14 トロルでもわかるダンジョン攻略

 木のトンネルと言えば聞こえはいいが、一歩でも踏み外せば深淵へ真っ逆さま。

 下を見れば白く広大な雲海があり、遠いのか近いのか分からなくなる。

 ざらついた木の幹に手を掛けながら慎重に足を置いていく。


 下を見ながら歩いていたら、視界の脇に地面があるのに気づいた。

 地面の方に顔を向けると、鬱蒼とした森が僕たちを待ち構えている。

 その大地へ足を踏み入れたら、自ずと背筋が伸びた。


 後ろから軽快に「よっ、よっ」と木の雲梯を渡るナヴィの声が聞こえる。

 どうやら全員が木を渡ったのを見て、一気に渡ったらしい。

 4人の仲間と順番に目を合わせ、僕は指ぬきグローブの結び目を強く縛った。


 カナリーは小型盾を腕に取り付け、ナヴィはスリングショットを取り出す。

 ルルカは長剣を手に、他の全員の装備を見てため息をついた。


「皆さん、見事に後衛職のサブ武器ですね……」


 僕のグローブは魔術のサポートに使うガントレットだ。

 カナリーの小型盾は瀕死の仲間をかばいながら、治癒を行うためのもの。

 ナヴィのスリングショットは投擲用の武器で治癒の刻印石も撃てる。


「プラシアさんは何か武器とか持ってるのですか?」


 ルルカはやや警戒しながらプラシアに声をかける。

 プラシアはキョトンとしながら、ニッと歯を見せた。

 人間では犬歯のあるところに、ちょっと大きめ犬歯がある。


「ええと、牙があるってことですか?」


 ルルカが訊くと、コクコクとうなずく。

 僕たちが戦おうとしているのは男の腕に穴を空けるようなモンスターだ。


「ルルカ、僕としてはプラシアを戦わせたくないんだ」


 僕の一言にルルカはあきらめてうなずき、森の奥へ視線を移した。

 さて、久々のクエストはなかなか大変だぞ。

 要約するとこんな感じだ。


 1.プラシアを守りながら、

 2.トレントから銘木を手に入れて、

 3.無事に帰還する


 前衛のルルカを先頭に僕らは森の中へ足を踏み入れた。


 湿った空間は樹液や新芽といった生命の匂いが充満している。

 ねじれた木々が僕らの行く先々を阻み、どこかに誘導しているようだった。

 プラシアと出会ったあの森とは異なり、荒々しい自然を剥き出しにした森だ。


 まだ昼間だというのに森の中は日が沈んですぐの夜のように薄暗い。

 どこからともなく緊張感が伝わって、僕らは次第に口数が少なくなる。


 警戒する僕の背中に、つん、と何かが当たった。

 反射的に振り向くとプラシアが僕の挙動に驚いた顔をしている。

 プラシアは頬を赤く染めて、人差し指をおずおずと背中の後ろに隠した。


「ご、ごめん。何かあったの?」


「えっとー……、近く、なにか いる?」


「わかるの?」


 コクコク。

 プラシアは胸の晶石に手を当てて、まぶたを閉じる。

 僕から見て右へ指をさした。


 重なり合う木々でその先へ進めないが、木々の向こうはやや拓けているようだ。

 ただ僕には陽だまりの原っぱが見えるだけだった。

 プラシアの後ろからナヴィが身を乗り出し、木々の向こうに目を凝らす。


「……大木がある。他の木と違って、ねじれたりしていないようだ」


「もしかしてそれがトレントでありますか?」


「どうだろうな、俺はトレントを見たことがない」


「あ、あれ? 皆さん、立ち止まって何してるんですか!」


 先へ行っていたルルカが心細そうに拳を握って難色を示す。

 団体で歩いていて、後ろの人達が付いてこなかったらたしかにそうなるな。

 僕は小走りでルルカに駆け寄って、申し訳ないと手刀を切った。


 ちょうどルルカの立っていた位置は分かれ道の手前のようだ。

 他の3人も僕に追随したのを確認し、ルルカは剣を仕舞って話を切り出す。


「立ち止まる時は一声お願いしますよ……。で、どちらへ進みますか?」


 ルルカは肩をすくめて僕たちを批難しつつ、行き先を尋ねた。

 道は真っ直ぐの道と左へ曲がる道に分かれている。

 できれば拓けた土地へ行けそうな右の道があれば良かったんだけどな。


 空を仰ぐが、見えるのは生い茂る葉だけだ。

 今までは僕の身長の倍くらいの高さで葉っぱの天井が続いていた。

 真っ直ぐの道は天井が少しだけ低くなっていた。


「僕は左の道へ一票」


 プラシアが首肯し、他も頷いた。全員一致で左の道を行くと決まる。

 今まで足場の良くない道を行っていたが、ここからは歩きやすい土の上だ。

 もしかすると軍の整備した正規の道に出たのかもしれない。


 逆に言えば入口に戻っているという可能性があった。

 少しだけ道幅が広くなり、木漏れ日が差し込む。


「やっぱり入口に戻ってるのか?」


「中尉、自分も同じことを考えていました。たぶんそうですよね……」


 心配する僕とルルカにカナリーが割って入る。


「仮にそうだとしても綺麗な小道であります! 私は散策したいです」


 彼女の一声で僕らは先を行く。次第に道が広くなり、日の当たる場所に出た。

 中心には大きくずんぐりとした丸い岩がうまいバランスで立っている。

 広場の脇には丸太が積まれていた。きのこが生えるほど放置されていたらしい。


 直立する丸い岩を回り込んで後ろへ行くと、道はここで途切れている。

 広場から獣道はいくつも伸びているが、人が行くには難儀しそうだ。

 予想通りの展開に肩を落とし、仲間に声をかけ、


「仕方ない。さっきの道まで戻、おっ……」と僕は話の途中で言葉を失い、


「きゃっ」とルルカが短い悲鳴をあげ、


「ひゃ」とカナリーが息を呑む。


「お前ら何を驚いてるんだ? ただの岩だろ」


 ナヴィが呆れた様子で岩の“足”をはたく。


 大きく丸い岩だと思いこんでいたそれは巨大な体躯のモンスターの石像だ。


「中尉、こ、これは……」


「僕たちには馴染み深いモンスターだねぇ」


 おそるおそる尋ねたルルカに僕は暗示を掛けるように落ち着き払って答えた。

 カナリーはすでに小型盾を構えて戦闘態勢に入っている。

 さすがカナリー、軍の対モンスター訓練で身体に染み付いた動きなのだろう。


「カナリー看護官、ナヴィに説明してやってくれ」


 了解であります、と言葉だけで短く返事をして、ナヴィの名を呼ぶ。


「そのモンスターは『トロル』であります!」


「トロルって、『トロルでもわかる冒険者入門』のトロル?」


 少なくとも僕とナヴィが師匠と旅していた頃にトロルとは出くわしていない。

 理由は明白で、彼らは神話の時代、人間にほとんど狩り尽くされたからだ。


「トロルは危険なモンスターであります! なぜなら」


 僕の首筋に悪寒が走った。いや、実際に寒さを感じたのだ。

 それもそのはず、空を仰ぐと分厚い雲が太陽を覆い隠していた。


「ブオオ……」


 荒い鼻息がトロルの石像から鳴る。


「日差しがないところで、トロルは活性化するのであります!」


 頭の先から灰色の石面がじわじわと緑色の肌に変わっていく。

 ナヴィは充分に警戒しながら、ルルカよりも後ろに戻ってきた。

 ルルカは剣を鞘から抜いて構えると、トロルの首が動いて僕たちを捕捉する。


「ブオオオオオ‼」




 トロルは私たち冒険者にとって大航空時代を象徴するモンスターだ。

 魔晶石をはじめに発見した記念すべきモンスターであると同時に、本書のタイトルにも使ったトロルは、暗がりで出くわしたら最悪のモンスターである。

                    ――『トロルでもわかる冒険者入門』

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