第二章 ベビーカステラと撫子・後編

 道を南下し、商店街の北にある建物に差し掛かると雷五郎は懐から鍵を取り出す。

「外は人が多いし、とりあえず此処で休もうか。食べ物も結構買い込んだし」

 彼は緑の文字で『伊勢ノ海不動産』と書かれた白い建物を指差す。

「いっちゃん家って不動産屋だったんだね。お店に入ってもいいの?」

 文奈が建物を見上げている間に雷五郎はガラス張りの入り口の鍵を開ける。

「いいよ。あんまり汚すと怒られるけど」

 彼は首を縦に振ると開き戸を開け、電気を点ける。


 カウンターに椅子が並べられているような従来の不動産屋の内装ではなく、店内はカフェのようにテーブルと椅子が並べられている。言われないと不動産屋だと分からないようなレイアウトだ。彼は食べ物が入ったビニール袋を店の奥にあるローテーブルに置くと革張りのソファーに腰を下ろす。

「文奈も座っていいよ」

 彼は自分の隣の座面を軽く叩く。彼女が座ると彼はビニール袋から食べ物が入ったパックを取り出す。ソースの匂いが食欲を唆る。

 机上に広げられた食べ物を見回した後、彼は爪楊枝をたこ焼きに差すと口に運ぶ。外はかりかりしていて、中は柔らかい。たこの歯応えもいい。


 お好み焼きを食べながら文奈はたこ焼きを頬張る雷五郎を見詰めている。

「いっちゃんっていつも美味しそうにご飯を食べるよね」

 雷五郎は無言で頷くと恥ずかしそうに俯いてしまう。


 お互い黙ったまま食事を進めていく。屋外の賑わいとは対照的にほぼ無音の空間。醤油が香ばしい焼きとうもろこしにかぶり付きながらこれでは不味いと思い、雷五郎は慌てて話題を考える。

「後でスマートボールをやりに行きたいんだけどいい?」

 雷五郎は夏祭りでは決まってスマートボール屋に行くと決めている。

「いいよ! 食べ終わったら行こう」

 文奈は爪楊枝に刺さったたこ焼きを持ち上げながら答える。そして、熱そうにたこ焼きを食べる。

 塩がよく効いたフライドポテトを雷五郎が完食すると大量に買い込んだ食べ物は全て無くなってしまった。


「よし、行くか」

 彼はゴミを片付けるとソファーから立ち上がる。


 温泉街の昭和の雰囲気が漂う通りにスマートボール専門店はあった。雷五郎にとっては馴染みの店だが、文奈は物珍しそうに店内を見回している。年配から若者まで幅広い年齢層の客が遊戯を楽しんでいた。


 雷五郎が台に百円を投入すると文奈も見よう見真似で百円を入れる。すると二十五個の青い透明なガラス玉がぶつかり合いながらガラス板の上を転がる。雷五郎は玉同士がぶつかるこの音が好きだ。レバーを引き、盤上の穴を狙ってレバーを放す。穴に玉が入り、新しい玉が出てくる。

「いっちゃん、凄い!」

 新しい玉が転がってくる度に文奈が褒めてくれる。雷五郎は誇らしい気持ちになる。

 ガラス板の上が玉でいっぱいになってくると箱に玉を移す。

「見て、見て!」

 なかなか穴に玉を入れられなかった文奈も漸く当たり、子供のようにはしゃいで喜んでいる。そんな彼女に雷五郎は心が惹かれる。


 足元に目をやり、箱いっぱいに貯まったガラス玉を確認すると雷五郎は景品と交換してもらう。店員のおばさんからお菓子を受け取るとそれを抱えて店を出る。

「これ、あげる」

 雷五郎は隣を歩く文奈にチョコレート菓子を差し出す。

「あ、ありがとう」

 彼女はチョコレートを見て目を見開きながら彼を見上げる。白い指でその箱を受け取った時、雷五郎の指と触れ合う。それと同時に彼の鼓動が少し速くなる。雷五郎は恥ずかしそうに俯きながら提灯と屋台の照明に照らされた夜道を歩く。


「待って!」

 文奈は下駄を鳴らしながら雷五郎に駆け寄って彼の浴衣の袖を掴む。

「ご、ごめん」

 彼は慌てて振り返って頭を下げる。うっかりしていた。文奈は怒る代わりに彼の手を掴む。


 それから二人はかき氷を買って伊勢ノ海不動産に戻る。

 雷五郎はかき氷を食べる時、味はいつも苺練乳と決めている。文奈も同じだと知った時、親近感が湧いた。羽毛のような白いかき氷と苺のシロップのグラデーションが美しい。スプーンストローで氷を掬い上げ、口に運ぶとシロップと練乳の甘い味が口いっぱいに広がる。しかし、氷は雪のようにすぐに溶けてしまう。冷たい氷が熱い体を冷やしてくれる。

「ちょっとベビーカステラ買って来る」

 雷五郎はかき氷を食べ終えるとソファーから立ち上がると店から出て行く。


 彼の記憶ではベビーカステラの屋台は不動産屋の近くにあった筈だと思い、雑踏の中を歩く。


「いっちゃん!」

 すると背後から彼の名を呼ぶ声がした。雷五郎が振り返ると息を切らしている靜也の姿があった。靜也の表情からは焦りが感じられる。

「どうしたんだ?」


 靜也曰く一緒に回っていた従兄弟が居なくなってしまったらしい。

「いっちゃん、何処かで見てない?」

 助けを求めるような目で靜也は雷五郎を見詰める。雷五郎は首を横に振る。

「迷子センターには行った?」

 靜也は不安げな顔で首肯する。

「俺も探すの手伝う」

 雷五郎は放っておけなかった。

「ありがとう。じゃあ、商店街の方を頼むよ。俺は温泉街の方に行くから!」

 雷五郎は南に靜也は北に向かって駆けていく。


 人混みの中から子供を探すのは簡単ではない。雷五郎は顔見知りと擦れ違う度に靜也の従兄弟を見ていないか尋ねる。しかし目撃情報は得られない。

「おじさん、甚平を着た背がこのくらいの男の子見ませんでしたか?」

 雷五郎はすずらんの店主を見付けると声を掛け、掌を腰の高さに持ってくる。おじさんは数秒考えた後、思い出したように話す。

「そういえばさっきあっちの方にそんな男の子が居たような……」

 おじさんは商店街の南の方を指差している。

「ありがとうございます!」

 雷五郎は礼を言うと南に向かって走り出す。浴衣姿で行き交う人々を避けて走るのは容易い事ではない。


 昼と錯覚してしまうような明るいアーケード街を駆ける。するとリンゴ飴の屋台の側を泣きそうな顔で歩いている男の子が雷五郎の視界に入る。雷五郎は男の子に歩み寄るとしゃがみ込み、安堵の表情で彼の頭を撫でる。

「靜也が探してたぞ。靜也の所に戻ろう」

 雷五郎の問い掛けに男の子は無言で頷く。曇天のような顔は晴天のような顔に変わっていた。靜也にはぐれないように男の子と手を繋ぐ。


 靜也にメールをするために懐から携帯電話を取り出すと着信が五件ある事に気付く。文奈からの着信だった。男の子を探すのに夢中になっていて彼女の事を忘れていた。

 雷五郎は慌てて文奈に電話を掛ける。放置していたせいで嫌われてしまうかもしれないとう不安が彼の脳内を支配する。この人混みの中で電波は不安定だったが、辛うじて繋がる。

「文奈、遅くなってごめん!」

 彼は真っ先に謝る。

「何処に居るの?」

 文奈は怒る事はしなかった。賑わっている商店街の中ではスピーカーの音声は聞こえ辛いが、何とか彼女の声を聞き取る。

「商店街。靜也の従兄弟が迷子になってたから探すのを手伝ってたんだ。さっき見付かったからすぐにそっちに戻る。本当にごめん」

 大きめの声で彼女に言うと電話を切る。


 今度は靜也に連絡を入れると彼の元に行き、男の子を引き渡す。

「ありがとう、いっちゃん」

 靜也は男の子を抱きかかえると雷五郎に感謝する。

「お礼は?」

 靜也に言われて男の子は笑顔を雷五郎に向ける。

「ありがとう」

 ちゃんと礼を言えた男の子の頭を撫でながら靜也は首を傾げる。

「そういえば真野ちゃんは?」

 雷五郎は苦笑いをする。

「待たせたままだった……。ごめん、俺もう行くわ」

 彼は両手を会わせると靜也の前から走り去る。


「文奈、本当にごめん!」

 不動産屋に戻って来た雷五郎は肩で息をしていた。

「これ、あげるから」

 彼はベビーカステラを彼女に差し出す。袋はぼろぼろになっている。急いでいても食べ物は忘れずに買ってくるのが雷五郎だ。


「もう、心配したんだから」

 彼女は拗ねたように袋を受け取るとローテーブルに置く。しかし、すぐに機嫌を治したので雷五郎は安心する。

「私も小さい頃はよく迷子になってた」

 苦笑しながら彼女は雷五郎の方に体を向ける。

「いっちゃん、はだけてる……」

 ずっと走っていたため彼の浴衣は少しはだけていた。彼女に指摘されると彼は慌てて後ろを振り向き、直す。


 その後、ソファーに並んで座った二人はベビーカステラを食べる。

「此処から花火って見られるの?」

 不意に彼女はソファーに置かれていた雷五郎の手に自分のそれを重ねる。

「建物が邪魔になって多分、見られないな」

 彼は首を横に振ると彼女の手を掴んで立ち上がる。

「花火が良く見える場所があるんだ。文奈もよく知ってる場所。其処に行こう」


 雷五郎と文奈がやって来た場所は大学構内だ。この時間帯は人気が無く、闇に包まれている。雷五郎は構内に架かっている石橋に文奈を連れて来た。この時期に撫子の花が中州に咲いている事から撫子橋という愛称で親しまれている。構内を縦断するように流れている川に架けられたこの橋は二人にとって大切な場所だ。


 この場所なら誰にも邪魔されずに花火を見る事が出来る。

「穴場なんだ」

 雷五郎は得意気に言うと欄干にもたれる。彼女の手を握る左手は汗ばんでいる。

「あのさ……」

「何?」

 やっぱり言う事をやめようと思い、彼は首を横に振る。彼には勇気が無い。

「何でも無い」


 すると空が突然明るくなる。それに少し遅れて轟音が響く。文奈は鮮やかな夜空を見上げる。彼女の瞳は光を映している。

 雷五郎も空を彩る花火を見詰める。そして、水面に映る光に視線を向ける。水の流れに合わせて光が揺れる。

 彼は花火に夢中の彼女の柔らかそうな唇を見た。決意をした彼は文奈に顔を近付ける。目を閉じると口付けを交わす。しかし、照れ臭くてすぐに離してしまう。彼女と目を合わせる事が出来ずに石橋をぼんやりと見ているだけだ。灰色の橋は時より花火の光を反射して黄色に輝いている。

 ずっと下を向いているのは勿体無いと思い、顔を上げる。その時に文奈の顔を一瞬見る。彼女の頬は紅く染まっている。


 最後に幾つもの花火が打ち上がると夏祭りは終わりを迎える。文奈は煙で灰色に曇った空から視線を外すと寂しそうな表情で雷五郎を見上げる。

「終わっちゃったね……」

 雷五郎は文奈の手をそっと握る。

「また来年来ればいいよ」


 二人は構内を後にする。大通りは人でごった返しているのでなるべく脇道を通って文奈を自宅まで送り届ける。

「じゃあね!」

 彼女の白い手が揺れる。名残惜しいが、いつまでも此処には居られない。繋いでいる方の手をゆっくり離すと彼も手を振り彼女と別れる。

 汗ばんでいた手も彼女との距離が離れるに連れて乾いてくる。それと同時に彼女の体温も失われていく。

 涼しい夜風を感じながら彼は下駄を鳴らす。少しずつ夏の終わりは近付いていた。




 第二章まで読んで頂き、ありがとうございました。

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