最終話 あんたたち濡れてばっかりじゃない
十五センチと別れてから三日が経った。
てるてる坊主はまだ教室に吊されている。
そのうちの一つがなくなっていることにはまだ誰も気がついていない様子だった。
気づいたとしても、龍になっていたなんてわかりようがないのだけれど、僕と鳥子に起きたことを誰も知らないのはちょっと寂しい感じもあった。
あれから鳥子とは挨拶を交わすだけで、話をしていない。
また放課後に二人きりになれないだろうかと期待していたら、本当にそうなった。
僕は昨日から考えていた口説き文句を試してみた。
「また君の部屋の写真を見たいんだけど、だめかな。十五センチのこととか、思い出したいんだ」
「うん、いいよ」
と鳥子は答えた。
「陽介の気持ち、よくわかる。私も最近はよく写真見ながら、これは十五センチが見ている風景かもしれないとか、そんなことを考えてる」
「ありがとう」
嬉しくてテンションが上がってしまわないように注意を払う。
「後ちょっとだけ描かせて」
「待ってる」
ダシにしたみたいですまないと心の中で十五センチに謝罪する。
本当に写真を見たら十五センチのことを考えるから、許してほしい。
そして僕たちは並んで歩き、鳥子の家に向かった。
特に話したいことはなかった。
数学の宿題が面倒くさいとか、その程度の話をしていた。
鳥子の家と学校の丁度中間の辺りを歩いている時に、雨が降り出した。
ゲリラ豪雨みたく、急な大雨だった。
「雨だよ」
不意に降ったことと、てるてる坊主を吊って以来初めての雨であること。
その両方に驚きつつ、僕は鞄の中の折りたたみ傘を探る。
鳥子はなにもしない。
「傘は?」
「持ってきてない」
「あるから、一緒に入ろう」
傘を掴み、取り出す。
上に向けて開こうとしたら、鳥子が空のどこかを指して、
「ちょっと待って。あれ見て」
と言った。
「え?」
「あれ、十五センチじゃない?」
鳥子の指がどこを指しているのかいまいちわからなかったので、僕は空をよく見て動くものを探した。
すると確かに胴の長い、龍のようなものが空を飛んでいるのが見えた。
「十五センチだ」
「だよね」
「この雨は十五センチが降らせているのか」
僕がそう言うと、はっとして鳥子は数歩駆けた。
そして両腕を広げて空を見上げて、叫んだ。
「私はここにいるよ!」
十五センチのいる高さまでその声は届くのだろうか。
どちらにしても、十五センチはそこから降りてきそうになかった。
「ここだよ!」
「呼ばなくても、僕たちがいることはわかってるのかも。それでここに雨を降らせてるんじゃないかな」
「あ、そっか。そういうことなのか」
すると今度は大きく手を振り、やっほお、と叫ぶ。
恥ずかしかったけれど僕も同じように叫んでみる。
何度か繰り返し叫んだ。
そして鳥子は返事を期待するように十五センチを見ていた。
でも僕たちが叫ぶのをやめると、聞こえるのは大雨の音だけだった。
「踊ろう」
眼鏡のレンズが雨粒だらけになった鳥子が唐突に言った。
「え?」
「踊ろう、一緒に」
手を差し出してくる。
その手を握ってはみるものの、意味がわからない。
「なんで踊るのさ」
「雨の日に傘を差さないのなら、踊るものでしょう」
「いや、そうなのか?」
僕が首を傾げた途端に、鳥子はつないだ手を引っぱった。
「うっわ」
つんのめり、大きく一歩前に出る。
踊りと言うよりも、僕が手を引かれ翻弄されているだけだった。
鳥子は子どものように跳んだりして、僕の手を色んな方向に引っぱる。
無抵抗に振り回されていたが、僕は途中から反撃するみたいに、鳥子を引っぱった。
引っぱり引っぱられ、転びそうになりながら、背中を丸めて僕たちは駆け回った。
僕は、十五センチが空の上から見ている僕たちの姿を想像した。
十五センチの目からは、この世界と僕たちが物語になっているだろうか。
そう見えてくれと祈るように、僕は必死になって、鳥子と跳ねてはしゃいだ。
そんなことを何分していたのだろう。
雨が止んで、僕たちの踊りも終わった。
空を見ると十五センチはいなくなっていた。
雨雲はどこにも見当たらない。
止んでくれて助かったと思った。
何分も動きっぱなしだったから相当疲れている。
髪や服から雨水を道路に垂らして、足りない酸素を取り込むことに専念する。
太陽の光は制服のシャツごと僕たちを熱する。
息が整ってしまう前に僕は言った。
「僕たちはいくらでも幸せになれるんだよ、鳥子」
僕以上に息が切れていて喋れないようで、返事はなかった。
「終わったと思っても続きがあったり、新しいなにかがすぐ始まったりするんだ。僕たちはそんなふうに生きていくことができる。エピローグは来ないんだよ」
鳥子は一分か二分かけて息を整えて、まだ苦しそうだったが、
「そういえばまたさよならって言いそびれた」
と言った。
僕は、そういえばそうだね、と笑った。
鳥子の家で、玄関を開けた鳥子のお母さんは濡れそぼった僕たちを見て、目を丸くした。
もしかしたら、僕たちの周りでしか雨は降らなかったのかもしれない。
「なんでそんなびしょびしょなの」
と鳥子のお母さんは僕たちに聞いた。
「なんでだろうね」
鳥子は嬉しそうに、しらばっくれた。
あんたたち濡れてばっかりじゃない。
鳥子のお母さんはそう文句を言いながら、バスタオルを取りに走っていった。
てるてるドラゴン、空の上 近藤近道 @chikamichi
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