奴隷邂逅【13-1】


【24】


 八月末のぬるい陽光が雲間を抜ける、ヘリフォードにおける休日の午後。先日にやっとで一線を越えたブリジットと俺は、新しい拳銃を見繕いに知り合いのガンスミス(銃器技師)の店を訪れていた。他ならぬ、可愛いメイドの嫁さんの銃をだ。

 平服姿、つまりは給仕服ではないブリジットを連れて店に入ると、頭頂部の寂しい主人は肝を潰した。「銃以外と交際なんか出来たのか!」客に随分と失敬な物言いである。第一、俺の銃は艦船と違って男性形だ。ともかくその可愛い恋人の銃を選びに来た旨を伝えると、店主は快く協力の手を差し伸べてくれた。

 店主は初めに、煩雑な機構や撃鉄の露出がない、オーストリアの傑作拳銃たるグロック19を薦めた。本銃の利点は銃の知識を囓った者であれば明快で、部品の大部分が樹脂で構成される故に軽く、比較的小型なので女性の手でも扱い易い。しかも撃鉄や突出した部品がないので、ホルスターから抜く途中で引っ掛ける危険性も小さい。PSC(民間軍事企業)の現場でも人気で、国内でも陸軍の次期制式採用拳銃にグロック17の最新型が推されているとの噂だ。まあ、我々は好き勝手に自分の拳銃を選ぶだろうが。

 そういう訳で、その道のプロフェッショナルを自負する男ふたりは、初心者向けかつ実用性に溢れた本品を提示した次第であったが、ブリジットはすげなく「ノーゥ!」と両腕を交差させる。我々も食い下がってグロックの商品価値を例示してみるが、当人は一向に首を縦に振ってくれない。曰く、軽過ぎて気に入らないとの弁である。それが女の台詞か。付け加えて、マニュアル操作のセイフティに準ずる装置の欠如、撃鉄という古来から生き延びた、ある意味では実戦証明の為された装備の欠落は、ブリジットさんとしては看過出来ぬらしい。実戦経験もないくせにと苦笑しかけたが、成る程、現実に基づく拘りがあるのは評価に値する。素人にここまで否定される、設計者ガストン・グロックに一抹の同情を覚えたのは事実だが。グロックおじさん可哀想!

 次にガンスミスが持ち出したのは、これまた格式高い〈ヘッケラー&コッホ〉のUSP、そのコンパクトモデルである。グロック同様にポリマーフレームを採用しているが、向こうがスカしたキアヌ・リーヴスなら、こちらは山脈よろしく血管浮き出るシュワちゃんだ。ロングセラーなだけあって信頼性は折り紙付きで、極限の状況下でも正常に作動する。惜しむらくは価格とグリップの太さで、如何せん少女には扱い辛い仕様である。ブリジットはしげしげとこれを眺め、手に取って使用感を吟味していたが、やがて目尻を下げてブツをカウンターへ戻した。何が不満なのか問うと、どうもポリマーフレームの手触りがそぐわないらしい。変な部分でステレオタイプなやつだ。この分だと、ジョン・ブローニングの傑作が一つたるMM1911、いわゆるコルト・ガバメント要求するのではと危惧したが、次がそれに歯止めを掛けた。

 USPの隣に店主が提示したのは、〈シグ・ザウアー〉のP228であった。我々の連隊も装備する、P226の縮小モデルだ。このP226といえば、かつて米軍がM1911に代わる次期制式拳銃のトライアル――装備品のコンペで、かのジェロームを生んだイタリアお抱え企業〈ピエトロ・ベレッタ〉のM9に敗れた、汚泥にまみれた経歴がある。事実、高価格という軍隊のロジスティクスに反する面や、マニュアル式セイフティの排除といった不便は見られたが、そもそも万人に適合する銃など存在し得ない。M9は価格こそ安価であったが、特殊部隊向けの性能ではなく、無駄な突起のせいで抜き打ちがし辛い。何より、個人的に形状が忌避を催した。数多くのハリウッド映画が主人公に銀色のM92を持たせる理由だが、十年以上を要しても見当付かない。映画界から駆逐されてしまえ。

 それに比べてP226はどうだ。高山地帯の極寒は元より、淀みきった泥水に浸けても難なく動作。ステンレス削り出しのフレームは強靭で、塗装が落ちても錆が浮かない。肝要なのはその姿形で、戦闘目的に特化した造形からは究極の機能美が醸し出される。長らく親しんだブローニング・ハイパワーから持ち替えた時に、価値観が共鳴に打ち震えたものだ。

 と、歴史の一部のみを見れば付け入る隙のないシグ・ザウアーだが、重大な欠点が一つ存在する。とかく「重い」のだ。総削り出しのフレームは堅牢に違いないが、プレス鋼板より遙かに重量がかさむ。おまけに、グリップが男の手をしてもでかい。社外で展開されているグリップを装備すれば幾らかましにはなるが、それでも焼け石に水だ。

 にもかかわらず、ブリジットは嬉々とこの銃の選択を申し出た。店主と俺とで説得を試みるも頑として意志を曲げず、平然と「旦那様とお揃いが良いです」と言ってのける肝に気圧され、俺は折れた。だって、悪い気はしない。数枚の書類に俺の名義で署名し、ナイロン製のホルスターと替えの弾倉数本を購入して、日の浅いアベックは店を去った。銃規制の厳しいこの島国にて、何故にこうも円滑に購入処理を済ませられるか?文民は時として鋭い。が、そこは軍人の一角のみが知り得る機密としか、我々に公表する権限はない。


 真新しい拳銃を携え、その足で付近の屋外射撃場へ赴く。受付で気だるそうにしている男性に、利用時間と使用するレーンを申告して代金を支払うと、サービスで数発の弾薬を貰えた。意図せぬ色仕掛けが働いているとはいえ、ありがたい計らいである。

 風土に似つかわしからぬ乾燥した気候の下、射撃に勤しむ先客はまばらであった。受付で指定したレーンに荷物を広げ、弾倉に錆の浮いた弾薬を込める。慣れたもので、ブリジットはローダー(弾倉に弾薬を込める器具)でばちばちと鉄塊を流し込んでいった。装弾の終わった弾倉を何本か用意して、小さな弟子は十メーター先に置かれた、人の上半身を模した鋼鉄の標的へ視線を据える。日除けに被る〈トリジコン〉のキャップから延びる髪が、西からの微風になびく。何の指示も要らない。彼女は箱出しのP228を弄くり、軽く分解して部品の噛み合わせを確かめると、スライドなど数箇所にオイルを吹き付けた。跳ねた余分なオイルが、外装でぎらついている。確認事項を全て済ませると、いよいよイヤーマフを装備して実射に臨む。旦那は、手持ち無沙汰に様子を見守るのみだ。イヤーマフ越しに鉄の擦れ合う金切り声、初弾が薬室へ押し込められる。両足を肩幅に開き、小さな兵士は真正面から標的に向き合う。落ち着いて狙いを定め、引き鉄に指が添えられる。足許の芝が、涼風にざわめいた。一拍置いて、炸裂と金属の嬌声。一度ならず、三つ連続してそれが発せられる。波打つ木霊が過ぎ去るのも待たず、ブリジットはP228のデコッキング・レバー(撃鉄を安全に落とす装置)を下ろして仮のセイフティを掛け、腰に装着したホルスターへと銃を収めた。緊張の瞬間である。二人して標的に近付いて結果を見ると、三発の弾丸その全てが、標的の胸部分に凹みを穿っていた。彼女がクラプトンのホテルで射撃を教わったが七月の末、今日が八月の最終週であるから、一箇月と経たない内に近距離の敵を一瞬で、しかも確実に無力化する術を修得した事になる。……こいつは危険だ。ひょっとすると、いつかロシアだかイスラエルに工作員としてヘッドハントが掛かるやもしれない。それ程に有用で難儀な技術を、彼女はこの色情を誘うか弱げな身に備えたのである。

「凄いですねこの銃!狙った通りに弾が飛びます!」

 興奮に尻尾を振るのは可愛いが、狙った箇所に弾丸が命中するのは即ち、正確な照準を置き、その上で狙いがずれない様に引き鉄を扱う前提が必須である。言うは易しで、これを拳銃で連続してやるのは相当にハードルが高い。熟練警官の御業を無自覚にやってのける恋人に、内心ちびりそうだった。この先、この子はどこまで伸びるか。末恐ろしさと共に、その発展を見届けたい衝動が背反しながらも萌芽する。恋人が聞き分けの良い門弟というのは、中々どうして気分がいい。

 ブリジットは貪欲に新たな射撃技術を吸収し、単なる雑用女中に収まらぬ戦闘技能を備えてゆく。基本のダブルタップは言わずもがな、五十メーターの距離で拳銃弾を命中させ、迅速な弾倉の交換や、動作不良への対応もそつなくこなした。合図を出せば、二秒を要さずににホルスターから銃を抜き、敵の心臓へ鉛の雨を喰らわせる。その狙いは限りなく精確で、人間大の標的であれば仕損じはない。このままいけば、あの冷血ニーナさえ打倒し得るお手伝いさんが降誕するのでは。腹の奥底でほくそ笑みつつ、俺は未熟な門下生の育成に努めた。欲を言えば、こんな民間のお遊戯会場でなく、我々の基地の設備を用いてやりたかった。

 昼時も仕舞いに差し掛かる頃。その矮躯に過剰な殺人術を会得したメイドと、彼女の射撃中ずっとローダーを弄っていた所為で指を腫らした俺は帰路に就いた。車中でもブリジットは弾を抜いた銃を弄くり回し、その意匠を眺めては嘆息を発した。ちくしょう、無機質な鉄塊が妬ましい。


 自分の銃を手に入れてからというもの、ブリジットは俺が仕事に家を空ける間に、地下室で眠らせていたミシンで作業に没頭した。軍需品ブランドから分厚いナイロン生地やバックルを取り寄せ、個人の体型に合うホルスターを自作しているのだ。製作開始から一日で内腿に装着するタイプ――こりゃあ、男は使えん――が完成した。どうやら、日常的に銃を携行する腹づもりらしい。出来上がりは剛性に富んでおり、使用感も快適性が損なわれない創意工夫が施されていた。装着位置がずり落ちない様、固定に腰から吊り下げる為のベルトが付属している。贔屓目も入っているが、このまま量産してひと稼ぎ出来る品質だ。たかが一個人のメイドにしておくには勿体ない。俺の分も作ろうかと提案を受けたので、時間があればお願いしたいと返したところ、翌日には出来たてのヒップホルスターが、ダイニングテーブルに鎮座していた。なあんて仕事が早いんだ。オリーブドラブ色のそれを早速パンツベルトに通してみると、良い具合に腰後ろへ収まってくれる。愛用のP226を突っ込んでみると、相当に凝った作りであるのが窺えた。生地の内に板バネが仕込まれており、ナイロンでありながら強力に銃を保持してくれるのだ。脱落防止のストラップは磁石で留まっているので、銃を抜く際は単にグリップを引き上げればいい。趣味の範疇とは思えぬ、実戦に即した設計だ。主人の感嘆に、可愛い職人が小さな胸を張っていた。


 それからも暖かな気候が続き、基地から緊急の召集もない、平和な日々が送られていた。朝方に恋人の油断しきった寝顔を素っ裸で拝み、職場で自分と観点を一にする同僚と克己に励む。手入れの行き届いた家へ帰れば、優しいメイドさんが色々とよくしてくれる。時として兄弟や同僚に自宅を襲撃され、ビールをやりながらくっちゃべる。全てが終わってベッドに潜る頃には、眠っていた本能が情欲のままに互いを貪り、そしてまた心地よい朝が訪れる。これこそ、物言わぬ心が待ち望んだ暮らしであった。

 ――だからであろうか。九月の来訪と時を同じく忍び寄る陰の存在を、俺は看過してしまった。

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