魚料理(2)

 肉料理を食べないの期間である四旬節、宴会なんて贅沢はしなくてもよさそうなものだが、そんなことはない。『ル・メナジエ・ド・パリ』に四旬節のメニュー例がいくつか記されている。


「一回目の給仕……煮りんご、プロヴァンス地方産の大きな無花果いちじくのローストにローリエの葉を飾ったたもの、クレソンとソレ(葉野菜の一種)のヴィネガー風味、えんどう豆のピュレ、うなぎの塩漬け、白にしん、海および淡水の魚介のフライにグラーヴェをかけたもの。

 二回目の給仕……鯉、川かますブロシェ、舌びらめ、ひめじルージェ、濃いソースを添えたうなぎの反転仕立て、オムレツ。

 三回目の給仕……小さなうなぎのロースト、メルルーサのフライ、ネズミイルカのスパイシーな水煮、麦粥、クレープ、ノルド風パテ」


 とくにわかりにくいと思われるところは補足しておこう。


 まず、「一回目の給仕」云々だが、宴会料理は通常、二回か三回に分けて、大皿で提供された。大昔の日本だとひとりずつに膳があって、一の膳、二の膳……というところだが、現代日本において居酒屋で宴会をする時にそうであるように、大きなテーブルに大皿がいくつかどーんと出されたわけだ。


 白鰊はフランス語 hareng blancアランブラン。おそらく、鰊を調味液に漬けてから乾燥させたもの。燻製にしたものは hareng saurアランソールと呼ばれ、しばしば「茶色」と形容された。


 グラーヴェは料理区分としては煮込みポタージュ。『ル・メナジエ・ド・パリ』にはざりがにエクルヴィスのグラーヴェと泥鰌どじょうのグラーヴェのレシピが収められている。泥鰌のグラーヴェのレシピは概ね以下のとおり。


「泥鰌(または他の魚)を素揚げして火の近くの暖いところに置いておく。グリルしたパンをすり潰してワイン(またはお湯か野菜ブイヨン)でのばし、布で漉す。生姜、シナモン、クローブ、マニゲット(ギニアショウガの実)、サフランをすり潰してヴィネガーで溶く。玉ねぎを刻み、油で炒める。これらを鍋に入れて野菜のブイヨンかお湯を加え、煮立てる。魚のフライを椀に盛り、その上から汁をかけて供する。汁は黄色ではなく茶色に仕上げること」


「素揚げ」「フライ」と訳したが、「フライドポテト」の項ですでに述べたように、多めの油で揚げることと、フライパンに油を熱して炒める、ソテーするという行為がおなじ frireフリール という動詞で表現されていた。だから、揚げると訳したことろはソテーすると解釈することも可能だ。また、中世にはパン粉衣という技法はまだ生まれていない。


 ちなみに、椀は一人にひとつではなく、二人でひとつというのがお約束だった。また、宴会の席数は通常、この椀の数で表現された。


 ノルド風パテは、茹でてから刻んだたらの肝と魚の身を生地で包んで焼いた(または油で揚げた)もの。


「鯉、川かます、舌びらめ、ひめじ」はロースト(またはグリル)。ようするに焼き魚だ。


 うなぎの反転仕立ては、


「大きなうなぎの皮を剥いて背開きにする。中骨を取り除き、頭と尾は切り落す。うなぎの内側と外側が逆になるように、もとのウナギの形状に整えて糸で巻く。これを赤ワインで煮る。火が通ったら取り出して、巻いてあった糸を切る。ナフキンの上に置いて冷ます。生姜、シナモン、クローブ、マニゲット、ナツメグをすり潰しておく。パンをグリルしてよくすり潰し、うなぎの煮汁でのばす。うなぎ以外の材料全部を鉄製のフライパンに入れて火にかける。ヴェルジュ(未成熟ぶどう果汁)、ワイン、ヴィネガーを加える。このソースをうなぎにかけて供する」


 この料理、うなぎの骨を抜いて内外をわざわざ反転させるなどと手が込んでいるが、香辛料が多用されている点を除くと、現代フランス料理にも残っている「うなぎの赤ワイン煮込みマトロート」の原型とも呼べそうなものだ。もっとも、現代のうなぎの赤ワイン煮込みはどちらかというと家庭料理的なイメージがあって、調理プロセスも比較的シンプルだ。


 ネズミイルカについては、こんにちではあまりピンと来ないかも知れぬが、中世から17世紀くらいまで、鯨と海豚は比較的よく料理書にでてくることだけ記しておく。


 ここまで『ル・メナジエ・ド・パリ』に出ている14世紀フランスの正餐の献立のひとつを見てきたが、一般的な現代日本人にとってはイメージし難いあるいは理解し難い内容かも知れない。というか、リアル中世フランス料理こそ異世界料理? とさえ言いたくなるところだろうか。


 ところで、筒切りトロンソンというか輪切りダルヌにしたサーモンのグリルとマヨネーズ(タルタルソース)の組み合わせは個人的にとても好きなのだが、魚のロースト(グリル)があるのだから、リアル中世でもオランデーズソース的なものと組み合わせも、あくまでも可能性としてだが、充分にアリのような気がする。少なくとも17世紀以降は食文化的な素地は既にあって、歴史的にはいつマヨネーズ(あるいはオランデーズソース)を魚料理に合わせるかは時間の問題だったと言える。


 三圃式な中世風異世界の農業に、リービヒの最小律や無機栄養説、あるいはハワードの有機農法などというまさしく現代知識チートに属しそうな概念、技術ではなく、18世紀の産業革命に先立つ農業革命で自然発生的に各地で普及したノーフォーク式輪作を導入させるだけでチートとかが物語的に成立するなら、サーモンのグリルとマヨネーズも中世風異世界にとって魅力的なものになるかも知れない。


 もっとも、中世風異世界の農業で、月の満ち欠けと播種の関係とか、牛の角を粉にしたものに代表される畜産廃棄物の肥料としての利用などについて触れているラノベを(少なくとも僕個人は)知らない。そもそも物語的には、ノーフォーク式輪作の導入による収量増加イコール生産性向上というとてもシンプルな定型パターン、お約束、もっと言えば紋切り型クリシェに過ぎない。だがそれでいいのだ。こまごました歴史的事実を想像力(創造力)のパン種とするか、知ってあえて無視するか、知らずに天然ボケするか……創作ならばいかようにも自由だろう。その自由はかけがえのないものだと思う。その是非を問うことができるのは、娯楽エンタメの場合、読者というサイレントマジョリティに他ならない。

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