奴隷邂逅【9-3】

 七面鳥が男共に身包みを剥がされて骨の躯となった頃、我々は訓練を再開した。まずは座学で、これには皆が不満を表した。不平を叫ばれるのは予測済みだが、避けて通る訳にもいかないのがお勉強である。昨今の我々の主戦場が、中東や中央アジアに集中している現実は変わらない。現地の知識や文化を大雑把にでも囓っていれば、仕事が円滑に……もっと言えば、余計な雑務を招かずに済むのである。皆、本を読もう!

 こちらとて、何も嗜虐心のみで教鞭を振るう痴れ者ではない。PSC職員で、兵営時代に実戦経験を積んだ兵士は少なくない。それでも、実際に敵と対峙して同族殺しを経験している者は少数だ。動物は本能的に、同胞を殺せない。S.L.A.マーシャル大先生によれば、第二次大戦中に積極的に敵を狙って発砲していたのは、全体の十五パーセントであった。この率は続くベトナム戦争で抜本的に改善されるが、それは置いておこう。

 動物は同族に殺されるより、同族を殺す行為を厭う。自然界において、動物は縄張り争いで相手の命までは奪わない。オスのライオンの様な例外は存在するものの、他のオスの子供を同族でないと仮定すれば話は通る。外敵は別種である事を前提としたプログラムは、同種の生殺与奪に関しては無数のバグを生じるのだ。この遺伝子に刻まれた拘束を反復演習で外し得る動物こそが、他ならぬ人間である。感情の介在する暇なく、身体が前脳の律を離れて自動操縦で動くまでになれば、味方と自分が敵の凶弾に斃れる確率は格段に小さくなる。

 この様に神の設計に反する人間だが、生命が脅かされる程のストレスに晒されると、不可思議な反応群が生じる。銃撃戦で極度の緊張下に置かれた際、音が全く聞こえなくなったり、逆に馬鹿に大きく聞こえるといった実例は数多い。視界が急に狭まって、時間の流れが遅く感じられる等の症例もある。先の銀行強盗で奴隷を射殺する間際、俺も類似した感覚に支配された。この反応を、一部の心理学では選択的聴覚抑制とかトンネル視野と呼んでいるが、多くの軍人は自身を襲い得る精神異常の存在にすら関心がない。今日を以てこの症状の根本原因は判明していないが、生命維持に余計な機能を停止する事で、肉体に窮地を乗り切らせる為の防御反応という説が強い。大小失禁はその最たる例だ。走って叫んでぶっ放すのに、膀胱の緊張へ回す余力はない。

 この厄介な生理反応を、意図的な行使とまでいかずとも、ある程度の耐性を生む術がある。耐性と断っている辺り当然だが、要は慣れればいいのだ。前述の精神異常をきたしても――たとえ銃撃戦でうんこを漏らしたって、それが極めて正常な反応であると事前に知っていれば、勝手に心が折れて戦闘不能に陥ったりはしない。

 精神異常は、戦闘後にも起こり得る。これは特に敵をその手で殺傷した兵士に多く見られるが、殺害直後は奇妙な高揚や正義感を覚えたりする。これはひとえに脳内で暴れるアドレナリンの影響であり、時間の経過で麻薬が分解された途端に、精神の揺り戻しが生じる。不謹慎な歓喜に沸いた自己を嫌悪し、落命した敵兵を夢に見、いわゆるPTSDを発症する。この場合は系統だった思考のままならない本人に代わり、同僚がこの分野の知識を有しているかで状況は大きく変わる。同族殺しが極めて正当な理由に基づいており、その行動に仲間が救われた事実を冷静に伝えられるか如何が、患者の治療経過を左右する。

 と、口下手ながらに同期の経験を例に挙げて柄にもなく熱弁したのだが、受講生の八割方は上の空で鉛筆を噛んでいた。ジェイクに至っては開始五分でトイレに立ったまま、とうとう戻ってこなかった。どいつもこいつも、この後の夜間訓練しか頭にないらしい。教室の隅では、資料配付等を手伝ってくれたブリジットが、小難しい表情で教材を読み耽っていた。……それ、面白いか?


 ほの暗くなった野外では、夜間視力がものを言う。一般に、人間の眼は周囲が暗い時は近くの物体が遠くに見え、遠くの物体はその逆になる。これが往々にして着弾点の誤りに繋がる為、夜間戦闘は視覚でなく習熟した直感に頼らねばならない。とはいえ、物資の潤沢な先進国では暗視装置が歩兵レベルにまで行き渡っているので、夜間視力を鍛える必要性はさしてないのだが……。

 夜戦訓練は、兄弟が合同で行った。三十人超の受講生が、合図で一斉に標的へ発砲を開始する。陽が完全に沈めば、銃に装着したライトを点灯させての射撃を行う。大出力の光源に晒された標的に穴が穿たれ、木片が飛び散る。受講生は日中と同じく銃を抱えて走り、伏せ、標的を撃ち倒した。闇の中で発砲炎が瞬き、網膜に緑や紫の靄を焼き付ける。硝煙の臭い――正確には雷管が燃えた異臭が充満し、鼻孔を刺す。統率された動作は敵を圧倒し、士気を挫く。彼らは我々の技巧の片鱗を、確かに受け継いだ筈であった。

 時刻が二十時を回り、本日の訓練課程が滞りなく終了した。各自の表情に疲弊の色がありありと見られ、自分も胸元から上る体臭がきつい。さっさと叔父の経営するホテルへ向かいたかった。だからと、一日を通して働いた銃をそのままにもしてはおけない。ロッジに戻ったら、まずは炭素の残渣にまみれた銃の整備に取り掛からねばなるまい。

 銃の弾倉を外して抜弾し、ドラム缶の内の砂へ向けて引き鉄に指を掛ける。万一の事故を避けての配慮だ。撃鉄が雷管を叩こうとして、拍子抜けな打撃音が木霊する。その後方で、発射薬の炸裂が起こった。誰かまだアドレナリンの燃え切らない野郎が、標的へ最後の一発を見舞ったのやもしれない。その読みが、一弾子に覆された。鼓膜をつんざくおぞましい咆哮に、背筋が粟立った。ざわめきと嬌声が跳ね回り、すわ何事かと方々でライトが音の出所を探る。やがて数本の光芒が集った先には、懸念していたにもかかわらず回避の叶わなかった惨状が横たわっていた。

 ジェイクが、片足を抱えて地面に身悶えていた。芝に点々と鮮血が散り、その近くに空薬莢が輝いている。この野郎、自分の足を撃ち抜きやがった。呆気に取られ棒立ちする連中を掻き分け、馬鹿野郎の許へ屈み込む。大の男が叫びとも呻きとも取れる音を喉から発し、身を折っては海老反って蠢く。ジーンズとスエードのブーツが赤黒く汚れ、常人であれば見るに堪えない有様だ。ジェイクの顔から一メーターほどの地面に、千切れた肉と骨片が転がっていた。ちくしょう、足の指だ。大きさから鑑みるに、親指かもしれない。

 現状で最も懸念されるのは、大腿動脈からの大量出血による失血死だ。雑菌による感染症はともかく、二リットルの失血で人間は呆気なく死に至る。近くで狼狽えていたランディに病院への連絡を命じ、身悶えるジェイクの戦闘ベストをまさぐる。現代の兵士は、必ず応急処置キットを装備している。それはPSCも同様だ。味方の誰かが負傷した場合は自分の応急処置キットではなく、負傷者の装備を使う。目印のプリントなり刺繍を探していると、右の脇腹に赤十字をあしらったポーチが見付かった。ジッパーを全開してポーチを開き、絶句した。止血帯や圧縮包帯がある筈の中身は、煙草と不審な錠剤だけだった。

 悪態を漏らしつつ、自分のナイロンの止血帯で大腿部を縛り、止血剤が染みたガーゼの包みに手を掛ける。付着した血で指が滑り、ビニールの封が切れない。歯で噛み切るのも感染症の恐れから躊躇され、苛立ちも露わにナイフを取り出した時だ。こちらへ駆け寄ってくる、小さな足音。額の汗を散らせて振り向いた先に、肩で息をするブリジットの姿があった。くそったれ、恨むぞ神様。

「止せ、見るな!」

 制止の甲斐なく、ブリジットが俺の隣に膝を突く。その肩に、医療道具の詰まったバッグが担がれていた。

「私は何をすれば?」

 本音を言えば、こんな血みどろの災厄など見せたくない。さっさとロッジに戻ってニーナでも呼んできて欲しいが、今やニートの手も借りたい状況だ。少し離れた所で、本職の衛生兵たるヴェストが系統だった指示を飛ばしていた。救急車は呼んだか。弾は抜けているか。あとどれくらいで救急車は来るのか。さっきまで溌剌としていた受講生は、てんで統率を失っていた。落伍者の頭を一つずつ引っぱたいて、活を入れている余裕はない。正気を保っているチャックに救急車の手配を問いただし、自分はずたずたの肉を分けて患部を窺った。どうやら貫通銃創らしい。鉛害による感染症併発は、ひとまず避けられたと考えていい。脂肪と混じった肉片で、患部は不気味なピンクに染まっていた。やっとで取り出したガーゼを宛がうも、損傷が多き過ぎる。

 ヴェストはブリジットとバッグを漁り、各種点滴とレトルト食品のパウチに似た物体を取り出した。兄貴が手際良く点滴を血管に通す最中、渡されたパウチの扱いにブリジットが戸惑う。引ったくって自分で使えばいいのに、何を血迷ったか、俺は使用法を手振りで伝えていた。アウトドア用品店で扱っている〈セロックス〉は最新の粉末包帯で、高い止血能力を誇る。患部にこのプロテインめいた白い粉末を振り掛けると、血液中の水分が吸収されて血小板濃度が上昇、止血効果が高まる。既に戦場においても性能を実証済みの一品だ。ブリジットが粉末をグロテスクな患部に振り掛けるや、赤色を吸った粉末が出血を阻止する。中身を全て散布したところで、圧縮包帯の封を切る。調教施設で簡単な医療行為も教わったのだろう、彼女は迷いなく足首に包帯を巻き付けた。その間の俺はジェイクの脈を測り、大声で呼び掛けて意識を保たせるくらいしか、やる事がなかった。

 応急処置から間もなく、遠くから救急車の雄叫びが届く。それから一分後には救急隊員が間抜けを担架で連れ去り、救急車は去った。ありがたい事に、チャックは進んで付き添いを申し出、指と骨の〈ジップロック〉を手に救急車に同乗した。

 嵐が去ると、今程まで無秩序に身を任せていた受講生らは、一様にそそくさと場を後にした。夕刻の座学でも、状況を想定した訓練が重要と申し上げたのだが、どうも口下手が祟って大多数に伝わっていなかったらしい。両腕の血が、乾き始める。――馬鹿なやつ。単純な安全管理さえしていれば、次の職を見付る羽目は喰わなかったのに。セイフティを掛けず、抜弾を怠り、銃口を自身に向け、そして必要もないのに引き鉄に触れた。慢心がもたらす惰性に、五体満足の生活を奪われる危機に瀕したジェイク。お前さんのお陰で、今回の受講生は、火器の取り扱いに尚更留意するだろう。遠ざかるサイレンの残響の中、自分の手も拭かずに、ブリジットがペーパータオルを差し出してくれた。

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