古條しずくのカウンセリング①
大学の講義を終えたばかりの俺はすぐさま視聴覚室へと向かった。視聴覚室は構内に三か所あるのだが、俺はそのうちの視聴覚室Cに用があった。昨日の出来事を引き起こす原因になった『見られたくないアレ』を作った人物をそこで待たせていた。あんな悲惨な目にあった以上、どうしても俺はアイツに文句を言わなければ気が済まなかったのだ。
視聴覚室Cに到着した俺は扉を開けようとしたが鍵がかかっていたためノックをした。しばらくすると鍵を開ける音が聞こえて女性が顔を出した。古條しずく、現在大学四年生の彼女が『見られたくないアレ』を作成した人物の一人だ。
古條しずくは俺の姿を認めると、人差し指を動かして部屋の中へと入るように促した。視聴覚室ではDJがクラブで流すようなトランスが流れている。耳にした瞬間、無重力空間に放り出されたような感覚がした。安定したリズムと不安定なリズムが交互に繰り返されることで独特の浮遊感が生まれている。集中力が音に奪われていると、古條しずくが俺に話しかけてきた。
「新作のBGMに使おうかなと思っている曲だよ。翔子が作ってくれたんだ」
「不思議なメロディーですね。三上さんの新曲ですか」
「雰囲気のある曲だろう。あいつは何でもできるからな。少し羨ましい」
古條しずくはそう言いつつも妙に自慢げな調子だった。まぁ自慢したくなるのも分かる。この曲を作ったという三上翔子は古條しずくの恋人なのだから。
ちなみに、二人が恋人同士だと知っている人はあまりいない。学園祭で行われたミスコンの一位と三位がレズカップルであることを大学の男どもが知ったら、どれほど多くの奴らが嘆き悲しむことだろうか。まぁ、一部の連中はむしろ喜ぶのかもしれないが……
「で、わざわざ私を呼び出してどうしたんだい? 面白いことがあったようだが」
「ええ、俺はあんなモノを作った古條さんに文句が言いたくてですね……」
そう切り出して俺は昨日あった出来事を話した。義妹とバブバブはあまりにも聞こえが悪いので、雛姫のことは引っ越しを手伝ってくれた仲のいい女友達という体で濁して説明をした。
「あはははははは、それは災難だったね」
俺が話し終えると古條しずくはお腹を抱えてソファーの上で転がった。あまりにも俺の不幸話が面白かったのか笑いながら転げまわり挙句の果てにはむせていた。ミスコン一位とは思えないくらい品のない笑い方だ。俺は古條しずくのことを、美女の皮を被ったオッサン、だと思っている。外見だけは腰辺りまで伸ばした黒髪ストレートの正統派美人でありながら、その中身が全くオッサンのソレなのだ。
「笑いごとじゃないですよ。あんなモノ作った責任とってください。製造物責任法をしらないのですか?」
「何言ってるのさ。製造物責任法って、赤坂は消費者じゃなくて製造者側じゃないか。その証拠にキミの通帳にも十分な報酬が振り込まれていたはずだ」
古條しずくの指摘はもっともだった。そう、俺は製造者側の人間なのだ。しかも報酬として大学生が受け取るお金としては十分すぎるほどの金額を受け取ってしまっていた。
「赤坂の書いたシナリオは最高だったよ。同人即売会のCD売り上げはそこそこだったが、ネットショップで販売したDL版の売り上げは7000を超えた。さすがは心理学部だね、やっぱり催眠のノウハウとかも授業でやるのかい?」
「そんなもの習うはずないじゃないですか。心理学って実際のイメージより何倍も地味な分野なんですよ。本来、数値化できない人の心を無理やり数値化して統計をとったりしてね。しかも、掴んだ傾向を分析しても漠然としか分からないっていう。院まで進めばもう少し色々なこともやるのかもしれませんが、学士レベルで習う事なんてたかが知れていますよ」
「じゃあ、あのシナリオは君の独学によるものかい」
「まぁ、それと想像力ですね。エロいことは得意です」
「あはは、胸を張っていうことかね。いずれにせよ『年下ママンとの甘いあま~い赤ちゃんプレイ』があれだけ売れているんだから大したものだがね」
今、古條しずくが言った『年下ママンとの甘いあま~い赤ちゃんプレイ』のCDこそが『見られたくないアレ』の正体だった。R18コンテンツにおける音声催眠作品という少々ニッチなジャンルで有体に言ってしまえばエロ音声CDのことだ。R18コンテンツなので当然、中身もエッチな内容なのだがパッケージもそれに相応しいものになっていた。無論、家族に見られようものならば速攻で死にたくなる代物だ。
「どうでしょうね。俺のシナリオのおかげというより、古條さんと三上さんの声が良かったからこその結果だと思いますけど」
「それもあるだろうが、それだけじゃないさ。赤坂には才能があるよ。キミのシナリオはどうすれば人を癒すことができるか分かっているみたいだった。キミはもう就職活動を始めたらしいが大学院にまで進む気はないのかい? 君ならいい精神科医になれると思うが」
「俺は院にまで進む気はないですね。やりたい仕事もあるんで」
「そういえばサマーインターンに参加したらしいね。どの企業だったんだい?」
俺は某有名家電メーカの名前を告げた。
「家電というかトイレメーカーじゃないか。トイレは家電じゃないだろう?」
「洗浄付きトイレは立派な家電ですよ。まぁトイレが家電かと言われれば確かに微妙ですが」
「というか、どうしてトイレメーカーなんだ。心理学部なら医療関係とかあるだろうに」
「文系学生の就職先なんて案外そんなもんですよ。それに日本のトイレを舐めてもらっては困ります。一時は栄華を誇った日本の家電は今や他国に追随を許してピンチに陥っております。某メーカーは原子力事業で失敗して半導体事業を売却に迫られましたし、また別の大手メーカーは液晶テレビの事業に敗れて外国企業の傘下となりました。技術的な意味で多くの国内家電メーカーが外国勢の技術発達によって苦戦が強いられているわけですよ」
「うん、まぁそうだね」
「ところがトイレは違います。はっきり言いましょう。今でも間違いなく世界で一番素晴らしいトイレを作っているのは日本です。先進国と言われている諸外国のトイレですら日本のトイレには現状では全く敵いません。日本はトイレならば他国と比較して未だに一歩どころか二歩はリードしていると俺は信じてますね」
「日本のトイレが優れているのは間違いないだろうけどさぁ。本当にそこまでリードしているのかなぁ?」
「賭けても良いですよ。まず第一にウォーシュレットの素晴らしさです。あれは水が潤沢でしかも水道水が綺麗だからできる技でもあるんです。しかもお尻に優しい。痔持ちの人なんかは絶対に必要な一品ですよ」
「たしかにウォーシュレットはありがたいね。私はもう和式は使えないと思う」
「潔癖症の人なんかは逆に公共施設では和式を使うみたいですけどね。他人が使った後の便座にお尻を付ける必要がないですし」
古條しずくは「あ~」と何か思い当たるかのように声を出した。
「でも、最近だと洋式にはちゃんと除菌クリーナーが設置してあるね。まぁ潔癖症の人にはそれがあっても無理なんだろうけど」
「で、第二に治安の良さですよ。俺は中学生の時に親父に連れられてアメリカを旅行したことあるんですけども、そこのショッピングモールで便座が見事に破壊されていたのを見ましたね。コーカソイドの血なのかネグロイドの血なのか良く分かりませんが、公共の施設が壊されることなんか日常茶飯事です。外国であまり自動販売機を見かけないのは、自販機ごと持っていかれるからなんですよ」
「中国の公共施設でもウォーシュレットつけたら持っていかれそうだね。盗まれて他の所で売られている、みたいな」
「そうそう。日本みたいによほど治安のいい場所でないと洗浄付きトイレってなかなか安心して置いとけないんですよ」
俺はこくこく頷きながら言葉続けた。
「第三に心細やかな多機能です。定期的にトイレが勝手にメンテナンスをしてくれたり、脱臭機能が付いていたり、人感センサーに反応して音消しをしてくれたりね。間違いなく日本人ほどトイレ空間を大切にしている人種はいませんよ。なんならトイレ自体以外にもそれは表れています。たとえば日本のトイレットペーパーほどお尻に優しい紙はありません」
「う~ん。確かにその通りかも。海外旅行の時、やっぱりトイレ事情は気になるし」
「俺はですね。世界中に日本のトイレの素晴らしさを知らしめて、世界中に日本のトイレを普及させたいと思っているんですよ。そして世界中のトイレのほぼ全部が日本製のトイレへ取って代わった時に、外国を旅行して整然と並んだ日本製の公共トイレを眺めながら俺はこう言いたいんです」
「ふむ、なんて?」
「TOTO夢が叶った、と」
「企業名言っちゃった!」
古條しずくはなかなかにノリの良いツッコミをくれた。
こんなオヤジギャグにお腹を抱えてゲラゲラと笑っているのはきっと彼女の中身がオッサンだからに違いない。古條しずくはしばらく笑っていたが笑いが収まると俺に言った。
「いやぁ、キミの夢は理解した。けれども今日はそんな事を言いに来たわけではないんだろう?」
「だからもう言ったじゃないですか、アレを作ったことに文句を言いに来たんですって」
俺がそう言うと、古條しずくは急に真面目な表情をした。そして彼女は俺の目をじっと見つめた。古條しずくの黒目は好奇心旺盛な猫のようにすっと細くなった。人の心を見透かすような目だ。綺麗な顔をしているだけにその瞳を見つめていると息が止まりそうになる。
「嘘を付かなくていい。キミは私に文句を言いに来たんじゃない、報告に来たんだよ。懺悔や告白、もしくは相談と言い換えても良いかもしれない」
そう言われて俺は「そんなことねーよ」と言いそうになった。
しかし冷静になって考えてみると彼女の言葉は的を射ていたことに気が付く。文句を言いたかったのは本当だが、俺は怒ったふりをしてそれを口実に話をしにきたのではないか、という気がしてきたからだ。別に怒ったふりをしていた自覚はなかったが、言われてみれば俺は彼女に対して本気で怒っていたわけではない。無自覚のまましていた行動の本質を当てられた気がして俺は内心、舌を巻いた。
「当たっているだろう。私とキミはお互いに色々と秘密を共有しているからね。昨日の出来事に関しても私には話をしやすかった…… というか、私以外にこの話ができる相手がいなかったんだ。昨日の出来事はきっと赤坂にとってストレスになっていた。だからキミは自分一人で抱え込みたくなくて私を呼んだんだ。違うかい?」
古條しずくの言葉を否定する材料は見つからなかった。多分、彼女の言った通りなのだ。俺はかなり特殊な状況下に置かれて、それを一人で胸にしまっておくことが嫌だったのだ。
「違いませんね。きっと俺より古條さんの方がよっぽど精神科医に向いてますよ」
「買いかぶるな、女ならば誰だって持っている能力だ」
中身がオッサンの癖に古條しずくはぬけぬけとそんなことを言った。
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