第十六章 第二次世界大戦(アクリル時代:西暦1820年~1825年)

 1806年、ウィルバー・ライトは初の飛行魔法「浮遊」を発明した。それまでのように「吹き飛ばす」や「大きく跳躍する」、「滑空する」ではなく、明確に浮遊する事ができた。自在に飛び回る事はできなかったが、浮遊してしまえば風魔法なり衝撃魔法なりで任意の方向への推進力を得る事ができた。

 円月教徒は色めき立った。円月教にとって、第一次世界大戦時に略奪されたキューバ聖堂の聖遺物の奪還は長年の悲願であった。船舶による過去三度の遠征は全て失敗していた。一度目の遠征ではキャラデック船の複製船団が計画されたが、進水式の一時間後には全て波に煽られ転覆するか真っ二つなった。二度目の遠征は船団がまるごと行方不明になり、三度目は嵐に遭い沈んだ。魔族に船は鬼門であった。十数回の飛行テストを経て随意飛行の安全性が確認されると、早速飛行士の教練と編成が始まった。

 大西洋の幅が一番狭くなるのはアフリカ大陸西端と南アメリカ大陸北東端の間であり、距離は約2870㎞である。これに対し飛行士単独での巡航速度は時速32km。不眠不休でも横断に三日以上かかる。魔族は密航者達の証言から大陸間のおおよその距離を割り出しており、個人での横断を無謀と判断。第四回遠征に向けて建造されていた船舶を改造し、ハートストーンと物資を積み込み飛空艇として活用した。魔力革命により熱気に溢れていた民意に押され、1820年に二大国共同で260隻の飛空艇と七万五千人の搭乗員からなる船団が人族国家へ向けて大西洋へ出航した。第二次世界大戦の始まりである。


 1820年6月28日、将軍セコイヤに率いられた魔族軍は現在のモロッコ・アガディールに上陸した。大混乱に陥った都市を即座に鎮圧。スペインへ向けて北上を開始した。飛空艇による圧倒的な機動力と空に浮かんでいるという優位性に人族は全く歯が立たなかった。飛空艇を包む魔法防御は人族の銃撃を完全に無効化した。上陸から十日でジブラルタル海峡を越えスペイン国内に侵攻した船団は更に三日でスペイン首都マドリードに到達。ここで遠征軍通訳・元スペイン人セルバンテスにより降伏勧告が行われた。魔族は聖遺物がコロンブスの国であるスペインに保管されていると考えており、首都攻撃の巻き添えでそれらが破壊される事を恐れていた。

 スペインに聖遺物はなかった。第一次大戦後にスペインはフランスと戦争を起こし敗北しており、その際の賠償の一部として引き渡してしまっていたのである。スペイン国王フェルナンド七世は交渉を長引かせ、聖遺物の返却と引き換えに退却する事を魔族軍に確認し、突貫で作った偽物を渡した。セコイヤはこれをすぐさま見破り、フェルナンド七世および政府高官を拷問、殺害。聖遺物が世界中に散逸している事を知った。魔族軍はマドリード王宮を包囲していたスペイン軍を鎧袖一触に壊滅させ、その後将軍セコイヤは船団を四つに分けた。一つは本国へ報告へ戻り、残りは分かれて侵攻を開始した。


 最初の半年間、人族は文字通り魔族軍に傷一つつけられなかった。スペインに続き九つの国家の首都が陥落し、人族を未曾有の恐怖に陥れた。魔族は散逸した聖遺物の八分の一を回収した。

 1821年1月24日、魔族はフランス・リヨンにおいてナポレオン・ボナパルト率いるフランス抵抗軍により初の敗北を味わった。ナポレオンは発明されたばかりであった毒ガスを市街地に聖遺物捜索のため降りてきていた魔族に対して使用した。魔族が個人で展開する防御魔法は銃弾と魔法を無効化するが、毒ガスに対しては無力だった。入り組んだ市街地でガスを散布された魔族は思うように脱出できず、何をされたのかも理解できない内に苦しみながら死んでいった。飛空艇に待機していた船員は地上の捜索部隊からの混乱と恐怖のテレパシーを受け取り、何が起きたのか確認するため降下し、再び毒ガスの餌食になった。毒ガスは一般市民を多く巻き添えにしたが、人族はそれを黙殺し、勝利だけを強調し大きく宣伝した。

 ナポレオンは対魔族用に開発された最新式の蜘蛛メットを被っていた。蜘蛛メットは網骨を模した金属部品を貼り付けたヘルメットであり、魔族のテレパシー攻撃を大きく減衰させる事ができた。魔族軍は続く二ヶ月でナポレオンに更に二度敗北した。ナポレオンがとった戦略はヨーロッパで急速に布設が進み始めていた電信網により広まり、他地域でも魔族は毒ガスの犠牲となった。

 三ヶ月目からは魔族は学習し、上空からの魔法射撃と爆音・閃光によってナポレオン軍に対処した。毒ガスは低地に流れるため、地上に降りなければ全く脅威ではなかった。魔族軍はナポレオン軍を退却せしめ、再び進軍を開始した。

 毒ガスに警戒するようになった魔族軍は進軍速度が低下したが、損害そのものはほぼなくなった。空を駆け、更にいくらかの聖遺物を回収した。戦線は広がり1821年5月には中華民国とオーストラリアにまで達した。

 1822年6月、魔族軍は再びナポレオンに敗北した。ドイツの支援を受けたナポレオンは77mm速射砲を配備した機動部隊を編成し、山地から魔族の飛空士の更に高所を取り銃弾を浴びせた。大口径の銃弾を連続して受けた飛空士は防御を破られ致命傷を負い、次々と墜落していった。ハートストーンに守られた飛空艇は77mm速射砲をも無効化したが、飛行士は飛空艇から出られなくなった。空に浮かぶ飛空艇は監視が容易で、飛び出せば即座に捕捉された。未熟な飛空魔法は機動力に欠け、移動は直線機動に限られ速射砲の的になってしまった。

 魔族軍将軍セコイヤはナポレオンを「魔族最大の敵」と呼び多額の懸賞金をかけ執拗に追い回したが全て無駄足に終わり、三十万もの兵を無為に失い自らも戦死した。セコイヤはウィーンでのナポレオンを倒す唯一のチャンスをパフェの食べ過ぎで腹を壊してトイレに篭っていたせいで逃しており、セコイヤがパフェを一杯我慢していればナポレオンは死んでいたと言われる。


 回収された聖遺物は本国へ送られ、民衆へ魔族の勝利を印象付けた。軍への志願者が殺到し、次々と飛空艇による増援が戦地へ送られた。飛空艇は聖遺物と同時に鹵獲した人族の兵器や技術者も多く回収し、研究に役立てられた。

 大戦初期には聖遺物を保有すると目される都市の制圧だけを行っていた魔族軍だが、中期以降は人族軍との郊外での衝突の方が多かった。77mm速射砲およびその改良型の射程が判明すると、魔族は射程を超えた高々度からの夜間爆撃に作戦を切り替えた。この作戦が有効であったのは半年だけであった。1823年7月、イギリスが大破着底していた戦艦ドレッドノートから回収・改造した1823年型Mark X 30.5cm砲の大火力は上空を陣取る飛空艇の防御を貫通した。開戦後始めて飛空艇が落とされ、「結界」の不壊神話を破られた魔族の動揺は激しかった。

 「結界」を破る大口径砲の開発と配備が進むと、魔族と人族は拮抗した。飛空艇と都市が次々と堕ち、死体は山を作った。人族は駆逐艦隊を編成し大西洋を超えてアメリカ大陸沿岸で艦砲射撃を行い、魔族を威圧した。

 魔族の間では厭戦気分が広がった。大量の成人の従軍と戦死による働き手の不足が顕在化し、半数以上の聖遺物の回収によって既にある程度の達成感は得られていた。沿岸を周遊する人族の駆逐艦隊は決して上陸してこなかったが、否が応にも本土決戦の恐怖を煽った。

 一方で人族国家も限界だった。主要都市は破壊され、飛空艇の恐怖と政府の機能不全、軍の肥大化は民衆の生活を酷く圧迫した。


 1825年4月、モスクワからの打月神宝石球回収を受け、円月教教皇ヨグ・ソトトは全円月教徒とマヤ国およびアステカ国政府に遠征の中止を呼びかけた。両国はこれに同意。民衆の意見は割れたが、最終的には支持された。

 1825年6月6日、サンタ・マリア島で円月教教皇ヨグ・ソトトと救世軍総司令官ナポレオン・ボナパルトが停戦協定に調印。これをもって第二次世界大戦は終結した。最終的な犠牲者数は魔族・人族合計で約7000万人であった。

 協定内容は人族と魔族間での相互国家承認と今後50年間の相互不可侵が主であった。ヨグ・ソトトはコロンブスが奪った魔族固有の財産の返還を求めたが、ナポレオンはこれを拒否。代わりに魔族の悪魔認定を取り下げるようキリスト教に働きかける事を約束した。


 次の章では、大戦後に誕生した共産主義の広がりとその影響について見ていこう。

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