会いたい、という気持ち

キヨ

会いたい、という気持ち

とある夜、一条克己いちじょうかつみは道端をトボトボと歩いていた。書類のミスが多数見つかり、上司に怒られたばかりだった。

 「(何でオレだけ怒られなくちゃならねえんだよ……。藤堂さんや時久だって書類書いていたのに」

はぁ、とため息を克己はついた。空を見上げる。星も出ていない、どんよりと曇った空。まるで克己の心の中を表しているかのようだった。ふと、克己は思った。

 「(藤堂さんのアパートに寄って、晩酌でもしちゃおうか)」

そんなことを考え、克己は嫌な笑みを浮かべた。そう、克己の同僚兼先輩である藤堂昌也は、定時で上がっていた。しばらく歩いていると、昌也のアパートに近づいてきた。

 「(藤堂さん、急にオレが行ったらどんな反応するかな?)」

くすくすと克己は笑う。そして、昌也の部屋の前についた。克己は呼び鈴を押した。

 「藤堂さん、います? 後輩の一条です。晩酌でもしませんか?」

克己は努めて明るい声で言ったのだが、返事はない。少しだけイラッときた克己は、ドアノブに手をかけた。すると、ドアノブは回った。克己はごくり、と唾を呑んだ。

 「(藤堂さん……! まさか襲撃されたんじゃ……!)」

素早く克己はドアを開けると、ジャケットに入れていたサバイバルナイフを取り出した。ゆっくりと、室内を歩く。

 「あっ……!」

克己の手から、サバイバルナイフが音を立てて落ちた。そこにいたのは、首から血を流して倒れている藤堂昌也だった。すかさず克己は昌也の元へと走った。

 「藤堂さん! 一体誰にやられたんです? いつ襲撃を受けたのです?」

すると、意識がかろうじてあったのか、昌也は首を横に振った。そして、克己は見てしまった。昌也まさなりの手に、ナイフが握られているのを。

 「藤堂さんは……、死のうとしたのですか?」

静かな声で、克己が言った。

 「俺は……、こうに会いたいだけだ。九条にも、一条にも邪魔はさせない。さ、早く部屋から出て行け。俺はもうじき死ぬ。これでいいんだ」

いつも怖い顔をした昌也は、珍しく穏やかな表情をしていた。そんな昌也を見た克己は首を横に振った。

 「いいえ。オレは藤堂さんを死なせません。今、救急車を呼ぶので少し待ってて下さい」

ジャケットの中からスマートフォンを取り出すと、克己は電話をかけた。それからしばらくして、救急車がやってきた。その場に居合わせた克己と、怪我人の昌也は病院へと行くことになった。

 病院へ着く頃には、昌也の意識が無かった。慌てて数人の医師がやってきて、処置室送りとなった。

 待合室で待っていた克己は、同僚であり後輩、さらには従弟である九条時久くじょうときひさに電話をかけた。数十分して、時久がやってきた。珍しく時久が、肩で息をしていた。

 「いきなり一条から電話があってびっくりした。藤堂さんに一体何があった?」

 「時久……。オレはお前の従兄弟だぜ? 名前呼びでいいじゃんか」

口をへの字に克己は曲げた。そんな克己をちらりと見、

 「そんなことはどうでもいい。まぁ、一条がいたから藤堂さんは助かったんだよな」

 「なぁ、時久」

腕を組んで、克己が時久を見下ろしていた。

 「江って誰だ? 藤堂さんは独身だって聞いてるけど……」

 「そうか。一条は江さんのことを知らないのか」

軽くため息を時久はついた。そんな時久を見、克己は首を傾げてしまう。

 「江という女性は、藤堂さんの奧さんだ。藤堂さんは江さんを病気で亡くしたらしい。いつも藤堂さんは言っていたよ。江さんに会いたい、と。前にもこんなことがあったが、まさか今回も起きるとは……」

 「あの強面の藤堂さんにそんな儚げな奧さんがいたのか……。正直、信じられないなぁ」

克己は顎に手を当て、考える仕草をした。ぽん、と時久が克己の肩に手をやった。

 「一条には分からないよな、この気持ちは。俺だって、もし、吉乃きつのが死んでしまったら自殺未遂をするかもしれない」

若干だが嫌みにも取れる発言を時久はした。すると克己から、

 「はいはい、どーせオレは独身ですよーだ。お前や藤堂さんの気持ちは分からねえよ」

と、そのとき、処置室のドアが開いた。素早く、時久は医師の元へ歩いて行った。

 「藤堂さんは大丈夫なのですか?」

すると医師は少しだけ顔をしかめながら、

 「ああ、さっきの患者さんね。けっこう深く切ってあったよ。とりあえずは縫合したけど……。あとは彼の生きる気力次第だね」

そう言って医師は、大股で歩いて行った。看護師が、ベッドを押してきた。ベッドに寝ている主は、青白い顔をした昌也であった。

 「藤堂さん!」

克己が思い余って、昌也の肩を揺する。時久がそれを制した。

 「やめろ、一条。傷に響く」

時久のその言葉を聞いた克己はシュン、とおとなしくなった。

 「ええと、確か藤堂さんの後輩の方々ですよね?」

看護師が克己と時久を見上げた。二人は大きく頷く。

 「それじゃ、藤堂さんのお部屋へ案内します」

ベッドを押していく看護師の後を、克己と時久はついて行った。

 「何かあったらナースコールを押して下さいね」

笑顔で看護師は言うと、部屋から去って行った。

 克己は近くにあった粗末な椅子に座った。時久と言えば、窓から景色を見ている。

 「藤堂さん……。何で首なんか切ったんだろうな。時久はどう思う?」

投げやりな表情を克己は浮かべると、時久を見やった。

 「首……、頸動脈を切れば確実に死ねるからじゃないか? 藤堂さんは空手の有段者だ。人間の急所くらい知っていて当然だと思う。だが、本当に一条が藤堂さんのアパートに寄ってくれてよかった」

壁に寄りかかりながら、時久がぼやいた。

 と、そのときだった。

 「江? 俺はそっちへ行けたか?」

か弱い声だが、この声は先輩である藤堂昌也だった。昌也に初めに食ってかかったのは克己だった。

 「ここは天国じゃありません! 現世です。藤堂さん! なぜ自殺未遂などしたのですか?」

すると昌也は克己を睨み付け、

 「お前に俺の気持ちが分かってたまるか! 俺は江に会いたいだけだ!」

 「その言葉、時久にも言われましたよ。確かにオレは独身です。だから、藤堂さんの気持ちは分かりません」

あえて克己ははっきりと自分の意見を言った。すると時久が、

 「すみません、藤堂さん。俺も吉乃が死んでしまったら藤堂さんと同じことをするかもしれません。だから、藤堂さんの気持ちは分かります」

 「そうだな……。九条には俺の気持ちが分かるかも知れない。妻が死んだら、後を追いたくなるだろう?」

軽くため息をつきながら、昌也が呟いた。

 「ええ……。俺には吉乃が必要です。確かに俺より吉乃は幼いです。が、吉乃は立派な俺の妻ですから」

 「そう。江も俺よりいくつか年下だったが、いい妻だった。だから、俺はもう一度、江に会いたい」

二人で己の妻の自慢話をしている間、克己はため息をついていた。

 「まったく……、藤堂さんと時久が羨ましいです。オレにもいい奧さん、紹介して下さいよ」

すると素っ気なく時久が、

 「妻は自分で探した方がいいぞ、一条」

 「何だよ、時久だって、吉乃ちゃんとはお見合いだろ?」

つーんとした表情を克己は浮かべた。

 「確かに吉乃とは恋愛結婚ではない。だが、俺は吉乃のことを愛しているつもりだ」

そんな二人の会話を聞いていた昌也が小さく笑った。

 「まったく若い奴らはいいな。青春真っ盛りって奴だな」

その言葉に克己と時久は顔を見合わせてしまう。時久は含み笑いをしながら、

 「藤堂さん……。俺と一条はアラサーにアラフォーですよ? 全然若くありません」

 「だが、俺よりかは若い。おそらく江も生きていたら、一条と同い年くらいだろう」

その言葉を聞いた克己は驚いた。

 「とっ、藤堂さん。江さんとそんなに年が離れているのですか? おそらく江さんは藤堂さんより十歳くらい年下……」

江の年齢を知ってしまった克己と時久はがっくりと肩を落とした。江……、藤堂江は、昌也よりも、かなり年下の女性だった。江の旦那である昌也は”いくつか年下”と言っていたが。

 「恋愛に年も何も関係ないだろう?」

そう言って、昌也は薄く笑う。そして、続ける。

 「九条の奥方……、吉乃さんだって九条とは大分年齢が離れているだろう? 確か、十五歳くらいか? 俺よりすごいじゃないか」

 「吉乃ちゃんは一体時久のどこがよくて時久を選んだんだろうな」

目を逸らすように、克己がぼやいた。

 「あの時の吉乃に拒否権はなかった。俺と結婚するしかなかったのだ。”己の命を守るためには”」

ふん、と時久は鼻を鳴らし、克己を見やった。そんな二人を見ていた昌也が一言、呟いた。

 「まったく……、情けない後輩が二人もいるんじゃ俺は当分、江の元へは行けないな」

 「そうですよ! 情けない後輩ですよ! オレ達は」

あえて、盛り上げるように克己は笑顔で言った。仏頂面をしていた時久も、このときばかりは微笑んだ。

 「そうですね。確かに俺達は情けないですね」

 「じゃあ、俺が、お前達の先輩として存在していてもいいのか?」

若干だが寂しさを残すような声で昌也は背の高い後輩二人を見上げた。

 「もちろんです!」

克己と時久の声が重なった。

 「じゃあ、俺ももう少しだけ現世にいよう。江、そちらへ行くのはもう少し先になりそうだ」

そう言って、”情けない後輩二人”に、にっこりと笑った。

 「藤堂さん。もう、こういうことはしないで下さいね。江さんも悲しみますよ」

時久が少しだけ灸を据える。そんな時久の切れ長の瞳を見た昌也は大きく頷いた。

 「分かった。もうしない。江に誓って、俺はもうこういうことは絶対にしない」

そう呟くと、昌也はベッドから降り、窓から空を見上げた。

 「江。もう少し、待っていてくれ。俺は後輩の教育をしなくちゃいけない」

昌也の声は凜としていた。そんな昌也を見た克己と時久は安堵のため息をついた。


END

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