第五章 文明の萌芽(木石時代:7~1万5千年前)

 記録に残る最後の氷期は7万年前に始まった。人族は12万5千年前に使用を始めた「火」を手に10万年前にアフリカを出て、魔族の足跡を辿るようにして北上を開始している。ただし、人族がアメリカ大陸に到達するには八万千五年後にベーリング海峡が陸地化し陸地伝いに移動できるようになるまで待たなければならない。それまではベーリング海峡の手前で海に阻まれ、数万年の間足止めされる事になる。

 一方、人族と異なり魔族は氷河期が来ても火を手に入れる事はなかった。代わりに手に入れたのが「球体」である。


 球体は魔法学的に非常に優れた形状である。他の形状と比べて魔力貯蓄量が多く、極めて効率のよい魔法発動の媒体と成りうる。たくさん魔力を溜め込み、その魔力を効率よく魔法に変換できる形状なのだ。

 魔族が球体の魔法的特性に気づいたのはちょっとした偶然からだと言われている。この頃の魔族は原始的な石器を使っていた。ハンマーやナイフなど用途に応じて様々な形状があり、中には球体に近い物もあった。その球体に対しテレパシーを使ったのが球体魔法の始まりと言われている。

 球体を収束したテレパシーで「叩く」と(これを響打きょうだという)、内部の魔力が振動し波が発生する。この波は球体内部で反射・反響を繰り返す。

 単発の響打は月光に含まれるブルーツ波と同じ波長の波を出す。これは魔力の変換現象であるからもちろん光る。つまり、球体をテレパシーで叩く事で、球体は擬似的な月光を出すのだ。これを魔族が浴びれば月光浴と同じく魔力を得てエネルギーに変換する事ができる。

 この最も原始的にして基本的な球体魔法の発見以前は、魔族は月光を浴びる事でしか魔力を得る事ができなかった。しかし球体魔法の発見により、球体に魔力を貯蔵し、利用できるようになった。保存食のようなものである。

 生物の生存における「食」の比重の大きさは言うまでもない。魔族の間で球体魔法は速やかに広まった。そして単発の響打で光る球体の光を浴びて腹が膨れるならば、何度も叩けばもっと腹が膨れる、と考えたであろう事は想像に難くない。

 球体を連続して二回以上響打すると、球体内部で反響した波が干渉し合い、波長が多様に変化する(ブルーツ波ではなくなる)。この変化した波によって様々な魔法現象が形成されるのだ。一度の響打で食糧に。二度以上の響打で様々な現象を起こす便利な道具に。球体の利便性は底知れない。


 球体魔法普及当初の遺物に見られる球体の材質は木か石である。骨製の球体も見られるが稀だ。六万年以上続く事になる木石時代の始まりである。木石時代初期には加工が容易な木製球体が多く発掘されるが、後期には頑丈で劣化しにくい石製が増えていく。

 この頃にはマレフィカ・エストメンティスから分岐進化したと思われる7種類の魔族の化石が確認されているが、そのうち5種類は誕生から二万年以内に絶滅している。残り二種族のうち、一種族が現在の魔族の祖先であるマレフィカ・ダーレス(神話の始まりの魔法使い)である。マレフィカ・ダーレスは現在の魔族と非常によく似ているが、主に手の指の骨の太さと関節の位置が事なる。要するに現代の魔族よりもいくらか不器用であった。

 球体魔法の発見以降、魔族の基礎能力は使用する球体の大きさ・精密さに依存するようになる。完全な球体、つまり真球に近いほど効率よく精密に魔力を変換できる事はマレフィカ・ダーレスも経験則ですぐに知っただろう。そうなればより完全な球体を求めて加工技術を磨くのは必然と言える。球体の加工は手の器用さと触覚におおいに頼るため、より細やかな細工が可能となるよう手を変化させていったのだ。


 五万年前になると、ついに現代と同じ魔族が誕生した。人族でいうところのホモ・サピエンスに相当する最新の魔族、マレフィカ・オービス(球体魔法使い)である。

 もっとも、マレフィカ・ダーレスとマレフィカ・オービスの境界は曖昧かつ連続的で区別が難しい。考古学的には手の骨の形状で両者を区別するのだが、困った事に数千年刻みで少しずつ少しずつ変化しているため、どこまでがマレフィカ・ダーレスで、どこからがマレフィカ・オービスか線引きするのは困難だ。学会でも未だ議論が紛糾し、数年ごとに結論が二転三転している。本作では現在(西暦2015年)の主流派に従い、ひとまず五万年前からマレフィカ・オービスが誕生したとしておく。


 この頃のマレフィカ・オービスは三響打までの魔法行使に耐えうる球体を使用した。粗雑な加工が施されており、表面に石で擦って形を整える際にできたと思われる細かい傷がびっしりついている。適切な研磨剤を知らなかったのだ。

 表面の傷は球体の完成度を著しく低下させ、四響打以上を要する複雑な魔法は球体の完成度が低いため使えなかった事が発掘された球体の検証から明らかになっている。当時のマレフィカ・オービスが使用していた球体魔法は推測でしか分からないが、内部からの熱による劣化の痕跡が残る石製球体が多く発掘される事から、二響打の魔法「発熱」が頻用されていた事は間違いない。

 響打は単純に連続してテレパシーを球体に打てば良いわけではなく、特定の角度・特定の時間間隔で打たなければならない。現代のように魔法学によって計算で響打法を求める事ができない当時はトライアンドエラーで気の遠くなるような試行回数を試し、魔法が発動する打ち方を調べていくしかなかった。数万年の間、一響打の「月光」と二響打の「発熱」の二種類の魔法しか使用していなかった可能性すらある。


 さて、これ以上の球体魔法の講釈は魔法学の教科書に任せるとして、球体魔法がもたらした魔族への文化的変化について触れておこう。

 前述した通り、球体発見当初、魔族にとっての球体魔法は専ら食糧目的で使われた。魔力を得るには月光を浴びる必要がある。新月や雨天、曇天時は月光を浴びる事ができず、エネルギー供給が不安定であった。これが球体の登場によって解決した。魔力を球体に保存し、天候に関係なくいつでも引き出す事ができるようになったからだ。

 マレフィカ・オービスは球体を携え、実に400万年ぶりに北上を開始した。最早全身で月光を浴びる必要はなかった。衣服を着て寒さへの耐性を得て北方に生息域を広げたのである。服を着て肌を隠し月光を全身で効率よく浴びる事ができなくても、球体が自分の代わりに魔力を蓄えておいてくれる。球体はただの球でありながら、衣食双方に大きな革新をもたらしたのだ。

 北上により、魔族はマンモスに遭遇した。魔族唯一の家畜となるこの生き物は、北方の魔族達によって長い年月をかけて家畜化された。

 人族はマンモスを狩猟し絶滅に追い込んでしまったが、魔族はそうしなかった。その理由として、魔族の少食さが挙げられる。マンモスは巨体であり、得られる肉は膨大である。魔族はマンモスを狩猟して肉を得ても、その肉を全て食べきる前に腐らせてしまったのだ。火が無いため肉に熱を通す事もできず、消化に悪く、鮮度の落ちた肉を食べるのは危険だった。魔族はマンモスを殺して肉を得るよりも、その暖かな大量の毛を刈りとって防寒具に使い、栄養価の高い乳を分けてもらう事に熱心だった。マンモスは繁殖率が低く、一度に一頭しか出産しない。食べきれるわけでもない肉を目当てに殺し数を減らすよりも、毎年少しずつの毛と乳を得る方が率が良かったのだ。

 もちろん、魔族も食糧不足により食い詰めればマンモスを殺して肉を食らっただろう。マンモスの家畜化という道を選ばせたのは、魔族が食糧に困っていなかったという事実が先にある。

 そのおかげで現在もマンモスは最高の家畜として魔族と共に歩んでいるのである。


 次の章では人族との再会、そして立方体文明を築いた特異な魔族について見ていこう。

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