第5話メイドの少女、その名はブルネイ・ブルネット

 両手いっぱいに広告を抱えたギルド商会長が集会所に戻ってくると、奇妙な男が立っていた。硝子窓を神妙な顔をして見つめている。


 硝子窓は、摺りガラスに曇りガラス、ステンドグラスと割れた傍から違うガラスがはめ込まれ、モザイク模様を成している。透明な窓は一つもなく、煤で黒ずむ陽光を反射していた。よってギルド集会所の硝子窓を覗きこんで見えるのは、人の動く気配がわずかに感じられるだけのはずである。


 聖メアリ広場に連れていったさきほどの二人の青年も奇妙であったが、比べるまでもなく、矮躯の男はまた別種の不気味な空気を纏っている。

 男は名をビジュル・シンと言った。機工都市ウェインスタを中枢に据えたシン藩王国の王である。


「……し、使用人が欲しいんだよ。は、はやく紹介しないか……」

 背中は折れ曲がり、頬はこけ、落ち窪んだ眼、髪は少なくまばらで地肌が透けてみえる。顔は皺だらけであり、骸骨のように細い身体を覆うトレンチコートは藩王軍の夜外套で、昼間に着るものではない。コートの隙間からは、襤褸切れのようなシャツと職工が好んで着るシャルヴァルである。


 しかも藩王の衣服は昨夜のウィンザー卿による夜討ちのおかげでボロボロである。ギルド商会長がその男を王と気づくことなく、怪訝な表情を浮かべるのも当然のことであった。


 最後にシン藩王が国民に姿を見せてから20年の歳月が流れている。人嫌いで、ひたすらに機械工学の研究に没頭したかの王の、老いやつれた姿を想像できる者は一人としていなかった。それは例え、赤いカフリンクスをしたギルド商会長とて同じであった。


「これはこれは。お客様だと気づかずに失礼しました。ところで、紹介証はありますか」

「少し、待ってくれないかい」

 ギルドの商館に登録されるのは、貴族諸侯らの邸宅を勤めた者のみである。よって雇う側にも身分が求められるのだ。シン藩王は、一見浮浪者のような風体をしている。ギルド商会長が紹介証を求めて、悪し様に追い払う姿勢もまた、当然のことであった。


 その老いて皺の寄った手で夜外套のポケットから丸められた紹介証を取り出した。老いて目が悪くなったせいで判読が困難になったものの、そのサインは理解できた。サッスオーロのものである。サッスオーロは裏向きにはシン藩王の用心棒だが、表向きは政治顧問という役職についている。


 それはサイン一つでギルド商会長を黙らせるには充分な効果を持っていた。

「サ、サッスオーロ様の……っ、こ、これは失礼しました。さ、どうぞ中へ」

 サッスオーロの紹介証となれば、ギルド商会長とて慇懃にならざるを得なかった。シン藩王がギルド集会所の中に入ると、手狭な一室に受付台と、その上にはヘルズ社製の電信機とタイプライターが見える。


「……ひ、ひとり真面目な……使用人が欲しい」

「使用人ですか、またなにゆえに」

「……わ、私は使用人が欲しいと言っているんだよ」

「は、はっ。ほら、すぐに名簿を持って来なさい」

 言われて受付の女性はギルド商会長を一瞥したあと、棚の名簿から二三枚ほどの登録写真を並べた。老齢ではあるが、能力に長けた一流の使用人ばかりである。


 その写真を、ギルド商会長が一つひとつ指差して言う。

「如何でしょうか。うちのギルドは上流貴族の邸宅にお仕えした使用人ばかりを紹介しておりまして……本国出向の貴族なども」

「あ、あれは嫌いだ。形ばかりで中身がない」

「いえいえ、そんなことは。礼節を知る者ばかりです」

「融通が利きそうな人間がいい」

 そのとき、二階から子どもの笑う声が響いた。

「う、上には……子どもがいるのかい」

「え、ええ。このギルドでは若い使用人も育てております」

「ふむ……」


 登録者名簿の写真を見下ろすこともなく、シン藩王は二階へと繋がる階段に足をかけた。慌てて追いかけるギルド商会長は、「か、彼らはまだ見習い中でして……使用人とは言えませんぞ」と身振り手振りで弁明する。


「……できれば、若いほうがいい」

「わ、若いと仰っても、それでは使い物になりません」

 シン藩王もグレース王女同様に亡命の最中である。産業博覧会のレースに紛れ込む計画の中途にあり、またレースというものを熟知していた。

 八百マイル走り続けるということは、それだけ相手とも共有する時間が長くなる。邪魔になるのは個々人の経験と常識だ。互いに積み上げたものがあるほど衝突は増える。それを避けるには、置物同然の貴族連中を頭に据えるか、関係性が圧倒的に下の者を手足として雇うかしかない。

それがシン藩王が導き出した結論だった。


「ま、まってください。サッスオーロ様の紹介ならば下手な使用人ではいけません。紹介するこちらにも立場というものがありますっ」

「……わ、私は若い者がいいと言っている。それ以上に望む者はいない」

「い、いやしかし……参りましたな。で、ではせめて私めに選ばせていただきたい」


 使用人を紹介するギルドとしての面目を何とか保とうと必死に食い下がる商会長の老人に、シン藩王は首を振った。

「そ、そんな……旦那様、それでは孤児院で養子を迎えられるのとかわりませんぞ……」

「そ、それでもいい」

 階段を昇り終えると、肩幅ほどしかない廊下が伸びており、右側に扉がある。左側には小窓が奥まで連なって、日が木床を照らしている。


 シン藩王は両手を後ろに組んで歩いている。まるでその動作は振り子時計のようである。一定の拍子を保ちながら、その身体は不気味に揺らいでいるのだ。


「すみませんが、せめて旦那様のお名前だけでも……」

 このままでは面目を保てないと悟ったギルド商会長は、目の前の小男の名前を聞き出して、彼よりも上の貴族に話をつけてもらうよりほかはないと考えていた。


サッスオーロのサイン入りの紹介状ですら、小男を見れば本物かどうか怪しい。

ギルド商会長にしてみれば失礼のないように厄介な依頼主をさっさと追い返したかったのだ。

「お名前だけお聞かせいただいて、使用人の話はまた後日に……」

「しっ、し……静かに」

 シン藩王は扉の前に立つと耳をぴたりとつけた。

 そのまま、手をドアノブにかけて開いた。部屋にいたのは、10歳ほどの利発そうな少年である。黒髪に意志の強そうな瞳が、シン藩王を見ていた。少年は読書机に向かっていたが、来客を知ると立ち上がった。 


 室内には至るところに本が並べられていた。メモ書きや走り書きもあり、先ほどの子らよりも知識欲の高さが知れる。

 その装丁を見れば、どうやら各所の貸本屋を巡り歩いてかき集めていることがわかる。衣服はきちんと整えられており、白のシャツに折り目のついた半ズボン、靴下を履いている。


 目を引くのは、胸にかけられたアルバートである。しかし印章も時計もないのは何か事情があってのことであろう。そして、少年の容貌はまさに眉目秀麗であった。宿る品の良さだけを見れば、そこらの貴族の子らと何も違わない。


「おお、そうだった。お前は昨日帰ってきたんだったね」

 そう言って、ギルド商会長はほっと胸をなでおろした。

「運が良かったですな、旦那様。今うちで一番働く子です。ついこの間までウィラート卿の邸宅で使用人をしておりまして……まだ11歳で長く勤めることができます。この子ならば、どこへ出してもおかしくない。私が自信を持っておすすめします。ええ、もう藩王様の御屋敷だとしても不足はないでしょう」


 だがシン藩王は、ギルド商会長の言葉を最後まで聞くことなく、室内へと入り、少年の前に立った。

「僕を、つれて行ってください。働かせてください」

 少年はまっすぐ落ち窪んだ眼窩に向かい、力強く言った。

「お……お前の、な、名前はなんだい」

「アレックス。アレックスと言います」


 両手を後ろに組んだまま、シン藩王は、その長い首を曲げて見上げる少年の瞳を覗きこんだ。そこに何が写っているのか、しかしアレックスと名乗った少年はただじっと耐えていた。

「お願いします。僕は何だってします」

 アレックスが口を開いた刹那、シン藩王は背中を向けて、扉へと歩きだした。

「……だ、だめだ。わ、私は、陰鬱さを好む。影のない人間などいないのとおんなじだ……」

「ど、どうしてですかっ!」

「私は君のような使用人はたくさん見てきた。い、今の私に必要な使用人は、き、君のような人間ではないんだよ……」


 アレックスはギルド商会長を見やった。

 しかし彼はただ首を振るばかりである。雇用主に拒絶されては、無理に推すわけにもいかないのだ。

 少年は何事かを藩王に述べようとしたが、ギルド商会長の手によって扉は閉じられた。藩王は廊下を踏みしめ、突き当りの最後の扉の前に立った。


 そこは羽虫が飛び交う日の光すら当たらない暗い扉であった。

 オイル・ランプは埃まみれでこの角部屋だけ長い間使用されていた形跡がない。


 ドアノブを握りしめ、開くとそこにいたのは12歳前後の少女であった。少女は真っ白なシーツを敷いたベッドの上に座っていた。

 暗い茶渋のような髪の毛に、ターコイズの瞳、黒のロングスカートに麻布のエプロンと黒のストッキングを履いたメイドである。しかし少女はただじっとしてベッドに座ったまま、手をスカートの前で組んでいる。


 シン藩王は、室内に入ると少女の前に立ち、顎を握った。しかし少女は肩を震わせることもなく、真っすぐにシン藩王を見つめるだけであった。

「な、名前は何と言うんだい」

「僕? 僕の名前はジョン。ジョン・スミスだよ」

 シン藩王は少女の顎を持ったまま、眉根を寄せてギルド商会長を睨んだ。


「ああ、いえ。女なのですが……自分は男だと言い張るばかりで、スカートを履かせるのにも苦労する始末でして……」

「ジョン・スミスとは愉快な名だね……名無しの子かい」

「ええ、困ったことに偽名しか名乗らないもので。しかも遠い異国の地から密入国してきた少女で身元もわからない上に、雇い主からは10日もせずに送り返される始末。そのくせ頑固者でほとほと困り果てておったのです」


 ギルド商会長は頭を掻いて頭を下げた。さすがにこの子を雇うわけはないだろうと安心しきっていたのだ。

だがシン藩王は少女から目を逸らすことはなく、顎を握っていた手を離して人差し指を立てた。


「私が名前をつけてもいいかい」

「で、では……」

「ブルネイ・ブルネット。き、君をこれからそう呼ぶことにするよ」

「まさか、雇われるのですか?」

驚くギルド商会長をよそに少女はシン藩王を見つめたまま呟いた。

「じゃあ、僕からも聞いていいかな」

 シン藩王は頷いた。

「おじさんの名前は何て言うの」

 「ば、ばか者がっ!」

 その言葉にいち早く反応したのは、ギルド商会長である。顔を真っ青にして叫んだ。

 そして廊下から二人のやり取りを覗きこんでいた老人は、その少女の口利きに驚いて慌てて飛び込んで、その手を叩いたのだ。


 名をもらったということは、雇用主となることと同義である。その相手を敬称で呼ばないなど使用人にあってはならない。教育の行き届いていない幼年の使用人にときたまあるミスである。


 二人の間に割って入ったギルド商会長であったが、しかしぼそりと呟いた藩王の言葉に驚愕し、顔は見る間に血の気が引いていった。

「わ、私の名前は……ビジュル・シンと言う。この国の王だよ」

「シ、シン藩王……まさか……」

 ギルド商会長の右袖にあるのは、藩王家に縁のある者の証である赤いカフリンクスである。ギルド商会長とて、壮年の藩王を何度も見ている。


 ゆえに名前を聞かされ、老いたその容貌から昔の面影が浮かび上がるにつけ、腰が砕けて床に座り込んでしまった。


「ふうん、王に雇われるだなんて光栄だよ。悪くない」

 しかし使用人としてあるまじき不遜な態度をとる少女、ブルネイ・ブルネットはその名前の由来である焦げ茶の髪の毛を爪弾きながら、しかしわずかに高揚した笑みを見せたのであった。


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