第4話 接近

 その翌日から、優斗と佳奈子は、さりげなく夕食の席を一緒に座るようにして、そのまま夕食後に一時間ほど話しをするようになった。食事の後には雄弁になる佳奈子だったが、食事中は一切の話をせずに、黙々と給食を口に運んでいた。

 「ところで、摂食障害って、どんな病気なんですか?過食症とか、拒食症もそれですか?」

 優斗は、前の日に疑問に思ったことを正直に聞いてみた。そもそも、人の病気の症状について聞くのは、場合によってはマナー違反であろうことは理解をしていた。しかし、佳奈子は優斗のそんな質問にも快く答えるのだった。

 「摂食って、本当にいろんな症状があるんですけど、私の場合は、過食です」

 (この細さで過食?)

 優斗は驚いた。佳奈子のそのか細い体型から、てっきり拒食症をイメージしていたのだが、佳奈子の症状はその逆だと言うのだ。

 「はっきり聞いてもいいのかな・・・?」

 優斗は、その疑問を口にしていいか迷いつつ言葉を選んでいたが、佳奈子はそれを見透かしたように話を続けるのだった。

 「なんで過食でこんなに細いのかって思っているでしょ?」

 「うん・・・」

 「私の場合は、過食モードに入ったら食べないと気が済まないんだけど、太りたくないっていう思いも人一倍強いから、食べたら吐くの繰り返しなの。ひどい時は、胃の壁に何かがへばりついている気がして、そうなるともう我慢できなくなって、2リットルくらい水を飲んで、無理やり吐くこともあるの」

 優斗は、まさに面食らった感じだった。太りたくないけど、食べないと気が済まない。この矛盾を解決するために、佳奈子は食べる、吐く、を繰り返して、何とか精神を保っているのだ。

 「そんなことしていて、内臓の病気とかは大丈夫なの?」

 「もちろん大丈夫じゃないですよ。一気に物を入れて膨らませて、一気に吐いて小さくするんだから。私の胃には、ポリープが20個以上あるって内科の先生が言ってたから」

 佳奈子はあっさりとそう言うのだった。

 「今の体重って、どのくらいなのか聞いてもいい?」

 佳奈子があまりにも自分のことを簡単に話すので、優斗も疑問に思うこととを正直に聞いてみることにした。

 「先週計った時で34キロだったみたい。先生は40キロになったら退院させてくれるって言ってるんだけど、ここからがなかなか増えないんだ」

 「 “ここからが ”って、入院した時は何キロだったの?」

 「入院する時も体重は計っているはずなんだけど、あんまりよく覚えてないの。でも多分、28キロくらいだと思う。それから毎週水曜日の朝に計量があるんだけど、体重計の数字のところ紙で隠されて、私本人には教えてくれないんだよ。ひどいでしょ。」

 自分の体重を、「34キロだったみたい」と話した理由がわかった。佳奈子は、直接自分の体重を把握していないのだ。

 「なんで自分の体重教えてくれないの?」

 「私が体重増えていくことに恐怖を覚えて、自分で食事の量を調整しないようにだと思う。週に一度、栄養士の栄養指導があるけど、栄養士も教えてくれる時とそうじゃない時があるから」

 「そうなんだ。初めてのことづくしで、付いていくのが大変だよ・・・」

 優斗は苦笑いをしながら、頭の中を整理していった。34キロで過食というのも驚きだったし、毎週計量をしながらも自分の体重を教えてもらえないということも信じ難かった。いや、まだまだ理解できないことがある。そもそもこの病棟は任意入院のはずである。自分が退院すると言えば、退院できるのではないか?体重が40キロになれば退院という条件が付いているのもおかしな話だ。

 優斗がその疑問を質問しようとした時に、また看護師が来て佳奈子に何事か声をかけた。それを聞いた佳奈子は、いつもと同じように席を立ち、「じゃあ、部屋に戻るね」と言って病室に戻っていくのだった。

 翌日は土曜日だった。優斗は、一日3時間しか仕事ができないからという理由で、土曜日と日曜日も関係なく仕事に出るための外出届けを提出していた。しかし、その日は仕事をする気にならず、予定通り外出したものの、職場には行かずに札幌駅で地下鉄を降りると、携帯電話で小学生時代の同級生で、もう14年ほど性的な関係を持っている大出奈美にコールした。いつもそうであるように、2回コール音が鳴る前に奈美は電話に出た。

 「今から会えないか?」

 優斗は単刀直入に本題に入った。

 「優斗いっつも急じゃん。私のこと暇人だと思ってない?」

 奈美は少し怒ったかのような声で不満を漏らしたが、優斗はお構いなしといった風に話を続けた。

 「急にしか時間ができない仕事の仕方してるんだから、勘弁してくれよ。実は今ちょっと訳ありであまり時間がないんだ。少しでいいから会ってくれないか」

 少し間を置いて、奈美は仕方がないという感じで「うちでいい?」とため息を漏らしながら答えた。

 「今、地下鉄の札幌駅にいる。これから乗り換えて向かうから、あと20分くらいで着くから」

 優斗はそういうとすぐに電話を切って、地下鉄東豊線の乗り場に向かった。札幌駅から東豊線の一方の終着駅である福住駅までは、おおよそ15分くらいの時間で着く。市立西福住中学校で英語教師をしている奈美の家は、福住駅から歩いて5分くらいの距離にあるマンションだった。

 先ほど電話で告げた通り、20分ほどで優斗は奈美のマンションについた。部屋の番号を押してインターホンを鳴らすと、インターホンの相手を確認することなくオートロックの鍵が外れた。

 「20分で来られたら、化粧する時間もないし、部屋を片付ける時間もないし、いくらなんでも急すぎるん・・・」

 優斗が玄関を開けると、そこでスウェットの姿で仁王立ちになって待っていた奈美に不満の言葉を浴びせられそうになったが、優斗は自らの唇を奈美の唇に押し付けることでそれを封じた。そして、唇を強く合わせたまま、強引に勝手知ったる奈美の部屋の中を移動して寝室まで行くと奈美をベッドに押し倒した。

 奈美はもう不満を言うことはなく、優斗のその強引さを受け入れていた。優斗は彼女が強引な手に弱いことを熟知しているので、そのままスウェットを脱がせていった。奈美もこうなることがわかっていたのだろう、ブラジャーを着けておらず、優斗がスウェットを脱がせるとすぐに乳房が露わになった。

 優斗は乳首を責める時の奈美の反応が好きで、いつも執拗に愛撫をした。この日も、奈美の小ぶりな両乳房を揉みしだきながら、左右の乳首を交互に口に含み、すでに硬くなっているそれを舌で転がしたり、軽く噛んだりする。そうすると奈美は身をよじって感じながらも、優斗の頭の後ろに回した両手に目一杯の力を入れながら、乳房を優斗の顔に押し付けるのだった。

 優斗はそうしながら、奈美の下半身のスウェットを、パンティと一緒にずり下げると、様子を見るように右手を陰部に忍ばせた。すでにしっとりと湿ったそれを指先で刺激すると、奈美は喘ぎ声をあげて快感に身を委ねる。

 「ねえ優斗、もう我慢できない・・・。入れて?」

 懇願する奈美の言葉を無視して、優斗は乳首の愛撫と陰部への刺激を強めていく。

 「あ、ダメ、いっちゃう!」

 声を押し殺してそう呟いた奈美は、痙攣したかのように体を震わせた。優斗は、間髪入れずに、すでに隆起している自分のものを挿入する。激しく腰を動かすと、奈美は何度も何度も体を震わせて絶頂を迎えるのだった。

 「俺もいくよ」

 耳元で優斗がそう呟くと、奈美は優斗の目を見つめながら小さく頷いた。

 「今日は大丈夫だから、中にいいよ」

 奈美のその言葉を聞くとほぼ同時に、優斗は奈美の中で果てた。優斗が奈美のマンションについてから、わずか30分足らずである。

 行為が終わった後、奈美はそのままの姿でキッチンから灰皿を持って来て、タバコに火をつけ、それを咥えて優斗の横に潜り込んで来た。優斗は、行為の最中とそれ以外の時のこういうギャップが心地よかった。

 「で、訳ありって何があったの?」

 奈美は仰向けで天井を見つめタバコをふかしたまま言った。

 「今、入院中なんだ。」

 「は?じゃあ、なんでここにいれるわけ?」

 「いや、検査入院だから一日3時間だけ外出できるんだよね。いつもは仕事に行ってるんだけど、今日は土曜日で出勤する必要もないし、病院には仕事に行くって言って来たんだ」

 「何かよくわかんないけど、まあわかったことにする。で、何の検査してんの?」

 奈美は相変わらず優斗に目線を合わせない。

 「精神科。だから、生きる死ぬの問題じゃないよ」

 奈美は精神科と聞いて驚いて声をあげた

 「精神科?優斗が?何、仕事のストレスでうつ病とか?」

 「そういうのじゃないよ。メンタルチェックって、義務化になったろ?職場であれやったらちょっと引っかかったんだよ。だから、自分でも何の病気の疑いがあるのかわからないんだ。検査入院なのに、検査らしいことしないしさ」

 優斗は頭をフル回転させて、自分が性依存症の疑いがあることを悟られないように言葉を並べた。少し間を置いて、今度は優斗から話題を変えて話し出すのだった。

 「あ、それから、来月早々に異動になるから。」

 「え?この時期に珍しいね。行く先決まってるの?」

 「正式な内示がまだ出てないから、絶対に他に漏らすなよ。教育庁の総務政策局。」

 この時になって初めて奈美は優斗のほうに体を向けた。先ほどまで咥えていたタバコは、もみ消されてすでには灰皿の中だ。

 「え〜。優斗が教育庁とかあり得ないんだけど。」

 これからの優斗の仕事は、中学校の英語教師をしている奈美の仕事に直結する。奈美はそのことが信じられないといった風だった。

 「だから、これまで以上に会うのには気を使うことになると思う」

 そういうと、優斗は起き上がって服を着始めた。奈美はもう口を開くことなく、代わりに着替え途中の優斗の唇に唇を押し付けるのだった。優斗の口の中には、タバコの匂いが広がった。

 優斗は、奈美と一緒に地下鉄の駅に直結しているイトーヨーカドーのコーヒーチェーン店で早めの昼食を済ませると、奈美とのこれまでのことを思い返しながら、一人で病院へと帰った。特にどうしようもなく欲求を感じることはなかったが、何となく女性を抱きたくなると、今日のようにセックスパートナーに連絡を取るか、風俗に行ってその欲求を満たす。不思議と、仕事が忙しかったり難しい案件を抱えていると、そういう欲求が出てくるのだった。しかし、それがないと生きていけない訳ではなかった。実際に、そういう欲求を抱えながらも、時間を作れずにいた時などは、それがなくても平気だった。それでも依存症なのだろうか。優斗にとってはやはり、ごくありふれた日常でしかない。今日の奈美とのセックスを思い出しながら、そんなことを考えつつ夕食までの時間を病室で一人で過ごした。

 夕食の後、今日は優斗から佳奈子に話を切り出した。

 「俺、依存症を疑われているんだ。それで、診断をするために入院してくれって言われて、今入院しているんだよね」

 奈美には決して言えないことだったが、佳奈子には自然と打ち明けることができた。

 「何の依存症?見た感じ禁断症状でてないから、アルコールじゃないでしょ?」

 佳奈子は大した驚きもせずに、さらりと言ってのけた。

 「セックスなんだ」

 周りに聞こえていないか不安で、佳奈子にしか聞こえないように小さい声で言った優斗のことを気にもせず、佳奈子は「へぇ、性嗜好障害なんだ」と言った。確か、そんな正式名称だったと思いながら、優斗はまたしても佳奈子の精神疾患に関する知識の多さに驚くのだった。

 「いや、まだそうと決まったわけじゃないんだけどね、仕事柄、はっきりさせておかないといけない成り行きになっちゃってさ」

 優斗は、自分で言い訳がましいと思いながらも、一呼吸置いてから正直に話をしてみることにした。

 「でも、セックスしないとどうしようもない、なんてことはないんだよ。ただ、仕事が忙しかったり、仕事で難しいことにぶつかったりした時にしたくなって、する、みたいな感じなんだ」

 「私、今まで男の人と付き合ったことないし、そもそも人を好きになるっている感情もわかんないし、男の人とそういうことした経験もないからよくわかんないけど、依存症を疑われてるんなら、無意識のうちにそれをしないと自分を保てないと言うか、それがないとダメだってことでしょ?」

 佳奈子は少し間を置いて、何事かを考えてから、話を続けた。

 「私の場合の摂食障害だって、きっと依存症の一種だよ。食べ吐きしないと自分を保てないんだから、その行為に依存しているわけだよね。松野さんにとって、その・・・セックスもそういう存在ってことだよね」

 依存症というものの正体がまだわかっていない優斗は、佳奈子の話に納得せざるを得なかった。

 「う〜ん、自分にとってのセックスとか、考えたことないから、その辺のことはよくわからないよ。普段、そんな風に考えたことないしね」

 「そうだよね。ところでさ・・・」

 佳奈子は深刻な顔つきになって話題を変えた。

 「あの安保法制のこと、まだよくわからないんだ。個別的?集団的?何がどうなるの?」

 いきなり全く別の話になったので、優斗は頭の中を切り替えるのが大変だったが、佳奈子はこの調子で自分が思いついたことをすぐに口にする子なんだと考え、優斗も佳奈子のペースに慣れるしかないと思った。

 「あ、安保法制のことね。個別的自衛権っていうのは、外国から武力攻撃を受けた国が、必要で相当な限度で武力を使うこと。つまり、日本が外国の軍隊から攻められたら、それを追っ払うために武器を使ってもいいよっていう権利のこと。集団的自衛権というのは、ちょっと複雑なんだ。例えば日本がアメリカと仲良くしている。で、アメリカがどこかの国から攻撃を受けた時に、その攻撃が日本も危ない状況にするものだと判断できたら、必要で相当の限度で、日本もアメリカと一緒に攻撃してもいいよという権利のことだよ」

 優斗は、佳奈子にもうわかるように、いつも肌身離さず持ち歩いている手帳に図を描きながら説明をした。佳奈子は、その解説に物珍しそうに聞き入り、しばらく考えこんだ後に話しだした。

 「私、高校を一年の一学期で中退したの。それもこれも、この摂食障害を発症して、学校に行けなくなったんだよね。友達って呼べる人もいないし、ニュースでやってることとか、興味もっても聞ける人いないんだ」

 高校の時に発症した摂食障害とは、学校を中退しなければならないほどの病なのか。恋人どころか、心を開く友達もいなかった佳奈子の人生とは、どんなものだったのだろうか。そんなことに思いを巡らせながら、佳奈子の年齢や、家族のことや、もっと摂食障害のことを聞いてみたいと関心をもったのだが、今日も看護師が声をかけに来た。食後の一時間という時間が、段々と短く感じるようになってきていた。佳奈子は、看護師から声をかけられると、いつものように「じゃあ、戻るね」と言って病室へ戻っていった。

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