scene:02 ブリタリカの王


「まずは謝罪をさせて欲しい」


 客間のソファに腰掛けたシャルル七世は、向かいに座ったエリザへそう切り出した。


「すまなかった。辺境伯にはいくら謝罪してもしきれない」

「あ、頭を上げてください陛下」


 深々と頭を下げるシャルル七世に、エリザは恐縮してしまう。

 ただの公女――なし崩し的に辺境伯と呼ばれてはいるが――に一国の王が頭を下げるなど、誰かに見られたら大事だ。そうでなくても、倍以上もとしの離れた相手に頭を下げられるというのは、どこか居心地が悪かった。


 しかしシャルル七世は「いや、私は謝らなくてはならない」と、なかなか頭を上げようとしなかった。


「私は全て分かった上で、君を悪人として扱ったのだから」

「……」


 全てを分かった上で――という事は、やはりマリナの推測は正しかったのだ。

 その推測を立てた本人は、特に感慨もなく『ふむ』と何か考え込むような念話を飛ばしてくる。


『エリザ、王様に一ついてみて欲しいことがある』

『なに?』

『どうして査問会を開いたのか、だ。――正直、オレは王様の言動からどうしてえのか読んだだけだしな。詳しい背景が知りたい』

『――うん、わかった』


 そうだった、とエリザは思い出す。

 考えてみればこの少女は、異世界ファンタジアから来たばかりなのだ。こちらの制度や文化、情勢など知っているはずがない。シャルル七世の意図を読むことは出来ても、何故なぜそうせざるを得ないのかまでは分からないのだ。――あまりに的確な助言をするものだから、何もかも承知しているように思ってしまっていた。


 今度、色々と教えてあげなきゃ。

 そんな事を考えながら、エリザはシャルル七世へ査問会を開いた理由を問う。

 するとシャルル七世はようやく頭を上げて、力なく笑った。


「――休戦状態を維持するためだよ、辺境伯」


 当然のことではあるが――王政府側はエッドフォード伯が資金繰りに苦労し、その打開策として帝国との戦争を望んでいることは承知していた。なにしろ債権者の一人は王政府なのだ。「ちやしないよう利子を下げて、返済期限も延ばしたりしたんだけどね」とシャルル七世は語った。

 だからチェルノートへの襲撃は戦争再開のためなのだろうとすぐに察しがついたし、本来であればそれを理由に貴族裁判を開いて、エッドフォード家そのものを処罰すべき所ではある。


 しかし、


「飢えた小鬼ゴブリン徘徊草マンドレイクを抜く、と言うだろう? エッドフォード家を追い詰め過ぎればなりかまわず帝国へ攻め込みかねない。だからエッドフォード伯を罪に問うわけにいかなかったんだ」

「だから貴族裁判ではなく、査問会を?」

「そう。――査問会は騎士の罪をただす場所。問題がその中で収まる限り、貴族家そのものに傷はつかないからね。――ああ、ありがとうガンドルプス」


 いつの間にか紅茶を用意していた宮宰のガンドルプスからカップを受け取り、シャルル七世は一度喉を潤してから続ける。


「貴族同士の争いではなく『騎士団同士のいさかい』として事態をわいしよう化すれば、エッドフォード伯も炎槌騎士団とリチャードを切り捨てて現状維持を望むだろうからね。――辺境伯にはすまないが、これも戦争で国を焼かないためなんだ」

「はい。仕方の無いことと理解しています」


 そう答え、エリザもガンドルプスからもらった紅茶を口に含み、一旦会話を打ち切った。

 頭の中でマリナの念話が木霊して、少しかったのだ。


『どうなってんだ? 「殺される」とか言ってたくせに休戦なんか続けたら、むしろ貴族どもの不満が高まって王様の身が危ないんじゃねえかって気がするが。……いや、債権者っつう立場を利用して、貴族の手綱を握ろうとしてんのか? わかんねえ……』


 本当、人を疑うことが好きな人だなあ。

 けれど、そんなマリナが居るお陰でわたしは生き延びることが出来たのだ。そうエリザは温かい気持ちになる。信じることしか出来ない自分には、マリナのように色々と考える事ができるというのは少し羨ましくもある。

 そうマリナの念話を聞き流していると、シャルル七世の方から話を再開した。


「いや、がこちらの意図に気づいてくれて助かったよ。あそこで君がアルフへイムの名を出してくれたお陰で、無理に話をらさずに済んだ」


 そうほほむシャルル七世に、エリザはずっと気になっていた事を問う。


「その、陛下? どうしてわたしを『辺境伯』と呼ぶのですか?」

「せめてもの罪滅ぼし――と言うと押しつけがましいけどね。私の事情に付き合わせるわけだから、それくらいは通そうと思ったのさ。町が壊されて辺境伯もこれから大変だろう? 爵位を継承していれば色々と自由にできるはずだ」

「――ありがとうございます」


 そう肩をすくめて言ったシャルル七世に、エリザは少し感動していた。査問会で『道化師のようだ』と思った自分が恥ずかしい。こんなにもそうめいで、優しい方だったなんて。エリザは少し顔を赤らめて「ありがとうございます」と礼を言った。

 それに対して、


『うさんくせえ』


 マリナのメイドはそう吐き捨てた。

 エリザは内心で苦笑しながら、


『マリナさん、誰も彼も疑うのは良くないよ?』

『何言ってんだ。聞いた以上にやたら理由を並べるやつは怪しいに決まってるだろ』


 言われてみればそんな気もする。

 けれど、


『そんなに怪しいと思うなら、どうして陛下の考えに乗っかることにしたの?』

『あの場ではそれしか助かる道が見えなかったんだよ。それにどうせ乗るなら、恩を売った上でこっちも「バカじゃねえぞ」って見せた方が、だろ?』

『すごい野良犬根性……』

『聞こえてっぞ』

『あ、』


 うっかり思考を念話に乗せてしまった。

 エリザはマリナから逃げるように、シャルル七世との会話に戻る。


「それで陛下、頼みたい事というのは……?」

「その前に私からもいておきたいことがあるんだが、構わないかい?」


 シャルル七世はソファに浅く腰掛け直し、両手を顔の前で合わせてエリザの目を見つめてきた。その改まった様子に、思わずエリザも居住まいを直す。


「君は今の状況についてどう思う?」

「どう、とは?」

「帝国との休戦状態についてだよ」


 エリザは息をむ。

 シャルル七世は政治に対する意見を述べろと言っているのだ。


 本来であれば、貴族から選出された王政府の廷臣にしか許されないこと。もちろん廷臣や宮中伯でなくても有力貴族であれば出来なくはないが、少なくとも今のエリザが陳情に出向いても門前払いされるのは目に見えている。少なくともこうして当代の王と顔を突き合わせて話す事など、今後一生無いだろう。


 批判するような事を言えば、爵位の継承を取り消されるかもしれない。他の貴族たちはどうあれエリザはただの公女でしかないのだ。王の言葉ひとつで何もかも吹き飛んでしまう。


 けど――

 この王様なら、きちんと話を聞いてくれるかもしれない。

 エリザは意を決して、思っている事を正直に告げることにした。


「――非常に不安定だと感じます。そのせいで民草に要らぬ苦労を強いている……とも」

「では、根本的な解決を望むかい?」


 根本的な解決。

 ――つまり、戦争を再開して帝国と決着をつけるという事だろう。


「いえ」


 それは駄目だ。

 エリザはキッパリと否定した。


「わたしは確かに、戦争は終わって欲しいと思っています。ですが性急に結果を出そうとすれば、民草に更なる負担を強いることにもなります。それでは本末転倒です。――わたしは民草が苦しむ姿を見たくないからこそ、戦争の終わりを望むのですから」

「つまり休戦状態を維持し、政治レベルでの解決を目指して欲しい――ということかな?」

「はい」

「…………そうか」


 エリザの背中に冷たい汗が流れる。

 宮廷批判とも取れるような事を言ってしまったように思う。――けれど、王に直接意見を言える機会など今後いつ訪れるか分からない。ここで建前を言って民草を戦渦に巻き込むことになったら、後悔してもしきれないだろう。中途半端なことを言うよりは良い。


 エリザは身をこわばらせながら、シャルル七世の続く言葉を待つ。

 果たしてエリザへ返されたのは――


「良かった」


 ――シャルル七世の笑顔だった。


「そう答えてくれると信じていたよ。辺境伯は民草を思う心優しい領主だと聞いていたかが、実際に答えを聞けて安心した」


 いやあホッとしたよ、とシャルル七世は笑う。

 だが、あんしたのはエリザも同じだ。少なくとも、王の不興を買うようなことはなかったらしい。――けれど、一体何にホッとしたのだろう。


 そのエリザの疑問に答えるように、シャルル七世は「実はね」と切り出した。


「これから話すことは、主戦派の貴族には聞かせられないような話でね。戦争に賛成なのか反対なのか確かめたかったんだ。すまない、試すようなことをして」

「それは構いませんけど……」


 主戦派の貴族には聞かせられない話?

 何やら不穏な気配がする。


 エリザの不安をよそに、シャルル七世は何でもないことのように――それこそ「そこにあるカップを取ってくれ」と言うような口調で、その頼みを口にした。


「辺境伯に、とあるの護衛を頼みたいんだ?」

「は――、え? 皇帝?」


 思わず聞き返す。

 ミッドテーレ大陸において、帝制を敷き『皇帝』を名乗る人物など一人しかいない。

 まさか――


「そうだ」


 エリザの表情を見て、シャルル七世が肯定する。


「ルシャワール帝国皇帝――ヒロト・ラキシア・ヤマシタ・ルシャワール。

 辺境伯には彼を護衛して欲しい」



    ◆ ◆ ◆ ◆



 トポトポと、宮宰が紅茶をカップにそそぐ。

 新しい紅茶を口にしてから、シャルル七世は話し始めた。


「辺境伯も知ってのとおり、帝国との休戦協定の更新期日が迫ってる。前々から決まっていた事でね。二週間後に休戦協定の更新を行うための国家元首同士の会議があるんだ。事務官レベルでは便宜上『休戦協定継続会議』と呼んでいる。そしてその『休戦協定継続会議』が開かれるのが、」


 シャルル七世は客間のテーブルを指でたたく。


「ここ――ロマニアなんだ」


 エリザは、半ば思考停止している頭を動かしてシャルル七世の言葉をくだいていく。確かに休戦協定が一年ごとに更新する必要があるとは聞いていたが、そのために国家元首同士が集まるというのは初耳だ。

 しかもそれを王都で行うという事はつまり、皇帝が王都へやってくるという事。


「……危険ではありませんか?」


 エリザは遠回しに『主戦派の貴族が何かしでかさないか』と問う。

 それに対し、シャルル七世は「その通りなんだけどね」と肩をすくめた。


「本当は第三国で行いたい所なんだが、貴族たちが周辺諸国といざこざを起こすもんだからどこもかしこも関係が悪化しててね。緩衝地帯になってるバラスタイン平原で開く事も考えたけど、それこそ主戦派が何かしでかさないとも限らない」

「でもそれなら王都こそ……」


 なにしろ当代の王が暗殺を警戒して、その能力を隠す必要があるほどだ。それは帝国側も察しているだろうし、休戦中とはいえ敵国の王都へ皇帝をすというのはそれだけで危険極まりない。


 その懸念をエリザが告げると、シャルル七世は「だからこそ王都なんだ」とうなずく。


「私と旧界竜エルダー・ドラゴンとの契約があるから、王都では誰であろうと騎士を動員できない。当然、魔導士もね。その状況で皇帝を暗殺しようとするなら剣や弓――でなければ毒を用いるしかない。だが、それだけならば帝国側も対処しやすい。騎士を持たない帝国としては一番安全な場所というわけさ」

「だとしても皇帝が直接ここに出向くというのは、」


 そんなこと、ルシャワール帝国が認めるのだろうか。

 敵国の王都へ自国の国家元首を出向かせるなど、正気の沙汰ではないように思える。たとえ自国の軍隊で護衛が可能な場所だとしても、無理に皇帝が出向く必要など無いではないか。帝国の政府機関は非常に進んでいるというから、外交官だろうと何だろうと幾らでも人材はいるだろうに。

 シャルル七世は「言いたいことは分かる」とうなずく。


「だが皇帝が王都に来るというのは帝国側からの提案なんだよ」

「帝国が?」

「ああ」


 そこでシャルル七世は「辺境伯になら話しても良いだろう」とつぶやき、


「実際のところ、この『休戦協定継続会議』の真の目的は休戦協定の更新ではなく、終戦交渉にあるんだ」

「――ほ、本当ですか!?」


 思わず腰が浮きかけた。

 休戦状態の継続どころか、終戦に向けて動き出すというのはとんでもない事だ。

 シャルル七世はエリザの反応に苦笑しながら「本当だよ」と肯定する。


「皇帝自ら宮廷に打診してきたんだ。『戦争を終わりにしたい』とね。皇帝自ら交渉に訪れるというのは彼らなりの誠意らしい。――まあ、攻め込んできたのは帝国側だからね。責任者自ら謝罪に来るというのは当然だろう」


 それはそうかもしれない、とエリザは思う。

 向こうの都合で勝手に始めて、今度はやめたいと言い出したのだから、頭の人間が謝罪するというのはごく自然な流れではある。

 マリナの口調をるなら『スジが通らない』というものだ。


「もちろんすぐに終戦とはいかない。こちらは一枚岩ではないし、帝国側はこちらの騎士を殺すために膨大な数の戦死者を出した。本来であれば遺族の生活保障費用を、制圧した貴族の資産から捻出しようと考えていたようだしね。終戦となれば、こちらは賠償金を要求する立場だが、そんな余裕は帝国に無いだろう。

 しかも皇帝は『貴族の圧制から民草を解放する』と言って戦争を仕掛けてきたんだ。それを急に「やっぱりやめる」とはいかないだろうさ。そんな事をすれば平民で構成された軍隊が反乱を起こしかねない。

 ――まあ今回の会議では、休戦期間をまず無期限に延長してバラスタイン平原を分割、両国軍による共同警備地域に指定するといった所かな」


 始まってみなければ分からないけどね、とシャルル七世はほほむ。

 エリザとしては休戦協定が無期限に延長するだけでもありがたいと思う。父であるブラディーミア十三世の命を犠牲にして成り立った休戦だ。亡き父も『命をかけた甲斐かいがあった』と喜んでくれるだろう。


 エリザの表情を見たシャルル七世は「喜んでもらえて良かった」とうなずきながら、「ただ、一番の問題が残ってるんだ」話を進める。


「一番の問題? ――あ、」

「そう。どうやって皇帝を王都まで護送するのかということさ」


 シャルル七世が「地図を」と言うと、ガンドルプスが素早くテーブルに王国周辺地図を広げた。

 途端、『やっぱ同じ地形だ』というマリナの思考が念話から漏れてくる。エリザとしてはその意味を聞きたい所だったが、シャルル七世が話し始めたのでそちらに注意を戻さざるを得なかった。


「帝国から王都までは遠い。どのルートでも複数の貴族の領地を通る事になる。どれだけ帝国側が護衛をつけた所で、どこかに考え無しの騎士が一人居るだけで終戦交渉はご破算になる。宮廷から近衛騎士を出したい所だけど、それも主戦派の騎士が紛れていたら終わりだ。――だから信用できる貴族のみを護衛につけることにした」


 シャルル七世の意図を察し「まさか――」という言葉がエリザの口からこぼれる。


「そうだ辺境伯。君に頼みたいのは、帝国から王都まで皇帝を護衛することだ」


 皇帝が王都へ来た後の護衛と考えていたエリザは、更に気が重くなる。

 そんなエリザの内心を知ってか知らずか、シャルル七世は優しげな声色でエリザを護衛役に選んだ理由を説明する。


「今日の査問会のお陰で、貴族たちは辺境伯に手出しをしづらくなったからね。君を襲撃すれば、他の貴族によってエッドフォード伯と同様の立場に追い込まれるのは目に見えてる。互いが互いを警戒して、誰も君に手を出せない。――どれだけ強い騎士を護衛につけても万が一という事がある。それなら、そもそも戦闘が起こりようがない人物に皇帝を護衛してもらった方が安全だろう?」


 シャルル七世は「どうかな。頼まれてくれないか?」とエリザの瞳をのぞき込む。

 少しタレ目がちの瞳が、まるですがるようにも見えて、エリザはたじろいでしまう。


「でも、わたしなんかじゃ……。戦闘は起こらないとしても、騎士としての訓練を受けたわけでもないですし。護衛としては頼りな――」


 エリザの言葉を、シャルル七世はかぶせるように否定した。


「辺境伯には頼りになる魂魄人形ゴーレムが居るじゃないか。

 魔導士20名を葬り、炎槌騎士団を壊滅させる力を持った魂魄人形ゴーレムが、さ」


 それまでの優しげな声色とは打って変わって、有無を言わせない強い口調。

 思わずされて、エリザは口を閉ざしてしまう。


 ――誰だ、この人。

 そんな訳の分からない疑問が脳内に浮かんだ。いや決まっている、ブリタリカの王――シャルル・ラウンディア・ロビスド・ブリタリカ七世だ。

 だけど、この瞳は一体何だ。

 すがるような目をしていたかと思えば、人を射殺すような目に、見透かすような目に変化する。

 ――怖い、


『なるほど、合成獣キメラか』


 マリナからの念話だった。


『落ち着けエリザ。この王様がオレのことを知っているのは分かっていた事だろう。ちょっと雰囲気が変わったからって、ビビるこたねえよ』

『……ええ、わかってます』


 エリザはシャルル七世に気づかれないよう小さく深呼吸をしてから「ごぞんでしたか」と笑顔を作ってみせた。

 くできたかは、正直自信がない。


 気づけばシャルル七世は元の優しげな表情に戻っていた。

 いや、表情はずっと変化していなかったのだろう。

 ただその瞳だけが、エリザの心をその場に縫い止めるような鋭さを持っていただけ。


「まあ、辺境伯の魂魄人形ゴーレムの能力がそこまで万能じゃないことは分かっているよ。一応、簡単にシュラクシアーナ子爵から聞いたからね。――けれど能力そのものは重要じゃない」


 シャルル七世は人差し指を立て、家庭教師のようにエリザへ説明する。


「一番大切なのは『炎槌騎士団を壊滅させた事実』。そして、さ。ただでさえ辺境伯を襲撃するのはリスクが伴うのに、その戦力が分からないとなれば、主戦派の者たちも二の足を踏むだろう。誰も、エッドフォード伯のようにはなりたくないだろうからね」


 エリザは思い出す。

 マリナが言っていた『シャルル七世が魂魄人形ゴーレムの存在を他の貴族から隠した理由』。

 ――それはエリザを味方に引き込み、その能力を利用するためだと。


「それに荒事にはならないと思うよ。詳細は後で話すけど、君がするのはあくまで案内人程度のことだ。魂魄人形ゴーレムの力を見せる機会は無いと思う。――まあ、あったとしてもせいぜい魔獣を追い散らすくらいじゃないかな。帝国の魔獣を倒した君の魂魄人形ゴーレムなら問題無いだろう」


 退路を断たれていくような感覚。

 こちらが口にしていない事も知っていると見せつけられ、こちらが断る理由を先回りして潰してくる。優しい口調ではあっても、優しくはない。今更になって、マリナの『うさんくさい』という言葉が心に突き刺さった。

 無論、貴族であるエリザが国王の命令から逃げる事など、最初からできはしないのだが。


「そもそも多くの貴族は、君が皇帝を護衛している事にも気づかないさ。うその護衛計画のうわさを流しているからね」

うその?」

「ああ、皇帝は海路で王都を目指すといううわさだよ。実際に帝国の外洋艦隊を動員してね。そちらは既にガラン大公の配下が護衛についている」


 そうか、それで査問会にガラン大公の姿が無かったのか。

 ガラン大公は数少ない親王派の貴族。査問会のような場では、必ず国王の助言役として姿を見せるものなので不思議だった。だが、そういう事情なら納得だ。それにガラン大公なら帝国とのパイプを独自に持っているのかもしれない。かの領地はその成り立ちが少し特殊だからだ。


 大公領はかつて『マグドニージャ王国』と呼ばれた小国だった。100年ほど前、自治権を保障してもらう代わりに、王国へ平和的にへいどんされた経緯がある。『大公』という破格の位階を与えられているのもそのときの交渉によるものらしい。

 その領地はミッドメル海に面しており、港を介した他国との交易もいまだに活発。こうした他国との交渉事には欠かせない存在だ。帝国軍と共同歩調を取れるのはガラン大公をおいて他にいないだろう。


「――それにもちろん、タダでとは言わない」


 シャルル七世はあめだまでも差し出すように、手のひらをエリザに向ける。


「まず爵位の継承。――ま、これは既にエッドフォード伯にも認めさせたからね。書面だけじゃなく正式に継承式も開こう。家臣団が必要なら宮廷から派遣するし、領地の防衛に不安があるなら、近衛から竜翼騎士団へ騎士を出向させてもいい」


 他に必要なものはあるかな、とシャルル七世は促した。

 エリザは視線をテーブルの上の地図に落とし、深く思案する。


 皇帝の護送は引き受けるしかない。なら、もらえるものはもらっておくべきだろう。国王がここまで譲歩するなど、普通はあり得ないのだから。


 ――ふと、星の光を思い出した。

 思えばつい数時間前の事だ。マリナが目を覚まし、二人で見た明けの明星。


 領地を取り戻せば良いと思っていた。

 良い領主になれば良いと思っていた。

 でも、それだけじゃ足りなかった。

 何をすれば良いかは――――まだ見当もつかない。


 ならひとまず、出来ることを全部やってみるべきだろう。

 エリザは「では」と顔を上げる。


「旧バラスタイン辺境伯領の返還を。

 それと炎槌騎士団に破壊された町の再建資金を貸してください。

 人材については、適宜派遣していただけるよう確約を頂ければ」


 シャルル七世は「欲が無いね」と笑う。


「旧辺境伯領の返還に関しては、残念だが“全て”は無理だ。王政府で管理している分に関しては返還できるが、既に他の貴族が買い取った分は難しい。一応、エッドフォード伯から一部を借金の返済として要求する事はできる。それでどうかな?」

「はい、構いません」


 本当は全てを返還して欲しいところだが無理を言っても仕方ない。この千年で貴族の力はとてつもなく増大した。爵位が単なる『伯管区』を運営する代官の名にしか過ぎなかった頃であれば、王の声一つで全てが決まっただろう。それも今では無理な話。金銭まで動いているとなれば、よほどの大義名分が必要になる。

 それにろくな家臣団も持たないエリザでは、元々の領地全てを渡されても持て余すだけだ。


 シャルル七世は「すまないね」と苦笑いを浮かべ、


「その代わり町の再建には、貸し付けではなく税金から復興予算を組もう。もちろん町を一つ作り直せるだけのものをね」

「良いのですか?」

「ああ。これでも王政府は比較的裕福でね。国税しか取ってない分、領民の経済活動が活発だから結果的に税収が上がってるんだ。それに貴族相手の銀行業務のお陰で、利子の収入が結構あるしね」

「ところで、陛下?」


 エリザは居住まいを正し、シャルル七世の瞳をのぞんだ。

 やられっぱなしというのも、マリナの主人を名乗る者として恥ずかしい。

 失礼にならない程度に、ふと湧いた疑問をぶつけてみる。


「どうして、そこまでしてくださるのですか? ……自分で言うのもなんですが、わたしはただの小娘です。命令して頂ければ断ることはありません」


 裏があるのでしょう? と暗に聞いてみる。

 しかし、シャルル七世が返したのは力の無い笑みだった。


「味方が欲しいんだ」

「え、」

「私には味方が少なくてね。――何となく察しはついていると思うが」


 肩をすくめるシャルル七世に、エリザは曖昧な笑みを返すにとどめた。


「くわえて国の平和を望む同志となると数えるほどだ。辺境伯のように民草を思う貴族のためなら、何でもしてやりたいと思う。それだけだよ」


 国の平和を望む同志。

 確かにシャルル七世は、エッドフォード伯の罪を問わなかった理由を「戦争で国を焼かないため」と言っていた。休戦協定を結んだのもシャルル七世だし、こうして終戦交渉を始めようとしているのも目の前のタレ目がちな男だ。


 この人は、民草のことを考えてくれている。

 そんな貴族に出会ったのは、父や兄を除けば初めて。しかも国王陛下とは。

 望外の奇跡だ、とエリザは思う。


 そしてシャルル七世は、探るような声でエリザに問いかける。


「味方に、なってはくれないだろうか?」

「――わたしで良ければ」


 エリザの答えに、シャルル七世は絞り出すように「助かるよ」と笑った。


「皇帝護送の成果があれば、宮廷内から出る文句も封じ込められるからね。他にも困ったことがあれば何でも言って欲しい。宮廷の権限の及ぶ範囲で手配しよう」

「はい」

「詳細は後でガンドルプスの方から連絡させる。それまでは領地で待っていて欲しい。領地の再建に手を尽くしてくれ。町の再建のために人手も出そう。シュラクシアーナ子爵であれば、辺境伯も安心だろう?」


 確かにリーゼになら安心して町を任せられる。自動人形の労働力を借りられるのもありがたい。それに技術者集団たるシュラクシアーナ家なら、建築技師のアテもつくだろう。


 シャルル七世は「さて」と言って立ち上がる。


「そうしたら早速準備をしないとね。――そうだ辺境伯、」


 シャルル七世は、良いアイディアを思いついたとばかりに手を打ち鳴らし、エリザへ提案する。


旧界竜エルダー・ドラゴンに会いたくはないかい?」

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