第十六話 カッコ悪い?

 思いがけぬ衝動買いをしてしまった小熊は、新しく買った角型飯盒のメスティンで早くご飯を炊いてみたくなった。

 未だに軍手を使っている礼子の手の防寒という問題は、礼子自身が滑り止め軍手じゃないグローブに着け替えることに消極的な様子なので、もう知らないという気持ち。

 メスティンの入った古書店系リサイクルショップのビニール袋を下げた小熊は、カブを停めた通り向かいにある中古バイク用品店の駐輪場に戻ろうとした。

 礼子が小熊の着ているライディングジャケットの襟を引く、つんのめった小熊に、礼子は交差点を挟んだ先にある巨大なホームセンターを指差した。

「ここも見ていこう」

 オモチャ売り場に行きたがる子供を引っ張るように、礼子をさっさと駐輪場に連れていこうとした小熊は、一度時計を見てから足を止める。


 今日は高校の文化祭で、不参加の小熊たちはいつもの放課後より早く教室を出られたこともあって、まだ時間がある。

 ホームセンターで歯磨きやトイレットペーパー等の生活用品を買い足すのもいいだろう。そう思った小熊は、ホームセンターではなく、その手前にある小さな店を指差した。

「先にご飯」

 午前中に学校を出たため、昼食を食べていない小熊は腹が減っていた。人間は飢えていると気持ちに余裕が無くなる。手が寒い思いをしている礼子への対応がおざなりだったり、今まで使っていたタッパーの弁当箱が十個以上買えるような飯盒兼弁当箱を買ってしまったり。

 小熊が指差したのは、バイク用品店と同じ区画内にあるパスタショップ。気取った店ではなくファミレス系のチェーンなので、クーポンをうまく使えば安価で食べられる。

 空腹を覚えていたのは礼子も同じらしく、小熊の背を押すようにパスタショップに入っていく。

  

 礼子は小熊の向かいで、大盛りのアラビアータにチーズをたっぷりとかけている。

 小熊は同じく大盛りのペペロンチーノ。どのパスタもほとんど価格差が無いので、唐辛子とニンニク、オリーブオイルだけのパスタはお得感が無いが、最近自分でパスタを作るようになった小熊は、他人の作るペペロンチーノが気になるようになった。

 礼子はパスタを食べながらスマホをいじっている。さっきバイク用品店に行った時は、礼子の心が動くようなグローブは見つけられなかったが、通販サイトを見ても同じような感じ。

 礼子がなぜ一双百円もしない滑り止め軍手をそこまで気に入っているのか、小熊にはわからない。確かに手へのフィット感や操作のしやすさは良好だったが、小熊は小熊で、自分の使っているグリップスワニーの牛革製ワークグローブが最高だと思っていた。

「それ、そんなにいいの?」


 小熊は礼子がテーブルの上に放り出していた軍手を指差す。普段は食卓に不似合いな物を置くことは無いが、今の礼子はスマホで色々なグローブを表示させるたび、自分の軍手と見比べて、礼子自身にしかわからない軍手の優位性を確認している。

「知ってる?先進国と言われる幾つかの国では、戦闘機や輸送機のパイロットが未だにこの滑り止め軍手を使っているって」

 理解は出来なかったが察しはついた。つまり彼女が着ている難燃繊維のフライトジャケットや、乗っているハンターカブと同じで、その物が持つ、実際に役に立つのかもわからぬスペックに依存している。

 たぶんキャンプをしていても、百均の包丁を使うのが一番いいような場面で、高価なナイフを使いたがるタイプ。そのくせ力任せに藪を切り拓くような用途の時には、「使うなんてとんでもない!傷がついたらどうすんの?って言いだす。


 そんなに凍傷になるのがお望みなら、防寒対策など諦めてその軍手と心中させてやろうと思った小熊は、パスタを頬張りながら外を見た。

 通る車やバイクがよく見える窓際の席。一台の原付が小熊の目の前で信号待ちのため停車した。

 後部に農作物を入れる樹脂製のカゴを括り付けた、スクータータイプの原付。乗っているのも地元の農家らしき老婆。そのスクーターには、集果カゴだけでなく、もう一つの装備が付け加えられていた。

 原付だけでなく、自転車に付けているのもよく見かける、ハンドル周りを覆うカバー。

 信号が替わり、原付が走り去った後で、小熊は礼子のスマホをひったくった。


 通販サイトを開き、礼子のスマホに入れている自分のアカウントページを開いた小熊は検索キーワードを入力しながら、同じ内容を礼子にも言う。

「ハンドルカバー」

 寒くなっても今使っているグローブを変えたくないのなら、そのグローブで握るハンドルグリップ周りそのものを寒くないように対策すればいい。

 小熊はバイク便をしている人間が、このハンドルカバーを冬季の仕事で「絶対に」必要な物だと言っていたことを思い出した。

「やだカッコ悪い!カブにハンカバなんてお爺ちゃんのカブじゃない!私のハンターカブには絶対付けないからね」

 通販サイトに幾つものハンドルカバーが表示される。実用品だけあって、値段はどれも小熊の今の手持ちで折り合いそうなものばかり。

「私は買う」

 小熊は通販サイトの中から安価で丈夫そうな、郵政業務で使われているという宣伝文句のカブ専用ハンドルカバーを選び、クリックした。

 

 翌日の夕刻に、小熊が通販で注文した商品が届いた。さっそく梱包を解く。

 黒い合皮製のハンドルカバーは腰が強く丈夫そう。夕暮れ近いアパートの駐輪場に出て取り付ける。ヒモで結びつける構造なので簡単に作業は終わり、手の出し入れやカバー内でのスイッチ類の操作にも支障無い。

 冬が始まって間もない気候。小熊の革グローブではまだ寒さを感じないが、これから気温が下がってくると役立ってくれるに違いない。合皮素材は少々の雨なら手や水に弱いグローブが濡れずに済みそう。

 礼子が最も気にしていた見栄えについても、どこにでもある平凡なカブによく見かける装備を付け足しただけで、特にカッコ悪くない。むしろカブがより優れたツールになったことを示す黒いハンドルカバーが頼もしくさえ見える。


 翌朝、小熊がハンドルカバー付きのカブで通学すると、礼子には散々笑われたが、実際に小熊のカブに乗り、ハンドルカバーを試してみた礼子は一発でその魅力にノックアウトされ、その日のうちに小熊と同じハンドルカバーをお買い上げすることとなった。

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