第二章 珍客

 リコンドールの町には夜が訪れている。

 フィルとゴーシェの二人は『馬屋』という名の馴染みの酒場に来ており、賑わう店奥のテーブル席に向かい合って座り、酒を酌み交わしていた。

 まだ日が落ちて間もない時頃だが、酒場は色々な様相の人間で溢れている。


 比較的きれいな身なりの傭兵の集団、盗賊かと見誤りそうな野卑た見た目の傭兵の集団、恐らく新兵だろう若い傭兵の集団、要するに傭兵ばかりだ。

 この町、リコンドールは現在、魔物領侵攻の前線に一番近い町ということもあり、かなりの数の傭兵がいる。


「さて報酬を分けよう」


 陶器の器に入った蜂蜜酒ミードをぐいっとあおり、満面の笑みのゴーシェが言う。


「分かってるよ……」


 呆れた様子でゴーシェと同じ蜂蜜酒ミードが入った器を置くと、懐から報酬の袋を出した。


 今回の稼ぎは大銀貨にして三十六枚、まずまずの稼ぎである。

 フィルとゴーシェが組んで一年以上が経過しているが、二人は稼ぎは折半と決めており、当初からそれを守っている。


 フィルは新しい布の袋を広げ、その中に一枚ずつ数えるように銀貨を放っていき、その姿をゴーシェは酒を飲みながらニヤニヤと見守っている。

 仕事の時は狩人然とした働きを見せる頼りになる相棒だが、町にいる時のコイツはダメだ。


 きっちりと半分の報酬を入れた袋の入口を紐で縛り、ゴーシェの方に放ってやると、口角が上がりきった表情のゴーシェは袋をむんずと掴んで懐に入れる。


「今夜はお祝いだな。楽な仕事じゃないが、稼ぎを考えると魔物様々だ。数日は休みにして遊べるんじゃないか?」


 フォークで刺した豚肉のソーセージを振りなからご満悦な様子でゴーシェが言う。


 フィルは傭兵業を生業として十年近く経つ。フィルより少し年が下のゴーシェも似たような経歴を持っている。

 魔物討伐は、その条件――相対する魔物の質や戦場は様々なもので、時たまヒヤリとするような場面に出くわすこともある。

 具体的には、手練れの敵が複数いる場合や奇襲を受けた時などだ。


 ゴーシェと組んでから――正確にはその前身の少数精鋭の傭兵団に所属してからは、危ない橋は渡らないようにしているので、大体の場合は今回のように安定して仕事をこなせるようになっている。

 それぞれの経験と装備の充実が物を言っているのだろう。


「そうだな、身入りも良かったことだし三日ほどは休みにするか」

「流石、話が分かるね! それで、さっきの依頼は受けるのか?」

「あまり考えてないな。不利な戦線に放り込まれるのもリスクが高いだろう。こっちで情報を集めてみるよ」


 二人が話しているのは、先程傭兵団の人間――アランソンから持ちかけられた砦攻略への参加の依頼のことだ。

 フィルとゴーシェは基本的に二人組の少数で行動することが多いため、攻城戦などの大規模な戦闘に参加することは少ない。

 魔物との戦闘では数より個々の戦闘力が重要になってくるが、潜入作戦でもない軍隊同士のぶつかり合いでは、やはり数が重要となる。


「敵方の情報を集めてみて、旨味がありそうなら参加を考えよう」


 もう一度、了解とだけ言うゴーシェは、お代わりの注文のために軽く手を上げて店員を呼ぶ。

 露出の多い格好のウェイトレスがやって来て、顔見知りである二人に話しかけてきた。


「あらゴーシェさん、毎度どうも。同じのでいいのかしら?」

「ああ、同じので頼むよ、エリナ」

「さっきちらっと見えたんだけど、ずいぶんと景気が良さそうね」


 二人のやり取りを見ていたのか、エリナという名の女が薄い笑みを浮かべて聞いてくる。

 長い金髪を巻いて派手めの服を着た店員であり、あまりフィルの好みではない。


「悪くはないね。どうだい、店が終わったあとにでもどこか行かないか?」

「冗談。本気なら少しは考えるけど、ゴーシェさんの噂はよく耳にするから」

「本気さ、エリナに会うためにこうして店にも通ってるんだ」

「今後もご贔屓にお願いしますね」


 傍目にも本気とは思えないゴーシェの誘いを軽くあしらうエリナは、注文を通しにカウンターの方に戻っていく。

 見た目の派手さに反して、ゴーシェの誘いを断っている所しか見ていない。身持ちは固い女だ。


 会話する前のエリナもそうだったが、周りを見ればこちらをチラチラと伺っている集団がいる。

 国軍が入ってきているにも関わらず、傭兵の多さによりトラブルの多いこの町だ。

 フィル達は元からの腕っぷしや魔剣の恩恵により、そこらの盗賊には滅多なことでは引けを取らないが、それでもあまり派手なことをして煽らない方がいいだろう。

 最近では、少数の傭兵の集団が盗賊団に襲われたという話もある。


 領地を奪われた難民が徒党を組んで盗賊になったと言うのだ。人間に敵対している魔物から取り返そうと戦うのではなく、同じ人間を襲うというのが何とも浅ましいが、いつの時代もそういった輩は出てくるものだ。


 そんなことを考え馬鹿話をしなから杯をあおるフィルとゴーシェだったが、仕事で長らく町を離れていたゴーシェが飲むペースは異常だ。


 飲み過ぎたと用を足すために席を立ち、テーブルに戻ろうとすると、娼婦のような格好をした女とゴーシェが話すのが見えたため、席に戻らずカウンターに座り顔馴染みの店主に声をかけた。


「よう、調子はどうだい」

「フィルか、変わらずだよ。お前さんの方は随分と景気がよさそうだな」


 エリナと同じことを言ってくる禿げ頭で体格のいい店主――バトラスは、フィルがこの町に来てからの馴染みだ。

 全く顔は似ていないが、エリナの父親でもある。


「うちの可愛い店員にあまりちょっかい出してくれるなよ」


 武骨そうなオヤジがそう言うと、横にいるエリナがははっと笑った。


「言うならゴーシェに言ってくれ。俺は関係ない」

「あれはお前さんの管轄だろう」

「違いない」


 下らない会話を交わす二人にエリナが割ってくる。


「フィルさんだったら考えるんだけどねえ。あれはちょっと……」

「冗談だろ」


 後ろを振り返ると、ゴーシェがいよいよ本格的に女と値段交渉に移っていたが、見なかったことにして顔を前に戻した。


「それでちょっと聞きたいんだが、砦攻めのことで何か聞いてないか?」

「砦攻め? あぁ、アランソンのところの傭兵団のことか? あまりいい話は聞かないな。傭兵団の上についてる国軍の小隊長がどうにも鈍いらしい」

「しかし、傭兵団には精鋭もいるだろう」

「国軍の部隊が手柄欲しさに出張るもんで、傭兵団側がどうにも動きづらいみたいだな。大した大きさの砦でもないのに一向に落とせないし、死傷者も結構出てるらしいぞ」


 現在、フィル達のいるガルハッド国は魔物領侵攻を行っているわけだが、ガルハッド国の侵攻作戦は、旧サルゴニア帝国領であったベルム城の攻略を目標としている。

 ベルム城は帝国が存在した時代の、ガルハッドと帝国の国境線付近にある巨大な城塞都市だった。

 現在は城や城下町を含め魔物の手に落ちており、城に常駐する敵戦力は数千ほどとも噂されている。

 ゆえに、魔物領への侵攻が本格化してから初めてとなる大戦に向け、国は兵や武具をかき集めるなどの準備に追われている。


 アランソンのいる傭兵団――グレアム傭兵団はベルム城の前哨となる砦攻略に参加しており、この砦は後に予定している進軍の南方の要となる。

 ベルム城攻略の戦の際に、自軍内で優位に立つことを考えているのか、国軍の人間が砦攻略に躍起になっているのも頷ける。

 今回の砦攻略で武功を立てようというのだ。


(……しかし、足を引っ張りあってたら意味がないだろう)


 フィルはそもそも砦攻略の参加を本気で考えていなかったため、ただ呆れるような感想だけを持った。


「よく分かったよ、ありがとう」

「お前らも参加するのか? 傭兵団も人を集めてるっていう話だが」

「どうだろうね。ただの情報収集さ」


(明日、戦場の様子でも見てみるかな……)


 思うことと反することを言いながら、つまらなそうな顔をして一人で杯を傾けるゴーシェのところに戻る。

 フィルがテーブルに着くと、ゴーシェが苦笑いで蜂蜜酒のボトルを向けてきたので、杯を受ける。


「なんだ、失敗したのか?」

「ありゃダメだ、高すぎるんだよ。舐めてやがるな」

「遊ぶくらいの金ならあるだろ」

「金に物言わせるだけじゃ面白くないだろ?」


 一体何と戦っているんだ、と思うフィルだったが、ゴーシェが真面目な表情で言うので何も言わなかった。

 とりあえずは二人で仕事完了の祝いをすることにして、笑いながら杯を交わす。


***


 朝起きてフィルは宿で軽い朝食を取り、馬を借りて一人で町を出た。

 ゴーシェとは、数日は仕事を受けない話にしているので、単独で馬を駆っている。


 フィルは昨晩『馬屋』の店主であるバトラスと話した、砦の戦況の確認と周辺の調査をするために出てきている。

 アランソンの頼みを断ったものの、フィルも興味がないわけではなかった。

 砦攻略は比較的規模の大きい傭兵団が受け持つため、フィル達のような少数メンバーの傭兵にはあまり話が回ってこない。

 しかし、砦内に財宝が残っていることや、傭兵団からの報酬など、旨みは確かにあった。

 戦況が悪いとは言え、話を聞くとさほど難所となる砦ではないようだ。国軍の管轄であるため、派手な略奪はできないだろうが、参加したら多少のおこぼれも期待できるだろう。


 道中、森に接した道などで少数の魔物の集団に出くわすこともあったが、馬に乗ったまま対処し、足を進めていった。

 馬を使うことはあまりないため、フィルの武器は馬上での戦いに不向きな短めの直剣であったが、ゴブリン程度ならば問題にはならない。


 開けた平原を走っていると、平原のど真ん中というようなところに小高い丘があり、今まさに戦場となっている目当ての砦が丘の上に建っているのが見えた。

 砦攻略をしている部隊の陣にぶつからないよう、回り道をしながらやってきたわけだが、砦の魔物の部隊と相対する形で布陣するガルハッド国軍と傭兵団が矢の応酬をしているのが、遠目に見える。


(……これはあまりいい状況じゃないな)


 戦場の光景を見て、すぐにそう思った。

 フィルがそう思うのは、弓矢などの武器で魔物と事を構えるのは有利とは言えないからだ。

 通常の弓では、魔物に致命傷をあたえることは難しい。国軍の兵や傭兵たちは勿論魔剣を所持しているだろうが、魔剣自体が価値の高いものであることから、ゴーシェが持っているようなを持つものは少ない。

 つまりこちらの攻撃では敵の数を中々減らせない反面、敵の矢は致命傷になり得る人間側の消耗の方が激しいことになる。


 攻城戦であれば、投石機で城壁をぶち破るか、攻城塔などを用いて城内への突入、そのまま乱戦に持っていくことができる。

 だが見た感じ三、四百程度の兵力であり、攻城兵器などは使っていないし、そんな規模の砦でもない。

 矢の雨を大盾に守られながら、砦の門を破るための破城槌はじょうづち――丸太状の棒を抱えて進んでいく数十人の人間が見えるが、敵の攻撃の勢いが強いためか硬直してしまい、ついには撤退している。


 砦の正面の攻防を見た後、フィルは遠くから砦をぐるりと半周回るような形で移動し、要所を見て回った。

 正面の攻防は激しく、背面側には背の高い監視塔があるものの、側面は見張りが手薄に見えた。

 一通り見て回ったところで、相変わらず真正面からの攻防を続ける軍隊を見て、フィルは町に戻ろうと思うのだった。


***


 砦とリコンドールの町の中間地点くらいの場所でフィルは迂回路を進んでいたが、森の中の小道を抜けていける近道に入っていった。

 傭兵団の本陣近くから同じく森に入る道と合流する道であったため、少し悩んだ。

 グレアム傭兵団の人間と出くわすことにさほど問題はないのだが、依頼を受けているわけでもない状態で単身で動いているため、物見遊山的に戦場を動くのはあまり心象が良くないだろう。

 少し考えたものの、かなり町に近づいている場所であるし、隊を進めにくい細い道なので、傭兵に出くわすことはないだろうと思い、森の小道を進むことにした。


 小一時間馬を走らせているのに魔物と出くわさないことを不思議に思っていたが、前方の道の先の方に何かが見え、距離が近づいてくると横転した馬車だと分かった。


(魔物に襲われたか? いや――)


 馬で走るフィルに矢が射掛けられてきた。

 とっさに腰の小盾を前方に構え、矢の射線から隠れるように走る。矢を放ってくる汚い格好をした傭兵のような集団に向かっていく。


(クソッタレが、賊か――)


 飛んでくる矢を払いながら、集団と交錯する直前に腰の剣を抜き放ち、すれ違いざまに二人の賊をなで切りにしながら走り抜けた。

 横転した馬車の脇を抜けた先で、改めて集団に向き直ると、先ほど切り捨てた奴らとは別に、傭兵のような男が二人と行商人のような格好の男女が血を流して倒れているのが見える。

 恐らく、砦攻めのグレアム傭兵団の陣で行商を行っていた商人と雇われた護衛だろう。


「おい、やられたぞ! 敵襲だ!」


 弓を射掛けていた奴らの生き残りが騒ぎ出すと、馬車の積荷を物色していたのか五人の男が出てきた。

 大振りなナイフや小剣、斧など、思い思いの得物を構える集団と対峙するが、見たところ大した腕っぷしもなさそうだ。

 護衛と思わしき傭兵が矢を受けて倒れているのを見ると、奇襲により馬車と護衛を襲ったのだろう。


「なんだ、一人じゃねえか。さっさとやっちまえよ、愚図どもが」


 遅れて荷台から出てくる男がそう言った。

 雰囲気からして、賊の頭目なのだろう。フィルの剣に似た形状の直剣を片手に持っている。


(あれは、魔剣か――)


 頭目の一言を号令のようにして、集団が声を荒げながらフィルに向かってくる。

 多勢を相手取るのに慣れない馬上で戦うことを嫌い、フィルも乗っていた馬を降り、改めて剣を構える。


「ウオオオオ!!」

「舐めてんじゃねえぞ、このクソガキが!」


 叫び声を上げながら猛然と襲い掛かってくるそれらを軽くいなし、するするとフィルが集団を抜けていく。

 攻撃を回避すると共に、首筋、脇腹などに的確に斬撃を入れていき、一呼吸の間に四人の男が地に伏し、手に持つ刀剣ごと腕を斬り飛ばされた男が苦痛の叫びを上げる。


(この前やったオーガみたいだな……)


 フィルがどうでもいいことを思い返しながら、目の前で膝を折って泣き叫ぶ男を見る。


 体格のいい男達だったが戦士としては未熟であり、フィルにとっては刃物を持った素人とそう変わらないものだった。

 片腕を飛ばされた男が泣きつくように頭目の方に逃げていく。


「かしら、やばいですよアイツ――」


 逃げてきた男の腹を頭目が蹴り飛ばし、呼吸ができないのか倒れたままもがく男を見て、頭目の男が舌打ちをする。

 遠巻きに見ていた数人の敵も瞬時に仲間が殺されるのを見て、ばらばらの方向に散り森の方に逃げていくのが見える。


「使えねえ奴らだな。何なんだテメエ、グレアムの所の傭兵か?」

「違う」

「何の用があって俺に喧嘩を売りやがる」

「先に攻撃してきたのはお前らの方だ、俺はお前らのような賊に興味はない」


 賊の頭目はぶっと唾を吐き捨てる。


「お前が何者だろうがどうでもいい。こっちは仲間がやられてんだ、死んでもらうぜ」

「仲間ねえ……」


 フィルは腹を押さえて悶えている男を一瞥するが、頭目に向かって構え直した。


(こいつだけはちょっと油断ならないな……)


 見た目のゴツさに反した素早い動きで、頭目がフィルに迫ってきた。

 隙だらけとも見れる大振りで、殴りつけるように剣を振ってくる。


 フィルは下がらず、敵の剣が振り切られない前に合わせるように小盾を出し、受けた剣を払うように受け流す。

 逆の手に持った剣ですかさず刺突を繰り出すが、頭目は身をよじるようにしてそれを躱す。


 剣を受け流した時の斬撃の重さからして、敵の得物はやはり魔剣だろう。

 受けきろうとして盾を合わせたが、真正面から剣を受けたら盾ごと破壊される可能性がある重さだった。

 フィルの小盾も魔晶石を持つ――言わば『魔剣』だが、それでも防ぎきれないのは敵の剣の性能がいいからだろう。


 フィルと頭目は同じように何度か剣と盾、あるいは剣同士を打ち合わせた。

 互いに追撃を試みるが、決定打には至らない。

 しかし何度か交錯すると頭目の方の動きがもつれだし、回避が危なくなってきている。


 自分の攻撃が受け流された後に放られたフィルの斬撃を危なげに剣で受け、力任せにフィルの剣を弾いた。

 頭目は息が上がってきており、忌々しいと言うように唾を吐いた。


「クソが、何なんだお前は。傭兵団の隊長様か何かかよ」


 腹立たしそうに唸る頭目に、フィルは落ち着いた様子であくまで冷静に返した。


「俺はただの傭兵だ。お前の力がその程度ってことだ」

「ただの傭兵なもんかよ、ふざけやがって。もう勝ったつもりか」


 相手の動きに振り回されたことで、負け惜しみのように言う頭目が再び向かってくる。


 怒りに任せて単調な動きで迫ってくる相手に対し、フィルは瞬発的に相手の懐に飛び込むように相手の剣を盾で受けて押さえつけ、盾の裏に持っていた直剣を相手の腹に深く刺し込んだ。


 そのまま横に薙ぐように斬り抜くと、力を無くした頭目は膝から崩れ落ちた。

 まだ息があるのか、聞こえないほどの弱い声で汚い言葉を吐いているようだが、立ち上がれないことを見て取ると、倒れた馬車の方に歩み寄る。


 地面に伏した傭兵を見るが、すでに息をしていないその二人は顔見知りではないようだ。

 商人のような男女の方は夫婦なのだろうか、中年くらいの男が同じくらいの齢に見える女を庇うような格好で倒れている。

 近寄ると、女の方の手がピクリと動くのが見えた。

 フィルが女に駆け寄り、息のない男をどけて女の状態を見た。


「おい、大丈夫か」

「……傭兵さん、助けてくださったんですか。ありがとうご――」


 女が咳き込み血を吐く。

 見ると腹に刺傷を受けているのか、服が血に染まっている。


「助けてもらったところですが……ダメなようです。お礼もできず……すいません。私らは……もういいですが、あの子は……子供はいなかったでしょうか……」

「何のことだ。子供なんて見なかったぞ」

「そうですか……上手く逃げられたのならいいのですが……幾分かの財があります……頼みます、あの子に――」


 女は言いかけたところでか細い声をぴたりと止め、目を開けたまま動かなくなった。

 口元に手をやると息を引き取ったようだ。

 フィルは名も知らぬ女のまぶたを閉じてやり、しがみつくようにフィルの袖を掴んでいた女の手をそっと地面に置いた。


 商人の夫婦、そして賊の持ち物を確認していたフィルだが、力尽きていた頭目の懐をあさったところで銀貨と銅貨の入った皮袋を見つけ、懐に収めた。

 賊の荷物は武器しかなく、金品の類は身につけていないようだった。


(近くにこいつらの拠点でもあるのか?)


 賊たちの装備があまりに軽装だったことに不審に思いながらも馬車の中も見てみるが、売れ残りだろう食料が少しと、大量のボロボロの剣と鎧があるだけだった。

 戦闘で使えなくなった武具を回収したのだろう。


 傭兵達の荷物をあさっていたところで森の方から急に声がかかった。


「待ちやがれこの野郎! 父さんと母さんの荷物を返せ!」


 振り返り声の方を見ると、青年――とは言えないくらいの少年が立っていた。

 少年は短剣をフィルに向けているものの、怖気づいているのか震えながら不慣れな構えで立っていた。

 フィルは腰に剣をぶらさげたまま、少年に言葉を返す。


「あの夫婦が言っていた子供ってのは、お前か?」


 少年は一瞬何を言われているのか分からない顔をしたが、すぐに表情を元に戻し叫んだ。


「そうだ、俺がそこに倒れている父さんと母さんの子供だ!」


 フィルは探るような目線で少年を見ていた。

 少年は変わらずおどおどとした様子でフィルに剣を向けている。

 フィルは先ほど頭目の懐から見つけた皮袋を取り出し、少年に見せるように袋を二本の指でぶらさげ、掲げる。


「お前の両親とやらの荷物ってのはこれか?」

「そうだ、それだ! 早く返しやが――」

「お前ずっと見ていただろ」


 少年は怒りをぶつけるような顔をしていたが、フィルに言葉を遮られた。

 表情は変わらないものの少年の目が一瞬泳いだのを、フィルは見逃さなかった。


「お前ずっと見ていたな。俺がこの賊共と戦っている時も、荷をあさってる時も」


 フィルはこの場に来てからずっと同じ視線を感じていた。

 少年が茂みから出てきた時に、彼のものだとすぐに分かったのだが、フィルが気になっていたのはその視線に感じる感情だった。

 畏怖するような、それでいて期待しているような感情を、その視線に感じていた。


「お前、賊の仲間だな」


 フィルが続けてそう言うと、少年は今度こそ驚きを隠せない表情をあらわにした。


「な、何を言ってやがる! 俺が賊の仲間だと? その女に俺のことを聞いただろう!」

「大方、仲間の賊を誘導するために、商人夫婦に雇われたふりをしていたんだろう。お前は逃げずに隠れてずっと近くにいたし、それも殺し合いを怖がって動けなかったって感じでもない」


 かけられた言葉に少年は言葉をなくし、その表情を見てフィルが続ける。


「それと……その女・・・ってのはお前の母さんとやらのことか?」

「うぅ……」


 少年はどもって言葉にならない声を出す。

 その少年に向かってフィルは、手の中の皮袋を放ってやる。


「賊みたいな連中は好かんが、俺もただの傭兵だ。こんな時代だし俺も賊に身をやつしていたかもしれないからな。否定はしない。抜け目がないとも言えるが、お前のようなやり方は好きじゃない。が、剣の持ち方も知らないようなガキを殺すのも好きじゃない」


 少年はフィルの言葉に何も言い返さず、持っていた剣をだらんと下げている。


「そこそこの金は入っていた。死んだ仲間の装備も持っていけば、その金とで何とかなるだろう。賊なんかやめて町で仕事でも見つけろ。止めはしないが……次、俺に剣を向けたら殺すからな」


 フィルはそう言うだけ言って、うなだれたような様子で何も喋らない少年を無視し、二人の傭兵の剣と遺品になりそうなものを集めた。

 乗ってきた馬を探したが争いに恐れて逃げてしまったのか、見当たらなかった。


(くそ、弁償だなこりゃ……)


 仕方なく徒歩で戻ることに決めたフィルが去っていくのを、少年は黙って見ているのであった。


***


 フィルが町に向かって歩いていると、後ろから駆け寄る音と叫び声が聞こえた。


「まって、待ってくれよ!」


 振り返ると先ほどの少年が、頭目が持っていた魔剣を抱えて走ってくるところだった。

 今度こそ殺してやろうかとフィルが柄に手をかける。


「待ってくれ! 違うんだ!」


 フィルが剣を抜こうとするのを少年が慌てて制止する。

 フィルのところに駆け寄り息を切らしている少年を、フィルは黙って見ていた。


「お、俺を仲間にしてくれ! 俺も傭兵になりたいんだ!」

「断る」


 間髪入れずに少年の言葉を跳ね除けるフィルだったが、少年はめげなかった。


「頼む! アンタの言うとおり、俺はあの賊の仲間だった! あの商人夫婦も裏切った! 短い付き合いだったけどあの人達はいい人だったよ……俺みたいなやつを笑顔で受け入れてくれてよ。でも奴らの言う事を聞くしかなかったんだ! 断ったら俺が殺されちまうからよ……」


 まくしたてるように声を張り上げる少年だが、フィルの反応は至って冷静だった。


「懺悔でもしたいのか? 俺は神父じゃないから、アルセイダの教会にでも行け」

「違う――いや、違わないか。でも真人間になりたいんだ! アンタみたいに強くもなりたい!」

「だったらどこかの傭兵団にでも入れ。俺がお前の面倒を見る義理はない。その剣を使えば何とかなるだろう」


 少年が抱えている剣――賊の頭目の得物だった直剣は魔剣だった。

 一級品とは言えないが、質の悪いものに比べると大分マシなはずだ。


「確かに、アンタには何も関係ないけどよ。荷物持ちでも何でもする! アンタと一緒に傭兵になりたいんだ!」

「無理だな、まずお前は戦えないだろう。ガキのお守りはできない」

「ガキじゃない! もう十三になるんだ、俺だって戦える!」


 十三という少年の齢を聞いて、フィルの眉がぴくりと動く。

 フィルが初陣に出たのも、同じ齢の時だった。


「なあ、頼むよ!」


 フィルは目を伏せて深くため息をつく。


「とにかく、町までは連れてってやる。真人間になるっていうなら、それもいいだろう」

「仲間には、してくれないのか?」

「……考えとくよ」


 埒があかないと思い適当に返すフィルだったが、許しをもらったと思ったのか少年は表情を明るくした。


「俺はトニって言うんだ! アンタ名前は?」

「フィルだ」

「フィルのアニキ、よろしく頼むよ!」

「……アニキはやめろ」


 フィルはまたため息をつき、行きにはいなかった連れを伴い町に戻る道を歩き始めた。


***


 夜はとっぷりと更け、『馬屋』の奥のテーブルにフィルとゴーシェが向かい合わせに座っている。

 フィルの横に先ほど出会った少年、トニが座り、骨の付いた肉をがつがつと食べている。


「という訳で、連れてきちまった」

「連れてきちまった、ってお前なあ……」


 ゴーシェに呆れるような表情を向けられるのは不服だったが、仕方ないとフィルは思うことにした。

 カウンターの奥では、何事かという表情で店主のバトラスがこちらを伺っている。

 その視線に気付かない振りをしながら、フィルが喋る。


「傭兵になりたいそうだ。ダメだと言ったが全然聞かないし話が噛み合わないので、説得するのが面倒になった」

「それで、俺に説得しろってか。連れ帰ったお前が責任取れよ……」

「お願いだよ、フィルの親分! 絶対に役に立つから!」

「……親分もよせ」


 賊の仲間だった期間が短かったのだろうか、やけにすれていないトニの真摯なまなざしを受け、頭を抱えるフィルとゴーシェの二人だった。

 どうにも言葉に嘘はないようだし、無碍に断るのも心苦しい。

 二人が頭を抱える所にエリナが注文を取りにやってきた。


「珍しいお客さんね。いつの間に仲間を増やしたの?」

「仲間ではない……」

「あら、そうなの」


 エリナがトニの素性を気になっているようだったので、賊の一員だったことは伏せ、賊から助けた商人の子供だとだけ言っておいた。


「それは大変ね……、それでこれからどうするの?」

「この店で雇ってやるとかはできないか?」

「そりゃないよ、フィルさん!」

「うちの店は難しいかな……他に雇ってる人間もいるし」


 エリナが申し訳なさそうに言葉を返した。


「お前、よく考えろよ。俺達が言うのもなんだが傭兵なんて碌なもんじゃない。稼ぐのも大変だし、魔物は未知な部分が多いから危険だ」

「危ない橋なんていくらでも渡ってきたよ!」


 危ないことを言うトニの口をフィルが慌てて塞ぐ。

 不思議そうな顔をするエリナを見て、とりあえず蜂蜜酒のボトルを頼んで追いやった。


「まあコイツの言うとおり、荷物持ちで使えばいいんじゃないのか?」

「ゴーシェのアニキ! 水汲みでも荷物持ちでも何でもやるよ俺!」

「……アニキはやめてくれ」


 ゴーシェも相手をするのが面倒になってきたのか、段々と受け入れているようだ。


「分かった、じゃあ俺達について来てもいい。だが、お前は賊だったわけだから、怪しい動きをしたら――分かるな?」

「分かってるよ! でも誓ってもいい、俺はもう賊なんかやらない!」


 でかい声で言うトニの頭に、フィルが拳骨を落とす。


「……言葉使いも少し改めろ」

「……分かったよ」


 頭をさすりながら呻くトニだったが、嬉しそうな顔をしている。

 フィルもゴーシェも、傭兵になった時のことを思い出すのか、表情が緩くなっている。

 エリナが蜂蜜酒のボトルを持ってきたので、三人分の器に注ぐ。


「まあ色々あると思うが、よろしくな」


 フィルがそう言い、三人は杯を交し合った。

 受け入れた後はもう何も気にしないといった表情で笑いながら酒を飲むゴーシェに、トニも赤い顔をしながら受け答える。

 そして夜は更に更けていき、フィルは砦のことを話せなかったなと、独りごちるのだった。

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