三章 ふたりきり、逃亡の一夜


 天剣峯は氷竜山脈を構成する山のひとつだ。

 さいこうほうかいばつ一万四千五百フィート。オーバーラント城はそのふもとに位置し、中腹には高地民族の夏の集落が点在する。

 ユーリアはその山道を登りながら、ずっと先を行くヴァルディールの背をまぶしげに見やった。

「ヴァルディールさま、馬に乗れたんですね」

 つい失礼なことを口走った。あわてて「王都でもきゆうからお出にならないといううわさだったので」と言いわけのように付け足すと、となりを歩いていたシモンがしのび笑いをもらす。

「それはもちろん、馬くらいは貴族のたしなみってやつだよ。それに外に出なくてもお体はきたえていらっしゃるんじゃないかな。そうでなくて、あの大きなオオカミをかたにのせて暮らすなんてできやしないだろ?」

 たしかに! と思いながら、あらためて前方をながめた。

 巡幸礼におもむくヴァルディールの行列は、ユーリアのいるさいこうから見てもなかなかにそうかんだった。

 オーバーラント公を示す『山脈と氷竜』の旗がかかげられ、きよだいな《りん》にまたがったヴァルディールが進む。

 正装に身をつつみ、まっすぐに前を見すえた堂々たる騎乗姿は、優美でありながらに満ちていた。──ちなみにはくろうは留守番だ。

 ヴァルディールを警護する『白銀の騎士団』もまた、モールやくんしようをつけたはなやかな正装。

 ただし、ヴァルディールより一回り小さい馬にまたがる騎士団長エルンストをのぞき、かれらは徒歩だった。山道をぞろぞろと騎馬隊が登るのは、それこそなにかが起きたときに危険だからだ。

 ヴァルディールと騎士団を前と後ろからはさむようにして歩いているのは、祭礼服に身をつつんだ神官たちだ。先頭の神官は聖水とハイルペンリリーの種をまきながら、後方の神官は聖水とハイルペンリリーの花びらをまきながら進む。風に流れていくサファイアブルーの花弁がうつくしい。

 ユーリアたち最後方は、従僕やメイド、ていなどの使用人、そして荷物だ。荷は山牛の背にずっしりと積まれている。ちなみにユーリアがひいているのは自分の相棒、レイックスだった。レイックスなら山牛と同じように荷をせられるし、なにかあったときに城まで急を知らせるのに役立つからとたのみ込んだのだ。

「最初はクライデック神殿か。このようすなら昼まえには着くな。天気がよくてよかった」

「そうですね。これが続けばいいんですけど」

 巡幸礼は中止どころか延期にも代理にもならなかった。

 ヴァルディールが意識を取りもどしてからまだ二週足らず。ふつうに生活をするぶんには問題ないかもしれないが、山を登るほどに回復はしているのだろうか。もし山道で天候が悪化したなら雨ざらしで、いっきにすいじやくしないとも限らない。

 顔をしぶくしていると、シモンがユーリアの背を軽くたたいた。

「ほら、そんな顔しない。無理をさせてるんじゃないかとは僕も思うけど、困難なルートを通るわけじゃないし、高山病のおそれがあるほど登るわけでもない。だいじょうぶだよ」

 医師もいるし薬もあるし、とシモンは言う。

 そうですねとはうなずいたけれど、不安は消えなかった。

 ユーリアが望むのは、〝島流し王子〟がきちんと領主としての務めを果たしてくれること。ヴァルディールにも言ったが、死んでほしいわけではない。

 生きて、オーバーラントの主としてちつじよある領政をいてほしい。それこそが望みだ。

(そう、もう二度とあんな恐ろしいことが起こらないように……)

 ぼんやり考えながら山を見上げていると、「そういえば」とシモンが切りだした。

「きみ、ヒンギス神官長とやりあったんだって?」

「え? ……ああ、あれはやりあったというわけではなくて」

 あわてて否定したけれど、たしかに〝やりあった〟のかもしれないとも思う。

「ガレ・ウーリ族たちがさわいでるのを聞いたよ。ツェルト・ウーリのひめが、公のちようあいたてにして、ヒンギス神官長にわがままを通そうとしてしようとつしていたとかって」

 ユーリアはだつりよくしかけた。そうか、彼らから見ればそういう風に見えるのか。

「……たぶん彼らのイメージとは、すこしちがいます。ヒンギスさまの文書におかしな点があったので、そのことで」

 ユーリアはちょうどいい機会だと思い、ヒンギスの文書にあった二種類のひつせきと、そのかんがある筆跡で、『しよ整備計画』と『まきの大量こうにゆう』が指示されていたことを説明した。

「ここはれいりようなオーバーラントですよ? 避暑地なんて必要ですか? それどころか、大金はたいて整備を進めていたのに、とつぜんやっぱいいやって、ありえないです」

 整備計画が出されたのは、ユーリアがかんになるより前のこと、ヴァルディール就任直後の話だ。そして今その計画はとんしている。ばくだいな税金を投じたのに、やはり場所が悪いからやめますというじようきようだった。税金をドブに捨てるような無計画さだ。

「それとえつとう用の薪を買いあさっています。領内からだけでなく、きんりんの地からも。とてもひと冬で使いきれる量ではありません」

 寒がりのヴァルディールをおもんぱかってのことかもしれないが、いったいどんだけ火を燃やす気でいるのか。

 しかしこちらは予算が足りなかったのか、城の宝物庫にあった女性もののほうしよく類が売られ、ヴァルディールが連れてくる予定だった美女たちについていた予算もそちらに流れていた。それらの予算だってほかに使い道があるはずだ。ひと冬をとこなつにして暮らすつもりか。

「それで、ヒンギスさまはなんて?」

「わけのわからないいちゃもんをつけるな、決裁がすんでいるのだからさっさと処理しろ、と」

「なるほど、筆跡の件もご存じだってわけか」

 こういう不可解な金が動くときは利権がからんでいることが多い。もしかしたら、ヒンギスはしよくに手を染めているのではないか。それをユーリアは疑っている。

「それでどうしたの?」

「どうにもできませんでした。ヒンギスさまが、ご自分で処理すると言って書類を持っていかれましたので」

「ふうん。ふたつの筆跡、とん挫した避暑地計画に、やたら多い薪かぁ」

 シモンはうなった。

 ユーリアは天剣峯のはるかなる頂を見上げた。氷河におおわれた、ましろの頂。

 オーバーラントの夏は短い。これからすぐに秋がおとずれ、このうつくしい空を巨大な氷竜が群れでわたって来るようになる。そうなればきびしい冬のとうらいだ。

 こんなのんびりしている場合じゃない。ユーリアは自分をしつした。

(冬がくる前に、ヴァルディールさまにはご自身の責務をわかっていただかないと)

 冬は恐ろしい。とくに放牧にたよる高地民族にとって、ほんのささいな天候不順が死をまねく。

 ユーリアののうに、父がかかえたしゆう毛織がいろあざやかによみがえる。

 そしてけるようなサファイアブルーの空の色──。

 氷河を割った深い深いクレバスからあふれるしきさい

 どっとあぶらあせがふきだした。

「ユーリア、きみだいじょうぶ?」

「だいじょうぶです。ちょっと、暑くなってきちゃって」

 えりぐりをつまんでぱたぱたあおいでごまかしながら、そっとレイックスに体をよせた。

 あたたかくて、気持ちがいい。ほんとうは指先までこごえそうなほどに寒かった。

 丸投げなんて許されない。城代であるヒンギスに任せきりにしているから、こういうことになる。

 税を納める人々が、税によって守られる。その正しいかたちを整えるには、責任を受け止めたヴァルディールがしっかりと領政と向き合うしかない。

 彼は先代のようにぜいたくおぼれているようすはないが、それだけではダメだ。

(この、ぼんくら〝島流し王子〟。しっかりしなさいよ)

 ユーリアはヴァルディールの背中をにらみつけた。






 四つのしん殿でんをめぐる登山道のまわりには、かつてまかれたハイルペンリリーの種が根づき、いちめんに花開いていた。

 まるでサファイアブルーのじゆうたんを敷いたかのようなうつくしい景色が広がるなか、ヴァルディールは四つの神殿をめぐり終え、けさ、じゆんこうれい最後の神殿を夜明けとともにった。

「むずかしい顔をしてるね。なにか問題でも?」

 体があたたまってきたのかがいとうぎながら、シモンがユーリアの顔をのぞきこんだ。いえ、と否定しかけたけれど、やはり思いなおす。気になっていたことがあった。

「ちょっと、列が間延びしすぎだとは思いませんか?」

 いまもまだ空はうすむらさきの朝の色を残していて、後ろをふり返れば、岩でできたりようせんに発ったばかりの神殿が見える。まだそれほど歩いていないのだ。それなのに、列はだらしなく前後にのびていた。とくにおくれをとっているのは神官たちで、たがいの間もさることながら、たちとのきよがずいぶんとひらいていた。

「ああ、神官たちはもとから体力がないから、ろうの限界なのかな。ちょっと急ぐように言おう」

 シモンが声を上げ、前を歩く神官たちに列をめるようにうながす。

 けれどいくら詰めても、つかれしらずの騎士たちとの距離はなかなか縮まらなかった。

「私のせいかもしれません。けさ、天気がくずれそうだと報告したので……」

 夏とはいえ、山の朝は冷え込むものだ。それがけさは生暖かさを感じるくらいで、山風も逆からいていた。ユーリアは、それは天気がくずれる予兆だとエルンストに忠告したのだ。

「それで急いでいるのか。まあ、神官たちが遅れたところで、ヴァルディールさまの身辺警護には問題はないけど」

 ふたりが話していると、なにやら前方の神官たちが空を指さして見上げはじめた。楽しそうなその表情につられてユーリアも空を見上げ、ぎょっとした。

 ──にじだ。朝空に、きれいなアーチをえがいて虹がかかっている。

 ユーリアの行動は早かった。

 レイックスに積まれた荷のなわをほどき、後ろにいた山牛の背にのせる。空いたくらにひらりと飛び乗った。

「ユーリア!」

「天気が急変します! シモンさんは神官たちに外套の用意をさせてください! 私はツヴィングリーきように伝えてきます!」

「わかった!」

 雨? こんなに天気がいいのに? といぶかしげにする神官たちとちがい、シモンの返答ははやくて助かった。朝の虹は天気急変の予兆だ。すぐに雨が降る。

(このさきしばらくは急なしやめんを横切る道がつづく。こんなところで雨が降れば、足もとがゆるんでかつらくする者が出るかもしれないわ。風も出るだろうし)

 ユーリアはレイックスのづなり、山道をはずれて急斜面へとおどり出た。落石のおそれを考えて、みんなが歩く下側だ。山道はせまく、ずらりとならんだ神官たちを抜かしていくには斜面を走るしかなかった。

「おまえを連れてきてよかった」

 たのむわね、と相棒の首をやさしくたたく。

 ソリですべりおりれば人生最大のスリルが味わえそうな急斜面を、レイックスは力強くけた。間延びしていた神官たちを追い抜き、ヴァルディールを前後に囲む騎士たちにほどなく追いつく。騎士たちは、馬ではありえない場所を駆けてきたことにおどろきの声を上げた。

「ツヴィングリー卿、あと一刻足らずで雨が降ります! いちど神殿へ引きかえすことを提案します!」

「全体、止まれぇ!!」

 エルンストの号令とともにかねが打たれ、行進が止まった。騎士たちをはじめ、《りん》にまたがるヴァルディールまでも、興味深そうにユーリアを見ていた。

ひめぎみ、雨が降るって?」

「はい。騎乗のままで失礼します。おりたら私の足では滑落してしまうので」

「ああ、そのままでかまわない。──その方が確実にげれるだろう」

 は? と問いかえそうとした声は、かき消されることとなった。

 エルンストが騎士たちへと向きなおり、とつじよけんを抜いてかかげる。

「全体、斜面いわかげよりてきしゆうだ! むかて!」

 わあっと騎士たちの声が上がり、いつしゆんげいげき態勢が整えられた。

 事態を一瞬のみこめなかったユーリアは、やや後方、大岩の陰から駆けおりてくる武装した男たちをみつけてきようがくした。

(襲撃!? いったい、なんで……)

 ぎゅっと胃が縮みあがった。ごうけんげきの音がひびきわたる。

 さすがの反応を見せた『白銀の騎士団』とちがい、神官や使用人たちはせまい山道を押し合いへし合い、逃げ出そうとだいきようこうをきたしていた。

(まずい、このままだと滑落者が出てしまう!)

 ユーリアは、まず退路をゆうどうしようとレイックスの向きを変えようとして、息をのんだ。

 まるでそこだけ時間の流れがちがうかのように、ゆっくりと目には映った。

 護衛の騎士たちがヴァルディールをかばうように守り、なんうながす、その、死角。

 だれもが斜面の上ばかりに気を取られている、その陰に。

 馬上のヴァルディールの手を引き、バランスをくずしかけた彼に、やいばをつきそうとしている者の姿があった!

「ヴァルディールさま!!」

 考えるひまはなかった。ユーリアはレイックスの腹をり、突撃させる!

 暗殺者の背をみぬいて、落馬しかけたヴァルディールをごういんに引き寄せた。──重い!

「自力でおつかまりください!」

 自分でもちやなとは思った。けれど、予想に反してヴァルディールはそれにこたえた。すばらしいほどの身のこなしでレイックスの首にすがりつき、そこから体勢を整える。行ける、と思った。

「矢が来ます、落石も! そのまま頭を下げてお摑まりください!」

 返事を待たず、ユーリアはヴァルディールを乗せたまま、レイックスを全力で駆けさせた。








続きは本編でお楽しみください。

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氷竜王と六花の姫/小野はるか 角川ビーンズ文庫 @beans

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