堕ちるカジツ

 夏の日差しが強い。むさ苦しい気候のせいで私の体は水分を欲していた。私はペットボトルのスポーツドリンクを口につけて飲み干す。体の中に吸い込まれる水分の感覚をしっとりと満たし、私の肌が逆立つ。


ダンススタジオは一応冷房を使うことができるが、スタジオ側が室温を管理しているため、設定温度は25度前後。しかし、こういう暑い日は、人の体温と蒸発する熱で自然と室内も暑くなってしまう。25度では物足りないという状況に陥るのも無理はない。


大学祭で披露する曲と振付も決まり、後は完成度を上げるだけだ。順調な仕上がりに、部長もご満悦のようだ。


今は休憩中で、それぞれ思い思いに過ごしている。

私は携帯を持って、視線を落とす。ネット空間を少し彷徨さまよったのち、私は連絡帳を開いた。最近の佐々木君の変わりようは戸惑いがある。だが、そろそろ寝たいなと思っていた。


迷った挙句、私は佐々木君にメールを送った。



☆ ☆ ☆ ☆



 夜も熱は冷めず、むんむんとした熱気は街を支配していた。温度の落差を感じたくて、ビアガーデンに群がる客を横目に通り過ぎる。その先にある時計台の前。

そこで佐々木君が待っていた。佐々木君は私の姿を見て、笑顔を零した。私は軽く手を上げて笑顔を作った。


佐々木君に不審を抱いたのは最初に出会った頃だった。初めて添い寝する時はだいたい不審を抱く。誰と寝てもそうだった。だけど、それは最初の頃だけで、ルールを守ってくれていれば、警戒心は徐々に解かれていた。


それが再び私の頭によぎるのは、きっと佐々木君の変化に気づいたからだ。変化しないことなんてないけど、変わらないものこそ絶対的な安心感を持てる気がするのだ。

ただ現実として変化するのは理解しているから、その変化が危険か安全かを見極めるしかない。


「久しぶり」


「ごめん。最近連絡取れなくて」


「いいよ。お互い忙しいんだし。じゃ、行こうか」


「うん」


 私と佐々木君は並んで歩き出した。


「ずっと暑いね」


「ほんとにね。夜くらい涼しかったらいいのに」


「夕食食べた?」


「うん。佐々木君は?」


「実はまだ」


「何か食べる?」


「そうだね。途中でコンビニ寄っていい?」


「いいよ」


「あ! アレちょっと買いに行っていい?」


 私は小さな店構えのアイスクリーム店を指差して言った。


「うん。じゃあ俺も買おうかな」


私達は冷を求める客達の中に入る。


「いらっしゃいませ」


店頭のカウンターから、鮮やかな制服を着た店員さんが笑顔を振りまく。


「バニラ1つ」


「俺もバニラで」


「合計で480円です」


店の奥にいるキャップを被った店員さんは、手際よくアイスを準備してくれる。


「俺が全部出すよ」


「え、いいよ。私も出すし」


「いいって」


 佐々木君は私が出す前にトレーにお金を置いてしまった。


「20円のお釣りです」


「ありがとう」


私は申し訳なく思いながら礼を言う。


「いいよ」


「お待たせしました」


私と佐々木君はコーンの上に乗ったひだのあるアイスを受け取る。私達は店頭からけて、アイスを頬張る。


「この季節のアイスは格別だね」


「そうだね。このバニラ濃厚だし」


私達は道脇の花壇の上に座り、冷たいアイスを堪能たんのうした。



☆ ☆ ☆ ☆



 ドアを開けた瞬間、こもった熱気が部屋から出てきた。すぐに自分の部屋に入った佐々木君は電気をつけ、冷房を入れた。私は佐々木君に続いて入り、クッションの上に座った。2本の素足を伸ばし、膝を曲げ、ふくらはぎをマッサージする。


「足痛いの?」


「うん。サークルも本腰入れてきてるからね~。就活でも色んな所に歩き回らないといけないし」


「俺も大変だよ。まあ、その大変さのお陰で内定貰えたけどね」


「え!? もう!?」


「うん」


佐々木君は口に笑みを含んで、冷たいお茶の入ったコップをローテーブルに置く。


「いいなぁ~。私まだ1つも貰ってないのに」


「すぐ貰えるよ」


 佐々木君はローテーブルを挟んで、私と同じように体の向きを横にして座る。


「桜咲さん」


「なに?」


「俺と桜咲さんって、ソフレ以外何もないのかな?」


「ん? 何もって?」


「いや、なんていうかもっと思い出のある日々があってもいいんじゃないかなって思って」


「結構遊んだと思うけど?」


「もう少しあってもいいじゃないかな」


「佐々木君って、私に負けず劣らずの寂しがり屋だよね」


私は笑みを向けながら言った。


「そうだね」


佐々木君もつられて笑った。


 室温の整った暗い部屋の中、私と佐々木君はベッドに入った。目を瞑り、背中に感じる体温を沁みこませながら深淵しんえんの底へと向かう。

動いた佐々木君を背中越しに感じた。微かな呼吸の音。それが私の首の後ろに当たり始めた。佐々木君の腕が私の腰に回った。佐々木君の手は私のお腹の前で止まる。ハグ的な物だ。これは何度もあったし、私もやったことがある。

でも、以前と何かが違う。上手く言えないけど、カジツが私の不快なカタチに形成されているような気がした。

私は気にしないように強く目を瞑った。


 佐々木君の吐息が一定の拍を刻んでいる。夏の夜なのに、寒気を感じた。クーラーの効き過ぎた部屋で感じる寒気とは違う。

佐々木君の手が動き、私のお腹にひっついた。私はシーツを強く握った。私は目を開け、目だけを後ろに向ける。首は動かせない。佐々木君が押さえ込んでいるんじゃない。私が見えない圧を感じて動かせないだけだ。

私は佐々木君を信じたかったのだ。私と佐々木君のカンケイの軸は揺らぐことなく、このままリソウのカジツを育てられるパートナーだと、信じたかった。


 数分その状態だったが、佐々木君の手はまた動き出す。佐々木君の手は私の体を這い、上の膨らみに触れた。私の眉間に皺が寄る。信じたくなかった。そして、佐々木君が思い留まってくれることを願った。

佐々木君は私の膨らみに強く手を押しつけた。その時、枝に実っていたカジツが地面に落ちて、耳の奥で響いた。

あぁ……こいつも同じか。


 一気に冷めた温度にアイも尽き、乾いた唇を噛んで、私はベッドを転がって佐々木君の手から離れた。


「どうしたの?」


白々しらじらしい。


ベッドを下りた私は冷たい視線を佐々木君に向けた。


「もう終わり。ソフレは解消しましょう」


「待ってよ。俺、君が好きなんだ!」


「ふふっ」


 私は嘲笑ちょうしょうして振り返った。


「この状況でよくそんなことが言えるわね」


「分かってるよ。でも、君がもしこんなこと聞いたら、このカンケイが壊れてしまうと思った。だから、言えなかった。君を好きになったこと。でも、もう嘘をつきたくない。他の男とソフレをしていても構わない。俺と、付き合ってほしい」


佐々木君は切に訴えた。だけど、私の心は揺らがなかった。


「私の一番嫌いな男は、ルールを破る男」


佐々木君は悲愴の表情で私を見ていた。


「さよなら」


私はそう言い残し、部屋を出た。




 夏の虫が公園の街灯に群がっている。

乾いてしまった。でも、潮時だったのかもしれない。

私はリソウのカジツを求めて、また彷徨さまようだろう。私にはそれしかない。両親から与えられなかったアイを補うために、私は誰かとまた寝て、カジツを育て、喰らう。いつか愛した誰かに、アイを与えるために……。

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甘い果実はどれも苦し 國灯闇一 @w8quintedseven

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