幽霊だって甘いものが食べたい!

黒宮涼

幽霊だって甘いものが食べたい!

 母親同士が親友で、兄同士も親友で、家も五分ほどしか距離がない近所で、こういうのを幼馴染と世間一般せけんいっぱんでは言うのだろうけれど、俺にとっての彼女はただの知り合い程度の存在だった。だからこれからもそれは変わらないし、変えるつもりも全くなかった。幼稚園、小学校、中学校まで同じだった。同じクラスになったことは五回。まともに会話をしたことはたったの二回。そして高校は別々になった。

「まだ若いのに。なんであの子が」

 彼女の通夜の日、みんな泣いていた。居眠り運転していたトラックにねられて、即死だったらしい。俺は泣くことができなかった。冷たいやつだなと兄に詰られて、実感がわかないんだよと適当に返答した。ああ、もう本当に実感がないのだ。

 何故なら今、彼女は。

「もー、遅い。どこ行ってたのよ!」

「いや、お前の通夜だよ」

 俺の家にいるのだから。

「あ。そっか。失礼しました。ご愁傷しゅうしょうさまです」

 彼女。糸井久々梨いといくくりはそう言いながら丁寧に頭を下げる。なんでお前が言うんだと突っ込もうと思ったが、そんな気になれなかった。俺は嘆息する。

「ほれ。お土産の饅頭まんじゅう。これ食って早く成仏しろ」

「ありがとう。この饅頭結構好きなんだよね。って、ちがーう。これじゃ成仏できない」

 糸井の華麗なノリツッコミに、俺は思わず関心する。しかし、こいつってこんな面白いやつだったか? と疑問に思う。糸井は教室の隅で本を読んでいるような、もっと大人しい奴だった気がする。話すのが苦手なのは昔から知っているから、こんなに饒舌じょうぜつな糸井は新鮮だ。死んで頭のねじが一本外れたのだろうか。

「だってお前の心残りが甘いものいっぱい食べたい。って言うから」

「そうだけど、そうじゃない。私はケーキとかそういうスイーツが食べたいの。和菓子も好きだけど、今は洋菓子の気分なの!」

「なんだそれ」

 糸井のわがままな言い分に、俺は呆れた。そもそもなんで俺の部屋に死んだはずの糸井がいるのかというと、話は一日前にさかのぼる。

 その日は土曜日で、学校も休みだった。俺は家で日がな一日ゲームをして過ごしていた。時折母と兄が邪魔をしに来る以外は平穏だった。ダンジョン攻略が一段落して時計を見たときは午後四時を回っていて、気が付くと家の中が妙に静かだった。人の気配も感じない。ついさっきまでばたばたと誰かが廊下を歩いている気がしていたのに、今は足音一つ聞こえない。何かがおかしいと俺は感じた。直感ってこういう時に使う言葉なのかもしれない。ただの気のせいであってほしいと思いながら俺は部屋から出た。リビングに行くとソファに誰かが座っていた。肩まで伸びた艶のある黒髪。化粧っ気はないが整った顔立ち。見覚えのあるその誰かは俺に気が付いて笑いかけてくる。

「ごめん。私、死んだみたい」

 糸井久々梨は幽霊になって俺の前に現れた。

 トラックに撥ねられて目が覚めたらここにいたらしい。しかも何故かこの家の敷地から出られないらしい。成仏できないのと糸井が言うので聞くと、甘いものを食べたくてケーキ屋に行く途中だったので、何か甘いものを食べることができればたぶん成仏するだろうという話だった。そして今に至る。

「だから。しょうくんが私に体を貸してくれればいい話じゃない」

「それは断る。勝手なことをされると俺が困る。それに俺は、甘いものが嫌いだ」

「食べるのは私よ」

「体は俺だ。甘いもの食べた後、口に残るだろ」

 どちらも譲らない。それに初めて名前を呼ばれたような気がする。どうしてこんなことになったのか。俺は頭を抱える。糸井は甘いものを食べないと成仏してくれない。けれどそれを食べるためには体が必要だ。必然的に俺の体を使うことになる。幽霊になってしまった糸井が見えるのは俺だけだからだ。葬儀の準備の合間に糸井の母が家に来たが、糸井の姿は見えない様子だったので、ああ、これは俺がどうにかするしか方法がないのだなと思った。とりあえずおばさんには、何か甘いものでも供えてやってはどうかと提案をしておいた。

「じゃあ、食べた後に歯磨きする。それならいいでしょう?」

 頬を膨らませながら糸井が言った。

「まぁ。いいけど」

 俺はもう反論する理由が見つからなかった。糸井の言いいなりになっておいたほうがいいのかとか考えるほど正しい答えが見つからない。明日には彼女の体も燃やされるだろうことを思うと複雑な気分だった。

「今日はもう遅いから、明日にしよう」

「明日はお前の葬式だけど」

「はっ。そうだった。忘れてた」

「忘れんなよ。自分の葬式だろ」

 俺は冗談なのか本気なのかわからない糸井の言動に呆れながら、喉の渇きを覚えたので自室を出て台所へ向かう。「どこ行くの?」と言いながら後ろをふわふわと足を浮かせてついてくる糸井を無視して歩く。途中、風呂上がりの兄とすれ違う。

翔太しょうた。お前なんか今日おかしくない? 一人で何しゃべってんの」

 何故兄はこういうときだけ鋭いのか。糸井の姿は兄も見えない。俺が糸井と話していると一人で話しているようにしか見えないのだろう。

 俺は顔をしかめながら答える。

「ただの独り言だけど」

「さてはお前、久々梨ちゃんが死んじゃって寂しいんだな。わかるよ、その気持ち。俺も心のオアシスがなくなって悲しくて泣きそう」

「もう散々泣いただろ。お前ら兄貴と母さんたちが仲良かったせいで、俺たちは迷惑してたんだよ。遊びに行くのに毎回つき合わされていた俺たちの身にもなれって。まともに話したこともそんなにないのに、寂しいとか思わない」

 糸井が後ろにいるのは知っている。だから俺はあえて本音を言った。なんで俺の前に現れたのか。それを知りたくて、糸井の反応を知りたくて言った。

「お前それは酷いだろう。久々梨ちゃんが悲しむ」

「悲しいもんか。俺もあいつもお互い、友だちとも思ってないはずだから」

「そうか? お前はそうかもしれないが、久々梨ちゃんは違うんじゃないか」

 兄の言葉に俺は首をかしげる。そうなのか? 糸井は俺のことを友だちだと思っていたのか? だから俺の前に現れたのか?

「あの子高校に入ってからいじめにあってたみたいで、三か月ぐらい前から引きこもりがちになってたんだけどさ」

 兄の話に俺は目を丸くする。

「初めて聞いたんだけど。そんな話」

「お前も母さんから聞いているはずなんだけどな。どんだけ久々梨ちゃんに興味ないんだよ。まぁ。久々梨ちゃんも学校以外は大丈夫そうだったからできるだけ遊びに誘うようにしてたんだ。お前も一緒の時にはいつもより楽しそうにしてたような気がする。うん」

「だから最近遊ぶ回数が増えてたのか。なんか納得した」

「昨日も、実は俺が久々梨ちゃんを呼び出したんだ。翔太が家でゲームしてるから遊びに来ないかって。こんなことになるなんて……申し訳ない」

 兄の衝撃な告白に、俺は思わず言葉を失った。それから後ろにいるであろう糸井の幽霊のほうを見る。そこにいる久々梨は俺と目を合わせないように横を向いていた。

「兄貴。それ、本当?」

 俺は兄に背を向けたまま問う。

「ん? ああ。後ろに何かあるのか?」

 当然兄は疑問に思う。

「何もないよ」

 糸井久々梨の幽霊がいるなんて、とてもじゃないけれど言えなかった。


 冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注ぐ。兄との話で糸井は気まずくなったのか俺の部屋に戻っていった。ケーキ屋に行く途中だったという話が嘘だということを認めたも同然だ。俺は最低だ。糸井が死んだ原因が兄と俺にあるなんて思いもしなかった。俺は何も知らなかった。糸井がいじめにあって引きこもりになっていたことも、糸井が俺たちと出かけることを楽しんでいたことも。俺を友だちと思ってくれていたことも知らなかった。いや、知ろうとしていなかったのかもしれない。隣にいたのに隣にいなかった。糸井のことを見向きもしなかった。あいつはちゃんと俺を見てくれていたのに。

 俺は麦茶を飲みほして部屋に戻る。とにかく謝ろうと思った。謝って許してもらえるとは思えないけれど、このまま明日の葬式を迎えるなんて嫌だった。

 部屋を開けると、そこに糸井久々梨の姿はなかった。どこへ行ったのかと布団を裏返してみても窓を開けて外を見てみても何もない。糸井の幽霊が見えていたのは実は夢だったんじゃないかと自分を疑いたくなった。俺は部屋の真ん中で膝をついて呆然とした。

「謝らせてもくれないのかよ」

 俺は本当に一人でそう呟いた。俺は思い出していた。幽霊になった糸井と最初に会ったとき。「ごめん」と先に言ったのは彼女だ。どうしてお前が謝るんだよ。と今は思う。俺はその夜、とうとう糸井に謝ることはできなかった。

 

「フルーツタルト買ってきた」

 誰もいない部屋に向かって、俺は話しかけていた。

「母さんがびっくりしてたよ。でも、お前への供え物だって言ったら笑ってた」

 俺は皿とフォークを自分で用意して、タルトをのせて机の上に置いた。一人でケーキを買いに行くのは恥ずかしかったので母に付き合ってもらったのだ。何故フルーツタルトにしたのかは言うまでもない。甘いものが苦手な俺にはこれが限界だったのだ。

「まだいるんだったら、俺の体使って食っていいぞ」

 俺は姿の見えない彼女にそう伝える。葬儀中、ずっと糸井が幽霊になった理由を考えていた。ケーキ屋が理由じゃないなら、何なのだと。結局答えは出なかったけれど、俺はある決意をした。成仏するまでとことん糸井に付き合おう。今の俺にはそれしかできないのだと思う。

「本当? やった、タルトだ! あ、イチゴがのってるー」

「桃ものってるぞ。ミカンもな」

「わーい! シロップもタップリ!」

 糸井は目をキラキラさせて姿を現した。フルーツタルトに我を忘れて喜んでいる。本当に甘いものが好きなのだと感じた。

 目が合うと糸井はすぐに視線を逸らす。が、俺は逃がさない。

「糸井。俺はお前のことを正直よく知らない。友だちと思ったこともなかった。けれど、甘いものが好きだって知れてよかった。嬉しかった。お前と話せてよかった」

 糸井が泣くのをこらえているのがわかった。俺は続ける。

「お前が死んだことに責任を感じるなっていうなら、俺はそうする。お前が甘いもの食いたいっていうならいくらでも食わせてやる。だからこれからもっとお前のこと教えろ。それでさっさと成仏しろ」

「わかった。……食べていい?」

 頷いてから、糸井は涙目で俺を見ながら言った。

「もちろん」と頷き返すと糸井は嬉しそうに笑った。

 それから数分のことを、俺は覚えていない。


 翔くんの体を借りることに抵抗がなかったかと言えば嘘になる。ただ実際に憑依ひょういをしてみるとすごく居心地がよくて、彼の体をこのまま自分のものにしてしまいたくなった。けれどそれはいけないことだってことは、私も理解していた。翔くんの体は翔くんのもの。他人が使えばそれだけ翔くんの体に負担がかかる。私だって翔くんを殺したくなんかない。だからケーキを食べるという目的が達成したらすぐにでもこの体を翔くんに返すつもりだ。

 右手を動かし、フォークを持つ。そんな些細なことでも私は感動して泣きたくなる。死んでしまった私にはもう味わえないと思っていたケーキ。イチゴが乗っているスポンジ生地にフォークを入れる。固いタルトの部分まで一気にさす。タルトが割れて、一口サイズになる。私はケーキをそのまますくうように口元に持っていく。ぱくっと食べると、口の中でイチゴの酸味とシロップの甘味、そしてタルト生地のサクサク感が混ざり合った。

「美味しい……」

 思わず呟くと、当たり前だけど翔くんの声が出た。そうして改めて私は自分が死んでしまったことを実感した。自然と目じりから涙が零れ落ちる。

「あれ。変だな。もう泣かないって決めてたのにな」

 私は涙を左手で拭う。こんなところ誰かに見られたら大変だなと思いながら、私はもう一口、ゆっくりと味わいながらタルトを食べる。本当に美味しい。

 すべて食べ終わるころには涙も乾いていた。私は胸の前で両手を合わせて「ごちそうさまでした」と言う。甘いものを食べても、やはり成仏しないようだった。


 意識が戻った時には目の前に糸井が満足そうな笑みを浮かべていて、机の上の皿を見るとフルーツタルトが綺麗さっぱりなくなっていた。口の中がほんのり甘い。思っていたよりは不快感がなかった。

「美味かったか」と俺が糸井に尋ねると、彼女は「うん」と頷いた。

「翔くん。ありがとう。それから、成仏できないみたいでごめんなさい」

「気にするな。これから色々試していけばいいだろ。とことん付き合うからさ。俺にできることがあったら言えよ」

「うん。もう全部ばれちゃったから本当のことを言うね」

 糸井は寂しそうな笑みをみせる。生前の、俺が知っている糸井久々利が戻ってきたように思えた。そう、本当の糸井は元気で前向きな奴じゃない。俺とこうして話をすることだってありえないことだった。会えば挨拶をかわす。あとは必要なことを一言、二言発するだけ。とても会話とは呼べないようなもの。でも俺にとっても彼女にとってもそれが丁度いい距離だったのかもしれない。明るい糸井を見ていると、違和感しかないからだ。

寛太かんたお兄ちゃんの言っていたことは全部、本当のこと。けど私がこの家に来る前にケーキ屋さんに行こうとしてたのは本当だよ。どうしてかわかる?」

 糸井の問いに、俺は思い当たることが一つあった。突然の葬式の忙しさに、みんな忘れていたこと。俺は壁に画鋲がびょうで留めてあるカレンダーを見る。

「俺の誕生日……」

 糸井の命日。そこには十七歳の誕生日と書かれていた。

「甘いものが苦手だって知ってたから、翔くんが食べられそうなものをって思ってた。でもまさか、自分が死んじゃうなんて思いもしなかった。私ね、死んでから色々後悔してたの。翔くんともっと仲良くなれたらよかったのになって。お兄ちゃんたちみたいに親友になれていたら今よりもっと楽しかったのかなって。だからね、翔くんが私を見つけてくれた時、嬉しかった。今度はちゃんと友だちになろうって決めたの」

「ごめん。俺、そんな風に思っていたとは知らなくて」

 心が苦しくなった。そんなことなら俺ももっと糸井に話しかけたり優しくしてやればよかったと思った。親友とはいかなくても、友だちぐらいにはなれたかもしれないのに。

「私がやらなくて後悔したこと、一つずつやっていけばきっと成仏できると思うの。だからそれまで翔くんには付き合ってほしい。ダメかな」

「俺がダメって言うと思うか?」

 俺の言葉に、糸井が首を横に振る。それから、「誕生日おめでとう」と言って笑った。俺は「ありがとう」と言って体が半透明になった甘いもの好きの幼馴染を見つめた。彼女が成仏するのはまだまだ先のようだ。

 

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