世界で一番残酷な君と

1976

第1話

「好きな人、いないの?」

この瞬間、僕にとって世界で一番美しく残酷なのは、君に違いない。


 アイツと君が何年も付き合っていることなど、分かっている。こんなにすぐそばで見ているのだから……。けれども僕は君の美しさに捕らわれ、そこから離れられずにいるのだ。



 窓から差し込む陽射しが、君の白いブラウスの上で斜めにラインを描く。陰日向がくっきりと別れる境目に目をやりながら、君の話に相槌を打つ僕。白い指先がカップの縁にそっと触れ、ややあって離れ、また触れる。白いコーヒーカップと冷めきったカフェオレに君の視線が落ちて、途切れた会話を埋めるかのように、遠くからゴーッと空調の羽が回る低い音がしてきた。


「アイツは君がいるから自由にできるのさ。もう何年も付き合っているし、その前から幼馴染だもの。君がいるから自信も持てる。だから行動的になれるし、誰からも魅力的に見えるんだよ。」


 白塗りのテーブルが反射する光が下から君を照らし、カフェのほの暗い空間に輪郭を浮かび上がらせている。陽光のオレンジがかった光は、反射することでやわらかな奥行きを君につくりだし、胸元まで伸びる黒髪は肩にかかることで、伏し目がちにして話す君をさらに細く見せた。

 君はカップから手を放すと、首元のネックレスをいじりはじめる。一羽の銀の鳥が、そこに飛んでいた。



 アイツと君と僕とは、同級生だ。小学校、中学校、高校とずっと一緒。アイツは陸上部のエースで、君は演劇部のヒロインだった。そして僕はといえば、ただの「いい人」だった。

 外見、学力、運動能力、親の経済力に至るまで……。普通、普通、普通が並ぶだけ。取り立てて特徴のないステータスを見ても、誰かに与えるインパクトなど何もない。それはつまり、「語ることは特にありません」という、ありがた迷惑な称号を与えられる程度のものなのだ。ドラマなら端役、ゲームなら選択キャラから外され、子供の“ごっこ遊び”ならば設定からいつの間にか消えて無くなってしまう。そんな存在だろう。

 そんな僕たちだから3人でいても、誰かの話題に挙がるのはアイツと君だった。何年たっても変わらないことだ。話題に挙がり、同列に扱われる。そのあいだの僕といえば、まるで空気のようだった。制作現場のことは知らないけれど、ドラマならディレクターに、「出番待ちなので控室へどうぞ」と丁重に案内されているのかもしれない。もちろん「カメラの前からどいてください」という意味で。

 そんな見方には慣れっこだったし、そこに何の感慨があるわけでもない。人と人との関係に釣り合いというものがあるとするならば、まぁ、そういう結論になることは僕にも理解できた。似たようなグループを見つけたなら、知っているなら、自分だっておなじように思うことだろう。


 やっぱりヒーローは彼で、ヒロインは彼女なのだ。


 釣り合いを自分たちに適用するなら、アイツと君の組み合わせこそベストだ。民主主義的に多数決を取るまでもない。そんな事実を突きつけられたとしたら、僕が傷つくだけのことで、まったくの無駄なことだろう。

 世界中の人はそこまで暇ではなく、みんな自分のことで忙しいものだ。だから僕は救われるのかもしれない。


 そんな3人だから、アイツと君が付き合う、恋人同士になることはやはり、自然な流れだろう。世界もそれを求めているようにも思う。カエルも、イヌも、サクラの木も、太陽さえも、きっと望んでいる。そんなまわりの雰囲気があれば、アイツも君も互いに意識してしまう。「お似合いじゃない」とか「2人は付き合ってるの?」なんて声を頻繁に掛けられたら、誰でも意識する。たとえ気になっていなかったとしても、気にせざるを得なくなる。

「平然とザワつく東京駅で演説できる」とか、「ワールドカップの決勝で、PKのキッカーに手を挙げられる」という、“鋼のメンタル”でも持っていれば別なのかもしれないが、そんなものが一般の人たちにあるはずはない。それは日常生活に必要ないものだ。あったとしても、「空気の読めないヤツ」として有名になれるぐらいの、ありがたくない特典しかないことだろう。

 そして人気者の二人には、当然そんな特殊能力はない。だからやはり、アイツと君は揺さぶられた。どうしようもなく……。

 それを見ていても、近くにいても、僕には止めることなどできなかった。



 君は僕に語りかける。まるで「楽しくない話をしてしまって、ごめんなさい」と言うかのように。

「好きな人、いないの?」

 困った話を聞かされたであろうと思われる僕に、「私にできること、ありませんか?」と憐れみを投げかけるのだ。僕はいつもの決ったパターンの通り、視線を遠くに投げて言った。

「まぁ、いろいろね、難しいんだ」

 ここ数年、何度も繰り返されるやりとり。君の問いに返す言葉など、僕は持っていない。きっと君も、そのことの意味には薄々気づいているのだろう。

 何度となく問いかけても、語られることのない想いに……


 君のブラウスの襟元からのぞく「それ」は、喉仏のくぼみの下にひっそりと咲いていた。

 窓から差し込む陽がつくり出す、光と影のコントラスト。日陰になった君の上半身を飾る首元の「それ」は、白いテーブルから間接的に光を受け、さりげなく輝く。きっとこれ以上ない、相応しい場所に飾られているはずだ。

 首の後ろからペンダントトップへと続いていく細い曲線は、肩の地平線から鎖骨の丘を越え、飛んでいく鳥の軌跡を思わせた。2本の軌跡など現実的にはあり得ないことだ。けれどもそのイメージは僕にとって、幻想的で美しく、心地良い。2本の軌跡と飛び立つ鳥は、目立ち過ぎることなく、危うげな君の魅力を台無しにすることなど、絶対にないのだ。

 やはり魅力的であることとは、調和のもとに存在する。


「それ」はアイツから君へのプレゼント。

 けれどもそれは、僕が強く勧めたものだ。


 だいたいアイツは君のことなど、何も分かっていないのだ。アイツは自分の魅力や自身のベースとなる自信を君からもらっているはずなのに、それに気づいていない。そんなだから、AmazonやZOZOTOWNのショッピングモールでアクセサリーのページを10ページ、20ページとグルグル見て回ったって、なかなか決まりはしない。 

 いよいよ期限が差し迫って、慌てて僕に救いを求めてきたのだ。


 アイツの目的は、君に誕生日プレゼントを贈ること。

 ただそれだけ。

 それはたしかに大事なことだろう。でも、それだけの目的意識では、どう決めるかなんてたかが知れている。

・ランキングや流行の中から選ぶ。

・自分の好みで選ぶ。

・時間切れで一か八か。

 そんなのが関の山だろう。


・何を素敵だと思うのか?

・どんなものを喜ぶのか?

・どんなコーディネートを好んでいるのか?

 なにより君の魅力を引き出すにはどうしたらいいのか? 

 こうした先のことまで、アイツは考えが及んでいない。プレゼントを贈ることで、誕生日としてのカタチを整える。それはたしかに大事なことだろう。


 でも、魅力的なものには一定の秩序があるのだ。線香花火の横で打ち上げ花火をやるべきではないし、降りかかるような満天の星空には夜の張(とばり)が必要だ。邪魔をしてはいけないが、君を飾ることができないのでは存在価値がない。僕には許しがたい欠落が、そこに存在する。


 いつだったろうか?アイツのホワイトデーのお返しは、そりゃあ酷いものだった。その意味を図りかねた君は、今日とおなじように僕のもとへとやって来たのだ。僕は扉を開け、君を招き入れる。すると君は僕に言うのだ。


「ねえ、クマさんはわたしを、森の外へ追い出そうとしているのかしら?」

「いいえウサギさん、クマさんは見て分かるように体も手も大きいですから、不器用なんですよ。だから苦手なことも、あるんです」


 こんな調子だ。

 僕は君にとって大事な話を聞きながら、アイツを擁護する。持ち上げるとか、誰かがアイツを評価する声を利用したりして、君をなだめるのだった。

 その役目とは、ほかの誰にもできない僕だけの役割。君と1対1で向き合い、アイツにさえ邪魔されない時間。僕は心の中で、アイツのやらかしに感謝の言葉を述べつつ、君の内側に触れていることに喜びを感じていた。こういうことがあるたびに、「これはチャンスだ」とも感じていた。

 だってそうだろう? 友だちの恋愛相談から親密になり、いつの間にか恋人へということは、世間ではありふれた話なのだから。そこに夢を見て心の奥に欲望を隠し、相手のためを思うという矛盾に身を沈め、生暖かいぬかるみに潜む。そうして出番を待つのだ。


 本当に出番があるのか? 試合を横目に見ながら出番に備えるアップだけで終わってしまうのか? それは分からない。

 でも、好きだからこそ相手に寄り添い、親身に考え、悲しみを遠ざける。

 そうすることで恋敵を育て、可能性という自分の芽をあたかも雑草のごとく、自分の手で丹念に摘み取っているのかもしれないが……


 そうした矛盾をはらみながら一緒の時を過ごし、君の美しさに正面から近づけることに僕は、喜びを感じてしまうのだった。いったい何年やってきているんだろう? そう思うこともあった。恋も知らない、ただの幼馴染の期間。本人たちよりも、まわりが意識し、囃し立てたあの頃。2人が付き合いだしてから今日まで。ずっとおなじだ。


 たいていの場合、人と人の関係性とは初期に決まってしまうことが多いものだ。一度作られた役割や力関係を変えるとは、難しいことだし、とても大きなエネルギーを必要とする。長く続けていたのに音楽性の違いで解散するバンドはたくさんあるし、ボケとツッコミが入れ替わる芸人など存在しない。1度決まった方向性を自分の望む方へ引き寄せようとすることは、大きな嵐を呼ぶ。その結果、結束の糸は切れ、グループは解散し、人はそれぞれの道へと別れるのだ。


 まるで轟々と唸りをあげて吹き荒れる嵐のように、三人の関係に革命を起こす勇気など、僕にあるのだろうか? 革命には、鮮やかな赤い血が流れるものだ。もちろん失敗することもあるし、その方が現実には多いだろう。それがどんなに尊く、清く、素晴らしい理想を掲げようとも……。血を流すことなく平和的、かつ素晴らしい話し合いが行われ、三人の関係が歴史的な転換を迎える。そんなことなどあるのだろうか? 



 君の首元に美しく収まる鳥のネックレス。

 それがあまりにぴったりと似合っていて、僕はとてもうれしかった。

 

 きっと君にとって大事なことは、アイツからもらったということだろう。でも僕にとって大事なことは、僕が選んだ「それ」を君が身につけ、美しさが引き立つことだった。


 僕は幸せ薄い君に惚れている。アイツと君のトラブルを繰り返す関係が、君のはかない美しさを引きだしていることには昔から気づいていた。長い間、君を見てきた僕にはそれが分かる。そう、悲しいほどに。

 だからこそ相談される自分の出番があるし、このことが君と正面から向き合う機会を僕に与える。そして僕は、君のはかない美しさを維持し、あまつさえ飾り立てようとする役割を演じているのかもしれない。

 いったい、いつまで続けるのだろうか?

けれども僕のヒロインには、真っ赤な血は鮮やかすぎるのだ。僕の美意識は、それを許さないはずだから。


 だんだんと君は、落ち着きを取り戻しつつある。モノクロのようだった語りが、1つずつ色彩を取り戻していく。それはいつものパターンだ。今日も君は美しく、僕らの関係もいつも通りだ。何も変わらない。これから先も……。


 それは何度も? 何年も? ずっと続いていくのだろうか?

 銀の鳥がそこから飛び立つことは無いように……。



 僕は思わず浮かんでしまった、自分の考えに驚いた。

 氷が融け、ぬるくなった水を口に含む。額にかかる前髪が急に鬱陶しくなった。息苦しさを紛らわそうと窓の外に目をやるが、向かいの屋根の鳩がこちらを見ているような気がして身じろいだ。

 気づいてしまった僕は、一度浮かんでしまった考えを手放せなくなってしまった。君の言葉はすでに、僕を通り抜けていくだけだった。



 君はアイツの隣へと帰っていく。

 そしてきっと、君はふたたび僕の扉を叩きに戻ってくるだろう。これまで通りに。


 そのとき僕は、今日とおなじように君を優しく迎え入れるのだろうか? 生暖かいぬかるみに潜みながら、愛する君の美しさを育てるために……。



 僕は銀の鳥をつなぎ留めている。

 自由を奪い、飼い慣らそうとしているのかもしれない。


 そしてそれは、僕自身をも縛り付けているのだろうか?

 これまでも、これからも、ずっと終わることなく……。

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