05 プラシアの日々

 空を飛ぶための掟は3つだけ。


 1、翼を誰かのために使ってはならない。

 2、空を他人から奪ってはならない。

 3、落ちた翼を追ってはならない。


 これに村の掟を加えると全部で……いくつになるのでしょうか。

 指折り数えているから足りなくなるのでしょうね。

 木漏れ日が揺れる大木で羽を休める少女は、むむ、と唸りました。


 父と亡き母から受け継いだ青い髪。髪飾りは母の形見です。


「プラシア! ちょっと来ておくれ!」


 祖母の声が木の上まで響いてきます。


「いま行く!」


 プラシアは太い枝の上に立ち上がり、両手を広げました。

 上衣の丈が足元まですっぽり覆い、健康的な身体のラインを出しています。


 追い風で腰骨にかかるほど深いスリットから肌色が見え、

 地面に向かって真っ逆さまに落ちるではありませんか。


 ぶつかる、と思った次の瞬間、少女の背中から青い大きな翼が広がりました。

 翼の下に空気が渦巻いて、プラシアの身体ごと浮き上がります。


 緑豊かな森。清らかな水。優しい村人たち。平和な村。穏やかな毎日。


 それがプラシアのすべてでした。

 滑空して高床式の民家に降り立ち、戸口から入ります。


「ばあちゃん! 何かあるなら鈴を鳴らしてって言ったでしょう?」


 桁から下がった紐を引くと、リンリンリンと軒先で音がしました。


「呼んでも鳴らしても一緒じゃろうが!」


 布団にあぐらをかいて座る老婆が空の盃を振ります。

 老婆の背中にも青い翼がありました。と言ってもボロボロですが。


「一緒じゃない! みんな私に手を振るんだよ? 恥ずかしいったらないわ!」


 頬を朱に染めてぷんすか怒りながら、盃を受け取りました。

 酒樽を開けると、ふわ、と酒の良い香りがします。

 頬が緩みました。どうやらプラシアは酒に弱いようです。


 我に返ったプラシアは酒を銚子に移し、祖母の盃に注ぎます。


「おい! 誰か広場に来てくれ! 地の人が来たぞ!」


 表から男の声がしました。室内にいた二人は声のした方を見ます。

 プラシアは祖母と顔を合わせました。

 祖母が顔を横に振りましたが、プラシアは顔を横に振った後、広場へ走ります。


 広場は井戸を中心とした会議場でもあり、すでに村人が集まっていました。

 村人は皆、背中に青い翼を持ち、井戸の脇で円陣を組んでいます。

 プラシアは輪の中に割り込んで様子をうかがいます。


 初老の村人が井戸に繋がった桶をひっくり返しました。

 中に入っていた冷たい水が地面に横たわる男の顔に思い切りかかります。

 男はかすかですが、震えるように唇を動かしました。


 服の胸元に見知らぬ模様が書いてありました。

 村人たちとは比べ物にならない丈夫そうな服を着ています。

 胸元には赤く血がにじみ、玉虫色の鉄片が垣間見えました。


「し、死んでるの……?」


 プラシアは尻込みして、おずおずと尋ねました。

 初老の村人は怯えた姿を見て、わっと怖い顔になりました。


「プラシア! 来ちゃダメだ。地の人は危ない。ばあちゃんも言ってたろうに」


「で、でも。誰か来てくれって言ったのは父さんでしょ?」


「それは大人の話だ! さあ、早くばあちゃんのとこに戻りなさい!」


 プラシアの父はしゃがんで、横たわる男の言葉に耳を貸します。


「……イシャ? イシャが欲しいというのか?」


 聞き返しましたが、反応はありません。


「おい、イシャとはなんだ? 答えろ!」


 肩を揺すってみてもだんまりを決め込みます。

 首筋に手を当て、「死んではいないようだが……」とつぶやきました。

 父は集まっていた大人たちと話し合い、協力して男を米倉へ運びます。


 プラシアはただ見守ることしかできなくて、ぎり、と歯を噛み締めました。

 祖母の家に急いで戻って、事の次第を伝えます。


「私にできることはないのかな……?」


「祈りを捧げるのじゃ。お前さんができるのはそれだけじゃ」


 プラシアは思いついたように顔を上げ、家の外に飛び出します。

 高床から跳躍すると、青い翼を広げて青空に飛び立ちました。


 村の端にある滝を上り、川に沿って上っていくと静謐な空気が漂います。

 色とりどりの花が咲くそこは小鳥たちの憩いの水辺です。


「まずは身体を清めなくちゃ……」


 上衣を脱ぎ、草の上に畳みました。

 形の良い爪先から水面に触れます。


「冷たっ」


 足を踏み入れるとふくらはぎまで水に浸かりました。

 指の間から泥が浮いて、くすぐったさにぶるりと震えます。

 泉の中心に進むと膝、太ももと水位が深くなり、そこで足を止めました。


 背中から生える二対の羽で身体を優しく包みます。

 頭を垂れて指を組むと玉虫色の泡が水の底から湧きました。


「 水の精霊様、水の精霊様。私はプラシア。私の願いを届け給え 」


 森に吹く風が凪ぎ、小鳥たちがさえずりをやめ、水面が鏡のようになります。


「――――――――っ?」


 神聖な気配を葉が擦り合う音がかき消しました。

 祈りを捧げている最中に誰かが入ってくるはずがありません。

 プラシアは祈り続けましたが、あろうことか泉に入ってくるではありませんか。


 何かの言葉が聞こえます。プラシアには理解できない言語でした。


「誰⁉ いま、私は祈りを捧げているのよ!」


 翼を広げ直して振り返ると、翼のない青年が驚いた顔をしていました。


「つ、翼がない? それより! どうして男性が泉にいるの⁉」


 村にはない裁縫で作られた衣服です。森の外からやってきたのでしょう。

 それにしても青年の視線は少女の……に釘付けです。


「どこ見てるのよ‼」


 ざぶん、と水に腰を落とし、身体を隠します。

 青年が何か取り繕っている様子でいろいろと口走りました。

 どれも知らない単語の羅列でしたが、唯一聞き覚えのある言葉があります。


「あなた! いま、イシャと言いませんでしたか⁉」


 もしかしたら男の欲しがっていたものを持っているかもしれません。

 青年は服の中から真鍮色の笛を取り出し、耳に当ててみせました。


「それがイシャ? 私が預かります! ……って、言葉が分からないのね」


 両羽を広げて飛び上がり、青年の両肩に腕を通します。

 人の命がかかっています。掟がどうのと言っている場合ではありませんでした。

 青年がジタバタとするので、思うように上昇できません。


「動かないでください! 舌を噛みますよ‼」


 村までの最短ルートを飛びます。

 青年は驚いたり叫んだり気を失いかけたり忙しないです。

 誰かを運びながら飛ぶのは初めてでしたから、思うようには飛べません。


 木々や水面、岩々、大木のウロをギリギリで避けながら進みました。

 滝へ着いた頃、少女の顔には不思議と笑みが浮かんでいます。

 二人分の重さで急降下が始まり、このままでは水面に叩きつけられそうです。


「……んっ‼」


 ビビ、と皮の裂ける音がして、自慢の翼が羽根を散らしました。

 少女は青年を抱え、背中を下にして水面に叩きつけられます。


「はっ」


 体の中の空気が押し出され、息をする間もなく沈みました。

 羽根の隙間まで水が入り込んで、プラシアは思うように浮かび上がれません。

 手を空に伸ばすと、青年が手を差し伸べていました。


「あ、ありがとう」


 差し出した手は力強く握り返されました。

 青年は感謝の言葉を聞いても曖昧に笑うばかりです。

 きっとこんな簡単なことすら言葉の違いで伝わらないのでしょう。


 プラシアは緊迫した状況なのに、ふっと笑みをこぼして青年の手を引きました。

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