Ⅳ「Regression」

 優しく抱かれる温かさと、まどろむような穏やかな感覚。

 全身の力を抜いて、ふれあう柔らかい素肌から伝わる体温に身をゆだねる。

 優しい指が髪を丁寧に梳き、その心地好さに自然と頬がゆるむ。

「いい子ね」

 耳元でささやいた唇がそっと髪にキスをする。髪にふれた唇の感触から、幸福感が体中に広がっていく。

 髪をなでられながら裸の胸に頭をもたれる。豊かな乳房に顔を埋めると、心の底まで安心感が満ちていく。

 いつの間にか涙が零れていた。

 温かい。

 胸の奥で冷たく凍りついていたものが溶けていく。

 柔らかい。

 硬く強張っていたものがほぐれていく。

 幸せが満ちあふれる。

 こんな幸福感を味わった事があっただろうか。

 あったのかも知れない。遠い昔に。でも、忘れてしまった。もう、覚えていない。

 でも、構わない。今、この時がこんなにも幸せなのだから。

 ただ、幸せだけを全身で感じて、何もかも忘れていく。

 辛い事も、苦しい事も、悲しい事も、何もかも忘れていく。

「いい子ね」

 耳をくすぐる優しい声が心をとろかす。

「いいの。何もかも忘れなさい。辛い今なんて、あなたには要らないの」

 何も考えられない。

「あなたを愛しているわ。私の愛があなたを包んで、あなたを傷つけるものから守るわ」

 何も考えなくていいのだろう。ただ、優しく包んでくれる温かさにすべてをゆだねていれば、それだけで。

「幸せになって。あなたは幸せになっていいのよ。辛い事は忘れて、なかった事にしてしまいましょう。ずっと、ずっと、前に戻って、最初からやり直しましょう」

 意識せず、母の胸を求めるように、乳首を口に含んで吸っていた。優しい手が慈しむように髪をなでる。

「私があなたのママになるわ」

「……まま……」

 声に反応し、胸から離した唇からたどたどしい言葉が洩れた。見上げる瞳を見つめ返すのは、どこまでも深い愛情に満ちた慈母のまなざし。

「そうよ。私があなたのママよ」

「まま……、まま……」

 真っ白になった頭の中に、幸せだけがあふれていく。幸福と安堵に満たされて、ふたたび乳房にすがりついた。

「いい子ね。ママはあなたが大好きよ。だから、ママに還っていらっしゃい。そうして、やり直しましょう。ママがあなたを産み直してあげるから、今度こそ、愛されて幸せになってね。それがママの願いよ」

 そして、優しく抱き合う母娘の姿は一つに溶け合っていく。

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