6.調査開始

「おはよう」「おはよう、アン」

「おはよう、ディックさん、ウィル」

 六時三十分、香り立つコーヒーと朝食プレートを前に三人で食卓を囲んだ。

「すげぇ、エッグベネディクト。美味そうだ。イギリスの朝食でこれが出てくる家庭なんて、そうないだろ。アンが来てラッキーだよな、俺ら」

 そう言って、ウィリアムはナイフで一口サイズにしたパンを口に運ぶ。 

「んぅん、見た目も味も絶品。ディック、アンが早起きして作ってくれているんだ、お前も感想言えよ」

「黙っているってことは、うまいと言っているのと同じだ」

「口下手な奴はモテないぞ」

「アンの今日の予定は?」

「また、大英博物館で一日過ごすつもり」

「そうか。くれぐれも犯罪者が蔓延らない時刻に帰ってこいよ」

「小・中学生に言うようなセリフを、十八の私に言わないでよね」

「アンリは可愛い上に、料理上手だから、無事に帰宅してもらわなきゃ困るんだよ」

「煽てたって何も出ないわよ」

 アンリは澄まし顔をしたが、内心は嬉しさと動揺が入り混じっていた。ウィリアムはレイヤードと違ってプレイボーイではなさそうだから、多少素直に喜べる。

 九時までに洗濯と掃除を済ませたアンリは、外出前に探偵事務所のドアを叩いた。

「ディックさん、お昼は冷蔵庫にある昨晩のカレーと冷凍米で食べてください。あと、拵えたサラダが野菜室にありますから」

「分かった。ありがとう」

 ディック・ジェイスは、寡黙な人物なのだろうか。アンリは、大学に向かう道中、思い耽る。ウィリアムは、気さくに自分の事を話してくれるが、彼は違う。だからウィリアム不在の夕飯時は、非常に気まずい。私が長時間語れるホームズ、ポアロ、フィリップ・マーローネタを振っても、会話のリレーが三分も続かない。初日にバカ笑いした顔は目撃したが、彼は他人に冗談を飛ばしたり、何かを熱弁することなどあるのだろうか。

 ディックの出身はウィリアムと同じ、コッツウォルズのカースル・クーム村で、家族は、三つ違いの兄一人と、年の離れた妹二人に弟一人。イートン校、オックスォード大学卒のエリートで、三年前に探偵業を始めた事以外は教えてもらっていない。大学卒業から探偵業につくまでの空白の五年について尋ねるとウィリアムも揃って話題を変えてしまうのだ。同様に隠し事をしている身として、その話題は追及しないでいる。もう少し時が経てば、お互い砕け合えるのだろうか。

 アンリがラッセル・スクエア(緑地広場)に差しかかった時、リグル二世が主人の肩から降りて広場内の樹に登っていった。アンリ同様田舎育ちの彼女は、自然の中で駆け回ることを望んでいるようだ。

「リグル、遊んでいく時間はないわ。戻っておいで」

 リグル二世はションボリ顔で、アンリの元に帰ってきた。

「お利口ね。アノクの件が片付いたら、たっぷり遊ばせてあげるから」

 大学の校舎に入ったアンリは、頭にインプットした地図と記憶を頼りに三階に上がって、目当ての研究室のドアをノックした。

「おはようございます、教授」

「おはよう、スタンフォード君、リグル」

 ルイス教授はソファからクッションを退け、アンリを座らせた。ソファを挟んだテーブルは写真や日誌、あらゆる紙類で埋め尽くされていた。

「これが大学にあったアノクの資料だよ。報告書は考古庁に問い合わせたけど、まだ返事がない」

 ルイス教授とアンリはまず出土リストと写真の照合を始めていた。

 

・ミイラ:一体

・人型棺:二棺

・カノポス壺:四個

・貴族の杖:一本

・護符:十七個

・シャブティ:三十体

・シャブティ箱:一箱 

・死者の書:一巻

・反物の模型:六個

・果物の模型:二個

・枕:一個

・壺:五個

・化粧容器:一個

・化粧棒:一本

・封鎖壁:一枚


「大英博物館が所蔵している品は、ミイラ(一体)、第二の棺、カノポス壺(四つ)、護符(七つ)、果物の模型(二つ)。他はカイロ博物館にあると」

「この棺は酷いな。ここまでズタズタに文字が削り取られているモノは見たことがない。『死者の書』も名前が消されている。これは、故人が罪人だったか、憎みを買う人物だったかだ」

古代エジプト信仰では、故人の名前が消されることは、その人物の来世・現世での影響力が失われることを意味していた。また、ミイラが存在する限り霊魂は生き続けると信じられていたため、敵対者によるミイラの破壊が行われることもあった。

 アノクから無邪気さは感じられたけど、悪人の雰囲気は微塵も感じられなかった。記憶喪失なのだからといってしまえば、それまでだが。私は自分の直感を信じたい。

 ルイス教授は、カノポス壺とシャブティの写真を見比べて言った。

「メトプとサチュア。所有者名が違う」

 ホルス神四子が頭蓋のカノポス壺はメトプ、貴族の杖は朗誦神官サチュアなる人物のモノであった。また、シャブディにも、朗唱神官サチュアの称号と名が見つかった。

 

 あの世で、シャブティを人のために働かせる呪文。朗唱神官サチュアの言葉。彼は言う。「おお、朗唱神官サチュアに割り当てられたシャブティよ。もし私が呼び出され、もし私があの世でしなくてはならないどんな仕事にでも割り当てられたら、その時は、そこでお前に対して義務に向かう者として、面倒なことを投げつけるのだが、そうしたらどんな時にでも畑を耕し、岸辺に水を引き、東の砂を西へ運ぶために、私の代わりにお前をその仕事に割り当てよ。『私はここに居る』とそこで答えよ」

                     良質な副葬品であることから、メトプも高い身分であると読み取れる。アノクはこのどちらかに該当する人物なのであろうか。メトプとサチュアについて銘文がないので、はっきりした人物像は掴めない。

「代用品が加えられたということは、アノクは突然死したということですか?」

 生前中に墓が完成しなかったために、ツタンカーメンは本来とは違う小さな墓に埋葬されたといわれている。また、他人のモノで副葬品を揃えることもまれではなかったらしい。

「報告書が上がったのが一九五〇年となると、DNA鑑定・X線調査はされていないか」

 ロンドン大学・考古学研究所の隊員の名簿を見ると、考古学班、建築班、記録班、古生物班と二十名近くが関わっていた。その中で、現在ご存命の可能性がある人物は六名。彼らは当時記録班に回っていた若手研究員であった。


隊員名簿

ナット・ボーナム:五二歳

(省略)

イアン・キャンベル:二四歳

カルロ・コリガン:二四歳

ベリンダ・アボット:二四歳

エイミー・バラノフ:二三歳

ゲイリー・ブロウ:二三歳

ダリゴ・グオンネル:二三歳


 存命であれば九三・九二の年齢である。望みは薄いが、発掘の話を聞くことができるのであれば、彼らと接触したい。

「彼らの当時の住所は出てきても現住所とは限らないし、警察でもない限り、役所で個人情報は出してもらえない」

「それなら大丈夫です、教授」

 人探しにドンピシャの人物がいる。あの人に頼もう。

「写真がカラーじゃない分、実物を見にいくべきだな」

 そう言いうと、ルイス教授は一本電話をかけた。相手は大英博物館のラニス館長であった。

「ルイスです。これから、うちの生徒とそちらに伺ってもよろしいですかな。――ええ、スタンフォード君とです。では」

 アンリとルイス教授は、大学を出て六分後には大英博物館の館長室のソファに着いていた。

「館長、スタンフォード君からあなたに言うことがあるそうです」

「ほう、何かね」

「ごめんなさい。エル=クルナのミイラの調査が大学の研究目的だというのは嘘なんです」

「ウソ!?」

「私がミイラの調査をしているのは、…そのミイラに倉庫移動の阻止を懇願されたからです」

「まってくれ、君は一体……何を言っている」

「館長、信じがたい話だと思うでしょうが、彼女はミイラと対話できるそうです」

「ミイラと対話?…ミイラが君に自分の再調査を依頼したというのか。バカな」

「アノクは身分が判明して、倉庫行きがなくなる事に望みをかけているんです」

「アノク?それは君がミイラから聞いた名前なのかい?」

「彼は記憶喪失なので、これは私が付けた仮名です」

「ミイラは皆、生前の記憶をなくすのかい」

「いいえ。バイブリーのボットベリー博物館のティティには生前の記憶があります」

「その子の身の上は?」

「彼女はインカのシエラ農村の出身です。十六で雪山で生け贄にされました。死の間際、恐怖心を麻痺させるために、チチャ酒とコカの葉を口に含まされたと、震えながら親友の私に語ってくれました」 

「少女ミイラは君の親友なのかい?」

「そうです」

 アンリは、証拠としてティティとのツーショット写真を館長に突きつけるように見せた。

「この子が親友のティティです。髪の赤いリボンは私がプレゼントしたものです。これだけ、極秘情報を提供したんですから、信じてもらわなければ怒りますよ」

 ラニス館長は手を叩いた。

「こいつは、魂消た。私は君を展示物に加えたいね」

 そういう怖い歓迎を受けたのは二度目である。

「君のミイラ愛は理解したよ、スタンフォード君。しかし、それがミイラ本人の望みであったとしても、計画を取り下げることはできないよ。彼が高人だと立証されない限りは」

「もし、アノクに価値が認められたら、移動を考え直してもらえるってことですか」

「そうなった場合は検討しよう」

「その言葉、後で撤回しないで下さいね」

 アンリは今の話をアノクに報告するべく一人退散した。

「ルイス君、君は彼女の対話能力について疑いはないのかね?」

「疑うよりも、面白いではありませんか。それにこの調査がどちらに転ぼうと私は存しません」

「私はあのミイラが優良物とは思えんがね」

「ですが館長、ガラクタに光を当てるのが我々の仕事ではありませんか」

「君らの好きに調査したまえ。しかし、こちらは費用の負担はしないからな」

 アンリはエレベーターで二階へ上がり、Room61にやってきた。

「本当か、アンリ」

 アノクの目からじわじわ涙がこぼれる。

「気が早いわ」

「この感激は苦汁を強いられた者にしか分からない」

「そうですか。精々水没しない程度にね」

「アンリはいい奴なのに、たまに口悪いよな」

「迷える子羊君は一端の口をきくようになったのね」

「やだな、俺が恩を忘れたとでも」

「調子いいんだから」

 小競り合う二人の元にルイス教授とラニス館長がやってきた。

「彼がアノクだね」

「このおっさん達は?」

「調査に協力して下さるルイス教授とラニス館長よ」

「そうか。失礼した、学者先生。…と、黒幕の館長」

 ルイス教授が屈み込んで、アノクと棺を観察し始める。

「おっさんに凝視されてもな」

 するアノクをアンリは注意する。

「アノク、クネクネしないの」

 言ってから、動かれて気が散るのは自分だけだったと気づき、撤回しようとしたが、アノクが従ったので見送った。

「寄せ集めた木材で拵えたような風貌だ。そして、この痛々しい傷跡。やはり故人への憎悪が感じられる」

 長さ二〇六cm・幅五五cmの棺を見たルイス教授が印象を述べた。棺にはミイラを守るためだけでなく、死者が無事冥界の旅と、復活を遂げられるように、そこに記された銘文、図像によって、神々からの助けを促す役割も担っていた。

 棺に典型的に見られる腕を胸の上で交差させる姿は、死後復活を遂げたオシリス神のポーズである。死者も復活のために、自身をオシリス神に重ね合わせた。棺の中央には、死者を守るように翼を広げた天空の女神ヌウトが描かれている。

「今の段階から推測して、科学調査をしない事には、進展は見えそうにない」

「ラニス館長」

「バカ言っちゃいけないよ、ルイス君。下で言ったじゃないか。こちらで調査費用は負担しないと」

 私が勝手に巻き込んだ件ではあるけど、アノクは、まぎれもなく大英博物館の所蔵品なのよ。この調査をバックアップする立場にいながら、可笑しくない? 

「これでは君、子供の自由研究にお金を出せと言っているようなものだ」

 子供の自由研究ですって。この人は何も理解していない。

「あなた、それでも館長。妥協するなんてありえない。恥ずべきことよ」

「ヒュー、かっこいいぞ。さすが神が与えた救世主。参ったか、おっさん」

「しかし、これは合同調査じゃなく、君らの独自調査だ」

「スタンフォード君、科学調査は諦めるしかないよ」

 ルイス教授がアンリに引き下がるように言った。

「アンリが言っても折れないとは、やはり極悪人」

 アノクはありったけの邪念を込めてラニス館長を睨みつけた。

 人目を憚らず議論に夢中の二人を見かねたラニス館長が告げた。

「このフロアーを君らに独占されるのは困るから、ミイラを収蔵庫に移動させよう」

「ヤダ、倉庫はヤダ。アンリィ~」

 アノクが戦慄く。

「アノク、落ち着いて。大丈夫、一時的だから。移動した方が、いっぱいあなたとお話しできるし、それがいいのよ」

「分かった。俺、アンリを信じるよ」

 アンリの宥めでアノクの震えが止まった。

「私と教授があなたを救う努力をする代わりに、アノクは記憶を取り戻す努力をしてね」

「分かった。がんばる」

 話を続けるルイス教授とラニス館長を残して、展示室を出たアンリは、見知った男に出くわした。

「やあ、お嬢ちゃん」

 警備員なら不思議はないが、学芸員がなぜこの階にいる。神出鬼没な男だ。

「浮かない顔だね」

「館長にアノクの科学調査を断られたの」 

「残念だったね」

「費用ってどれくらい?」

「ミイラだとCT・DNA検査+病院への輸送費で、一〇〇〇ポンド~一四〇〇ポンド(十五~二十万)は掛かるな」

「一四〇〇ポンドも。はぁ~」

 落ち込むアンリにレイヤードが肩を抱いて言った。

「グレートカフェで、ご馳走するよ」

「仕事は?」

「十分程度なら大丈夫さ」

 階段でグレートコートに下りてきたアンリとレイヤードは、東北にあるカフェへやってきた。アンリはイチゴのタルトとスコーンをご馳走になった。

「何か召し上がらなの」

「俺は、君の食べ姿を頂くからいいの」

 私の秘密を知らないとしても、こんな子どもに口説き文句を投げてよこす男はいない。なんて人だ。

「レイヤードさんっていくつ」

「二八」

「小娘をかまって楽しい?」

「楽しいよ」

「レイヤードさん、ロリコンなの?」

「ブハ、なんてことをいうんだ君は。俺はロリコンじゃない。君が対象なだけ」

「どうして?」

「一目惚れしちゃったから」

 異性からの劇的な言葉に、アンリの手から食べかけのスコーンが皿の上に落ちた。無意識に頬が桃色に染まっていく。しかし、経験上アンリはレイヤードの言葉を素直に受け止められない。

「あなたは、知らないからよ」

「何を?」

「あなたが思っている以上に、可笑しな女だってことを」

「君がミイラと対話できる話のこと?」

「なんで…知ってるの」

「盗聴してたから」

 リグル二世がドアを見詰めていたのは、彼の気配を察知したからか。

「君はルイス教授には心を開いているようだね」

「教授を知ってるの?」

「俺、ロンドン大学・歴史科学部のOBだから」

「そう。…ルイス教授は、ベルエ館長と一緒で、私を無下にしないもの。本心は分からないけど」

「ティティちゃんのいる博物館の館長さんね」

「そこまで聞いてたの?…なら、私をからかっている以外にない」

「俺はミイラに頼りにされている君は魅力的な女性だと思ってる」

「ウソ、ミイラと話す女よ。誰が親しくなりたいと思う?」

 レイヤードのしつこさにアンリはムキになる。

「リグルはご主人に似ず、人を見る目がある」

 彼の発言にアンリの眉が吊り上がった。

「どういう意味?」

「君も俺のこと知らないのに、勝手にプレイボーイと決めつけている。君の訪問理由には笑ったけど、エル=クルナのミイラをアノクって名前で呼んだ時は、笑ってないよ。俺は、いい加減な気持ちで口説く程ヒマじゃない」

 レイヤードは怒って、席を立った。彼の遠ざかっていく背中を見たリグル二世は、主人に「アンリが悪い」と訴える顔を向けた。

「分かってる。私が言い過ぎたってことは。分かってるけど」

 誤りに行くのが筋であると、重々分かっているが、いろんな心の葛藤が枷となって、椅子から立ち上がれずにいた。自分が怒らせてしまったのは事実。自分が持たれて嫌だと思う偏見を、レイヤードに抱いてしまった。この儘、ここで座っていたら、彼を失ってしまう。普通に接してくれた貴重な人を。

 ケーキが半分残った皿を放棄してアンリは席を立った。人ごみを縫ってリグル二世が指し示すレイヤードのいる方向へ進んでいった。やっと地下に通じる階段で、彼を呼びとめた。

「クキュー」「レイヤードさん」

「?」

「さっきはごめんなさい。あなたはいつも親切なのに、私は。バイブリーに居た時はあなたみたいな人はいなかったから…すごく困惑して。それであしらって回避する手段しか取れなくて。…傷つけてしまって、ごめんなさい」

「キス、してくれたら許すよ」

 アンリの足が一歩下がったのを見て、レイヤードは即撤回した。

「は、ムリか。なら、彼氏候補に名乗りを挙げるのはいい?」

「えっ、うぐ、それは…私が承知することじゃ…ないんじゃ」

 アンリは火照る顔を俯かせて答えた。

「じゃあ、これからはお互い愛称で呼び合おう」

 いつの間にかレイヤードが接近していたので、アンリはビクッとなった。彼は、火照り顔で固まる少女に告げた。

「さっきの言葉を撤回するよ。やっぱりリグルの性格は君譲りだ」

 口の減らない男に、アンリは今更ながら呆れてしまった。 

 二十時四五分、鏡台の前に座って洗い立ての髪を乾かすと、その儘、今夜の任務遂行のために笑顔の練習をする。しかし、やり続けているうちに鏡に映る人物を誰?と感じ始めた。

「私、こんな顔してた?リグル」

 鏡に向かって尻尾をフリフリし、甘え声を発しているリグル二世を見て、アンリは笑った。

「やだ、ハハハ…。リグルも練習?フフフ、それで誘惑するのね?今夜の作戦に一役かってくれるのね、心強いわ」

 二二時四十分、アンリはキッチンのテーブルで発掘日誌を耽読していた。アノクの墓の入口が発見された日から入る。


×月×日(水):イアン・キャンベル

 WX号墓から十一メートル南下した十メートル四方のグリッド(格子)の設置地点で人工穴が見つかった。掘り進めると、古代の階段が現れた。明日から一・二週間かけて、階段の土砂の除去作業が始まる。午後は倉庫でWX号墓から出土した遺物の整理作業の続きを行った。土器の接合、レリーフのトレース等。


×月×日(木):カルロ・コリガン

 新に発見された墓の階段の土砂除去が始めった。今日も現地作業員が鍬かきした土を、五十~一〇〇人の土運び人たちがバスケットを担いで土捨て場まで運ぶ。午前中までの作業では、約一メートル土砂を取り除いた。階段→通路→玄室へと続くであろうが、今の段階では先の空間がどうなっているかは分からない。


 シェイク・アブド・エル=クルナでの一九四五年~一九五八年に渡る現地調査は、オシリスの墓発見が目的だった。が、発見できず十四年で打ち切りとなった。発掘というものは、狙った地点から必ずしも遺物が発見されるわけではない。ハワード・カーターもツタンカーメン発見に六年費やした。現実では『インディージョーンズ』『ハムナプトラ』のような冒険は望めない。炎天下の中、コテを使って地道に土砂と向き合う作業が続くのである。

 玄関で「ガ、ガチャン」の鍵音がすると、アンリは一目散に飛び出していった。

「おかえりなさい、ウィル」「クキュー」

「ただいま…アン、リグルも起きていたのか」

 ウィリアムは薄い寝間着の上に外套を羽織っただけの少女の姿に戸惑った。

「アン、嫁入り前の娘が無防備な格好で出てくるもんじゃないぞ」

「大丈夫、ウィルって分かって来たんだから」

 少女のおろした艶のある黒髪が、妙に色っぽい。

「俺は刑事だが、その前に立派な野獣なんだぞ」

「でも、ウィルは職を失う行いはしないでしょ」

「言ってくれるぜ。ああ、俺はアンリに男として見られていないのか。自信なくした」

「フフフ、元気だして。今晩はリクエストのミートパイよ」

「慰め、ありがとう」

 ウィリアムは、アンリの髪を撫でた。

「先にシャワー浴びてくる」

「うん」

 アンリは恥じらいを捨て、ニッコリした。

「アン、今日はやけに機嫌いいな。何かあったか?…リグルもどうした?可愛い声だして、尻尾フリフリして。発情期か?」

「ウィルが帰ってきて嬉しいのよ。何があったかは後で話すわ」

 アンリは目的実現のため、吐き気に堪え、チャーミングな娘を演じた。

「おう」

 ウィリアムは上機嫌で鼻歌を響かせ、階段を上がっていった。既に時運が小悪魔の手中にあるとも知らず。



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大英博物館のミイラ 謝凛(シェリン) @0106413

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