僕は準備をした。

 真白に会うための準備を。

 上手くいくか、正直そんなのよく分からなかった。


 ただ、少しの希望と可能性があるならそれに全力で賭けてみようと思ったのだ。


 僕は、町中を駆け回った。


 ・


 そして迎える、七夕前日の夜――

 今宵は月がとても綺麗で、星がきらきらと輝いている。


 僕はたくさんの荷物を抱え、あの道へと向かった。


 夜に行くなんて初めてのことで、どうなるのか緊張したけど、僕は迷うことなく前へ進んでいた。


 あの壁の向こうに、あの道がある。


 僕は少しの自信があった。

 今日は、道が開けていると――


 何の根拠もないその自信を信じて、僕は進む。



 道は――





 開いていた。


 先日まで覆い茂っていた葉っぱは、新鮮な色味を出しており、月夜に照らされ、輝いている。


 僕は、道をただまっすぐに歩いた。



 そして久しぶりに、真っ白な家の目の前に着いた。

 あいかわらず、庭の手入れは綺麗になされており、色とりどりの花が並ぶ。

 木々の隙間から月の光が線となっていくつも差し込んでおり、それはまるで家に向かって僕を誘導しているようにも見えた。


 テラスに視線をやると、椅子に座って眠っている女の子を見つけた。


 ――真白だ。


 僕は会えた嬉しさで、心臓は大きく跳ね上がる。


「ん~……」


 僕が来たことが分かったのか、タイミングよく真白は目を覚ます。


「あ、優斗くん」

「真白、久しぶりやね」


 真白は椅子から飛び降りると、僕の方に向かって小走りで走ってくる。

 僕の前で止まったキミは、にこにこしながらちょんと立って、こっちを見ている。

 その姿があまりにも可愛いので、僕は思わず真白の頭を撫でた。


「真白、ちょっとこっちおいで」

「どうしたと?」


 僕は真白をテラスへと誘い、一緒に座る。

 そして持ってきた大量の荷物を広げた。


「う、わー! どうしたと? 何が始まるとー?」

「明日は真白の誕生日やろ? 七月七日、七夕の日。だから一緒に七夕作ろうと思って」


 僕は歯を見せ笑いながら、小さいサイズの竹を真白に見せる。

 真白は子供のように喜んでいる。その姿を見ているだけで、僕はとて幸せだった。


 さっそく一緒に作業に取り掛かる。


「僕、七夕についていろいろ調べてみたんやけど、七夕の飾りには意味があるらしいとよね」

「へぇー。そうやと? 教えて教えて」

「まず七夕には短冊と七夕飾りの二種類があるっちゃ。短冊はお願い事を書くのは知ってると思うっちゃけど、あと七夕飾りっていう折り紙で作る飾りがあって、それにはひとつひとつ意味が込められているとよ」

「すごい、優斗くん。あたし七夕飾り作りたい」

「じゃあこれ、作り方持ってきたから一緒に作るか。はい折り紙」


 僕は折り紙を真白に渡す。


「折り紙はね、15センチ四方の紙を使うとよ」

「決まってるっちゃね。でもこのサイズが一番作りやすいね」


 僕と真白は、七夕飾りを作り始めた。

 家の周りに街灯が二つ。でもそれ以上に、丸く綺麗な月の光だけで十分に手元は見えていた。


「私“折鶴おりづる”作る」

「あ、“折鶴”は延命長寿の意味があるとよ。じゃあ僕は幸運を手繰り寄せてくれる“投網とあみ”でも作ろっかね」


 僕たちは二人でたくさんの飾りを作った。

 僕が作り方を間違えてハサミで真っ二つにしてしまうドジを踏んだ時も、真白はとても可愛らしい笑顔で笑ってくれた。


 十数個の七夕飾りを作った後、僕が笹を持ち、真白がバランスよく笹に飾りを飾っていく。


「わぁー。きれい」

「あともうちょっと。最後に短冊にお願い事を書こうや」

「うんっ」


 僕は真白に短冊とペンを渡す。

 真白は一生懸命短冊にお願い事を書いていく。

 僕は真白に見えないように、一枚の短冊に願いを書いた。


「優斗くん、書けた?」

「おう、書けた。じゃあ飾ろっか」


 そして二人で笹に短冊を吊るした。


 こうして――、二人だけの七夕が完成した。

 笹の葉や飾りは、夜風に揺られ、音を立ててなびいている。


「きれい……。優斗くん」

「よかった。真白が喜んでくれて。ねぇ真白。なんで笹に飾るのか知っちょる?」

「んー? どうして?」

「笹ってすごく生命力が強くて、魔除けの力が強いって言われちょるらしいとよね。笹の葉って、何となく船の形っぽいやろ? それで願いをこの船に乗せて、天まで届くようにっていうのが由来なんやと」

「そうやっちゃ。なんか、ロマンチックやね」


 僕たちは、地面に刺した七夕を見ながら隣同士でくっついて座っていた。

 くすくすと笑いながら真白は僕の体に寄り添ってくる。


「ねぇ、真白」

「どうしたと、優斗くん?」

「今の真白は、二年前の真白やと?」


 僕の体にくっ付いている、真白の体がビクッとなったのが直に分かった。


「真白。教えて、いろいろ」


 僕は真白の髪を撫でる。


「私……、この真白は、たしかに二年前の真白、なんやと思う」


 僕は「そっか」と頷いた。

 落ち着いているように見せているけど、内心は本当に驚いている。


この真白も驚いちょる。突然四ヶ月前くらいから、気付いたらここにおった。ちゃんと生きてる人間みたいに地面も歩けて、ごはんも食べられる。何が夢でどこまでが現実か分からんかったとよ」


 僕は真白が混乱しないように、うまく話ができるように安堵の意味を込めて、真白の小さな手を握りしめた。真白も僕の手を力強く握り返してくれた。


「私は、この家が大好きやった。お婆ちゃんは優しいし、自然がいっぱい」

「ここは本当にいいところやね」

「そうやろ? 私最初はこれが現実なのかもって思って、もう一回やり直せるのかなとか思ったり。でも、誰もここに来てくれる人はおらんかったし、私もこの家の敷地から外に出ることができんかった」


 僕は真白の手をしっかりと握り、真白の言葉に真剣に耳を傾けていた。


「そんな時現れたのが――、優斗くん」

「僕?」

「そう。こんな私にも友達ができたんやって思うと、本当に嬉しかった。私、小学校も中学校もほとんど行けなくて、病院に通ってばっかりで。時々聞こえるみんなで楽しそうに笑う声がとてもうらやましくて。ずっとお星様にお願いしよった。『友達が現れますように』って。そしたら優斗くんが来てくれた。私の寂しい思いを忘れさせてくれたのが、優斗くんやったとよ」


 僕は、真白の中でとても大きな存在だったのだと、今初めて知った。

 その言葉だけでも、僕は自然と笑みがこぼれ落ちる。


「でも最近――、が手術受けたから、なかなかこっちに来れんかった」


 ――待て。あっちの真白?


「待って、真白。あっちの真白って?」


 真白は手を離さずに、ゆっくりと僕の方を向いた。


「本当の真白は今――、東京におると」


 本当の真白?

 真白は生きている?

 よくある展開だと、真白が病気で亡くなっていて、その真白の幽霊とかが今この場にいるとか思いよったけど、そういうのじゃなくて?


「真白は、真白は東京にいると?」

「おるよ。優斗くんのいる現在から二年前に東京へ行って、最近手術も無事に終わって、あとは体力が回復するのを待ってる状態。この家、私が東京で手術することが決まって二年前に取り壊されたとよね。そのタイミングで、お婆ちゃんもお父さんお母さんが買ったこっちの家に引っ越したと」


 そうだったのか……。

 つまりこの空間だけ、時が二年前のものだということになる。

 僕は全身の力が一気に抜けた気がした。


「私は東京に行ってから、ずーっと病院におったと。なかなか空気が合わんで体調が急に悪くなった時に、意識を失ったことがあって――、それで気付いたらここに。宮崎のこの家が好きでお婆ちゃんに会いたい気持ちも強かったのかもしれん。ちょっと前から体調が悪くなった時にだけ、こっちに意識を飛ばせるってことも分かってきた。最初はつらくてしんどいことから逃げたくてこっちに来てたのもあるけど、途中からこっちに来たい理由が変わっちゃった」

「それって――」


 真白は、腕を伸ばし、僕の頭にぽんっと手を置いた。


「うん。優斗くんに――、好きな人に会いに来ちょった」


 一気に目頭が熱くなった。

 真白が『好きな人』だと言ってくれた。

 真白は、僕に会いに来てくれていたのだ。


「私、優斗くんに会うためだけにここに来るようになりよった。優斗くんの声を聞くために、優斗くんの顔を見るために――。それだけの強い思いがあってここに来れてたんやと思う」

「真白」

「でもね。私、たぶんこれ以上ここに来れんかもしれん」

「な、なんで?」

「最近ここに来れんかったのは、うまく意識をこっちに飛ばせんようになってきてるから。もしかすると、ちょっとずつ元気になってきてるのかもしれんね」

「あ……」


 もう――、会えないのか?


「楽しかった、優斗くん。誕生日まであとちょっとやけど、今日会えたことは最高の誕生日プレゼントやね」


 真白の足がきらきらと光り始めた。

 それは真っ暗な夜空を照らす数多の星が、今僕のすぐ目の前で光り出したかのように、とても綺麗なものだった。


「今まで、本当にありがとうね。私のこと、忘れんでね」


 消えていく。


 真白が、光り輝きながら、消えていく。


「優斗くん……」


 真白の頬に、一筋の涙が流れ出た。


 もう、会えない?


 本当に?




 ――違う。


 真白は、生きているんだろ?


 今も東京のどこかで、生きているんだろ!?



 僕は、消えていく真白の手を強く握りしめ、自分の方へ引っ張った。


「真白! 僕は――、東京へ行く!」


 きらきらと輝きながら、真白はもう片方の手で涙を拭う。


「夢のためだけじゃない! 真白に会いに行く! 必ず真白を探し出す! 迎えに行くかい! それまで待っちょって!」

「優斗、くん……」


 僕の声は、空の彼方まで響いているような気がした。

 それはもう二人だけの世界。

 距離を超えて、次元を超えて、たくさん相手のことを知ることで、積み重ねてきたお互いの気持ち。


「嬉しい……、優斗くん。私、やっぱりあなたのことが――」

「真白! 僕は、僕はずっとキミのことが――」



 ――大好きだ。



 空に向かって消えていく、無数の光。


 僕がたしかに感じていた真白の手の感触は、もうどこにもなく――


 ただ、僕の頬を流れる涙の感触だけ残っていた。



 この日を最後に、あの家に続く道は、二度と開かれることはなくなった。


 ・


 ・


「――で、あるからして髪の毛のキューティクルというのは」


 東京、新宿。

 僕はこの地に降り立ち、三カ月程が経過した。

 無事に専門学校に受かり、悟と感動の別れを経て上京。


 真白と会えた最後の日以来、僕はこれまでにないくらい必死に勉強していい成績を残した。休日はいつも以上に、ヘアメイクの勉強に熱を入れた。


 それもこれも、東京へ行くため。

 真白に会うため。


 しかし実際やってきた東京は、本当に人口密度が高く、もはやほとんど情報のない真白を探すなんて皆無に近いような諦めさえも感じてしまうほどだった。


 二年前の真白と会っていたということは、恐らく今は俺と同い年のはず。

 専門学校に行っているか、大学か。はたまた高校を出ていなければ卒業資格を得るため、通院教育とかしているかもしれない。もしくは仕事をしていて、今はOL? もしくはまだ退院していなくて、どこかの病院に入院中とか?

 もうどこをどう探せばいいのか全く分からなかった。


 本気で悩む毎日だった。


 いつものように学校を終え、ひとり電車に乗り、最寄り駅まで到着する。


 それは何の変哲もない、いつもの帰り道。

 突然強い風が吹き、僕は目にゴミが入らないように一瞬目を瞑る。


 そして、目を開けるとそこには――、道が二手に分かれていた。


 あれ? こんな道あったっけ?


 でも僕の足は自然と、その道に向いていた。


 少し進むと、小さな公園があり、数人の子供とその親御さんたちがいる。

 知る人ぞ知る隠れ家のような公園であった。


 何かに呼ばれるように公園の中に入ると、そこには大きく笹の広がった竹が用意してあり、『七夕まつり』と書かれた暖簾のれんもあった。どうやらもうすぐ開かれる祭りの準備をしているようだ。


 そのすぐ近くで、竹に飾る七夕飾りを子供たちが簡易テーブルを使って作っている。



 僕は――

 その瞬間、その光景を見た瞬間――、大きく身体が震えた。


「これは七夕飾りって言うとよ。それでね、これは“折鶴”」


 子供たちの真ん中で、ひとりの少女が子供たちに七夕飾りの作り方を教えている。


「お姉ちゃん、すごーい」

「これねぇ、姉ちゃんのだーいすきな人に教えてもらったとよ」


 僕は――、運命に、神様に、願いを届けてくれた七夕、すべての巡り合わせに感謝する。


 僕が短冊に書いた願い事、それは――


「真白っ!」



 ――真白と、この先もずっと一緒にいられますように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

五色の糸に、願いをのせて 太陽 てら @himewakaba

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ