第5話 誰がためにメイドは走る
scene:01 従者たち(その1)
両手で支えていた
かと思うとマリナを浮揚感が襲う。馬車すらも姿を消したのだ。
木製の身体が砲弾もかくやという速度で宙へ投げ出される。
それでもマリナが
マリナは混乱する思考を捨て置き、素早く姿勢を低くして周囲を見回す。
月明かりもろくに届かぬ洞窟内で僅かに見えるのは周囲の岩肌と、今しがた突入したばかりの洞窟の入り口のみ。『門』から『回廊』へと転移すると聞いていたが、どう
そして見渡す限りに馬車は無く、御者台に居たはずのエリザも皇帝陛下の姿も無かった。
つまり――、
「ぷぎゃるッ」
思考を
同じく馬車から投げ出され、顔から着地したらしい魔導士――アトロ・パルカだ。フードと
その、あまりに
だが、マリナが指摘するまでもなく、もう一人の同乗者が声を張りあげる。
修道女だ。
「アトロさぁん! 早くしてくださぁい。来ますよぉッ」
「は?」
修道女と魔導士の間抜けなやり取りに構わず、マリナはスカートを
当然の対応だ。
アイホルト回廊へ転移とやらをしていないならば、
ドシン、ドシンと、笑えてくる程の質量が地を揺らして迫る。
洞窟の入り口へ突進する
ソレの見た目はパンツァーファウスト3とほとんど変わらない。
異なるは、その弾頭だ。
通常のものよりズングリとした形の弾頭は、通称『バンカーファウスト』。
――その名の通り
「身を隠してください」
返答を待たず、マリナは引き金を絞る。
パシュリと、どこか間抜けな音を立てて飛び立った弾頭はしかし、凝縮された暴力の塊である。弾頭先端の
――瞬間、
遅延信管よって起爆した
残ったのは腰から下だけ。
上半身を失った両脚はそのまま膝をつき――――
――――かけて、踏みとどまった。
「おいおい……」
冗談だろ、と口にしなかったのは、なけなしの意地だ。
マリナは新たな武器を取り出そうとして、舌打ちを漏らした。
――距離が近過ぎる。
これでは無反動砲の
「メイドっ!」
聞こえたのは、ようやく正気に戻ったらしい魔導士の声。
チラリと視線を送れば、アトロは
魔導式か。
マリナは巻き添えを避ける為に、岩壁へと身を寄せる。
――と、ほぼ同時に
「
マリナは答えず、ただスカートからナイフを取り出して洞窟の壁に突き刺す。
途端、全てが“黒点”へ吸い込まれた。
洞窟内に風が吹き荒れる。高々度を飛ぶ航空機の
暴風の行く先――黒点を見やる。
景色そのものが、排水溝に流れる水のように
空気が、石くれが、
まるで世界に空いた"穴"だ。
そんな馬鹿げた印象を抱くほどの光景だった。
――この世界に来たばかりのマリナは知る
アトロ・パルカという魔導士が産みだした黒点は、重力をただ一点に集中させ、光さえ逃れ得ぬ特異点を生み出す重力操作式の到達点。一歩操作を誤れば、国どころか星さえ
ソレを、魔導士たちは畏怖を込めて――
やがて
「――散れ!」
吹きすさぶ風に溶ける声。
風に飛ばされないよう
途端、
マリナは小さくため息を吐いて地に足をつける。
やれやれ、まったく恐ろしい。
武器と
「やっと、倒したか……」
マリナの視線の先で、アトロという魔導士はフードと
対して魔導士の隣に立つ修道女――ケイト・リリブリッジは表情一つ変えずにキョロキョロと周囲を見回す。
「それにしてもぉ、馬車はどうしちゃったんでしょう……?」
「それは
マリナは軽くメイド服の
「
その問いに、アトロという魔導士が平然と答える。
「
――ヒロト、か。
皇帝陛下を随分と気安いものだ。そうマリナは目を細める。
コイツはあの優男の情婦か何かなのか。ローブと
だがまあ、今はそんな事はどうでもいい。
エリザの姿が消えてしまった事も、脇に置いておくしかないだろう。
それは、魔導士が――アトロ・パルカがこちらへ向けてくる“目”だ。
フードの奥底で光るアトロの瞳が、マリナを射抜く。
「
「――違います」
声が固くなったのが、自分でも分かった。
原因は、この杖も持たぬ魔導士の、呼吸、筋肉の
呼吸は即座に動けるよう浅く、筋肉も同様に神経が研ぎ澄まされ、視線はマリナの一挙手一投足を見逃さぬようにとギラついている。その他にもあらゆる要素が、マリナへの害意を示しているのだ。
俗な言葉を使うならば――それは"殺気"というものだろう。
マリナの白木の体に緊張が走る。
あんな暴力手段を持つ人間から殺意を向けられて落ち着いていられるほど図太い神経を持った覚えはない。反射的に
元の世界に居た頃であれば、既にマリナはスモークグレネードでも
――だが、今のマリナはその選択を採らない。
マリナは主人を得たからだ。
誰かが決めた上官ではない。自分で選んだ自分だけの主人。
全身全霊で尽くしたいと、命を
その主――エリザベート・ドラクリア・バラスタインが、今ここに居ない。
事情を知っていそうな
踏みとどまるには、充分過ぎる理由だ。
マリナは焦点をあえてズラし、視野を広く
魔導士と、その背後でキョトンとしている修道女――
事態は一刻を争うかもしれない。荒事は出来るだけ避けたいところだが、魔導士の態度からしてそう簡単にはいかないだろう。だが普通に考えれば、ここで争っても意味が無い事は向こうも
まあ、どうせ戦闘を避けられないのなら揺さぶってみるか。
そう決断すると、マリナはわざと見透かしたような笑み作ってみせた。
「むしろ、そちらの策略に
「……なに?」
「たとえば――皇帝陛下の誘拐をでっち上げて戦争再開の口実にする、とか?」
不快気に、アトロの眉がピクリと動いた。
ビンゴ――とは言えないが、今の言葉に後ろめたい“何か”がある反応だ。
そしてアトロは自身の反応を
「まったく……」
馬鹿げた発想だとばかりに、軽く額を押さえて首を振り、
「……――――
腕が振り上げられる。
その動きを、マリナは以前に見た事があった。
チェルノートで
全力で
ほぼ同時。マリナが一瞬前まで居た地面から大量の
――そこか。
マリナは声の方向へスチェッキンをフルオートで連射。20発ものマカロフ弾を二秒弱で撃ち尽くす。手応えは――――無い。
代わりに返ってきたのは、洞窟の壁や天井から襲いかかる
まったく短気な
マリナは
そして置き土産にと、スカートからフラッシュバンを大量にばら
洞窟から飛び出たマリナは木陰に飛び込み――瞬間、洞窟が光を吐いて
洞窟という閉鎖空間ではあまりに強力なソレを十数個である。さながら巨大なスピーカーの中に放り込まれたようなものだろう。非殺傷兵器とはいえ、普通の人間ならショック死しかねないほどの
だが、そうまでしなければあの二人を拘束出来ないだろう。
何らかの身体的障害が残る程度なら構わない。マリナとしては尋問さえ出来れば良いと考えていた。極論、エリザの居場所を吐かせられるのなら問題ない。
マリナは恐る恐る、木陰から顔を
マリナは中の状態を確認しようと腰を上げ、
途端、洞窟から火球が撃ち出された。
〔爆裂式〕ってやつか――!
慌ててマリナは射線から
間一髪、〔爆裂式〕の火球から逃れたマリナに土砂と爆音が降り注ぐ。チェルノートで受けたソレよりも段違いの爆発。
「あのアマ! 殺す気かよ」
自身の所業を棚上げして毒づき、マリナはスカートに手を突っ込む。
そうして取り出したのは
速射性能の高い
なにしろ敵魔導士の能力は以前やりあった
望ましいのは、敵への接近を避け、こちらの位置を特定させずに無力化すること。
――
マリナは暗視装置を額につけ、そのまま音を立てずに森の奥へと後退する。
が、
「随分と
背後から声。
いつの間に!? ――そう驚く心より先に身体が動いた。
振り向きざまに引き金を絞る。そのまま後方へ跳躍。距離を取った。
狙いをつける余裕は無かったが直撃コース。
「そんな〔レイルバウ〕モドキで
そう期待したマリナの前にはしかし、無傷の魔導士の姿があった。
ここで外すか。つくづく運が無い。
そう舌打ちするマリナへ、淡く青白い光を放つ右手が向けられる。
させるか――!
マリナは再びドラグノフの引き金を絞る。
撃針が7.62㎜x54R弾を
人間相手には充分過ぎる威力をもった鉄の
そして弾丸は――
――魔導士の眼前で動きを止めて、ポトリと地に落ちた。
「まさか、」
似たものを、マリナは目にした事がある。
チェルノートにおいてリチャードの〔断罪式〕による衝撃波を防ぐ為、憂国士族団が展開した〔三次力量操作式〕。
だがそれは、三人の魔導士が協力してようやく成立させていたもの。エリザからも『高度な魔導式は複数人で協力しなければ成立させられない』と聞いていた。魔杖や魔導陣によって魔導神経を拡大したものを複数人で同調させる事で、ようやく世界に介入できる『式』として成立するのだと。
故にマリナは無意識に除外してしまっていた。
アトロ・パルカという魔導士が、たった一人で複数人分の魔導式を扱える可能性を。
スチェッキンの連射や、振り向きざまのドラグノフの一撃で倒せなかったのは運悪く弾が外れていたのでは無かった。
単に、コイツにとっては弾丸ごとき何の脅威でもない、というだけの話。
「――チッ、」
これは、どうしようも無い。
マリナが選んだのは逃走だった。
即座にスカートをひらめかせ、スタングレネードと
自滅覚悟の召喚。だが、やらねばならない。
遅まきながら相手にしているのが歩兵ではなく戦車だと気づいたのだ。速やかに距離を取り、身を潜める必要がある。それに
だが、マリナの浅はかな思考は、魔導士によって文字通り握りつぶされる。
ばら
そして、爆発する。
――しかし、爆炎は拡散しない。透明な球体に押し込められているかのように炎と破片はその場に
ポトリと落ちたのは、
それを成したのがアトロ・パルカという魔導士である事は、彼女が掲げて見せる握り拳が示していた。
ケタ違いだ。
マリナの脳内に生まれた一瞬の空白。
その空白を狙い、魔導士がふわりと浮き上がってマリナへと
マリナは慌ててスカートへと手を伸ばす。
この瞬間、マリナが求めたのは強さだった。
この魔導士に勝てる存在に助けを求めようとした。
何者にも負けず、圧倒的な暴力で主人の敵を追い詰め、仕留める猟犬。
仲村マリナという少女が憧れてやまない、最強の武装戦闘メイド。
手に頼もしい重みが宿る。
生身であった頃ならば決して片手では振り上げられなかったであろうソレを、マリナは魔導士へと向けた。
生み出された武器は――
――スパスかよッ!?
マリナの手にあったのは、フランキ・スパス12。
いわゆる12ゲージの
確かに憧れていた『婦長様』が扱っていた武器だ。しかし、この
そんなものをこの土壇場で生み出してしまうとは――!!
「――クソがぁッ!!」
自身への罵倒と共に、引き金を絞る。
たとえ
悲しいかな、それがマリナの魂にまで刻み込まれた民兵――ニッポン防衛戦線特二級抵抗員としての戦い方だった。
放たれた200以上もの
だがそれは鳥を撃ち落とす為のもの。直径3㎜程度の鉛玉が幾ら集まろうと、装甲板を貫通する事など不可能。ましてや魔導士の鉄壁の守りなど破れはしない。
当然、散弾を意に介さずアトロは突進――
――するかに見えたが、その直前でその姿が
トン、という音が左手側から届く。
銃口を向ければ、そこには森の泥土に膝をつくアトロの姿があった。
フードの下からこちらを
なんだ……今のは?
マリナはアトロの行動に戸惑いつつも、チャンスとばかりに森を駆けて距離を取る。追いすがってくるアトロへ向けて、再度スパスの引き金を絞った。
やはりアトロは、放たれる散弾を残像すら見えるほどの動きで避けてみせる。
弾丸を避けられるのは驚きだが――お陰で充分な距離が稼げた。
メイド服のスカートから生み出したのは数個の
煙が放出されるまでの僅かな時間を稼ぐ為、スパスをセミオートのまま連射。周囲一帯に拡散した赤い煙に紛れてその場から離脱する。
マリナは暗視装置を頼りに木の根がのたうつ森の中をひた走る。
これで、ひとまず魔導士を
「へへ、ざまあねぇ……っと!!」
赤髪を
――あのチビめ、米軍だって可視光の光学兵器など持っていなかったというのに。しかもそれを、ぼやき声だけを頼りに当ててきたのか。
ったく、何でもアリだな。
髪が焦げた臭いに苦笑しつつ、マリナは足音を立てないよう慎重に森の中を進む。そして行く手に降りられそうな崖を見つけると、その崖下に身を隠した。ここならば
さて、これからどうするか。
スパスを抱きかかえ、マリナは思考の回転数を上げる。
即座に思い至るのは、アトロという魔導士の不可解な行動だ。
貫通力で言えば、ドラグノフの小銃弾と
考えろ。
考えろ、仲村マリナ。
エリザが消え、念話も通じない。
それだけで心が
だからどうした?
そんな弱音などクソ
エリザが置かれている状況が
そう自身を鼓舞して、砂利を
生前の癖のままに眉間をトントンと
あのクソチビの使っている魔導式は強力かつ多岐にわたる。だが、それらの
それを使っていたのは憂国士族団のリーダー格のグラマンとかいう魔導士。それと――
これだ、という直感がマリナの
思い出せ。思い出せ仲村マリナ。
あの
悪態を吐きながら機関砲に様々な細工をしていたはずだ。
魔導式の原理が同じと仮定するならば、アトロという魔導士はダリウスが手間暇かけて行った事を高精度かつ瞬時に行っている事になる。
と、すれば。
クソチビが散弾を避けた理由は――
「……なるほど、ね」
マリナの口元が
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