第十一章 神々の失墜(ガラス時代:紀元前300年前~)

 僅かに流通する屑水晶や水晶採掘の際に出る濁り水晶、色付き水晶などをなんとかして有効活用できないか、という試みは水晶時代初期から球体技師の間で盛んに行われてきた。特に希求されたのは融解により屑水晶を一塊にまとめる方法であるが、実現には温度の壁があった。水晶の成分である二酸化ケイ素の融解に必要な温度は1650℃。対して当時主流であったレン炉はふいごによって炉に送風し酸素を送り込む事で高温を実現していたが、それでも1100℃程度に過ぎなかった。

 炉の改良、燃料の厳選、魔法による補助など、球体技師の悪戦苦闘は続いた。何百年に及ぶ苦心の末、突破口を開いたのは金属技術であった。

 青銅は銅と錫の合金である。銅の融点1085℃、錫の融点232℃に対し、青銅の融点は700℃。異なる種類の金属を混ぜる事で融点は低下する。球体技師にとって金属は研磨による成形が難しく、無意味に重く、原料が高価であり、球体の材料として全く不適格であるとして見向きもされなかった。金属鍛冶師は主に農具に用いる鍬や鎌、あるいは包丁や装飾品を製造していたが、社会からは球体技師と比べ数段低い職であると見なされ、両者に交流はなかった。球体技師は金属鍛冶師を見下していたし、金属鍛冶師は居丈高な球体技師を嫌った。

 技術交流が起きたのは王族の圧政に対する反乱に際しての結託が原因であったとされている。嫌々ながらだったのかも知れないが、金属鍛冶師は球体技師に青銅の製法や炉の秘密を明かした。球体技師は青銅の製法に着想を得て、屑水晶に様々な混ぜものをする事で融点を下げようとした。

 果たしてそれは上手くいった。水晶に石灰と貝殻や植物の灰を混ぜて熱する事で融点を下げ、小さな屑水晶を融解させ、大きな一塊にする事に成功した。人族から遅れる事3500年、魔族はガラスを獲得したのだ。

 王族が無価値として捨てていた小さな小さな屑水晶、濁り水晶の山はたちまち宝の山と化した。事態に気づいた王族が慌てて回収しようとしても手遅れだった。水晶は貨幣のように扱われ、大陸全土に流通しきっていたのだ。ガラス製球体は水晶球体と全く遜色ない性能を持っていたため、神と並び称された王族は相対的に力を失い、凡夫に堕ちた。

 天然物の採掘と削り出しに頼った水晶と異なり、ガラスは割ってしまっても融解させれば簡単に成形し直す事ができ、巨大な球体を作るのも長年加工技術を磨いてきた球体技師にかかれば容易であった。更に透明度が全くない完全に白濁した石英も溶解させればガラスになる事が判明し、水晶産地だけを抑えていてもガラスの生産を止める事ができなくなった。石英産地は水晶産地よりも遥かに多いのだ。


 ガラス球が誕生し、その伝播を妨害できなかった時点で、王族の優位は一つしか残っていなかった。即ち30響打の響打法である。これだけはガラス球を手に入れてもすぐに獲得はできない。しかしガラス球はあまりにも広く普及したため、在野の賢者が響打法の秘密が明かすのは時間の問題であった。長年燻っていた不満と鬱憤を胸に武装蜂起寸前の民衆に対する王族の対応は二種類に分かれた。

 一つはどうせ響打法を見つける事はできまいとタカをくくり、反乱の芽を潰しにかかる事だった。武力による民衆の押さえつけは何百年もの間極めて有効であったため、深く考えず従来の方法を踏襲したのだ。この対応を取った王族は全ての国家のうち九割以上を占めた。そしてそれはそのまま滅びた国家の割合でもある。王族の皮算用は見事に裏目に出た。当初は目論見通り王族が優勢であったが、30響打の響打法が発見されるやその響打法はたちまち広まり、怒り狂う民衆によって容易く打ち倒された。歴史の結果が分かっている現代の視点では愚かな王に思えるかも知れないが、何百年も続き成功した方法を急に捨て方針転換するのは難しい。王族が旧来の暴力的解決法に固執したのも無理なからぬ事だった。

 もう一つは民衆が響打法を見つけ出し反乱が起きる前に自ら響打法を公開する事だった。実質的な民衆に対する降伏宣言である。この対応を取った数少ない王族は武力と権力を失ったが、権威は残った。それまでのように神の如き振る舞いはできなくなったが、古来より伝わる響打法を伝授するという餌を有効に使う事で国家の中で一定の地位を保ち、お飾りの王族として生きながらえた。民衆は不満を溜め込んでいるとはいえ、王族への神聖視・恐怖・畏敬も刷り込まれていた。民衆は刺激されなければ暴発する事もなく、王族は権威だけが残る象徴的存在として軟着陸できたのである。

 こうして公開された(あるいは拷問などにより無理やり聞き出された)各地の王族秘伝の響打法は革命により浮かれていた民衆の間で国家の枠を超えて盛んにやりとりされ、統合されて現在の魔法学の基礎となった。なお最大国家であったレン晶国の王族は最後まで響打法の公開を拒み処刑されたため、秘伝の魔法は闇に葬られた。レン晶国王族の魔法がどのようなものだったのかは歴史のミステリーとして考古学学会でも創作物でも頻繁に取り沙汰されている。有名なエターナルフォースブリザードも元を辿ればレン晶国の終焉を題材にした冒険小説「カノッサ機関の男達」(L・Y・スティアーナ著、西暦1966年初版)に登場した架空の遺失魔法である。


 水晶国家群は打倒され、その国の国力を測りたければガラスの生産量を見よ、と言われるガラス時代に突入した。

 魔族が手にしている響打数は水晶時代と大差なかったが、誰もが30響打の魔法の恩恵に預かれるという点で長足の進歩を遂げていた。ガラス球が一般化した事で球体の付属品も変化した。それまでの魔族は石製の球体をそのまま袋か箱に入れて背負って持ち歩いていた。重量があるため腰に下げるとずっしり重く、歩行の邪魔になった。ガラスは石よりも軽いため持ち運びが容易になった。直径7~9cmのガラス球を柔らかな材質の木の台座に固定し、それを更に棒の先端に取り付け、その棒をサムライのカタナのように腰に佩くスタイルが普及した。時代が進むとガラス球をうっかり物にぶつけて傷つけないよう、細い金属線で檻のように球体を囲み保護するようになった。この杖型魔法具は近代(第二次世界大戦頃)まで使用され続ける事になる。杖の作成には、金属加工、木工、ガラス加工、球体加工の複合が必要になり、球体を作成する球体技師と、杖を作成する杖職人が分業する事で一本の杖が造られるようになった。保護金属線や柄は装飾を施しやすく、多様な形態の芸術的な杖が生まれた。杖の形態は文化と時代のバロメーターでもあった。華美で繊細な杖が流行したのが平和な時代で、質素で頑丈な杖が流行したのが戦乱の時代である。職人の特色、ひいては国柄・土地柄がよく現れる杖は見ているだけで面白い。やがて旅先で購入する少し高価な土産物やコレクションアイテムとしても評価されるようになっていく。


 ガラス球は国を挙げて大量生産され市民に行き届いたのだが、30響打の魔法が広まるには若干のタイムラグがあった。30響打の魔法は「打つ」のが難しい。打ち方を習えばすぐに打てるようになるわけではない。訓練し身に付ける必要であった。そこで訓練と響打を容易にするため魔法陣が考案された。魔法陣とは音楽における楽譜のようなものである。球体と対比させた円に沿って描かれた記号を読みながら、記号が示す通りに響打する事で30響打の魔法も比較的容易に行使できた。魔法陣の読解に習熟すれば教師要らずで魔法を習得・行使でき、魔法知識の普及と蓄積に大いに役立った。

 魔法陣の誕生と同時に詠唱も生まれた。魔法陣を口に出して読み上げながら響打する事で、響打のミスを減らし、より早く魔法陣に描かれた魔法を暗記できた。声だし確認、発声による記憶野刺激の有効性は現代科学で証明されている。

 なお人族の間で詠唱は「カッコイイ」と認識されているようだが、当時魔族にとっては「この魔法は詠唱しないとちゃんと響打できる自信がない。自分は未熟だ」と吐露しているに等しく、少々恥ずかしいものであった。しかし詠唱はカッコ悪いが、無詠唱で響打してミスをするともっとカッコ悪い上に戦争などではそのミスが原因で死にかねないため、魔族の心情とは裏腹に後代まで残り続けた。魔法の完全機械化以降は詠唱は実用的価値を失い、逆に芸術的価値が高められた。現在人族がイメージする詠唱はこの芸術性が強調され音楽的になった新しいものである。魔法完全機械化以前の詠唱を聴けばその無骨さに驚くだろう。


 ガラス時代は大衆文化が花開いた時代であり、その中心となったガラスに纏わる言葉が多く創作された。魔族にはガラスに関する格言や慣用句が多い。ガラスの形状や状態を表す語彙も人族と比べ格段に多く、些細な違いで繊細に呼び分けられた。日本語に桜を表す言葉が多く、モンゴルに馬を表す言葉が多いようなものである。


 次の章では、強力な魔法が飛び交う戦争と国の統廃合の歴史について見ていこう。

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