息を吐いた。今日はため息をよく聞くな、と地面を見つめながら、ふと思った。

「……それが償いになるので少しだけ考えさせてくれないか」

「わかりました。しかし、腫瘍は放置すれば次第に大きくなっていきます。遅くても一週間後の昼間には入院手続きに伺いますので、心の準備をよろしくお願いします」

「わかった。一週間後だな」

 それではこれで、とその場を後にしようと振り返ると、美濃さんに呼び止められた。

「村田先生……息子を救おうとしてくれてありがとう」

 私はそれには何も答えず、黒く沈む闇夜に紛れた。


 一週間後、私はあのアパートの前に立つ。

 前回訪れた時は夜中だったが、昼間に見ても、老朽具合は変わらない。むしろ、闇に溶けていた部分が露になり、より一層の痛々しさが垣間見えたくらいだ。

 美濃さんの部屋の前に立ち、チャイムを鳴らす。

 返事はない。留守にしているのだろうか。確かに昼間とは伝えたが、正確な時間は伝えていなかったかもしれない。

 私はもう一度チャイムを鳴らした。

 返事はない。もう少し待つか。私は廊下に設置されたフェンスにもたれた――その時、何か言い知れぬ不安が胸を抉る。

 扉をノックし、美濃さんの名前を呼ぶ。ドアが軋むほど叩くが、中から返答はない。

 私はスマホを取り出し、警察に連絡をする。何を喋ったかは覚えていない。

 何故だ。美濃さん、何故なんだ――。

 私は一心不乱に反応の無い部屋の扉を叩き続ける――。

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