第五章 遊戯 Trastullo. (2) 本当に好きなら

 屋敷に戻ってから一週間が経つ。


 二人は例の『血狂い』を血眼になって捜索しているのだが、残念なことに未だに発見できていなかった。そもそも十年近く捕えられることのなかった獲物なので、さすがの彼らもそう簡単に見つかるとは思っていない。長丁場になることは想定内だったが、そろそろ精神的に疲れてきたところだ。


 この日も捜索のために二人は準備していた。

 月明かりが眩しい。いつも明かりなしで深夜の森を徘徊しているレオにとっては目が眩むほどの強い刺激だ。思わず顔をしかめてしまうほど、ミルク色の光は鋭い。


「それじゃあ、」


 先に準備を終えたレオは、玄関先で一度振り返りコルラードに声をかけた。

 彼もまた、外出するべく上着に袖を通しているところだった。そんな彼はレオの表情を見るなり、いつものようにふっと破顔する。


「今日こそ、遭遇するといいね」

「ああ。行ってくる」


 レオが背を向けようとすると、それをコルラードが引き止めた。


「首のそれ、解けてる」

「え? あ、本当だ」


 彼の指摘に、レオは己の胸元に目を向けた。首に巻いているタイがいつの間にか解けてしまっていた。自分で結び直そうとしたが、先にコルラードがやってきて手早く結んでしまった。これでよし、と頭を撫で、ついでに額へのキスも忘れない。


「――迎えに行く。ちゃんと待っていて」


 露骨すぎる愛情表現も、今ではすっかり日常の一部となってしまった。悲しきかな、レオはそれにすっかり慣れてしまっていた。前のように頬を赤らめることなく、適当にそれを受け流している。


「なぁ」


 そこで、レオはぽつりと呟いた。

 コルラードが首を傾げると、レオはゆっくりと、囁くような口調で尋ねる。


「もし……もしもの話だけど。おれがノスフェラトゥだったらどうする? 嫌か」


 噛まれたのか? とやや切迫した質問を投げかけられ、レオは必死になって否定した。


「ふむ、愚問だな。そうなったら、君を俺の血以外飲めない身体にしてあげる。徹底的に依存させて、俺なしでは生きられないように。想像するとなかなか楽しいな、これは」


 予想通りの変態発言に、レオはそれ以上何も言わず、さっさと屋敷から出ていくことにした。


 気配を消しながら、やや速足で森の深淵へ足を踏み入れる。乾いた土を踏むたび、微かに靴底が擦れる音を立てた。秋の凍てつく空気は僅かに露出する肌を痛めつける。

 ふ、とレオは息を吐いた。唇の端から白い息が洩れる。


 なんてことを聞いてしまったのだろう。


 先程の自分の発言を思い出し、レオは微かに眉間に皺を寄せた。


 しかしながら、ここ数日ずっと考えていたことでもあるのだ。もしも自分が、彼と同じ『ノスフェラトゥ』だったなら――と。


 気が付かないうちに湧きあがった感情に、自分自身が一番驚いている。

 あの笑顔を見るたびに、あの悲しげな表情を見るたびに、胸の内で己が激しく主張する。


 一緒にいてやるから、他の誰も見ないでほしい。不必要に触ってもいいから、自分以外の血を被らないでほしい。お願いだから、どうかおれを忘れないでほしい。

 この感情に敢えて名を与えるなら、『独占欲』だろうか。


 人とノスフェラトゥが同じ時間軸で生きることなど、本来ならばあり得ない。明らかに寿命が違いすぎる。


 しかしながら、レオはそれをねじ曲げる方法に気付いてしまったのだ。


 今更になって思う。自分が頑なに拒否し続けたのは「血を分け与えること」ではなかったのだ。ただ「誰かに蹂躙されること」が嫌だった。己の目的を遂行する上での障害は、なるべく少ない方がいい。あの男も、そんな障害のひとつだと思っていた。


 だが、彼は違った。

 たったひとりで歴史を見つめ、幾千もの夜を一人で過ごしたあのノスフェラトゥは、ただ、永遠が欲しかったのだ。それは蹂躙とは呼ばない。そんな傲慢なものではない。


 ここで『血狂い』に、否、運命にすら打ち勝たなければ、彼はまたひとりになってしまう。

 レオは思わず唇を噛みしめた。


「おれのことが本当に好きなら……黙っておれに狩られろ、ノスフェラトゥ」


 コルク瓶を仕込んでいた地点に到着した。レオはしゃがみこみ、立派に根付いた木の幹に触れた。一か所、目立たないところにもう使われていない鳥の巣があった。そこを覗きこむと、何故か仕込んでいたはずのコルク瓶が存在していなかった。


 レオはじっとそれを観察し、辺りの様子を確認した。かすかに零れている赤黒い染みから察するに、持ち去られてからそれほど時間は経っていないと見た。


 その時、唐突に背筋がざわめく感覚を覚えた。本能に従い、レオは脇下から愛銃を抜く。実に純粋な殺気だ。視線を感じる方向に、レオは銃口を真っすぐに向ける。そして、相手が何者なのかじっと見極めようとした。

 緊張から、ぽたりと額から汗がこぼれ落ちる。

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