第五話 週末の二人

 礼子が親元を離れ、実家が所有するこの場所に住むことを選んだきっかけは、海外ドラマ「エアウルフ」の主人公に憧れたからだと言っていた。

 土曜の午後に日野春駅前のアパートを出た小熊は、いつもの通学路をカブで走らせながら、そのことを思い出した。

 学校を通り過ぎ、気温が下がっていくに従ってだんだんはっきりと姿を現す甲斐駒ケ岳と南アルプスに向かってカブを走らせる。山岳地帯の入り口ともいえる登り坂。アスファルトからコンクリート舗装になった道路を何度か曲がり、北杜の別荘地帯に入った。

 東京から高速道路を使えば二時間少々という利便性のため、都市生活者の別荘が点在する一帯。その外れに礼子は住んでいる。


 学校から小熊のアパートとは逆方向。ほぼ等距離にある礼子の家の前に着いた小熊は、二十分に満たぬ道中では礼子が言っていたことについて深く思索する時間は無かった。

 一つわかったことがあるとすれば、幼い頃からの夢も、実家の余り物でお手軽に叶えれば、それが紛い物っぽくなることは避けられないということだろう。

 小熊は自分の登ってきた山道を振り返り、街中の住宅地とさほど変わらぬ密度で立ち並ぶ、ログハウスやセルフビルドハウスを見て思った。

 こんな場所で人里離れた山中で孤独に暮らすドラマの主人公を気取るくらいなら、それよりもいい過ごし方を知っている。

 小熊はログハウスのポーチと呼ばれる一階部分に作られたベランダ前に停めたカブを掌で撫で、それからドアチャイム替わりのホーンを鳴らした。


 自転車のベルと車のホーンの間くらい、走りながら鳴らしてもエンジン音でほとんど聞こえない。法規に従ってカブにも付けられているが、役に立っているのかわからないホーンの音に反応し、ポーチ前の大窓が開いた。

 作業ズボンにTシャツ姿の礼子が姿を見せる。手をひらひらと振って手招きするので、ポーチに上がる木製の階段、その横に礼子が自分で付け足した斜面を、カブを押して登る。

 ポーチに上げたカブと共に、小熊は大窓から室内に入る。窓のレールも三角形の木材で段差が埋められている。この山小屋をカブに対応したバリアフリーに作り替える日曜大工のうちの幾つかは、小熊も手伝った。


 中はロフトのある二十畳ほどのワンルームだった。室内の三分の一に煉瓦が敷き詰められ、バイクを置いたり整備したり出来るようになっている。

 壁際に積み上げられた工具と部品、その中に置かれた礼子のハンターカブが、白熱灯に照らされ車体のメッキを輝かせている。小熊はハンターカブの隣に自分のカブを停めた。もうすこし片付いていれば、悪くない眺め。

 普段は小熊がこの山小屋にやってきて、勝手に入りこんでも顔を上げるだけの礼子が、今日は全身で喜びを表現している、小熊はあまりいい予感がしなかった。


 礼子が冷蔵庫を開け、あまり中身のない庫内から白い箱を引っ張り出す。トロ箱と呼ばれる魚屋でよく見かける発泡スチロールのボックス。 

 畳一枚分ほどもある2by4材のテーブルにトロ箱を置いた礼子は、蓋を取りながら言った。

「おねがい!これ何とかして」

 中身は重さ一kgはありそうな数尾のニジマス。近所のログハウスに滞在し、富士五湖を回って釣りをしている人から貰ったけど、どうすればいいのかわからないと言う礼子を手でどかし、小熊はニジマスを掴んだ。  

「食べればいい」

 そう言った小熊は、トロ箱をキッチンに持って行きながら、料理では全く役に立たぬ礼子には散らかった部屋を少しは片付けておくように言いつけた。


 土曜の夜は、どちらから言い出すでもなく、小熊が礼子の部屋に泊まるようになった。

 最初はカブを整備する工具を借りるためだったが、そのうち自堕落な暮らしをしている礼子が野垂れ死なぬよう、たまには片付いた部屋でまともな物を食べさせるという用事も出来た。

 礼子がゴミ捨て場で拾ってきたというステレオのスイッチを入れた小熊は、流れてきたNHKーFMのチェロ演奏を聞きながら、トロ箱を部屋の隅にあるキッチンに持って行く。

 ニジマスを水で洗いながら、あまり手広いとはいえない自分の料理レシピの中で、この魚をどうしようかと考えた。他に大した物の入っていない冷蔵庫の中身を見るに、何とかしないと二人してひもじい夜を過ごすことになる。

 山小屋とチェロとスーパーカブ。これに美味い夕食が加われば、たぶん周りの別荘で時間の区切られた静養をしている奴等よりは、充実した週末を過ごせるに違いない。

  

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