時計仕掛けのルル

瀬戸安人

時計仕掛けのルル

「あ……」

 ルルは小さく声を洩らし、申し訳なさそうな困り顔でうつむいた。

「セオンさん、外れちゃったみたいです」

「ん、そっか。見せてみな」

 セオンは読みかけの本を閉じ、おずおずと口にするルルのぶらんと垂れ下がった右腕を手に取って、関節部分を丁寧に指でなぞった。

「ちょっと開いてみるか。そこに座って」

「あ、はい」

 促されるまま、ルルは傍らの椅子に腰を下ろし、テーブルの上に右腕を乗せた。

 室内は家具も少なく、装飾の類はほとんどない。唯一の彩りは花瓶に活けられた野に咲く名もない花。ただし、掃除だけは行き届いており、質素ながらも清潔感がある。

「袖をまくって」

「は、はい」

 のんびりしたセオンの口調は急かすようなものではないのだが、ルルは慌てて右袖をまくり上げた。手首から先はやや荒れているが、袖の下の真っ白な肌はなめらかで美しい。その肘の内側辺りをセオンの指がなぞると、ルルは恥ずかしそうに顔を赤くした。

「じゃあ、開けるぞ」

 セオンはルルの肌に爪を立て、微かに力を込めて押した。すると、押された箇所から肌が割れた。

 ぱかりと開いたそれは、つい今までは継ぎ目などどこにも見当たらない柔らかな肌だったはずだ。しかし、今、それは箱の蓋が開くように大きく口を開けている。

 開いた口からは、血が噴き出す事も、肉や血管が覗く事もない。代わりにそこに見えるのは、びっしりと埋め込まれた人工の部品、歯車や管や線の数々。

「線が一本外れてるな。これじゃ肘が動かない。摩耗は大した事ないから、交換するほどじゃないな。つなぎ直すだけで済む」

「はう、すみませぇん」

 ルルは情けなさそうに大きく頭を下げた。

「こら、動くな。細かい作業なんだから」

「ああ! すみません」

「だから、動くな、ってのに」

「はぅん!」

 再び大きく下げたルルの後頭部をセオンの平手が叩いた。 


 自動人形。魔術の粋を詰め込んで作られた精巧な人形。見た目は人と変わらず、人のように動き、人のように話す。もっとも、その精度は制作者の技量次第で雲泥の差はあるが。

 単純な労働力として用いるにはあまりにも制作コストが掛かりすぎるため、もっぱら特殊な用途──、例えば、人間では生命の危機に陥るような危険な作業や、他人の身代わり、影武者など──や、娯楽、観賞用として使用される事が多い。

 ルルはセオンの父の遺作だ。

 一流の人形職人だった父の最後の作品だが、致命的な欠陥のため売り物にならず、今もセオンの手元に残っている。 


「ほら、終わり」

 セオンがルルの腕に開いた蓋を閉じると、そこにはもう継ぎ目一つ見えないなめらかな肌が見えるばかりだった。

 ルルはゆっくりと肘の関節を動かしてみて、何度か曲げては伸ばしを繰り返し、安堵したように頬をゆるめた。

「動きにおかしい所はないか?」

「はぁい! もう、すっかりおっけーです!」

 ルルは満面の笑みを浮かべて、嬉しそうに腕を振り回して見せた。

「にしても、お前、故障多いよなぁ」

 セオンのぼやきにルルの笑顔が凍り付いた。

「そ、それは言わない約束ですよぉ?」

「何故に疑問形だ。そんな約束はしとらん」

 ルルの欠陥の一つは、精巧すぎる事。精巧すぎてほんの些細な事で簡単に故障する。ほぼ、毎日のようにどこかしらの動作に軽度の異常が発生し、メンテナンスに掛かる手間は度を超している。

「我が家の出費の大半はお前の維持費だしなぁ」

 故障の際の修繕に掛かる費用も尋常ではない。自動人形に使われるネジ一本、歯車一個にしても、特別製の品が必要となり、その値段は馬鹿らしいほど高い。

 始終、故障しては修理を繰り返すルルのため、セオンの父が残した遺産はあっという間に底をついた。今はセオンが父から習った技術で機械修理や魔術道具の作成で稼ぐ額からルルの維持費を差し引いて、食うのもやっとの有様だ。幸い、父の工房を住居兼仕事場として、雨露をしのぐ場所は確保しているが、元々の屋敷はとっくの昔に売り払ってしまった。

「大体、お前の設計は色んなものがゆるすぎる。すぐに漏れるは切れるは外れるは、締まりが悪いんだ、締まりが」

「ひ、ひどいです! 締まりが悪くてガバガバのユルユルで入れてもちっとも良くないだなんて! 試した事もないくせに!」

「下ネタか! そこまで言ってねぇ! そもそも、お前にそんな機能はついとらん!」

 精巧な自動人形には疑似生殖器まで備えたものもあるが、ルルにはそうした機能はない。聞く所によると、金持ち相手に自動人形で商売をする娼館もあるという。生身の女を買うより高い金を払ってわざわざ人形を抱きたがる物好きもいるという事のようだが、セオンは別に他人の趣味をとやかく言うつもりはない。誰かに危害が及ぶのでなければ、赤の他人が人形を抱こうが動物を抱こうが知った事ではない。

「だったら、つけて下さいよぉ。もう、すっごい事、色々としちゃいますよ!」

「阿呆。そんなつもりも金も暇もない。お前に穴をあけて客を取らせても、整備に金を食いすぎて元手も回収できん」

「わ! ひどい事言いましたよ、この人。私はそんなふしだらな女じゃないですよ! ピュアで一途なんですからー。ちゃんとセオンさん専用にしてもらって、それでもって、あんな事やこんな事で、もう、めちゃめちゃにしてーっ!」

「ああ、やかましい。静かにしとれ、ポンコツ」

「ポンコツ! それだけは言っちゃだめーっ! ひどいですーっ! ……って、お出かけですか?」

 暴走して騒ぐルルを尻目に、セオンは落ち着いたまま立ち上がった。

「仕事に使う原料を仕入れに行く。ルル、お前も荷物持ちに着いて来い」

「はい。わかりました」

 つい今までの憤慨していた様子をがらりと変えて、ルルはにこりと笑って頷いた。


§


 街外れには植物層の豊かな森が広がっている。

 セオンが糊口をしのぐ手だてには、薬剤の調合も含まれる。薬品の知識は魔術師の基礎であり、その成果物は安定した良い稼ぎになる。

 その原料の大半は動植物であり、野草、木の葉や実、樹皮、茸や苔、虫や鳥獣、どれもが様々な用途に用いる事ができる。

「なあ、ルル」

 黙々と採集作業に取り組んでいたセオンが口を開いた。

「はぁい。何でしょうかぁ?」

「俺は必要な材料の見分け方は一通り教えたと思うんだが」

「はい。ちゃんと教わりましたぁ」

「うん。なら、お前の持つ籠の中身が俺の指示を無視したものになっている理由を聞かせてくれ」

 ルルが手にした籠の中には、ひたすら茸と木の実ばかりが詰め込まれている。

「だって、ご飯になるじゃないですかぁ」

 さも当然のように答えるルルは、ほめてくれと言わんばかりに胸を張った。

「……まあ、それもいいけどさ」

 確かに食料が調達できればそれも助かる。しかし、セオンは溜め息混じりにルルの籠に視線を落とした。

「それを食わせる気か?」

「いけませんかぁ?」

「死にたくないからな」

 籠の中には毒々しいまでに鮮やかな色合いや斑模様の茸の数々。素人目にすら危険に見える代物は、実際、命に関わる猛毒がある類の物だ。

「大丈夫ですぅ。茄子と一緒に料理すると毒が消えるらしいですから」

「どこで仕入れた、そんな迷信」

「それに、私は食べませんしぃ」

「俺は食ったら死ぬ!」

「はう!」

 セオンの平手がルルの後頭部をすぱんと叩いた。 


「……あのぅ、セオンさん」

 再開した作業に没頭するセオンの背後から、ルルのおずおずした声が掛かった。

「どうした?」

 振り返りつつ、何となく予想はついていた。ルルがこういう声を出す時は、大抵がどこか故障した時だ。

 ルルは恥ずかしそうにうつむいて、ぴったりと合わせた両脚をしきりにもぞもぞ動かしている。

「あのう、液漏れです……」

「ああ、またか。見せてみろ」

「は……、はい……」

 ルルは真っ赤な顔でおずおずとスカートをまくり上げた。太腿の内側を伝って透明な液体が滴り落ち、ルルの足下の地面を濡らしている。

「あーあ、びしょびしょじゃないか」

「ひゃん!」

 セオンがルルの下着を引き下ろすと、小さな悲鳴が上がった。

「ええい、おかしな声を出すな。それと、見づらいから、座って脚を広げろ」

「ええぇ! そ、そんなぁ……」

「あー、いちいち騒ぐな。潤滑液が足りなくなると動かなくなるぞ」

「……は、恥ずかしいですよぅ……」

「ああ、わかったわかった」

 ぞんざいに応じながら、セオンは座ったルルの脚を大きく開かせて股間を覗き込んだ。

「ちょっと接合部がずれてるな。隙間から潤滑液が漏れちまってる」

「やだぁ……、そんなに見ないで下さい……」

「見ないで修理できるんならそうしてやるけどな」

「うぅう……」

 両手で顔を覆って恥ずかしそうに脚を開く若い娘の股間をまじまじと覗き込んで何やら丹念にまさぐっている姿はあまり見られたものではない。人目に留まれば確実に誤解を受けるだろう。

「……やぁん、そんなにいじっちゃ、駄目ぇ……」

「ああ、うるさい。いじらずに直せるか」

「セオンさん、意地悪ですぅ」

「黙れ、ポンコツ」

「あ、ひどいです。また、ポンコツって言った」

 いちいち相手をしていては作業が進まないので、セオンはルルの抗議を黙殺した。

「まあ、このくらいなら、綺麗に拭いて継ぎ目を合わせときゃ平気だ」

 セオンは淡々とルルの修理を進めた。

 割と几帳面な性分と、ルルの故障が頻発するため、応急修理に必要な道具一式は常に持ち歩いている。

「……や、ふぅん……」

「……だから、妙な声を出すな。継ぎ目ふさぐぞ。よっ、と」

「きゃうん! やぁ、そんなにしちゃ、駄目ぇ」

「やかましい。ほら、直ったぞ。どうだ?」

「あ、はい。もう、漏れてないみたいですぅ」

「ん。じゃあ、ちゃんと拭いとけよ。体の動きはどうだ?」

「えーっと、ちょっと関節が重い感じですぅ」

 汚れた脚を拭いながら、ルルは手足の動きを確かめて言った。

「結構漏れたからな。帰ったら潤滑液を足しておこう。さ、今日はここらで引き上げるぞ」

「はぁい」

 と、起き上がったルルの目の前で、セオンの手がルルの籠を拾い上げた。

「あ、セオンさん、持ちますよぅ」

「駄目だ。潤滑液が足りない状態で荷物運びなんかさせられるか。関節が傷む」

「えっ? あ、はい!」

 さっさと先に立って歩き出すセオンの二人分の荷物を担いだ背を追って、ルルはぱたぱたと小走りに駆け寄った。

「走るな。静かに歩け。潤滑液が足りないんだから、負担が増えて部品が消耗する」

「はぁい」

 ルルは嬉しそうに笑って頷いた。

「やけに嬉しそうだな」

「だって、セオンさんが優しいんですもん」

「お前を壊したくないだけだ。直すのは俺だからな。手間も金も掛かってて困る」

「むー。じゃあ、あんまりぽんぽん頭を叩かないで下さいよぅ」

「それは大丈夫だ。お前は首と頭の外側は丈夫にできてる。中身の方は壊れかけだけどな」

「あーっ! ひどいですぅ! 私の事をバカみたいにぃ!」

「実際、良くはないだろ。記憶はすぐに飛ぶし、素っ頓狂な事ばかり言う。頭の配線がずれてるんだよ。今更、頭の中は手をつけられないしな。困ったもんだ」

「……ひ、ひどいです。ひどすぎますぅ……」

 にべもないセオンの態度に、ルルはしょぼんと肩を落とした。

 日は傾き夕暮れに差し掛かる。

 たどる道は次第に暗くなり、行く手に見える街に一つ二つと徐々に光がともり始める。

 昼と夜との間の一瞬。ノスタルジックな気持ちを誘う帰り道。

「ねえ、セオンさん」

「うん?」

 振り向きもしない生返事。

「私、すぐにあちこち壊れますよね?」

「ああ」

「手間ばっかり掛かって大変ですよね?」

「ああ」

「お金も掛かりますよね?」

「ああ」

「そのくせ、あんまり役にも立たないですよね?」

「ああ」

「ご迷惑ですか?」

「全然」

 即答。

「ど、どうしてですか?」

「お前は家族みたいなもんだから」

「………………」

「家族の面倒を見てるだけの事だからな」

「………………」

 ルルは言葉をなくして、じっとセオンの背中を見つめた。

「どうした?」

 黙り込むルルを訝しんでセオンが足を止めた。

「……ちょっと、ぐっと来ました」

 ルルは再び歩き出したセオンの横に並んで腕を取った。

「歩きづらい」

 と、言いながらも、無理に振り払いはしなかった。

「お嫁さんにしてもらえませんか?」

「駄目」

 街の灯がすぐ目の前まで近付いていた。 


§


 静まり返る深夜の小さな灯り。

 ルルはテーブルの上に広げたノートに自分が覚えている事を書き付ける。

 料理のレシピ。掃除の手順。洗濯の仕方。

 書いておかないと忘れてしまうから。

 ルルの記憶は壊れる。頭脳部分の回路に欠陥があるため、覚えている事がどんどん零れてしまう。だから、忘れたものを思い出すために書き留めておく。

 裁縫の仕方。片付けた物の置き場所。食料や道具を安く売ってくれる店。値引きをさせるコツ。

 自分が知っている事を書き付ける。あとに残していく人に伝えるために。

 ルルは長くは保たない。故障だらけ、欠陥だらけの体はいずれ壊れて止まる。もう、決して直らないほどに。そして、それは遠い未来の事ではない。もしかしたら、明日にでもそうなるかも知れない。

 だから、残せるものはすべて残したい。

「セオンさんは、一人じゃなーんにもできない人ですからねー。お料理も、お洗濯も、なーんにもできないんですから」

 くすっ、と小さく笑いながら、ルルはペンを走らせる。彼女がノートに刻むのは、他愛のない生活の知恵の数々。しかし、それは彼女がこの世に存在した証し。それだけが、唯一の証し。他に残せるものを何も知らない。

「私がいなくなっちゃったら、どうなっちゃうのか心配です。ちゃんと一人でもやっていけるように、私が知ってる事はぜーんぶ書き残しておかないといけませんからねー」

 綴る一文字一文字が、ルルが刻み付ける存在の証し。

 存在──、言い換えるなら、──命。

 作りもので、偽りの、それでも、ルルの、命。

 見せかけでも、出来損ないでも、それでも、それは、たったひとつ、きっと、あたたかい。とても、とても、やさしいきもち。

 それだけは、きっと、ほんもの。


 ルルの視界がぼやける。


「……うん?」

 指からペンが滑り落ちた。感覚が薄れ、反応が鈍り、全身が重くなっていく。

「ちょっと、疲れちゃいましたねぇ……」

 目蓋が落ちていく。

「ふわ。眠く、なっちゃいましたぁ……」

 ぽたり、と雫が落ちた。

「やだ、こんなとこから潤滑液が漏れちゃって……。セオンさんに直してもらわないとぉ……」

 ルルは動かすのも億劫な指で目元を一度だけ拭い、それから、

「でも、明日ですね。もう、眠くて……」

 ゆっくりと、

「おやすみなさい……」

 目を閉じた。


§


 朝日が射し込む。

 テーブルには広げられたノートと、その上に突っ伏したルルの姿。

 暖かな陽射しに包まれて、目を閉じたルルの顔つきは穏やかで、微かに笑みさえ浮かべている。

「ルル?」

 テーブルに伏すルルの姿を見つけて、セオンはゆっくりと歩み寄った。

 ぴくりとも動かず、静かに眠るルル。

 穏やかな、安らかな、その姿。

 セオンはルルの頭に手を伸ばし、

「起きろ」

 平手で叩いた。

「はぅん!」

 叩かれたルルが跳ね起きる。

「痛いですぅ! 何するんですか! ぽんぽん叩かないで下さい、って言ってるじゃないですかぁ」

「こんな所で寝こけてるからだ。お前、昨夜はさっさと寝ろっつったのに、言う通りにしなかったな。潤滑液がちゃんと循環しないうちに体を動かすと、調子が狂って止まるぞ。ほら、目を見せろ」

 セオンはルルの目蓋をぐっと押し広げた。

「暗い所で目を酷使したな。視覚機能周りの潤滑液供給が過多になって染み出した跡が残ってるぞ」

「あははー。えーっと、それはですねぇ……」

「言い訳は聞かん」

 セオンはぴしゃりと言い放つと、ルルの目に布切れを巻き付けた。

「やぁん、何するんですかぁ?」

「馴染むまで目は使うな。半日はそうしてろ」

「でも、これじゃ何も見えませんよぅ」

「見るな、って言ってるんだ。そのまま、しばらくなにもしないで大人しくしてろ」

「ああん、ひどいですぅ」

「やかましい」

 ルルの抗議を切って捨て、セオンはもう一度ぺしんと頭を叩いた。

「ああ! また叩く!」

 叩かれた頭を押さえて、ルルは頬を膨らませた。

「……あのぅ、セオンさん?」

「何だ?」

「目隠しプレイ?」

「……分解するぞ」

「あ! 嘘です! 冗談です! ごめんなさい!」

 見えない相手に向かって、慌ててぶんぶん手を振るルル。

 いつかは終わりが来るけれど、それはもう少し先の事。

 それまでは、きっと、穏やかで暖かな日々が続いていく。

 彼女を動かす歯車は、動き続ける限りいつまでも、二人で過ごす優しい時間を刻んでいく。

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