第27話 みやびと遊ぼう! ②

 校内の人をかき分け学校を出た。みやびの家までは歩いて20分くらいだから、走ればもっと早く着くことができるはずだ。しかし不知火の話では、みやびの家自体に近づけないらしい。俺だってみやびの家まで行くことができない可能性は十分に考えられたけど、今は向かうしかない。特別な力なんて一つもないけど、黙って待つなんてことできない。

 やがて住宅街に入る、ここまで来ればみやびの家はすぐそこだ。今のところは不知火の言っていたような変化はないけど……と思っていたが、その違和感はすでに目前に迫っていた。

 それはどこか感じた覚えのある違和感だ。体に纏わりつくような感触は、空気自体が少しの重さを持ったかのようだ。目の前の景色も変化があった、塗り絵の途中に、そこだけ塗り忘れたかのように、時々色が抜け白と灰のモノクロカラーになっている場所があるのだ。それは電柱の陰だったり、表札だったり、その位置、大きさに規則性はない。そんな景色を不安に思いながらも、幸いみやびの家に辿り着けないといった現象は起こらなかった。

 みやびの家を見上げると、異変の元凶がみやびの家から発生しているのがよくわかった。2階のみやびの部屋の窓から、少しづつ灰色が漏れている。それは千切れたフィルムのようにふわり宙に飛び、色があった場所に貼りつくと、色を吸い取るかのようにその場所ははモノクロと化した。俺は意を決して、みやびの家に入る。

 灰色のドアノブを握る……これも元々は綺麗な金色だったはずなのに。ドアノブをひねると、鍵がかかっていなくて扉は簡単に開いた。ドアノブを握っていた手を確認すると、灰色が付くということもなかったので、少しだけ安心して家の中に入る。

 家の中はほとんどの色が抜け落ちていた。壁に飾ってある絵も、桃色だった玄関マットも全ての色が抜け落ちている。真っ白の壁はあまり変わらないけど、それでも少し灰色が侵食しているようだ。

 一応みやびがいないか、居間を確認する。みやびの母親であるあこさんは不在のようだった。働いているという話も聞いていないから、たまたま出かけているのかもしれない。いや、そう信じたい。

 俺は隅々まで1階を確認して、2階に上がった。

 みやびの部屋の襖は閉まっている。襖は白かったはずなのに、ほとんど真っ黒に染まっていた。襖を開けようとすると、頭の中で勝手に危険信号が鳴り始めた。それまでは大丈夫だったはずなのに、ここだけは開いてはいけないと、指が震えだす。

 だけど、俺はそれを無視して襖に手をかけた。一番可能性があるのはここだ、みやびがいるなら、きっと部屋。ここを確認しない訳にはいかない。

 そんなに暑くもないはずなのに、額から吹き出す汗を一度拭い、俺は震える指を手で抑えて、襖を少しだけ引き中の様子を伺う。


「うぐっ……」


 みやびの部屋は一面黒い沼と化していた。

 たぷたぷと揺れる、墨汁のような黒い水が俺の腰辺りの高さまで部屋の中に溜まっている。それは一見水のようだけど、黒いなにかが凝縮して出来ているようで、黒の一つ一つが意思を持つかのように蠢く。そして、その黒は襖を開けてもこちらに流れてくることはなく、黒のフィルムのようなものがいくつか浮かんで襖の外へと漏れだした。

 俺は意識していないのに、その襖を閉めていたことに気づく。そして痛む頭に蹲った。

 この感触は知っていた。頭の中に黒いものが侵入して無理やり記憶を塗りつぶし、気づくとその部分だけごっそりと無くなってしまうこの感覚。つい先日体験したような気もするし、ずっと前だったような気もする。なんにせよ、それはみやびが作りだした、『人が考え付かないもの』を形にしたもののせいで間違いなかった。

 初めて見た時はまだ新聞紙を丸めただけの大きさで、その上を黒や灰の文字ようなものが蠢く球体だった。それでも俺は意識よりも先に体が拒否反応を起こして、自慢をしようとするみやびを止めたんだっけ。そういえばあれを処分した方がいいと言おうと思っていたのに、すっかり忘れていた。

 俺は蹲りながらも、頭の中をのたうつ黒いものを追い出すように努力する。一つ残らず追い出すのには、5分程度の時間と大きな労力を必要とした。額に流れる汗を拭い、一息ついて襖を見つめる。

 これは不味い、みやびの部屋に入れない。少し覗いただけでもこんな状況なのに、部屋の中に入るなんて自分を保っていられる自信がない。なにか他の方法を考えなきゃ……。


「きゃ!」


 なにか対策は、と考えていると、ありがたいことに対策の方からやってきてくれた。


「みやび!」

「あ、あれっ? 秀ちゃん? 私今寝てたんだけどぉ」


 みやびはみやびでも、パラレルワールドから時々こっちの世界に来ていた大人になったみやびの方だ。ちょっと景色が歪んだと思ったら、次の瞬間には目の前にパジャマ姿のみやびが現れていた。


「ちょうどよかった、こっちのみやびがピンチなんだ。この部屋の中どうにかならないか?」

「今は転送装置の電源オフにしてたはずなのに……、なんでまた飛ばされたかなぁ。ん、というかなにこの景色」


 俺はせっぱ詰まっているけど、みやびは寝起きのようにぼーっとしていた。やがて周りの異変に気づいて、目を輝かせる。


「ってなんでそんな楽しそうなの?」

「全ての不思議は化学で解決できるっていうのが私のモットーだからね! 凄いなにこの現象! こんなの初めて見た!」


 みやびは色の抜けた壁に手を付いて、ゆっくりと指をなぞらせる。いや、そんなことしてる暇本当にないんだって!


「みやび、お願いだからこの世界のみやびを助けてくれ。今、この襖の向こうにいると思うんだけど、俺には入れないんだ」

「ふむ、私が危ないのか。それにしても秀ちゃんが入れないとはどれどれ……」


 みやびはどこからともなく薬のケースを取り出し、小さく赤い錠剤を一つ飲む。そして襖を少しだけ空けた。


「……んー、この薬でもよくわからないかぁ。結構厄介かも、少しだけ採集っと」


 いつの間にか手の中にあった小さな試験管の中に黒を採取する。みやびが目の前で試験管の中の黒を揺らすと、その黒は試験管のガラスの色まで徐々に奪っていった。その現象を見てみやびはますます眼を輝かせる。


「おぉ! この私作、特性試験管を浸食するとは、これは早く研究……じゃなかった、なんとかしないとね。んー……と、帰れそうかな? 大丈夫そう。秀ちゃん、私は一回私の世界に戻るから。解決策ができればすぐに戻ってくるね」


 と、俺が返事をする前にみやびはその場から消え去った。そういえばみやびは自分の意思で自由に来たり帰ったりはできないって言ってたな。今は出入り口が開いている状態なんだろうか。

 みやびがいるかもしれない襖の前で待つのは正直じれったい。とは言え、他に俺に出来ることも今の段階ではなかった。時刻は13時で、みやびを連れ戻して学校まで向かう時間を考えると2時間ほどしか余裕はないのだ。

 空を飛ぶ装置を作ったり、こっちの世界に渡ってこれるようなみやびだ。きっと大丈夫、違う世界とはいえ自分を助けるために全力を尽くしてくれるに違いない。

 不安を塗りつぶすように考えを巡らせていると、また何もない空間からみやびはパッと現れた。俺は呆然としてしまう、だってさっき別れてから10秒ほどしか経っていない。


「いやー、お待たせ! まさか一ヶ月も掛かるとは思わなかったけど、なんとかできたよ」

「えっと、さっき別れたばっかりで……」

「ん? んー、私は一ヶ月研究三昧だったらなぁ、そんなに覚えてないや。とりあえずこれが完成品!」


 渡されたのは試験管に入った黒い液体だ。正直みやびの部屋に溜まっている水とそんなに大差ないような気がする。


「それをね、ぐいーっと」

「マジ?」

「マジのマジさー。大丈夫、味はその色に因んでコーラっぽくしておいたから」


 どうみてもコーラには見えないんだけど……。


「ほらー、私を助けたいんでしょ? 時間無いんじゃないの?」


 そう言われてはっとした。そうだこんな話をしている暇なんてない。俺は試験管に口をつけ一気に傾けた。さらさらと流れる黒い液体は、みやびの言う通りコーラの味がした。炭酸まではなかったから、ただの甘いジュースだ。

 そして、その不思議なジュースの効力はすぐに表れた。

 モノクロに染まった世界が、青を中心としたパステルカラーに染まっていく。壁は灰色から水色に代わり、黒が濃かった部分ほど青に近い色に染まった。宙に浮かぶ黒いフィルム状のものは水色になり、その向こうが透けて見えるようになった。その光景は自分が浅い海の底にいて、空から差し込む光を見上げているかのようだ。


「よし、じゃあ襖を開けるね」


 みやびの手によってがらっと開けられたその中は、一つの海のようになっていた。黒く溜まっていた水は、透明度が高い青に変化している。そのせいかずいぶんと下まで見下ろすことができた……っていうか見下ろすことができるくらい、部屋の中には深さが出来ていた。まず床がない、そしてその部屋の深さは目視できる程度のものでもない。


「その様子だと大丈夫みたいだね。じゃあ、私は眠いし帰るよー、寝不足だし、やっとゆっくりできる」


 んーっと大きく伸びのするみやびに、俺は少し不安になった。本当はまだ付いてきてもらいたいんだけど。


「もう行っちゃうのか? こっちの世界のみやびがピンチだって言うのに」

「こっちの私のことはもちろん大切だけど、これ以上出しゃばるのもね。私はこの水が何なのかわかっちゃったし、秀ちゃんがいるなら大丈夫でしょ」

「その正体っていうのは教えてくれないんだな?」

「自分で確かめてきなさーい」


 みやびは本当に興味を無くしてしまったようで、ぱたぱたと手を振り俺の出発を煽った。


「わかったよ……みやび、ありがとう。あとはそっちの俺を好きにしていいから」

「言ったね? じゃあ遠慮なくさせてもらうから! 試したい実験道具があったんだ」


 その呟きを聞いて、あっちの俺にはもしかしたら少し酷かとも思ったけど、俺のために頑張ってくれたんだから少しは労ってやってほしい。そうやって知らない世界の俺に心の中で頼み、俺はその海の中へ飛び込んだ。

 海の中は、妙に明るく、そして暖かかった。足で水を蹴る感触はするけど、海の中を進んでいるという感じはしなくて、ただ宙に浮かんでいると言った方が正しい気もした。最初は息を止めて進んでいたが、そのうちに息が続かなくなり吐き出すと、その中でも呼吸が出来ることが分かり溺れることはないようだ、俺は安心して底に向かって進む。

 いつのまにか部屋の壁も無くなっていて、背後を振り返ると水面もとっくに見えなくなっていた。俺は一度進むのを止めて、周りを見回す。もう方向なんてまったくわからないし、目印なんてものもない、だけど不安には思わなくて、行くべき方向もなぜかわかっていた。


「みやび」


 そして、その姿を見つけた。俺がその場に足を付けると、周りの景色はいつのまにか近くの公園に変わっていた。公園の中心にある時計を見ると、時刻は昼の12時ちょうど。その割には俺とみやびしか見当たらないから、きっと本当の公園ではないのだろう。


「秀ちゃん、よくここが分かったね」


 みやびはベンチに腰掛ける。みやびがその隣をちらりと見たので、俺は隣に座った。


「なんとなく、みやびのいるところが分かったから」

「きっとこのせい」


 みやびが取り出したのは俺がいつかプレゼントした守り石だった。それは小さい光だけど、かすかに発光している。


「……それを持ってるってことは、みやびが居場所を教えてくれたのか」

「来てくれる保障はなかったけどね」


 それは、意外な返事だった。いつものみやびならもっと偉そうに、俺が来るのを確定事項だということを前提に話を進める。こうマイナス思考というか、曖昧な答えを返したのを俺は不思議に思った。


「そういえば文化祭、もう始まってるぞ。不知火も心配してた」

「そう、景にはずいぶん迷惑かけちゃったみたい。それに、クラスのみんなにも」


やっぱり、おかしい。みやびがそんな悲しい顔をするはずがない。


「……みやび、本当にみやびか?」

「そうだよ。私は現岡みやび、秀ちゃんの幼馴染の、みやび。……でも、そう疑うのも無理はないかな、表の私と、ここにいる私は違うから」


 みやびはいつのまにか隣にいなくなっていた、そして今はジャングルジムの上の座っている。でもその声は俺にはっきりと届いた。


「私は奇力で作られた、みやびの中にあるもう一人の現岡みやびだから。あのUFOに願いを聞いてもらってから、私はみやびの中にずっと存在しているの」

「UFOって一体なんの話を……」

「もう忘れちゃった? ……秀ちゃんはいつのまにか奇力を全部使っちゃったんだね、それなら仕方ないか」


 俺はみやびの言うことが理解できなくて、必至で頭の中を探す。そんな記憶があったような気がするけど、思い出そうとするとテレビの砂煙が舞うように、擦れたイメージしか出来ない。


「無理に思い出さなくてもいいよ。どうせ全部忘れてしまうから」


 俺がその言葉に顔を上げると、みやびは目の前にいた。その隣には一枚のドアがある。


「このドアは、秀ちゃんを元の世界に戻すことができるの。元のって言うのは……秀ちゃんがあのキャンプの日、私がUFOと出会わなくて、無事引っ越しすることができる世界」


 元の世界なんて、まるでこの世界が偽物のような言い方だ。


「私は秀ちゃんにずっと謝りたかったの。私のただの我儘で、秀ちゃんの運命を変えてしまったことを」

「みやび、俺は謝って欲しいなんて思ってない」

「それは嘘だよ。秀ちゃんがそんな風に思ってるのも、私がこんな世界にしたせいだから」

「みやび、話を――」

「秀ちゃん、最後のお願いだよ。このドアを開けて」


 取りつく島もない、みやびはなんとしても俺を元の世界とやらに帰したいようだった。だけど、俺だってそう簡単にこの世界を捨てる訳にはいかない。


「みやび、俺はちゃんと説明してくれないと、そこには入るつもりはない」

「……私は出来れば説明したくないんだけどな」

「じゃあ、俺の質問に答えるだけでいい。その代わり、嘘偽りなくちゃんと答えてくれ」


 みやびは一つため息を吐く。俺が絶対にここから動かない事をわかってもらえたようだ。


「まず……、みやびが俺のために作ってくれたあの物体はなんだ?」


 いきなり核心を突くのは良くないと思ったから、答えやすそうなところから質問を開始した。みやびも予想外の質問をされたのか、答えを少し言いよどむ。


「あれは、気持ちを保存しておくことができる器なの」

「気持ちを保存?」


 あれはみやびが、『人が想像できないもの』を目指して作った物のはずだ。もっと難解な答えが返ってくるかと思った。


「秀ちゃんは初めてジェットコースターに乗った時のことは覚えてる?」

「……あぁ」


 ジェットコースターに初めて乗ったのは、みやびと一緒だったからよく覚えている。凄く楽しくて、二人で何回も何回も、気持ち悪くなるまで乗ったのだ。


「私も覚えてるよ。楽しくて、すごく気分がよかった。でも、そういう気持ちってどこから来るんだろうね。初めてだったり楽しかったりするときは自分の中がすっごく熱くなって……。私はね、そういう気持ちを保存して何度でも経験できたらいいなぁって思ったの」

「それで器ってやつを作ったのか」

「そうだよ。……本当は『私達が未経験の気持ち』を創り出すのがメインの道具なんだけど、もともと知らなかったものを経験させるのは毒だったみたい。脳に凄い負担を掛けちゃうの」


 あぁ、頭の中に侵入してくるのはそのせいか。たしかにあれは毒のようなものだった。


「じゃあ次だ。なんで今日みたいなことが起こったんだ? みやびの部屋が黒いもので溢れてたけど」

「それはー……」


 みやびは露骨に言いたくなさそうにしていた。困ったように俺を見るけど、そんな顔をしてもダメだ。


「言わなきゃダメ?」

「ダメ」

「……秀ちゃんが、器を使うのが難しいってわかってからね、メインの機能は封印して、もう一つの機能、気持ちを保存するために使っていたの。保存っていうのは……今感じている気持ちをそのまま器に移して、忘れるための側面もあるんだけど、いつのまにか保存量が多くなりすぎて、器の容量を超えて溢れちゃったみたい」

「その溢れるほどの気持ちは、どんな気持ちなんだ?」

「……」

「みやび」


 出来るだけ優しく声を掛けた。きっとみやびは心の中全てを覗きこまれるような気分なんだろう。俺はここまで来るのに、溢れる水の中を通って来たのだ。それはみやびの心の中にいるのと同じようなものだ。


「私の中にある、後悔とか、怒りとか、空しさとか、そんな負の感情全部」


 それは、俺が考えもしない気持ちだった。みやびはいつも元気が有り余っていて、悲しい表情を見せたことはほとんどない。どんな悪い状況だって、いいように考えて解決してしまうのがみやびであり、俺はみやびがそんな感情を溢れるほど持っていたことが信じられなかった。


「秀ちゃん、もの凄く失礼な顔してるよ?」

「あ、あぁ、悪い。みやびがこんなに貯めこんでるとは思わなかったから」


 でも、その答えにみやびはなぜかほっとしたようだった。


「よかった、秀ちゃんには気づかれてなくて。私がこの中に貯めこんでいたのは、秀ちゃんに対する後悔の気持ちがほとんどだったから。私の我儘でこの世界に残ってもらったのに、私の勝手な後悔に触れさせるなんて、絶対できないもの」

「みやびは無理をしていたのか」


 みやびは首を横に振る。


「無理はしてない、してないの。私は運命を曲げてしまった秀ちゃんのために、しなきゃいけないことをしただけだから。でも……もうわかったでしょう? 私がなんで秀ちゃんを元の世界に返したいって言っているのか、その理由」


 それはなんとなく分かった。みやびはみやびの我儘で俺の引っ越しすると言う運命を捻じ曲げて、俺をここに残した。でも、みやびはそれをやってはいけないことだとわかっていたんだろう。ずっと心の中では自分の行動を後悔していたんだ。朝会う時も、一緒に遊んで別れる時も、ずっと。でも、そんな気持ちを俺に悟られるわけにはいかない。みやびが望んでこうなったのに、その結果に後悔しているなんて絶対に言えない。

 だからみやびの気持ちが溢れ、隠すことができなくなった今この時に、俺を元の引っ越しをした世界に戻すことで、今までの後悔を全て清算しようと考えたのだろう。

 でも、それこそ自分勝手すぎる。


「もし俺がその扉の中に入って、みやびの言う元の世界に帰ったとしたら、みやびはどうなるんだ?」

「全部元通りになる。私と秀ちゃんは小学校の時に別れて、それからはきっと別々の道を歩むと思う」


 みやびはそう言うが、俺は偶然にも、みやびさえ知らないその未来を知っていた。

「いーや、それは間違いだね」


 俺は立ち上がって、みやびの目の前に立つ。


「俺が引っ越した後のみやびは、いつまでも俺を覚えている。そして、俺との会いたさにどこでも行けるドアを発明して、誰かは知らない同級生と付き合っていた俺のところに現れて無理やり破局させるんだ。そして、俺の隣に戻ってくる」

「な、なにそれ。妄想にも程があるよ」


 みやびはそう言っているが、俺はその一例を見ているし、ここまで連れてきてくれたのもそのみやびだ。俺がただ引っ越しをしないというだけで、みやびとの縁が切れるとは全然思えない。


「みやびは俺と別れて、綺麗すっきり忘れる自信があるのか?」


 みやびはすぐに視線を逸らした。それは十分な答えになっている。


「自分で後悔するのは簡単だ、だけどそれは俺のことを考えて後悔してくれ。俺にとっては引っ越しの話なんて最初からないし、ましてや運命を捻じ曲げられた記憶もないんだ。勝手に後悔されても困る」

「勝手にじゃない! 秀ちゃんにはわからないんだよ! だってそんな記憶ないんだもの」

「そうだ、俺にはそんな記憶ないって言ってるじゃないか。だから後悔すること自体、本当は必要ないんだ」


 みやびはそれでも、服の裾をぎゅっと握って俯いていた。きっと、みやびは俺のために考えていると思っているけど、本当はみやびが自分を許せないだけなんだろう。俺がいくら許しても、みやびがみやび自身を許せないと解決にはならない。

 最後まで自分勝手なやつだ。少しくらい俺に相談してくれてもいいと思うんだけど。


「……みやびはさっき、自分のことをもう一人のみやびって言ったな? ここでみやびに言ったことは現実にいるみやびには伝わるのか?」

「はっきりとは伝わらない。わからやすく言うなら私、裏のみやびは表のみやびの潜在意識のようなものなの。だから少しは影響するけど、基本的には表のみやびから受け取った情報のうち、負の感情だけを裏の私が引き受けて蓄えるだけ。潜在意識だからこっちには全部入ってくるんだけどね」


「つまり、ここのみやびをどうしようと、表のみやびにはあんまりわからないってことだな」


 俺がそう言うと、みやびは一瞬何を言われたかわからないような表情をした。だけどその真意に気づくとすぐに俺の目の前から逃げ出そうとする。


「逃がすか!」


 みやびの姿が景色に消える前に、俺はみやびを抱きしめた。


「ちょっ、待った! 待った! 私はそんなことされる資格ないのにっ!」

「おーおー、暴れるな暴れるな。俺だって恥ずかしいんだから」


 暴れるみやびを無理やり抱きすくめる。というか逃げないように捕まえているという表現の方が正しいかもしれない。しばらくは抵抗していたが、そのうち諦めたのか大人しくなった。


「なんだよぉ、ばかぁ」

「ばかはお前だ、まったく。みやび、よく聞け。みやびが自分を許せないのはよくわかった。俺がどれだけ許してもみやびは認めないだろう。だから俺はその罪を認めて、その上でみやびに罰を与えることにする」


 耳元でそう言うと、みやびの動きはぴたりと止まった。別に俺が元の世界に帰ったとしても、みやびはきっと後悔し続ける気がした。だから、一番良い方法はその罪から逃がすのではない、ちゃんと俺の見ているところで償わせることだ。


「秀ちゃんがそれでいいなら」


 しばらく無言の後に、みやびはなんとか納得してくれた。


「わかった。俺の罰は厳しいから、覚悟して聞いてくれ」


 みやびも決心したように、俺を見つめる。抱きしめている形になっているため、ちょっと近すぎるような気もするけれど、今更そんなこと言えない。


「みやび、俺とずっと一緒に遊ぼう。そして俺に知らないものを見せてくれ」


 それは、俺の本心であり、みやびにとって一番重い罰だ。けれど、みやびは意味がわからないと呆けた顔をしている。すぐに我に返り、怒り出した。


「秀ちゃん、それは罰じゃない! 第一、私が一番始めに望んだことじゃない! 私はその望みを叶えるために秀ちゃんの運命までもねじ曲げたんだよ!」

「あーあー、そんなこと知らないな、みやびがそんなこと望んだなんてことも知らないし。それにこれが本当に罰と言えないとみやびは思うのか?」


 おもいっきり悪い笑顔をしてやると、みやびは思わず口を噤んだ。


「みやびは新しい気持ちを経験させようとして、器は作ったんだよな? つまりその器の代わりをしてくれればいいんだよ。それなら俺の脳の負担も少ないし、新しい気持ちを体験することができる。しかも、期限はずっとだ、死ぬまでずっと。みやびは俺の運命を変えてしまったんだから、この先の責任を取る必要もあるよな?」

「うぐぅ」


 変な声が出た、どうやらみやびは迷っているみたいだ。これが本当に罰になるか、自分の中で判断しているんだろう。


「私が器の代わりになれなかった場合は?」

「罰なのに、代わりになれないなんて許されるはずないだろ。代わりになるまで何度でも俺と遊んでもらう」


 実際、俺がみやびに望んでいることは相当過酷なことのはずなのだ。今まで知らない気持ちを経験させるなんて普通の人には出来ることじゃないだろう。みやびにこそ、そしてその相手が俺でこそ出来ることだ。

 しばらく迷った後、みやびは決意したようで俺と向き合う。


「わかった、私は秀ちゃんの器になるよ」

「それじゃあ、決定だな。そういえばいい忘れたけど、奇力も半分、俺にくれないか? そうすればもう少し不思議なものも見えやすくなるだろ」

「それはできないかな。これ以上奇力が無くなったら私を維持できなくなる」

「それってなにか問題あるのか?」

「負の感情を受け持っていた私が表と混ざって一つになるんだ、表の私にも負の感情が出やすくなる」

「じゃあ、余計に分けてもらう必要があるな」


 確かに前向き思考なのはみやびの長所だと思うけど、それは裏のみやびが全部処理してるからこそで、普通ではない。本当は負の感情だけを処理する役目なんて元々必要がなくて、表と裏、両方のみやびですることだ。

 みやびはその理屈もなんとか理解してくれて、俺とみやびはずっと一緒に遊ぶという罰は決定された。これで少しずつ、みやびの後悔も減らせるはずだろう。


「さて、みやびにはすぐに罰を受けてもらわなきゃならない。俺はみやびが主役の演劇を凄く楽しみにしているんだ」

「そうだね。私が器の代わりになるにはちょうどいい場になると思う。秀ちゃん、ちゃんと見ててね」

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