第二十三話 グラッパ

 小熊と礼子は半ば駆け込むように校舎に入った。

 広い教室の必要最低限な暖房が有難いと思わされる。真夏の炎天下をカブで走り、冷房の効いた教室に入った時は、気持ちいいとは思ったが、今感じている命の危機を脱した気分には敵わない。きっと夏になったら真逆のことを思ってるんだろう。

 朝のホームルーム開始までにはまだ時間のある教室。他の生徒たちも季節はずれの冷え込みに震えていたが、小熊と礼子ほど切迫していない。

 バイクに乗っていると、他の移動手段で行動している人間より季節を深く知ることが出来る。それゆえ過酷な気候の矢面に立たされる。

 自分の席についた小熊と、その前に自分の椅子を持ってきた礼子は、何も言わず体が温まり、思考能力が回復するのを待っていた。


 小熊が顔を上げて礼子に言う。

「何とかしなきゃいけない」

 礼子は小熊より凍えた自分の指先を見ながら答えた。

「何とか、そう、何とかね」

 意味の無い話をする小熊と礼子の横に、椎がやってきた。この身長140cmにも満たぬ女子は立って歩いているのに、椅子に座る礼子と目線の高さがあまり変わらない。

 椎は手に持っていたプラスティックのカップを二つ、小熊の机に置き、脇にぶら下げていたポットからコーヒーを注いだ。

「温かいですよ」


 まだ寒さでうまく口の回らない小熊は、言葉じゃなく仕草で感謝を伝え、湯気を発てるコーヒーを口に運んだ。

 椎の言う通り猫舌の小熊が舌を火傷しそうになるほど熱いコーヒーは、甘くていい香りがした。

「わたしのエスプレッソマシンで淹れたカプチーノです、今日は寒いのでグラッパを少し入れました。

 グラッパと呼ばれる、ワインを作った後の葡萄粕を蒸留した匂いの強いブランデーの入ったカプチーノが。小熊を中まで温めてくれたらしく、ようやく人心地つく。

 普段は甘いコーヒーを飲まない礼子も、貪るようにグラッパ入りのカプチーノを飲んでいる。


 椎に礼の一つも言わず、ただ外の冬空を憎々しげに見ながらコーヒーを飲みきった礼子はは、イタリアン・バールでは占いに使われるというカップの底に残るカプチーノを見て、何かの啓示を受けたように目を見開いた。

 椅子を音たててずらし、椎に近寄った礼子は、椎の体のあちこちを触り始める。椎は悲鳴を上げながら救いを求めるように小熊を見る。

 椎に触れた掌を何度か見ていた礼子は、息を切らしている椎を無視して小熊に言った。

「大丈夫、積める」

 何だか悪い予感がした小熊が首を傾げると。礼子は両手を肩幅くらいに広げながら言った。

「椎ちゃんをわたしのハンターカブの後部ボックスに押しこんでおけば、私はいつでも体を温めるコーヒーが飲める」


 女子として体のサイズを気にしているらしき椎が、あちこち測られた自分の体を自分で抱きながら、もう一度悲鳴を上げる。

 小熊は今朝の冷気で脳まで凍りついたに違いない礼子の馬鹿さ加減に呆れながら、椎の肩を抱いて落ち着かせてあげた。

 猫のように小熊の腕に体を委ね、少し安心していたらしき椎は、小熊が後ろに回した手を突然引っ込めたことで後ろにつんのめり、転びそうになる。

 小熊は腕に残る自分よりだいぶ狭い肩幅の余韻を感じながら思った。

 この嵩と重さなら、自分のカブについている新聞配達用の丈夫な前カゴに入れるのにちょうどいい。  

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