ショタの暗黒面

おねぇさんとぼく作戦

「だ、大丈夫かい、きみ!」


 気遣うような男の声。振り向くと、目の前に丸っとした腹があった。

 ギリギリと首を軋ませ、男の顔を見上げる。そうしてようやく、不安げに優紀を見つめる気のよさそうな中年男の顔が視界に収まる。おそらく、姉月のどこかに住む少年の父だろう。

 

 ――マジかぁ。


 優紀は、見上げるという行為自体に、漠とした悲しさを覚えた。

 視界が滲む。あとからあとから、なぜか涙があふれてくる。

 その様子を見た男は慌てた様子で屈みこみ、優紀と目線を合わせた。


「大丈夫かい? なにかあった? えーと、お父さんとはぐれたとかかい?」

 ――いま、大人な自分の躰とはぐれました。


 など言えるわけもなく。

 優紀はぐいっと目元を拭った。


「だ、大丈夫です! ちょっと、い、いやなこと思い出しちゃって!」


 優紀自身、なんという言い訳だ、と思ってしまう。しかし十代の少年、いや、下手したら十歳以下にみえるかもしれない少年がする弁明など、想像もつかない。

 この二年間で優紀の内部に蓄積された情報は、その多くが計画者おねぇさんについてのものであり、計画対象者ショタのものではないのだ。まして混乱している優紀にできる言い訳は、少年たちのそれとは似ても似つかない。

 しかし、男は一瞬だけ訝し気な顔をしたものの、すぐに優しい声で言った。

 

「ほ、本当かい? えーと、なにか困ったことあったら、すぐそこに案内センターあるから、そこに行くんだよ? 大丈夫?」


 これもまた、姉月市の特性のひとつである。

 入念に下調べされた姉月の住民は、子供という存在に異常に優しい。それこそ、子供に悪人などいないと、無意識下で信じているかのように。

 とりあえず誤魔化せたと判断した優紀は、直ちにこの場から離れることにした。


「あ、ありがとうございます!」


 すばやく頭を下げて、はきはきとした返事で少年らしさを取り繕う。


「俺――じゃない、僕、もう行きますね」

「お、ちゃんとお礼言えるのか、えらいな」


 男の手が伸び、優紀の頭を撫でた。ムカつく――いや、悲しい。

 分からない。

 混乱しているせいなのか、湧き上がってきた感情の判別ができなくなっている。

 これ以上ボロが出る前に、とトイレを飛びだした。


 むぃーむ、とポケットでスマホが振動する。そういえば出るのを忘れていた。

 優紀はスマホ取りだし――、

 落とした。

 手の平のサイズが大きく変わったことで、スマホを掴み損ねたのである。

 響く悲劇の音に、モールにいる人々の視線は、優紀の足元に集中する。

 

 何もかもが腹立たしく、もどかしい。ただ拾い上げるだけでも距離感が合わず、四苦八苦である。ありとあらゆる感覚が変化しているのだ。

 今度は落とさないようにと、デカくなったように見えるスマホに両手を添えた。


「もしもし?」

〝良かった、やっと出た! 何度も連絡したのに全然でてくれないから、私、ずっと心配してたんですよ!?〟

「うん。悪かった。それより、追尾できてるの?」

〝はい。そっちはなんとかなってます……ってあれ? 先輩、声変わりました?〟

「それはあとで話す。場所は?」

〝え、えっと、ととっ、あぶなっ。えと、レストランに向かうっぽいです!〟

「なかなかやるじゃんハナちゃん。いまそっち行くよ。何階?」

〝あ、私いま二階から一階の二人を追尾してるんです。止まったら教えますね!〟


 一人で初の尾行だというのに、なんという高等テクなのだろう。やはり天才ギフテッドは何をやらせても天才なのかもしれない。

 ため息をつきたくなるのをこらえ、優紀は走りだし――、

 今度はコケた。

 べちゃり、と顔面を痛打した。泣きたくなる。

 周囲にいた大人たちがザワつく。大人たちってなんだ。俺は大人だ。


「ぐっ、ぬぅぅぅぅ」


 勝手に滲みだした涙を振り払い、立つ。


「負けるかぁっ」


 痛みがいつも以上に強い気がして、つい内言が垂れ流しになった。

 周囲の大人たちから、おおっと短い歓声があがる。駆け寄ろうとする計画者おねぇさん候補の姿もあった。

 だがしかし。

 優紀は両手を広げ、宣言した。


「だ、大丈夫っ、ですっ」


 おねぇさんたちにとっては健気な少年の姿に見えたらしい。妙な空気が広がっている。「偉いねぇ」だの「がんばれー」だの、ほんわかボイスが耳にも優しい。普段の業務の方がよほど頑張っているのに不公平だ、なんて思ったりもする。

 優紀はやるせない思いを抱えたまま、ふたたび駆けだした。

 背後で「走ったら危ないよ」だの「足元よくみてね!」だの気遣う声がした。


 走り出した優紀は、すぐに気づいた。

 この躰が悪いんじゃねぇ、この服が悪いんだ、と。

 二、三歳は余裕をみているかのようなオーバーサイズのネルシャツが妙に躰にまとわりつく。ブカブカだったはずのデニムも何やら圧迫感を感じる。


 そこで優紀は、はじめて気づいた。

 そういや、これ変身なんだよな……?

 旧型の変身装置では仮面が生成された。なら新型で服装が変わったのは?

 優紀は悪目立ちを避けるために足の回転を抑え、陽菜にメッセージを送った。


『新型のマニュアルあったらくれ。つらい』


 返信はすぐにあった。


『いま送りました』

 ――二度手間めんどいよBBAババア! もとい七海さん!


 心中で毒づき、無駄に容量を食う上に重たいPDF風のマニュアルを開く。


『……は使用者の衣服を解体、再構成するとともに、強化外骨格を転送する。少年擬態者クソガキの技術を応用した本装備の一覧は以下、ネルシャツ様強化外骨格、並びにデニムジーンズ様強化外骨格、およびスニーカー様耐衝撃ブーツと呼称する。次に……』


 強化……外骨格?

 足を止めた優紀は、ネルシャツを引っ張った。どこからどうみても、ふわふわ系のネルシャツである。

 壁に手をつきデニムとスニーカーを確認する。

 無駄に大きく折り返されたぶかぶかデニムは、これから大きくなってサイズが合います、と言わんばかり。固そうな分厚いゴム底を備えたスニーカーは、どれだけ走ってすり減ってもどうせすぐ買い替えるでしょ、的デザインだ。


 ――どこが強化外骨格エクソスケルトンだよ! ジャリガキ様のスタンダードスタイルじゃねぇか!


 声に出せないのが口惜しいほどに怒りが湧いた。それだけだ。

 あらためてマニュアルを読む。強化外骨格である証拠が欲しかった。


『……各強化外骨格の起動は、音声認識による通常位相ノーマルフェーズ強化位相リィンフォースドフェーズ戦闘位相バトルフェーズの入力による。通常位相は少年擬態者と同じく、少年に偽装したうえで潜入することを……』

 ――どこに潜入するんだよ。おねぇさんのおうちってか?


 優紀は舌打ちして、ボソリと呟いてみた。


「強化位相」


 追跡時の身体能力強化を目的とした命令文だ。それに応えるように、頭の中で研究管理部部長・春風七海の、甘ったるくも明るい声がする。


『りぃんふぉーすど・ふぇーず』


 と、聞こえた。たしかに聞こえた。

 途端――、

 優紀は、ぶかぶかデニムが強化外骨格であることを実感した。


 足が異常に軽い。

 スニーカー風の耐衝撃ブーツは、飛ぶように駆けだした優紀の躰を、一切滑らせることなく床に張りつける。

 優紀の小さな躰は、地表スレスレを滑空するかのように走り始めた。


 しかし。

 問題がひとつ。

 めちゃくちゃに目立つ。


 超高速で旋風巻き起こしてガキンチョがショッピングセンター内を疾走する。

 その姿は、ごくありふれたクソガキを凌駕している。当たり前だが。

 目立つのはマズイ。しかし、いっそ暴力的といってもいい性能は制御すら難しい。


 こうなったらヤケクソだ、と優紀はテストを兼ねて吹き抜けでジャンプした。

 強化外骨格の力を借りた十歳程度の少年ボディは軽やかに宙を舞う。

 対面の二階天井に手が触れてしまうほどに高く。おねぇさん方のスカートがまくれるほどの風を残して。

 二階の床に降り立った優紀は、背筋に冷たいものが流れるのを感じた。


 ――オーバーパワーすぎるだろ。これ戦闘位相とかどうなるんだよ。


 腹の底からせり上がってくるような薄ら寒い恐怖は、周囲の客がみせる驚愕の視線に吹き飛ばされた。

 すぐさま非常階段付近へと逃げ込み、通常位相、と呟く。

 今度は頭の中で『のーまる・ふぇーず』と、春風七海の声がした。


 優紀は念をおして三階にあがってから陽菜のいるエリアへ移動し、改めて非常階段を使って二階に降りた。スマホで陽菜に連絡を取りつつ、人で溢れるエレベーターホールの横を抜ける。

 出た場所は飲食店エリアの巨大な吹き抜けである。

 昼時とあって、ひしめく飲食店にはそれなりの数の人々が蠢いている。当然のように、おねぇさんと少年ぼくな組み合わせが異常に多い。


 優紀は自分のネクタイを手掛かりに陽菜の姿を探した。

 身長が低くなっているのもあって、見回せる範囲が狭い。行き交う『おねボク』に視界を阻まれ、跳ねながら探すしかない。吹き抜けホールをはさみ、ガラスの落下防止壁越しにネクタイが目に入った。

 陽菜は手すりに寄りかかり、階下を睨んでいた。


 急ぐ。けれど、先ほどのような失態をさらしてはならない。歩調はあくまでも、ちょっと背伸びしてオトナなショッピングセンターに一人で来ちゃいました感を装う。

 陽菜の視線の動きからすると、失尾したわけではないらしい。おそらく店に入った二人が出てくるのを観察しているのだろう。


 ぐるりと迂回して陽菜の背後に回り込む。

 少し予想外な光景があった。

 背伸びして手すりに寄りかかり下を覗く陽菜の後ろ姿――その一点が気になる。

 どこか。


 尻だ。


 小さくなる前の優紀の視点では、視界に収まるのは陽菜の頭頂部だけであった。

 しかしいまは、ちょうど腹の高さあたりに、陽菜の丸く小さな尻がある。しかも優紀は、蠱惑的な下着の線が浮き出ているのに気付いてしまった。

 唾をぐっと飲み込む。


 ――何考えてるんだ、俺は。こいつは後輩で――あ、やわこい。


 なぜか、優紀の手は、陽菜の尻に触れていた。

 一拍、二拍の間があった。


「ひゃわわぁ!?」


 陽菜が頓狂な声を上げるまでには。

 やっちまった、どうしよう、どうしようもねえ、謝るしかない、いや待てただ謝るのじゃまずい、偶然を装うべき、などと優紀の思考が火花を散らした。

 勢いよく振りむいた陽菜は犯人を捜して首を振り、優紀に気付いてしゃがみ込む。


「いま触ったの、キミ?」 

「あ、え、えっと……」


 頬をほんのり朱に染めた陽菜は、眉を寄せた。


「だめでしょ? そういうことしちゃ。めっ」

 

 言って、優紀の額を指先で、とーん、と一突き。


 ――めっ、て。


 一瞬ニヤけそうになった優紀は、自制を全力で利かせた。

 どうかしている。

 昨日今日と過ごしてこそ思う。陽菜はあくまでも後輩であり、同僚である。恋愛感情や性欲どころか、異性として認識――くらいはしているかもしれないが、ともかく手を出すような要素はないはずだった。

 それが、どうした。本当にどうかしている。そう思った。

 しかし今は、それよりも確認すべきことがある。


「俺だ。優紀だよ。悪い、まだこの状態に慣れてないんだ」

 

 実際に尻に手を伸ばした以上、謝るしかない。先輩として立場ゆえか、心の奥底で微妙に抵抗があった。なぜだ。

 優紀の疑問をよそに、陽菜はポカンと口を開け、次いでカクンと小首を傾げた。


「えっと、キミ……んんぅ?」


 陽菜は目元を押さえて唸り、優紀の顔を両手でつかみ、まじまじと見つめる。


「研究管理部部長の名前は?」

「春風七海。ハナちゃんの上司。ついでに、ハナちゃんにこの仕事を紹介したのは佐伯義明。俺の名前は高塚優紀だ。他に、なにを言えばいい?」


 陽菜はたっぷりと間を取り、


「……ひ、ひゃわわわわ!」


 飛び退るかのように離れて悲鳴を上げた。さすがは天才。理解も早い。

 しかし、やはり言い訳のひとつくらいは必要だったかもしれない。


「セクハラです。信じられないセクハラです。しかも少年の姿を悪用したセクハラは擁護のしようもないくらい最低です。なにより、起きた事態を報告するよりも早く、お、おし、お尻を触るとか最低極まりないです」


 陽菜の恨み節込み込みの苦情が、止まらないのである。

 ぶつぶつと呟き続ける陽菜に対し、常なら優紀は返す言葉もなかっただろう。しかし幸いにして、いまは尾行中だ。つまり大義名分がある。


「悪かったよ。俺も動揺してるんだ。許してくれとは言わないから、状況を――」


 陽菜は眼光鋭く優紀を睨んだ。

 どうやら仕事の話では誤魔化されてはくれないらしい。なら敢えて強気にでる。


「油断しすぎなんだって。これが渋沢瞳の対象者ショタとか、少年擬態者だったらどうする? やばかっただだろ? たしかに俺はちょっとやりすぎけどさ」


 優紀を見下ろす陽菜のジト目には言い表しがたい威圧感があった。


「ごめんなさい」


 ゆえに、ただ頭を下げることくらいしか、思いつかなかった。

 陽菜は鼻でため息をつき、優紀の頭を、こつん、とグーで小突いた。


「しょうがないですね。今回だけは、許してあげます」


 大げさに胸を張り、言葉を続ける。


「渋沢瞳と少年は、あそこのレストランに入っていきました。入ってからおよそ三十分。いまだ動きはありません」

「……了解。フォローありがと」


 口ではそう言いつつも、陽菜の話は全く頭に入ってこなかった。

 視点の違いによる違和感に集中力を奪われているのだ。これまでは見下ろす形だったために意識すらしていなかったのもある。いまの優紀にとって、無防備に張られた陽菜の胸は、眼前に迫っていたのである。


 まともに年下の女性と関係をもってこなかったことが今になって悔やまれる。躰が鋭敏にその存在を感じとってしまうのだ。

 優紀は、自らの性欲が妙に強化されていることに気付いた。強くなる一方の性的関心に対して、倫理観や理性のたがとでもいうべきものは力を弱めている。

 端的に言って、優紀は陽菜に、性的魅力を感じていた。


 上から見ている分には気にすることもなかった胸は、躰のサイズが変わったことで大きく見える。しかもクロスノットで短めなネクタイがいいアクセントだ。細身のボディラインはパツパツのリクルートスーツも相まって、強烈に優紀の中の少年を惹起しようとしてくる。

 しかし、手を出すのは、いくらなんでもまずい。


 アンビバレンツ。

 優紀は思い切り首を左右に振って、邪念を打ち消した。それどころではないのだと自分に言い聞かせる。


「とりあえず俺の顔バレはこれで大丈夫だろうから、おねぇさんとボク、でいくぞ」

「なんですか? そのちょっと恥ずかしいネーミング」


 ド正論である。

 すでに陽菜は仕事にも状況にも順応しはじめているらしい。

 優紀は勇気を振り絞って繰り返した。


「いいから。俺はその、なんだ。ハナちゃんの弟とか、そういうていだ!」

「えぇー。まぁ、私はいいですけど。先輩、ちゃんとできます?」


 ナメられている。体格差が逆転し、声質も優紀の方が高いくらいだ。完全に『おつかい一人でいける?』のノリであった。

 優紀はわざとらしく咳ばらいをひとつ入れて、陽菜の目を、まっすぐ見つめた。

 騙くらかすのに必要な技能は、自尊心プライドを捨て去ることだけだ。


「ハナちゃん。悪いけど、俺と話を合わせて」


 捨てきれなかったが。


「分かりました。とりあえず、分かったことにします」


 しかも、陽菜の方が、ずっと大人に見えた。

 子供になっているから、だけか?

 浮かんだ疑問は脇に置き、とりあえず陽菜と横並びになり、レストランの出入り口をガラス壁越しに眺めた。


「昼飯買ってくる余裕はないかもだなぁ」

「あの、先輩。変装って意味で言うと、その口調、直した方がよくないですか?」

「ハナちゃんもね」


 そう口にしておいて、優紀は思いなおした。たしかに十歳程度の少年が使う語彙はもっと少ないはずだ。いやそれ以前に、言い回しが違うはずだろう。


「えぇっと、頑張ってみる。呼び方は、ハナちゃん、のままでいい?」

「はい。それは別に。私の方は、先輩のこと、ユウくんって呼んでいいですか?」

「なにそれ。けどまぁ、うん。許可する。少年の口調が分からんから静かにしとく」

「それでお願いします。せんぱ――ユウくん、黙ってると、可愛いですよ」

 ――うるせぇよ。


 優紀は顔が熱くなるのを感じた。

 少年時代に散々と義母に言われた記憶が呼び起こされた。情けない。悲しみの思いも込めて、ちらと横顔を覗き見る。

 陽菜がきれーなおねーさんに見えた。


 ――くそ、ドキドキする。


 高鳴る心音は、心の方まで少年になったかのように、優紀に錯覚させた。

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