魔族史

クロル

序文

私がこの本を書くに至った経緯は至って単純なものだ。ある寒い冬の日、ミンメー書房に務める友人から「人族向けの魔族史を書いてみないか」とオファーを受けたのである。その頃私は数本の連載を抱えていたが、ノンフィクションの歴史を綴り出版するチャンスは酷く魅力的に見えた。歴史という題材に興味があったし、包み隠さず言えば、提示された少なからぬ原稿料に釣られたのだ。人族へ向けて書くにあたり、数年前の日本への留学経験を活かせるであろうと思ったのも大きかった。

 執筆の前に、私は軽い気持ちで学生の頃に使った歴史の教科書を引っ張り出し読み直し、日本語の教科書と読み比べる事からはじめた。収穫は予想より遥かに大きかった。あまりにも大きすぎ、自分の手には追えないのでは思い始めた。同じ事実に対しても人族と魔族では解釈が全く違う事が多々あり、今まで私が正しいと思っていた魔族的観点に基づいた魔族史すら真実であるのか自信が持てなくなってしまった。自分が理解していない事を、どうして他人に伝える事ができるだろうか。

 怖気づく私を副編集長に昇格した友人はよく励ましてくれ、一ヶ月もグズグズした挙句、ようやく私は魔族史について本格的に勉強し直す事を決意した。

 デビューから数年の短い間ではあるが物書きの端くれとして培ったツテをフル活用し、各国を飛び回り最新の考古学史料を求めた。古巣のミスカトニック大学で学生に混じり世界史の講義を履修させてもらう事もした。大英博物館に保管されている古い魔族の全身骨格を見学するために渡航中、危うく時間テロに巻き込まれそうになった事もあった。

 よくやく執筆を開始できる程度の知識を身につけてからも大変だった。人族と魔族では言語も文化も全く異なる。魔族特有の言い回しを人族向けに言い換える必要があった。編集についてくれた友人や、試読を任せた兄からは、たびたび宗教家を無闇に刺激するような過激な表現は控えるよう窘められた。

 そして苦節三年、ようやく出版にこぎつけたのである(ネット版は三年八ヶ月)。彼らの協力無くしては完成しなかっただろう。その意味ではこの本は私名義であるだけで、彼らとの共著であると言える。日本語訳に協力して下さった名居氏と、その豊富な考古学資料を惜しみなく開示し懇切丁寧に解説を加えて下さったペパニ・ポリパポニ教授にはこの場を借りて格別の感謝を示したい。ありがとう。


 さて、本作は最初に書いた通り「人族向けの魔族史」というコンセプトで執筆した。約400万年前の人族と魔族の分岐から、2016年の最新事情に至るまでの大きな出来事は概ねカバーできたと自負している。人族に魔族の歴史を理解してもらうための本であるから、専門的な話は脇に置いて、なるべく分かりやすく、子供も大人も楽しんで読んで貰えるよう配慮した。単位や年号なども人族のものにしてある。魔族の歴史の進行に付随し、同時期の人族の歴史も折に触れて盛り込んだ。

 魔族史を勉強するのだと難しく捉えず、ファンタジーやSFにでも目を通すつもりでリラックスして読んで貰いたい。

 この本を読んだ時、一つでも新しい発見があれば幸いである。


 2016年12月 クロル

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