第19話

 ハイエースの全面は黒いゼリーでどろどろになっていた。ところどころに金粉がついている。おれはこんなものを目の当たりにしたところで、いまだにここが神の国だなんて信じられなかった。これからいったいおれたちはどうなるんだろう。

 「とんでもないことに巻き込んでごめんなさい。でも私たちはみんなに頼るしかないの。急にそんなこと言われても困るでしょうけど。とにかく詳しい話は改めて別の神がしてくれるから、とにかくここはもう移動しましょう」

 人間というものは信じられない出来事が起こると案外それほど驚かないのかもしれない。事実、おれは今起こった出来事を他人事のように感じていた。

 オトタチは再びエンジンをかけ、ワイパーを高速で作動させフロントガラスのどろどろを落とした。

 「このどろどろ、何で出来てるのかしら」

 理子がその様子を見て気味悪そうに言う。

 「さあ。青人草が・・・ヒトが科学的に分析すれば何か解るかもね。でも神様はそういうことに興味はなくて、あるがまま、起こったことをそのまま受け入れるのよ。こいつらは物理的に衝撃を与えれば消える。ただそれだけ分かっていれば十分。むしろそれよりも、元を断つことのほうが重要」

 オトタチはやや険しい顔で前方を見据えている。

  おれは喉の渇きに気づくとお茶のペットボトルを一気に半分ほど飲み干し、人心地が着いてからオトタチに聞いた。

 「元って、さっき言ってた、マガ・・クル・・・なんとかっていう荒ぶる神?」

禍津久留刀布まがつくるとふ。つまりさっきのやつの数十倍の大きさのやつがいるってこと。このあいだ村がひとつやられたの。二十八柱が消えたわ。あ、柱っていうのは神様の数ね。大きい分、動きが鈍いんだけどその持つ力はすさまじいの。そしてそれは確実に天の岩屋戸を目指している。ちなみに、その大元から分裂したのが今さっきぶっ飛ばしたやつ。ああいうのが先に各地に現れて悪さするのよ。襲われても逃げられるんだけど、場合によっては水路を壊したり、畑を荒らしたりするの。ここ高天の原では何千年も同じ暮らしをしているの。私たちが稲を作り、それがうまく実れば葦原の中つ国も潤う。そうやって本当に平和な期間が続いていたの」

 そのオトタチの言葉通り、道の左右の風景はいつしか広大で青々とした水田に変わっていた。時おり高床式の倉庫も目につく。神様も米をたべるのか。

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