上司と部下④

 工藤の代役として任された仕事はそれから一月ほどで終了した。後は俺の作ったデータで後工程の部署が部品の製造、組み立てを行えば完了となる。

 しかし、後工程へデータを提供してから、およそ半月後に事件は起こる。

 オフィスに一本の電話が鳴り響き、小幡さんがそれに対応すると、血相を変えて上層部の席へと走っていった。俺はそれを横目で確認したが、別段気に留めることなく、仕事を続けていたが、田宮さんから呼び出しを受けたことで、電話の案件が俺に関係していることを悟った。

「お前、あの時のデータ、ちゃんと確認して提供したか」

「はい。確認しましたけど……」

「じゃあ、このデータはどう説明するんだ!」

 田宮さんは俺に一枚の紙切れを突き付けた。中を確認すると、俺の作ったデータの一部の寸法が間違っていることが記されている。しかし、今回はそれが問題の最もたるところではない。その寸法で作成したことによって、組み付け時、強度が保てず損壊。部品の再発注が発生するという事態に陥った。更にはそれによって、組み付け作業者の一人が怪我を負ってしまった。

 俺は寸法の間違いを確認すると、血の気が引いていくのを実感した。

 確かにあの間違った寸法は俺が入力したものだ。そしてそれは、データのログにも残っている。どう取り繕っても逃れることはできない。しかし、それよりも怪我をした人の安否と再発注による損失はどうなっているのか。

「作業者は七針を縫う切創災害だ。再発注による影響は現在調査中。すべてはこのデータから発生している」

「七針……」

「とりあえず、怪我をした人のところへ謝罪に行くぞ。それから再発防止の会議だ」

 田宮さんは落ち着きを払い、的確な指示をメンバーに送る。俺はというもの、いつもの平身低頭で謝罪を繰り返した。

「山伏。謝ったってもう遅い。あのミスを気づかずに提供した上司が悪い。つまり、これは俺の責任だ」

 田宮さんは俺の顔を見ずに、肩を叩いた。その時、叩いた田宮さんの手が震えていることを俺だけが悟った。

 この不具合は影響がかなり大きく、俺の範疇からすぐに離れてしまった。田宮さんが語った、「俺の責任だ」の一言の意味を俺はここで初めて知ることとなる。

「気に病むなよ。責任は感じるべきだけど、お前ひとりが悪いわけじゃないから」

 小幡さんが俺を気遣って声を掛ける。

「でも、入力を間違えたのは僕なんです。なのに、俺は口頭の注意と反省文だけで終了って……」

「それが会社だよ。部下の責任は上司の責任だ。度合いにもよるが、今回はお前の落ち度よりも田宮さんの落ち度の方が大きかった、という話さ。それに責任を取る、取らないの話は、俺たち一般ペーペーがどうこう言える立場じゃないしな。それだけの重みを背負っているんだよ」

「……はい」

 俺はいつもとは違う重みが心に圧し掛かった。

 こういう時に限って田宮さんは、なんで俺を守ったんだ。いつもは俺のやることなすこと全てを否定し続けたくせに。上司の立場とか関係ない。俺に引導を渡す恰好の事件じゃあないか。

 寮に帰ってきた俺は、布団に潜り、一頻り泣いた。

 そして、落ち着いたところで常設している机に向かう。

 田宮さん。あなたが俺を守る理由はわからない。上司という立場を鑑みての行動だとしても、それが美談だとも思わない。俺は俺なりに一生懸命やってきた。それでこの結果なんだ。もう俺は限界だ。俺の身体も、心も、すべてが限界だ。そして、他の人間が俺のせいで傷つくのも嫌なんだ。それが例え忌み嫌う上司だったとしても。

 俺はジムのサウナで男と話をした連続殺人事件を思い出す。もし俺の嫌いな人間が被害者になったら……。確かにそれは気が狂うほどに嬉しいことかもしれない。しかしそれ以上に気が狂うほど後悔するだろう。それが俺の出した結論だ。

 悪人になり切れない。中途半端な人間。それが俺だ。

 いっその事、あの切り裂きジャックが俺を狙ってくれればいいのに、とさえ思う。そうすれば楽になるし、もしかしたら職場の人間も悲しんでくれるかもしれない。

 感傷に浸る――というほどでもないが、俺はこれまでの短い会社生活の思い出を振り返りながら便繊に四文字の言葉をしたためた。

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