Ⅲ「Tete-a-tete」

「めりあ?」

 汐音しおねは訝しんで親友の名を呼んだ。

 朝からめりあの様子がおかしい。

 教室の自分の席に着いたまま、やけにぼんやりとしていて、赤くなってにまにま笑っていたかと思えば、急に表情を暗くして深い溜め息を洩らす。

「めりあってば」

 汐音の呼ぶ声にも上の空で、周りが目にも耳にも入っていない様子だ。

「もうっ! めりあっ!」

「えっ? 何? うん? あ、汐音ちゃん、どうかした?」

「どうかしてんのはめりあでしょ。にやにやしたり溜め息吐いたり。何かあったの?」

「えっと……、うぅん、別に何でもないよ」

「どこが何でもないのよ」

 汐音の方が呆れて溜め息を吐いた。明らかにめりあの様子はおかしい。

「大丈夫? どっか具合でも悪いの?」

「あ、そんなんじゃないの! 大丈夫、全然平気だから」

 めりあは慌ててぶんぶん手を振った。

「ねえ、めりあ」

 汐音の声色が低く沈んで、めりあはどきりとした。

「あたしには話せない事?」

 汐音の言葉にめりあは顔を伏せた。

「……えっと」

「ううん。やっぱいい」

 汐音は口を開きかけためりあの言葉に割り込んでさえぎった。

 汐音にとってめりあは一番の友達で、それはめりあも同じのはずだ。

 しかし、それでも話せない事、打ち明けられない秘密くらいあるだろう。──汐音にもめりあに話せない事がある。

「ごめんね、汐音ちゃん。でも、本当に汐音ちゃんに心配をかけるような事はないからね」

 嘘だ。

 めりあには隠し事がある。そして、隠しているという行為それ自体が汐音に心配をかけている。

 もしかしたら、その隠し事は他愛のない事で、本当に汐音が心配するような事ではないのかも知れない。

 それでも、やはり心配だ。汐音にとってめりあは大事な友達だから。

 取り繕ってぎこちなく笑うめりあにそれ以上深く追求する事はためらわれた。

 しかし、大事な友達への心配は募り、汐音にはそのままにしておく事はできなかった。

 

§

 

「トモ先生っ!」

 休み時間になると、汐音は保健室に駆け込んだ。

「おはよう、鳴神なるかみさん。どうしたの? そんなに慌てて。それと、廊下は走っちゃ駄目よ すごい足音が中まで聞こえてたわ」

「あ、ごめんなさいっ! おはよう、トモ先生! それから、ごめんなさい……は、もう言ったっ!」

 小さな体で勢いよくまくし立てる汐音の溌剌とした愛らしさに、土萌はつい笑みを零した。

「はい。落ち着いて。どうしたの?」

「トモ先生、めりあの事、何か知らない?」

 土萌ともえが勧める椅子に座るのももどかしく、汐音はぐっと身を乗り出して詰め寄った。

「久我さんに何かあったの?」

 さっと土萌の顔色が変わり、真剣な瞳に心配そうな色があふれる。

「何か、っていうのもわかんないけど、トモ先生だったら、めりあが何か相談とかしてるかも、って思って──」

 汐音は朝のめりあの様子を話し、土萌は真剣に頷きながらその話に耳を傾けた。

「そうねぇ──」

 話を聞き終えた土萌は考え込むように小首を傾げて口を開いた。

「私も久我さんからは特に何も聞いていないわ」

「そっかぁ……。トモ先生なら、って思ったんだけどな」

「ごめんなさいね。私がもっと何でも話してもらえるくらい生徒から信頼されてたら……」

「ああ! 違うよ! そんなんじゃないよ! トモ先生はすっごいみんなから好かれてるし信頼されてるよ!」

 土萌が自信なさそうに背中を丸めるものだから、汐音の方があたふたしてしまった。

「そうかしら? そう言ってもらえると嬉しいんだけど」

 頬に手を添えて物憂げに考え込む姿が愛らしく、そんな仕種が年齢の割に似合ってしまうのは少しずるいな、と汐音はうらやましく思って土萌に見とれた。

「トモ先生って、歳の割に仕種とか可愛いよね。確か、今年でさんじゅ──」

「何か言った?」

「何でもありませんっ!」

 つい、洩らした言葉を聞き逃さなかった土萌が冷たく目を細めて発する剣呑な空気に、汐音は慌てて首を横に振った。

「そう。なら、いいの。鳴神さん、世の中にはね、思っていても言わない方がいい事もあるのよ。覚えておいてね」

「は、はいっ! そうします!」

 汐音は冷や汗を垂らしながら、今度は必死に首を縦に振った。二度と土萌に年齢の話はしない方がいい。そう本能的に悟って、固く心に決めた。

「はい。よろしい」

 頷く土萌から猛烈な緊張感が消えて、汐音は思わず安堵の息を洩らした。

「──それで、久我さんの事よね。そうね、話を聞く限りだと、久我さんの悩みは何となくわかりそうな気がするかな」

「ホントっ!?」

 汐音は食いついて更に身を乗り出した。

「ええ、多分」

 土萌はにっこり笑った。

「恋、じゃない?」

「ふえっ?」

 思わず頓狂な声が洩れた。

「恋する年頃だもの。いいわね。ちょっとうらやましい。相手は誰かしらね?」

「トモ先生、あたし真面目に心配してるんだけど……。あ、でも、どうかな。そういうのもありなのかなあ。うーん、そうなのかも?」

 汐音はうなりながら首をひねった。

 言われてみれば、めりあの態度にはそんな気配がしないでもないように思えてくる。

「鳴神さんは心当たりない?」

「うーん、めりあ、そういう事言わないし……」

 汐音達も気になる相手や好みのタイプの話くらいはするが、めりあがそういった話題を深く掘り下げる事はない。と、言うよりも、汐音が一方的に水破の事を惚気るだけになってしまうのだが。

「他には、うーん、えっと……、そうだ! めりあのお兄ちゃん! 何か知ってるかも!」

 言うが早いか汐音は椅子から跳ね上がった。

「めりあ、お兄ちゃんとすっごい仲良しだから何か言ってるかも。聞いてみる! トモ先生、ありがとっ! それじゃっ!」

 入ってきた時と同じような勢いで飛び出していく汐音を、土萌の微笑ましそうな視線が見送った。

 

§

 

 次の休み時間。

 汐音は先の休み時間に保健室へ駆け込んだのと負けず劣らずの勢いで三年生の教室のある階へ突進した。

「久我先輩いますかっ!? いますよねっ!」

 めりあの兄、久我優人ゆうとのいる三年C組の入り口に顔を突っ込んで、汐音は教室の中を見渡した。

「久我くーん、お客さんだよー。一年生の子、久我くんの妹さんの友達だっけ?」

 入り口近くの席の生徒が滑稽なほどの汐音の勢いについ笑みを洩らしながら、教室の奥の方にいた優人に声を掛けた。

 汐音は呼んでくれた生徒にぺこりと頭を下げて礼を述べた。優人がやってくるまでの数秒を待ち遠しくそわそわしている様子は誤解を招き、近くの席の生徒から生温かい視線を向けられたが、当の汐音はまるで気にしていない、と言うよりは、他の事にまで気を回す余裕がなく、まったく気が付いていなかった。

「汐音ちゃん? 何?」

 久我優人はめりあの二つ年上の兄だ。背は百七十センチ弱で、体格はやせ気味。繊細な雰囲気の、名前の通り優しそうな風貌の少年だ。真面目だが堅物という訳ではなく、適度に砕けて周りに気を遣う事のできるタイプ。

「めりあの事で聞きたいんですけど」

 ぎくりと優人が動揺を顔に浮かべるのを汐音は見逃さなかった。

「めりあの様子がおかしい訳、知ってます?」

「ええっと、ね……」

「知ってるんですね! どうしたんですか! お願い、教えて!」

 汐音の大声に周りのクラスメイト達が怪訝そうな視線を向けた。

「何? 久我くん、何かもめてるっぽい?」

「あの子、誰?」

「あー、知ってる。一年にさ、ハーフの子いるって、あの子だよ」

「可愛い子じゃない。痴話喧嘩?」

「えー! 久我くん、彼女いないって言ってたのにー!」

「久我って、年下好き? ロリ?」

「ええー、ちょっとショックだなー」

「裏切り者ー!」

「違う、違うからっ! そんなんじゃないからっ!」

 好奇の視線と飛び交う勝手な推測が盛り上がっていくのに耐えかねて、優人は否定の言葉を叫びながら、汐音を教室の外へと押し出した。

「……えっと、ちょっと場所を変えて話そうか」

「いいですよ」

 困り顔で声をひそめる優人に、汐音は問い詰めるような強い視線を向けて頷いた。

 

 汐音達の通う中学校の校舎は、大きく分けて二つの区域からなっている。通常の授業に使う一般教室棟と、美術室や理科室などの施設がある特別教室棟だ。

 L字型をした校舎の長い方が一般教室棟、短い方が特別教室棟で、両者をつなぐ曲がり角になる廊下の辺りは、昼休みや放課後の部活へ向かう生徒達の行き来する時間ならともかく、休み時間なら授業で教室移動でもない限り人通りは少ない。

 その一角に汐音と優人の向かい合う姿があった。

「それで、めりあに何があったんですか?」

 汐音は優人の顔を強気に見上げて睨みつけた。

「めりあからは……、何も聞いてない?」

「うん。めりあの様子が変なのは何で? 久我先輩は何か知ってるの?」

「それは……」

 優人は言葉を濁して目を逸らした。優人は何かを知っていて隠している。

「知ってるなら教えて!」

 汐音は噛みつくように吼えた。

「めりあはあたしの一番の友達なの! お節介かも知れないけど、めりあに何かあったんなら、じっとしてなんかいられないの! もし、めりあにおかしな真似したら、誰だって、お兄ちゃんだって許さないんだから!」

 今にも殴りかからんばかりの汐音の勢いに気圧されて、優人は思わずたじろぎ、それから、ふっと頬をゆるめた。

「ありがとう。めりあを心配してくれて。めりあはいい友達を持ったね」

「なっ!」

 不意に和らいだ優人の態度に汐音は照れてひるんだ。

「いや、そんな事より、めりあはどうしたの? やっぱり何かあったの?」

「ええと……、まあ、あると言えばあるんだけど……」

 再び言葉を濁す優人に、汐音の向ける視線が苛立ちの色を帯びる。

「いや、めりあが汐音ちゃんに話してないのに、俺から話しちゃってもいいものかどうかと思ってね……」

「久我先輩! この期に及んで今更ウダウダ言わないっ! 言わない気なら、もう、腕ずくでだって!」

「ああ! 待った、待った! わかった! わかったよ! わかったから、汐音ちゃん、落ち着いて! 拳を握らない! って言うか、握った拳に中指が立ってるから! それは急所を殴ると人が死ぬ感じの拳の握り方だから!」

 本気で殴りかかりそうな汐音を必死になだめながら、優人は気迫負けして頷いた。

「武術やってる汐音ちゃんのその手の脅しはシャレにならないよ……。俺はインドア派なんだから、汐音ちゃんと喧嘩したら勝てる気が全然しないからね」

「えへへ、すみません。つい、かっとなっちゃって」

 汐音と優人では体格差こそあるが、日頃から鍛錬を欠かさない汐音と荒事が苦手な素人の優人では技量と経験に開きがありすぎて、決して小さくない体格差を引っ繰り返すくらいは難しい事ではない。

 胸を撫で下ろす優人を前にして、汐音は照れ臭そうに笑った。

「うーん、まあ、そうだな。汐音ちゃんになら話してもいいかな。めりあと一番の仲良しだしね……」

 優人は困った顔をしながらも、意を決するように大きく息を吐いた。

「汐音ちゃんは、俺とめりあの両親が再婚だって知ってるよね?」

「えっと、二年くらい前でしたっけ?」

 めりあの両親はめりあがまだ小さい頃に離婚し、めりあは母親に引き取られて育った。その母親が再婚したのが、めりあが小学校五年生の時だ。

「うん。めりあとはそれぞれの親の連れ子だから、血はつながってなくて、まあ、それを踏まえての話なんだけど──」

 と、優人は照れ臭そうに少し頬を赤らめた。

「──めりあが好きなんだ」

「へぇ。──えっ! ええっ!?」

「いや、そんなに盛大に驚かれても……、って、驚くか。驚くよね、やっぱり」

「ええと、まあ、はい、それは、ええと」

「まあ、血はつながってなくても兄妹だから、まずいんだろうなとは思うんだけど」

「は、はあ」

「でも、困った事に好きになっちゃったんだよ」

 はあ、と優人は深い溜め息を吐いた。

「それで、これが俺の一方的な気持ちだけだったら諦めもついたかも知れないんだけど、めりあの方も同じ気持ちでいてくれたみたいでさ」

「えええっ!?」

 汐音は思わずたじろいでのけぞった。

「つまり、その、先輩とめりあは、兄妹で両想いって事?」

「そういう言い方をされると、ものすごい背徳感があるんだけど」

 優人は苦笑を洩らした。

「あっ! すみません。別にそんなつもりじゃなくて……」

「いや、いいって」

 何となく気まずい空気が二人の間を流れる。

「それで、その、めりあもその事は?」

「ああ。って言うか……、めりあから先に、って言っても、昨日の事なんだけど、まあ、こ、告白、されてね……」

「はうっ!」

 汐音は間の抜けた声を吹き出した。

「いや、まあ、その、二人でいる時に、何となくちょっとそんな雰囲気になって、めりあも勢いでつい言っちゃったんだと思うんだろうけど、俺も、同じ気持ちだ、みたいな答えをしちゃったからさ。めりあもそれで色々と悩んでるんだと思うよ。やっぱり、兄妹なんだし」

 最後の方は聞いている汐音の方が気恥ずかしくなってしまった。

「トモ先生が、めりあの様子が変なのは恋のせいじゃない、なんて言ってたけど──」

 すっかり毒気を抜かれたようになって、汐音は大きく息を吐いた。

「図星な上に、このまさかのシチュエーションって」

「いや、何だか面目ないね。まあ、そんな訳だから、めりあの心配をしてくれたのはありがたいけど、これは俺とめりあの問題だから」

「まあ、そう、ですよ、ね」

 汐音と優人は互いに苦笑を洩らしあった。

「そろそろ休み時間終わっちゃうよ。教室に戻らないと」

「はい。そうします」

 汐音はぺこりと一礼すると、背を向けて駆け出そうとした。

「あ、汐音ちゃん」

 呼び止めた優人の声に足を止めて振り返る。

「ありがとう。めりあを心配してくれて」

「はい。先輩、あたし、応援しますからね。頑張って!」

 何をどう頑張るのかは汐音の頭の中では曖昧だったが、とにかく、めりあと優人にとっていい結果になればいいな、と心からのエールを込めてガッツポーズを見せた。

 

 予鈴までわずかな間を残して教室へ滑り込んだ汐音は、めりあの机にちょこんと手を突いて、少し屈み込んでめりあに顔を寄せた。

「めりあっ」

「あ、汐音ちゃん、どうしたの? 休み時間の度にどこかへ飛び出してっちゃって?」

「水くさいなぁ。言ってよ。応援してあげる。お兄ちゃんと仲良くね♪」

「~~~~~~っ!」

 耳元で小声でささやく汐音の言葉に、めりあは真っ赤になって目を見開いた。

「しっ、汐音ちゃんっ! それ! な、何っ! 何で! 何言って! どこでっ!」

「はいはい、もう予鈴鳴っちゃうよ~」

 慌てふためくめりあに悪童めいた笑顔を見せて、汐音は自分の席へすたすた歩いて行った。

「ちょ、ちょっと、汐音ちゃんてばっ! ねえ、待ってよぉ!」

 めりあの言葉をかき消すように、授業の開始を告げる鐘が鳴った。それに間を置かず、次の授業の担当教師が教室の前の扉から姿を見せる。

「し、汐音ちゃんてばぁ……」

 泣きそうな顔のめりあが洩らす消え入るような声を、汐音は澄ました顔で聞こえない振りをした。

 

§

 

 その日、狭山さやま理子りこは学校を無断で休んだ。

 そして、狭山家では一家の惨殺死体が発見された。

 しかし、理子の行方だけはようとして知れなかった。

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