少年擬態者(クソガキ)のキモチ

少年擬態者の気持ち

 優紀は少年擬態者クソガキの襟首を離し、インターフォンに飛びついた。

 小さな液晶画面に映っていたのは、陽菜ではなかった。

 夜間交代要員の観察部員たちだ。どうやら応援にきてくれたらしい――。

 

 ――誰が呼んだ? 陽菜が? 指示もなく?

 

 優紀が疑問を抱いた。しかし、手はすでに扉を開けていた。

 途端、腹に衝撃があった。観察部員の一人が蹴りつけてきたのだ。

 迷いのない強烈な一撃だった。

 優紀の躰は軽々と吹き飛ばされ、壁で強かに背中を打った。こみあがる吐き気をこらえ顔をあげる。

 二人の観察部員は、禍々しい仮面をつけていた。


「高塚優紀! まさかお前が少年擬態者だとはな!」「騙しやがって!」

「ちょ、ちょっと待って! 俺は少年擬態者じゃないって! 何かの間違いで――」


 迫る拳。優紀は言葉を切った。とっさにしゃがむ。監査部員の拳は壁に刺さった。破砕した石膏ボードの欠片が降り注ぐ。


「こ、殺す気っすか!?」

「黙れ少年擬態者!」


 観察部員が壁から拳を引き抜く。続けざまに足を振り抜いた。

 優紀は床を転がり躱した。跳ね起き、次の攻撃に備えて腕を立てる。そこにすかさず残る一人が追撃をしかけた。

 優紀は飛退きながら蹴りを受け、後方宙返りでボロのソファーを越えた。


 間にソファーが挟まれたことで、わずかな猶予が生まれた。

 優紀は呼吸を減らし、平静を保とうと努めた。

 リーチが違うだけでここまで違うとは。拳を打ち込むための一歩が、果てしなく遠いものに感じられる。


 ――これまでは楽させてもらってたわけだ。

 

 観察部員たちは、優紀を挟み込むように、じりじりと回り込んでいく。

 優紀は左右に目を滑らせた。

 右側の男は袖口が白く汚れている。石膏ボードを打ち抜いたせいだろう。左は蹴りつけてきた方だ。二人ともに実戦経験はそう多くないとみていい。

 カウンターを狙うなら操作性の高い拳より、大振りになる蹴りがいいだろう。

 優紀は左の男からの蹴りを誘うため、


「先にしかけてきたお前らが悪いんだからな!?」

「うるせぇ裏切者め!」


 観察部員たちは、優紀の狙い通り挑発にのせられ踏み込んできた。

 優紀は打ち下ろされる拳を正面に見据えて待ち受けた。背中はもう一人にさらされる形となった。

 優紀は正面の拳を無視し、背後に全神経を集中した。

 強化された聴力が、背後の踏み込みの音を捉えた。わずかに左寄り、間合いは浅い。右から横振りで蹴り足がくるはず。


 突き出された拳を無視して、優紀はその場で旋回した。拳が頬を掠める中、振り向きざまに右肘を振った。肘は背後から飛んできた蹴り足の、膝にめり込んでいた。

 膝蓋骨が砕け、鈍い音がした。


「がっあっぁぁぁ!」


 男の悲鳴が、ほとんど同時に部屋に響いた。

 優紀は構わず逆方向に折れ曲がった足に腕を巻きつけた。背負いこみ、背後の男――拳を振り下ろしてきた男に投げつける。


「うぉあっ!?」


 男は怯みながらも、投げつけられた躰を受け止めた。

 その行動は優紀の推測通りだった。実戦経験の少ない観察部員は、身体能力こそ強化されてはいても普通の公務員であり、また中年男性なのだ。投げつけられた同僚を跳ね除け攻撃に移るなど、できるわけがない。


 その悲しき国家公務員の有様を目視するやいなや、優紀は床を蹴っていた。床の木製パネルが爆ぜ割れ散らばる。手を伸ばし仮面をつかみ――、

 全力で膝蹴りを見舞った。


 ぶかぶかデニム様強化外骨格による膝のパンチが、ぐじゃり、と刺さる。押し潰された仮面からパーツが剥がれ、破片となって飛散する。

 男は仰向けに倒れた。その仮面は、無残にひしゃげていた。

 細いケーブルでかろうじて繋がっている幾つかの部品が仮面から垂れ下がり、振り子のように揺れている。血の滴がコードを伝い、滴り落ちた。


「うっぐぉ、優紀、きさま。少年擬態者ぁ!」


 膝を折られた男が声をあげた。声が変質していても、怒りは分かる。


「俺は少年擬態者じゃねぇって言ってんだろ? 話を聞けよ!」

「ふざけるな! 藤堂陽菜はどこだ! 彼女をどうする気だ!?」

「ハナちゃん!? なんで俺が!? なにがどうなってるんだ!?」

「それはこっちの台詞だ、少年擬態者!」


 言うなり男は床に手をつき、立ち上がろうとした。まだやる気らしい。

 優紀は舌打ちし、右足を振った。


「そのまま寝とけ!」


 男の仮面にスニーカー様耐衝撃ブーツのつま先がめり込む。くぐもった悲鳴とともに、割れた金属片が鮮血混じりにばらまかれた。

 跳ね上げられた仮面が、やがて力なく床を打つ。

 優紀はずっと抑えてきた息を吐きだし、膝に手をついた。

 いったい、なにが、どうなっているのか。まるで分らない。


 思わず本気で攻撃してしまった。観察部員の二人が指一本すら動かさないのが怖くてたまらない。仕方がなかったとはいえ、少々やりすぎた。

 しかし、二人の介抱よりも先に、やらなければならないことがある。

 優紀はスマホを取りだし、陽菜にかけた。応答がない。


「クソッ!」


 優紀はスマホをポケットに放り込み、部屋を見渡した。

 破れたソファーの上では、恍惚とした計画者おねぇさん――渋沢瞳が静かな寝息を立てている。一筋流れる鼻血は、少年擬態者の使ったおねぇさナイザーによるものだ。観察部のものと同じシステムなら命に別状はない。


 一方、折り重なるように倒れている観察部員二人の方は重症である。一人は割れた仮面の隙間から血が滴っているし、もう一人は膝が曲っちゃいけない方向に痛々しい鋭角をつくりだしている。


 ――どうすんだよこれ。


 しゃがみ込みんだ優紀は頭を抱え、少年擬態者に目をやった。

 顔はボコボコに腫れあがり、半開きの口から覗く前歯は半分以上失われている。顔の下に広がる血だまりも広く深い。

 少年の姿に擬態しているのもあって、観察部員より凄惨な光景だ。もっとも、少年を装い性的暴行を加えようとした時点で、同情する余地などないのだが。

 

 通常なら救護班と処理班を要請する状況である。しかし、追われ始めていることが分かっているだけに、不用意に応援を呼ぶことはできない。かといって少年擬態者を放置しても、あとあと後悔するかもしれない。

 優紀は迷った末、観察部員の腰からベルトを引き抜き、少年擬態者の両手足を背中側で縛った。苦肉の策ではあるが、何もしないよりはマシだろう。


「次は、ハナちゃんか」


 優紀は窓に張りつき、対岸の観測点を見つめた。一見すると異変はない。こちらを覗くゲゼワの姿も確認できない。揺れるカーテンしか見えないように偽装しているのだから当然だ。


 優紀は再びスマホを取りだし、祈るような思いで陽菜にコールした。

 出ない。メッセージにも反応がない。

 顎を冷たい汗が伝う。

 優紀は手の甲で汗を拭い、自分が破った窓から飛び降りた。


強化位相リィンフォースドフェーズ!」


 脳内に響くような春風七海の楽しげな声が、無性に腹立たしかった。

 地面に降り立った優紀は、観測点のマンションへと走りだす。

 観察部員が追手として来たからには、正面扉から戻るのは危険だ。部屋で待ち伏せしている可能性もある。


 渋沢瞳のマンションに侵入したときと同じように、ベランダの手すり伝いに観測点の部屋へと戻った。

 耳を澄まして内側の気配を探る。物音はない。祈るような思いでカーテンの向こうをのぞき込む。椅子もゲゼワも、部屋を出たときと変わらぬ位置にある。


 優紀は腰を下げ、足音を立てないように、そろりそろりと部屋に入った。

 居間、寝室、キッチン、風呂場と順に確認する。玄関の扉も閉まったままだ。人の気配は一切せず、陽菜の姿も見えない。争った形跡がないのが不幸中の幸いだった。


「くっそ。どこ行きやがった」


 そう呟いたとき、頭の中で、春風七海の声がした。


『連続使用限界に達しました。通常位相ノーマル・フェーズに偏移します』

「連続使用限界?」


 口にした途端、優紀は全身が泥沼に沈んだような倦怠感を感じた。

 躰が重い。支える膝にも力が入らない。


 ――なんだこれ。バカじゃねぇの!?

 

 声を出すこともキツい。

 優紀はポケットをまさぐり、マニュアルを検索した。


『……戦闘位相バトルフェーズ、並びに強化位相の使用者の肉体的・認知的負荷が高く、連続使用限界を合わせて五分とし、使用限界を超えた場合は通常位相へと強制的に偏移する……』


 続く文言に目を見開いた。


『……また、連続使用限界を超えた場合、戦闘位相においては凶暴性の発露等、強化位相においては嗜好の変化等の副作用が確認されているため、再使用には一時間以上の間隔を設けることを推奨する』


 優紀は目眩を感じて、椅子にもたれかかった。

 あねづきトレラントモールで過ごした時間と、あのときの感覚、思考を思い返す。

 異質な時間だった。陽菜が想像以上にうまくおねぇさんを演じていたのもある。しかし、それ以上に、優紀の感覚自体もおかしかった。


 若返った躰への違和感。それに短時間とはいえ、強化位相も使用した。

 マニュアルには連続使用による影響とあるが、精神の変容はスイッチが入ったように突然ではあるまい。緩やかに躰を蝕み、徐々に使用者を少年に近づけていくのだとしたら、どうだ。


「早く躰を戻さないと、俺も少年擬態者になるのか……?」


 優紀は目を固く瞑った。もしそうなら、観察部員たちの発言も真実となる。つまり陽菜という逆光源氏計画の無自覚な計画者がいて、優紀はその対象者に擬態したことになるのだ。


「くそ! 俺は少年擬態者クソガキじゃねぇぞ!」


 時間が無限にひきのばされいくかのように感じる。不安と焦燥感ばかりが募り、口寂しさは無力感へと変換される。

 優紀は深く、深くため息をつき、頭を抱えた。

 タバコが吸いたい。そう言ってこの場を逃げ出してしまいたい。

 優紀はポケットをまさぐった。タバコがない。そして旧型の即時変身装置も。


 ――ハナちゃんに没収されたんだった。


 うなだれて床を見つめた優紀は、陽菜の「めっ」の仕草を思い返し苦笑した。なにも取りあげなくてもいいだろうに――。

 優紀は、はっとして顔をあげた。


 ――つまり、ハナちゃんは、旧型の即時変身用具を、まだ持っている?


 ポケットの上から新型の即時変身装置に触れる。

 即時変身装置には、個人識別用信号とともに、発信機が内臓されている。そして優紀は新型を受け取った際に旧型を返却していない。もし追跡機能が生きているとすれば、信号を追えば陽菜にたどり着ける。


 優紀は乾いた下唇を湿らせ、部屋の中を歩き回った。

 問題はどうやって受信するかだ。車につけられている端末ではできない。官給品のスマートフォンにも、そんなアプリは入っていない。


 可能性があるとすれば、研究管理部だろう。

 彼らは観察部に観察対象の指示を出す。交代要員の管理も観察部を通して管理部へと伝えられ、それから派遣する部局員を決定、連絡を行う。つまり、管理部は個々の観察部員の位置情報、勤務状況を把握していなければならない。

 

 しかし、追われている今、どうやってオネショ研に侵入する。

 研究管理部に入るには部員証も必要だ。部員証は陽菜しかもっていない。

 ダメか。

 そう思いかけたとき、優紀の指先がポケットの中の車の鍵に触れた。


「車のクッション……!」


 陽菜は昨日と同じジャケットを着ていた。そして、それはいま、車のシートに置かれたままだ。

 探ってみる価値はある。

 そう思ったときには、優紀は部屋を飛びだしていた。

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