第五章 遊戯 Trastullo.

第五章 遊戯 Trastullo. (1) 異端審問

 くたびれた様子で審問を終えたレオが聴講室から出てくると、扉の外にはコルラードがいた。


 伯爵と呼ぶにふさわしい非常に質のよい濃紺の礼服に身を包んだ彼は、その黒い瞳をそっとレオへと向けた。

 レオも同様に礼服姿でいる。首元には苦しそうなジャボットを飾り、いかにも貴族らしい出で立ちだ。だが、そんなきらびやかな礼服の下には、いつもの短銃がしっかり収められていることをコルラードは知っている。


「来ていたのか」


 レオが尋ねると、コルラードは首を縦に動かす。


「一応俺の管轄はエゼクラートだからね。召集されていた」


 その発言に、彼は曲がりなりにも爵位持ちだということを嫌でも認識させられる。

 もう帰るつもりでいたレオはその場で彼と別れようとしたが、それをコルラードが引き止めた。


「俺も今帰るところだ。ちょっと待っていて、車で送る」


 馬、好きだったよね? と尋ねられ、なんだか断ろうに断れない雰囲気になってしまった。確かに馬は好きだが。それにしても空気を読まない男である。


 レオが返事をする前に、コルラードは自分が雇い入れている従者に話をつけにいってしまった。少し訂正。空気を読まないだけでなく、話も聞かない男である。


 レオは嘆息し、改めて建物を仰いだ。

 教皇庁は、首都の大聖堂内に併設された施設にある。さすが首都の大聖堂だけあり、細やかな彫刻がとてもすばらしい。窓枠や扉、その取手すらも優れた美術品のようで、レオは微かに目を輝かせていた。もともと、こういうきれいなものは好きなのである。


 コルラードが戻ってくるまでの間、レオは窓際にそっと佇み、外を眺めていた。まるで絵画のように美しい町並みは、エゼクラートのような田舎ではあまり見られない光景だ。首都には昨夜のうちに到着していたのだが、夜の景色も本当に素晴らしかった。


 そうしているうちに、コルラードが戻ってきた。


「お待たせ」


 レオは無言のまま肯き、コルラードの斜め後ろについて歩こうとした。だが、それをコルラードが拒んだ。さっとレオの左手を掴み、手を繋いだまま入口まで引っ張って行こうとする。


 いつものレオなら、ひっぱたくなりして拒んだはずだ。しかしながら、レオは不思議とそうしたくなかった。微かに感じるコルラードが嵌める指輪の感触を確かめ、それからのろのろと口を開いた。


「今は駄目だ」


 例えある程度認容されたからといって、教皇庁内でそれはよくない。

 自分の意志とは真逆のことを敢えて言うと、正論だったからか、コルラードも「それもそうか」と納得してくれた。


 入口に用意されていた馬車に乗り込み、扉が閉まる。

 車の中には、コルラードとレオの二人だけとなっている。一応、これもコルラードが配慮したのだろう。

 ゆっくりと馬車が動き出してから、レオは口を開いた。


「……お前がねじ伏せたのか。司教連中を」


 審問は滞りなく行われた。しかしながら、レオの予想に反してその審問は非常に生ぬるいものであった。もっとえげつないものなのだろうと覚悟していたレオがつい拍子抜けするほどである。


「俺はなにもしていない。誓って」

「それでも、インフォンティーノ伯爵の名を出したら態度が変わったぞ」


 そう、初めは割と厳しい尋問だったのだ。


 民衆の間で妙な噂が立っているということから始まり、神の教えがどのようなものであるかの説明、そしてお前はそれにこういう理由で背いているのではないかという嫌疑。その他にもほぼ決めつけに等しい尋問を受けたが、途中でぽろっと「コルラード・インフォンティーノ」という名を出したところで、彼らの態度が一変したのである。


 これにはさすがのレオも驚いた。

 ろくにレオの話を聞こうとせず、半ば喧嘩腰に話を進めていた司教連中が、どうしてこんなにも媚びた顔をするのか。細部を考えると虫唾が走るが、この好機を逃す訳にはいかない。ここぞとばかりに「カルナーレ」という血と「ノスフェラトゥの降嫁」の因果関係について説明すると、彼らはその事態の特殊性からこういう条件で認容してくれることを約束してくれた。


 例の『血狂い』を一月以内に必ずしとめること。もし出来なければ、プレダトーレの地位を剥奪した上、火あぶりに処する――と。


「どう考えても、お前がなにかしたとしか思えない」

「ああ、それは否定できない」


 そらみろ、とレオが突っかかると、コルラードは苦笑しながら言った。


「いや、ね。俺はあの司教たちに相当な恩を売っているからさ。向こうは下手に手を出せないんだよ。特に今回は降嫁の話までしちゃったんだろう? そりゃあ、手を出せないでしょう。俺を本気で怒らせたら、あの司教連中全員の位階を剥奪できます。お分かり?」

「今更だけど、お前って何者?」

「え? ただの伯爵」


 ……なんだかあまり聞きたくない話をされた気がする。


 醜い話には敢えて耳を塞いでおくとして、レオは改めてコルラードをまじまじと見つめた。


 きちんとした格好をし、頭も初めて会った時のように後ろに撫でつけている彼は、やはり美青年であることには違いない。正装をちゃんと見たことがないからだろうか。その姿が少しだけ眩しく見えた。


 さりげなくレオが目を逸らすと、それに気付いたコルラードが楽しそうににこりと微笑む。


「あ、惚れちゃった? 俺がちゃんとした格好をしているから」

「ばかやろう」

「やだなぁ、それならそうと言ってくれればいいのに。いつでも俺の懐は空いているよ」


 それに、とコルラードはさりげなくレオの方へと身を寄せ、悪戯っぽい口調でさらりと言ってのけた。


「この間の宣戦布告はまだ有効だからね。俺は手段を選ばない。選ぶ気すらない」


 どきりとして、レオは身を固くする。一瞬本気で短銃を抜こうかとも思ったが、その前に右手をコルラードに掴まれてしまった。そのままぐいと引き寄せられ、ぽすんと彼の胸に飛び込む形となる。


 もうそれ以上暴れるのも面倒になってしまって、レオは渋々そのままの体勢でいることにした。別に抵抗しなければ、特別ひどいことにはならないことも分かっている。


 そのまま耳を左胸の辺りに押し当てると、かすかに速い鼓動が聞こえてくる。生ける屍と称されるノスフェラトゥも、身体の造りはそれほど人間と変わりないのだ。普通の人間はこんなにも血の臭いをさせていないけれど。レオはそれを実感しつつ、ゆっくりと瞳を閉じた。


「――ところで、君はどうやって『血狂い』をしとめるつもりだい?」

 コルラードがそっと囁いた。「あれは手ごわい。長らく捜索している俺ですらなかなか見つけられないし、正直勝てる気がしない」


 目下の問題はこれだけとなった。


 レオはそのままじっと思案していたが、ようやく決心がついたのか、ぽつりと返答した。


「……近日中に、北の外れの森に現れる。根拠もある」

「どうして?」

「言わない」


 そしてそれ以上、なにも言おうとはしなかった。

 実は首都に出向く前、レオは森に己の血を瓶詰めにしたものを仕掛けていたのである。臭いが分かるよう、わざわざコルクで蓋をしておいた。もちろん他のノスフェラトゥが釣られる可能性の方が圧倒的に高いが、そうでもしなければ大物を釣り上げられる自信はなかった。


 そんなことをしたとコルラードに気付かれれば、間違いなく怒られる。怒られるだけなら別に構わないが、場合によっては嫌われるかもしれない。それだけは嫌だった。

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