やり直し自動販売機。

花 千世子

やり直し自動販売機。

 やり直したい過去がある。

 よくSF小説や映画なんかでタイムスリップしたりタイムマシンに乗ったりして過去に行くって話があるけれど。

 それが自分の身に起きたらいいのになあってよく考える。

 特に、梅雨も間近なこの時期になると何度も何度も、非現実的な妄想をしてしまう。

 そんな妄想に逃げることが多い時期だからこそ、あんな迷信を頼ってしまったのかもしれない。


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 すっかり葉桜になってしまった桜トンネルを抜けると、俺はぴたりと足を止めた。

「なんだこれ」

 そう呟いて、緑の木々の中でやけに浮いたグレーの機械を見る。

 よくよく観察してみると、それは自動販売機だった。

 液晶ディスプレイのついた、駅なんかによくある近未来的な自動販売機。

 自動販売機の前に立つと、機械から音声が聞こえてくる。

『いらっしゃいませ。あなたの後悔を飲み干すお手伝いをします』

「は? 後悔?」

『はい。そうです。お客様の後悔をなかったことにできる飲み物を販売しています』

「なんだそりゃ」

 俺がそう言ったところで、機械は答える。

『お客様には、現在、後悔していることがありますね?』

「よく喋る自動販売機だなあ」

 そう笑ってみたものの、内心ぎくりとしていた。

 自動販売機が俺の今の気持ちまで――それこそ、ちょうど十年前の大失敗を嘆いていることなんかわかりっこないのに。

 俺は「わかるわけない」と呟いて、少しだけ笑う。

 今、俺がどれだけ後悔しているか。

 機械がこの気持ちを理解できるわけがない。

 

 一年ぶりに故郷に帰ってきて、実家でくつろいでいたら母にこう言われた。

『そういえば、春川さんとこの娘さん、結婚するんですってね』

『え?! 春川、結婚するの?』

 俺が母にそう聞き返すと、エコバックから野菜を取り出して冷蔵庫にしまいながら母は続ける。

『そう。さっき春川さんの奥さんにあってね。うれしそうに話してくれたの。式は来年だって』

 その言葉に、頭に春川の太陽みたいな笑顔が浮かぶ。

 それと同時に最低な言葉を投げつけてしまった記憶も蘇る。

たくみ、あんたも今年で二十五歳になったんだし、将来のことも考えなさいよ』

 母の小言もなんだか遠くで聞こえているようで、俺はぼんやりとしたまま呟く。

『結婚、って。もしかしてあの時の……』 

 途端に胃に黒い塊がどかっと落ちてきたような感覚に襲われた。

 春川が、結婚。

 なんだか居ても立っても居られなくなって、『ちょっと散歩』とだけ言って家を出た。

 別にどこに行く当てもなく、だけど足は確実にここに向いていたのだ。

 

 そして今に至るというわけだった。

『困った時や辛い時は、桜トンネルを通ると不思議な力が助けてくれる』 

 中学の頃に、そんなおまじないみたいな話を聞いたことがあって、藁をもすがる思いできてみた。

 だけど、あったのは去年まではなかった自動販売機だけ。

「十年前に……十年前のあの修学旅行の日に戻れるなら戻りたいよ」

 無意識のうちに俺はそう呟いていた。

『それでしたら、十年前の後悔を飲める缶コーヒーがオススメです』

 機械の言葉と共にディスプレイに表示されたのは、デザインも会社名のロゴも入っていない銀色の缶だった。

「なんだこれ」

『この缶コーヒーを飲めば、あなたが現在、一番戻りたい過去に戻ることができます』

「年齢も?」

『はい。戻りたい過去を、もう一度やり直せるという画期的な缶コーヒーです』

 機械の音声が途切れ、ディスプレイに値段が表示された。

「高っ!」

 俺の昼飯代、何回分になるんだよ。デザートまでつくぞ……。

 なんだかバカバカしく思えて、その場を立去ろうとすると、再び機械が喋る。

『本日、この缶コーヒーを飲むと十年前の今日――つまり、十年前の六月一日の午後二時四十五分頃に戻ることが可能です』

 その言葉に、俺はくるりと機械のほうを振り返った。

 ちょうど、俺がやり直したいと思っている日付だ。

 本当にこれであの頃に戻れるなら、むしろ安いものだ。

 俺はポケットから財布を取り出し、お札を一枚、引き抜く。

 たっぷり悩んでから、勢いにまかせてお札を機械に入れる。

 機械にお札が飲み込まれた直後に「やっぱりやめようかな」と、取り消しボタンを探していたら。

『お買い上げありがとうございました』

 機械がそう言った直後、がこんと音がする。

 取り出し口に手を入れて冷たい缶を取り出した。

 そこにあったのはディスプレイに表示された缶コーヒー。

「バカか。俺は」

 早くも後悔しながら、プルタブを引き、一口飲む。 

 普通の味だ。特別おいしいわけでもマズイわけでもなく。

 一口、二口、三口と飲んでも何も異変は起きない。

 だまされた! 過去に戻れるわけなんてないのに!

 そう思って缶コーヒーを一気に飲み干す。

 そして、瞬きをした瞬間。


 目の前は見慣れた住宅街ではなかった。

 まるで異世界のような空間が広がっていたのだ。

 テレビで観たことあるような、西洋風の建物が立ち並び、石畳の道の先には城もある。

「え?! なに? 異世界転生?」

 まったく状況を理解できず、背後を振り返るとそこには桜トンネルはなかった。

 代わりに学ランを着た田中と鈴木が立っている。

「あれ? お前ら何やってんの?」

楠木くすのきこそなにボーッと突っ立ってんだ」

「修学旅行だからって浮かれ過ぎるなよ」

 田中の言葉に、俺は自分の服を確認。Tシャツにジーンズではなく、学ラン姿だった。

 もう一度、目の前の景色を見る。

 異世界だと思えたこの光景は、テーマパークだ。そうだ。

 ごくりと唾を飲み込み、それから深呼吸を一つ。

 さっきの自動販売機の言葉を鵜呑みにするならば、ここは十年前の六月一日。

 つまり、中学三年生の修学旅行の一日目だ。

 俺が未だに女々しく後悔している日。

 まさか、本当に戻れるとは思わなかった。

 いや、夢の可能性だってある。

 どっちでもいい。本当でも夢でも、俺はあの日と同じことはしない。

「田中、鈴木、俺ちょっと土産みてくるわ」

 それだけ言うと、俺は走り出す。


 この辺のヨーロッパの街並みを模したカラフルな建物はすべて土産物売り場だ。

 俺は辺りをキョロキョロと見回して、春川の姿を探す。

 周囲には同じ中学の奴らがうろうろしているが、春川杏はるかわあんずの姿は一発で見つけられた。

 おろおろしたような顔で、行き交うセーラー服姿の女子を見てはため息をついている。

 ばっちり迷子だった。

 十年前の光景が、今まさに目の前で繰り広げられている。

 勇気を振り絞って声をかけようとしたら、向こうから近寄ってきた。

「あ、楠木君。ミカちゃんとリナちゃん見てない?」

「見てない。もしかしてはぐれた?」

「うん。お土産選びに夢中になってたら、はぐれちゃって」

 そう言ってしょんぼりする姿もあの時のまま――というか、本当にあの時に戻ったのか。

「スマホ、じゃないや、携帯は?」

「持ってきちゃダメって先生が言ってたから……」

 春川はそれだけ言うと、店の外にあったベンチに腰掛ける。

「もしかして、楠木君は持ってるの?」

 声のトーンを落として春川がそう尋ねてきた。

「いや、俺も持ってない」

「そっか。そうだよね。じゃあ、もういいや。ここで待っていよう」

 春川は小さくため息をついて、片手に下げていた袋をガサガサやりだす。

 俺はベンチの斜め向かいに立って、彼女の顔を盗み見る。

 肩まで伸びたきれいな黒髪、中学三年には見えない幼い顔、そして華奢な体つき。そのすべてがかわいいし、懐かしくもある。

「迷子の基本はその場を動かないことだもんねー」などと独り言呟きながら、春川は袋から何かを取り出そうとしていた。

 そもそも、春川とこうして喋るのは、もう何年ぶりだろう。小学生の頃以来か。

 今思えば、初恋の女の子と二人きりで話すチャンスはこれが最後だった。

 俺がそんなことを考えていると、春川は無邪気な笑顔で袋から取り出したものを見せてくる。

「見て見て。かわいいでしょ。このキーホルダー」

 彼女の手には二つのキーホルダーが握られていた。

 一つはこのテーマパークのキャラクター(男の子)のデザインのプレートに『MASATO』という名前がローマ字で書かれてある。

 もう一つは同じデザインの女の子のキャラのプレート。

 ただ、MASATOのほうと重なってよく見えないが、Aで始まる名前のものだ。

 A、つまり杏のAなんだと思った。

 明らかに、カップルがおそろいでもつキーホルダーだとわかるそれを見て。

 俺は春川に好きな人か彼氏ができたと思い込んで、ここから逃げ出してしまったのだ。

『ばっかじゃねえの』という捨て台詞つきで。あの頃の俺、最低だ。

 それが俺の後悔。

 ここで逃げ出さずに、捨て台詞なんか吐かずにもっと話しておけば、未来は変わったのかもしれない。

 少なくとも嫌なイメージはつかない。

 俺は、ぎゅっと拳を握ってこう言う。

「ああ、うん。そうだな」

「楠木君もそう思う?」

 春川はそう言ってぱあっと輝くような笑顔を咲かせてた。

 失恋決定。

 せめてこの男と春川が早く別れますように。もしくは春川の片思いで終わりますように。

 俺が彼女の恋がうまくいかないことを祈っているとも知らずに、春川はご機嫌で話し始める。

「これね、お姉ちゃんとその彼氏にあげるんだー。最近、お姉ちゃんの片思いが成就したからね、そのお祝いもかねて」

「そうか。それは……って、お姉ちゃん?」

「うん。お姉ちゃんの名前の、AZUSAってキーホルダーもあったから真人さんとおそろいにできるかなって思ったんだ」

 春川は隠れていたキーホルダーを見せてくれる。

 そのキーホルダーにはAZUSAとローマ字で書かれてあった。

「そういうことかよ」

 俺は言うなり、へなへなとその場にしゃがみこんだ。

 なんて紛らわしい! Aしか見えてないとかわざとかよ。

 でも、ちゃんと確認しなかった俺が悪い。

 だって、捨て台詞を吐いた俺は、この後、春川には避けられることになるんだから。

「どうしたの? 具合悪いの? 大丈夫?」

 そう言っておろおろしながら聞いてくる春川に、俺は答える。

「いや、大丈夫。ちょっとビックリしたってゆーか、なんてゆーか……」

 俺が顔を上げると、春川の顔は手を伸ばせば触れられるほど近くにあった。

 その時。

「あ! 杏! いたいた!」

 その声に俺はばっと飛び上がって春川から距離を取る。 

「探したよー。もうパレード始まっちゃうよ」

 女子の言葉に「うん。ごめん、ごめん」と春川が立ち上がった。

 駆け出そうとする彼女に俺は勇気を出して言う。

「ごめん!」

「え? なにが?」

 春川が不思議そうな顔でこちらを見る。

 俺は慌てて言い直す。

「お姉さんに、『おめでとう』って伝えておいて」

 春川のお姉さんとは、ほとんど面識ないけど。

 彼女はふんわりと笑って、それから頷く。

「ありがとう。伝えておくよ」

 スカートを翻して春川は女子のグループへ戻って行った。

 ああ、これで俺の黒歴史の一つが消えていく。

 大きな後悔が一つなくなった。

 そう思って、瞬きをした途端。


 目の前には見慣れた住宅街があった。

 驚いて後ろを振り返ると、すっかり葉桜になった桜トンネル。

「戻って、きた?」

 俺がそう呟いて辺りをキョロキョロと見回すと、あの自動販売機はどこにもなかった。

 だけど右手にはしっかりと銀色の缶を握りしめている。もちろん中身は全部、空だ。   

 なんだったんだ? 俺、ここで寝てた?

 それとも……。

 首を傾げていると、前から女性が歩いてくるのが見えた。

「あれ?」

 女性が足を止めた。

 ふんわりとした雰囲気をまとった彼女と、セーラー服姿の春川の顔が重なる。

「春川?」

 俺が言うと、彼女は口を開く。

「久しぶりだね。楠木君」

「ああ、うん」

 突然の再会で、うまい言葉が見つからない。

 結婚おめでとう、と言うべきなのだろうか。

 それとも、本当に過去を変えたのだとしたら彼女の結婚もなかったことにならないかな。

 自分から話題が切りだせずに焦っていたら、春川が口を開いた。

「今からケーキを作るための材料、買いに行くの」

「へえ。春川が作るの?」

 まさか過去が変わってもう子どもがいるとかいうオチじゃないだろうな……。

「うん。お姉ちゃんの結婚が決まったお祝いに作ろうと思って」

 ふんわりと春川が笑う。

 おねえちゃんのけっこん?

 一瞬、俺は言葉の意味が理解できなかった。

 つまり、母からの情報は、春川さんの娘さん(姉)だったのか。

「結婚するの、春川じゃなくて?」

 俺は念を押すように聞いてみる。

 春川はきょとんとしながら答える。

「そうだよ。私は相手いないもん」

 彼女の言葉に、全身から力が抜けていくのがわかった。

「良かったあ」

 そう口に出てしまい、春川が俺を睨みつける。 

「どういう意味?」

「あ、いや、悪い意味じゃなくて……」

 俺がうまい言い訳を考えていると、春川は穏やかな口調で言う。

「怒ってないよ。楠木君って本当、変わってないんだから」

 そこまで言って「またね」と去っていく春川。

 変わったよ、俺。

 そう心の中で呟いて、通り過ぎようとする彼女に思い切って聞いてみる。

「買い物、俺も、付き合っていい?」

 春川は驚いて足を止めて、驚いたような顔をした。

 それから、太陽みたいな笑顔でこう言う。

「うん。いいよ」

 

<了>   

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