8.アフタヌーンティー

「えっとね、モードは自分が美人だって事を、ちゃんと自覚した方がいいと思うな」

 その一言に、モード・コリンズは思わず口に含んだ紅茶を噴き出しかけた。

「な……!」

 言葉を失って真っ赤になるモードに、友人のデヒティン・ワトソンがにこにこと穏やかな笑顔を向けていた。

「な、な、何を言ってるのよっ!」

 慌てふためくモードが美貌の持ち主である事は、デヒティンの言う通り間違いない。

 長く艶やかな漆黒の猫っ毛は両サイドを後ろでまとめて整え、細面のラインはすっきりと美しく、理知的な輝きをたたえる淡い紫色の瞳は、髪の色に比べて極端に色が薄いせいか、神秘的な雰囲気を感じさせる。銀色のメタルフレームの眼鏡や、糊の効いた真っ白なブラウスにシンプルなデザインのロングスカートという服装も、モードの凛とした知的さや清潔感を際立たせている。難を挙げるとすれば、凛とし過ぎていて、本来の魅力よりも威圧感の方が目立ってしまう点だろう。

 一方のデヒティンもかわいらしい少女だ。二つに括った薄茶色の髪に、愛嬌のある下がり気味で太めの眉が特徴的で、モードのような美人ではないが、おっとりした穏やかな親しみやすさをじさせる。ふっくらとした体つきや、ゆったりして抑えめの色合いの多い服装も、デヒティンの柔らかで温かな雰囲気を高めているようだった。

 モードが一緒にいると緊張するような美人なら、デヒティンは傍にいるとほっとするようなかわいらしい女の子、といった所だろうか。

 容姿も性格も似つかない二人だが、小さな頃からずっと仲が良く、最も親しい友人を問われれば、互いの名前が挙がるだろう。デヒティンには、より親密な相手もいるのあが、そちらとの関係は「友人」から別のカテゴリーへ移行したため、友人という括りならば間違いなくモードだ。

「だって、モードは本当に美人だもん。うらやましいくらいだよ~」

 のんびりと間延びした声で言いながら、デヒティンは焼きたてのスコーンを手に取って二つに割った。

 料理好きなデヒティンは、しばしばその腕前を存分にふるって見せる。学校に手作りの菓子を持参する事も多いし、こうして休日のお茶に呼ばれて来れば、やはり、お茶請けはデヒティンのお手製である事がほとんどだ。

「うらやましい、って……」

 その言葉に、モードはついデヒティンの胸元へ目をやった。

 デヒティンの場合、全体的なボリューム自体が大きいという事もあるのだが、それを差し引いても、十三才の少女にしては立派すぎる。モードは棒きれのような体つきをした自分の、あるかないかという程度の胸板に比べると、もやもやと釈然としないものを感じてしまう。

 まだ十三才という年齢なので、これからが育ち盛りとも言えるだろうが、既に自分よりも年下の女の子達の方がよほど成長の気配を色濃く見せ始めているのに対し、モードの方はと言えば、横には一向に膨らまず、やたらと縦に伸びるばかりである。

「うん?」

 黙りこくるモードに、たっぷりとクロテッドクリームと黒スグリ(ブラックカラント)のジャムを挟み込んだスコーンを頬張ったデヒティンが小首を傾げた。

「何でもない!」

 モードは自棄やけのように、自分も脂肪分たっぷりのクリームとジャムをスコーンに山盛りにして囓りついた。濃厚なクロテッドクリームとジャムの酸味が、あっさりめのスコーンがよく合っていて美味しかった。

「だいたい、どうして急にそんな事を言い出すのよ」

 紅茶でスコーンを流し込んだモードは、甘い物のおかげでか少し落ち着いたが、まだいくばくか動揺を残したままで言った。

「うん。だってぇ」

 デヒティンはモードのカップが空いたのを見て、紅茶の代わりを注いだ。

「ハルの事、どうするのかなぁ、って心配だから~」

 再び噴き出しかけたモードがむせて咳き込んだ。

「ふわぁ、大丈夫?」

「だっ……、大丈夫、だけど……」

 慌てるやら恥ずかしいやらで、モードは頬を染めつつ眉間に皺を寄せた。

 普段は冷静できりっとしているモードのこんな姿は、気心の知れたデヒティンしかいないような油断した場でもなければ、そうそう見られるものではない。

 モードは気を取り直すようにカップに口をつけた。優しい味わいはセイロンのそれだが、香りを出すために、少しダージリンをブレンドしている。

「まったく……、何を言い出すのよ……」

 もし、もじもじと声を震わせる今のモードの姿を目にすれば、日頃の彼女を見て「怖い」と思っているクラスメイト達も考えを改めるだろう。

「だって~、モードはハルが好きなんでしょ?」

 デヒティンの指摘にモードの身が強張る。

「そ、それは……、その……」

 肩を縮こまらせてうつむいたモードは、恐る恐るといった様子でデヒティンの方へ目を上げた。

「……何で? 私、そんな話した事ないじゃない……」

「言わなくったってわかるよ~。モードってば、いつもハルの事ばっかり気にしてるもん。好きなんでしょ?」

 デヒティンの指摘に、モードはたっぷり一分ほどもじもじした後、ようやく「……うん」と消え入るような声で言った。

「えへへ~。やっぱりね~」

 にこやかなデヒティンに対して、モードはうつむいてすっかり固まっていた。

「モードはハルのどういうとこがいいの?」

「……何か、かわいくて放っておけない感じとか……。でも、意外としっかりしてる所もあるし、それと、何て言うか、態度とか雰囲気とか、柔らかくて優しい感じで……。それから、ええと……」

 抵抗する余裕すらなくなったモードは、真っ赤になった熱い頬を両手で押さえて、胸の内にしまい込んでいたものが垂れ流しになってしまい、デヒティンはそんなモードの様子を黙ってにこやかに見つめていた。

「……何よ、もう」

「えへへへへ~」

 すねて口籠もるモードに、デヒティンは変わらない穏やかな笑顔で応じた。

「それで、ハルには言わないの?」

 デヒティンの問いに、モードはびくっと震えて困り果てたように顔を背けた。

「……そんなの、言えないわよ……」

 モードが消え入るような声で呟きながらもじもじする姿に、デヒティンは微笑ましげにしながらも、心配そうに眉根を寄せた。

「でも、このままじゃ、きっと、シーダーに取られちゃうよ」

 その言葉に、モードの顔が泣きそうに歪んだ。

「ハルがどう思ってるかわからないけど、シーダーの事をすごく気にしてるみたいで、嫌じゃなさそうだし、シーダーはすごく積極的だから、押し切られちゃうかも、って思うし」

 デヒティンの言葉を聞きながら、モードはきゅっと掌に爪を食い込ませた。

「でも……」

 声を絞り出すと、一緒に涙がにじんだ。

 普段はクールで凛としていて、周りから隙のない堅物のように思われているモードだが、上辺を鎧った胸の奥底では純情な乙女心がおどおどしている。しかし、そんな姿を知っているのはデヒティンくらいのものだ。

「そんな事、言っても……」

 くすん、と鼻を鳴らして目を潤ませるモードの愛くるしさは、普段の強気な態度とのギャップも相まって、同性のデヒティンが見てもうずうずしてしまうほどだ。

「デヒティン達みたいにはいかないわよ……」

 モードがいじけて唇を尖らせる。

 生まれた時からの幼馴染みイアン・スチュワートと、何一つの苦労もなく当たり前のように恋人同士の関係になっているデヒティンに、つい、八つ当たりの恨み言が洩れた。

「えへへ~」

 照れ笑いでゆるむ頬を押さえるデヒティンの様子がまた、モードには妬ましくも小憎らしかった。

「でもね、モードは美人だもん」

 と、デヒティンがまた繰り返したが、モードはふるふる首を横に振った。

「違う。私、自分がきつい顔してるって、ちゃんとわかってる。その上、面白みのない堅物で、いつもカリカリしてる怖い女だ、って、みんなそう思ってるもの」

 自分がどう思われているかもわかっているつもりだが、それに強いコンプレックスを抱いてもいる。決して自分の今の姿が好きな訳ではなく、デヒティンのような天真爛漫な柔らかさにあこがれているが、そうはなれない自分に苛立ちも感じている。

 下を向いていると気持ちも沈んでいく。しかし、そう思っていても、顔を上げるだけの気力が湧いてこない。

「もうっ! モードってば!」

「え? きゃあ!」

 うつむいていたモードは、不意にデヒティンに抱き締められた。

「何てかわいい顔してるの? すごく格好いい美人なのに、そんなにかわいくしょげて見せられるなんて、ずるいよ~」

「ちょ、ちょっと、デヒティン、待っ……」

 デヒティンのふかふかの胸に埋もれたモードは軽いパニックになってもがき、自分の体にはない感触の抱擁をどうにか振りほどいて、ぜえぜえと息を切らした。

「──ねえ、モードはね、うらやましいくらい綺麗でかわいいんだよ」

 デヒティンは穏やかな笑顔のまま、諭すように言った。

「だからね、ちゃんと自分の気持ちを伝えさえしたら、相手の人はきっと嬉しいと思うな」

 モードには自分の容姿が優れているという自覚がない。だから、自信もない。自信がないから、ひどく臆病だ。

「……そう、思う?」

「うん。もちろん」

 か細い声のモードの問いに、デヒティンは力強く頷く。

「でも、私なんかより、シーダーの方がかわいいわ……」

「シーダーもかわいいけど、モードは負けてないよ~。私はモードの方が綺麗だと思うな」

「でも、その……」

 モードは恥ずかしそうに口籠もって、ためらいながらおずおずと続きを口にした。

「……ハルはどう思う、かな……?」

「ハルだって、きっとそう思うよ~。だから、もっと自信を持って」

「………………うん」

 真っ赤になってうつむくモードは、カップの紅茶がすっかり冷めてしまうまで、たっぷりと黙り込んで、それから、やっと小さく頷いた。

 こんなかわいらしい面を持っている事がわかれば、きっと、モードはもてるだろうに、と思いつつも、デヒティンは、自分だけしか知らないモードの魅力を皆に知られてしまうのが惜しいような気もした。

「でも、どうしたらいいか、わからないわ」

 困惑して小さく固まってしまうモードのカップに、デヒティンは熱いお代わりを注いだ。

「う~んと、思い切ってぇ、デートに誘ってみたら?」

「無理っ!」

 デヒティンの提案を聞くや否や、モードは悲鳴を上げた。

「そ、そ、そんなの無理よ! デートって、それ、二人きりって事じゃない。無理よ、そんなの、絶対、無理!」

「でも、シーダーはしょっちゅうハルと二人でピクニックに行ってるみたいだし」

 モードは見るも情けない顔をして、がっくりと肩を落とした。

 週末に帰省する時にしかハルと会えないシーダーに比べれば、モードは平日はいつも同じ教室で過ごしているばかりでなく、休日でも会う機会はいくらでも作れるはずなのだが、それだけのハンデがあってなお、シーダーの圧倒的リードは揺るぎない。その上、モード一人に任せておいたら、開いた距離は少しも縮まりそうにない。

「それじゃあね~」

 見かねてデヒティンが口を開いた。

「今度の週末は、ハルもうちのお茶に呼ぼうよ。そしたら、ハルとゆっくりお話できるよ」

「い、いいの?」

 モードはおずおずと顔を上げた。

「あ、でも、えと、何て言って誘えばいいの? それに、その、誘っておかしいと思われないかな? ハル一人だけ呼んだりしたら、何か企んでるかも知れないって警戒されたりしない? 他にも誰か呼んだ方がいいのかも……」

 モードがあまりにおろおろするので、デヒティンはくすりと笑みを零した。

「それだったら、私がハルとイアンを誘うよ。それでいいでしょ?」

「えっ、う、うん。お願い」

 デヒティンの助け船に飛びついて、モードは何度も頷いた。

「うん、任せて。じゃあ、その時にはモードもお茶請け作るの手伝ってね~」

「えっ! 私も?」

「もちろんだよ~。ハルにモードの手作りを食べてもらうんだもん」

 デヒティンがさらりと言うと、モードはまた照れ臭そうにうつむいた。

「折角だから、しっかりしたアフタヌーンティーにしようね~。今日のはちょっとお手軽版だから~」

 今日のモードとデヒティンのお茶会のように、クロテッドクリームとジャムを添えたスコーンと紅茶のセットはクリームティーと呼ばれ、三段重ねのティースタンドにケーキやサンドウィッチまで並ぶ英国伝統の本格的なアフタヌーンティーに比べれば手軽なスタイルだ。

「でも、私、デヒティンみたいに上手にできないわ……」

「大丈夫だよ~。一緒にやれば、ね?」

「う、うん」

 デヒティンに励まされ、モードはためらいつつも、きゅっと口元を引き締めて頷いた。

「ハルって、お茶はどういうのが好きかなぁ?」

「さあ……。コネリー先生はウィッタードのキーマンが好きだ、って聞いたけれど」

「すっきりした感じの方がいいのかな? 誘う時に聞いとかなきゃ~」

「イアンは?」

「イアンはあんまりこだわらないから~。ハルの好みに合わせちゃっていいと思うな」

 茶葉を客の好みに合わせる気遣いは招待する側のマナーとして、二人もその辺りは心得ている。今日のダージリンを少し加えたセイロンも、モードの好みにデヒティンが合わせてくれたものだ。

「スコーンを作るのは苦手だわ。巧くこねられなくて」

「結構、力が要るもんね~。私も指がこねてるとしびれちゃうし~」

 上手にスコーンを作ろうとすれば、生地をこねる作業には手早さと指の力が要求され、かなりの重労働になる。これが巧くいかないと、「狼が口を開けたような」と評されるスコーンのふくらんだ形にはならない。

「サンドウィッチはモードに頑張ってもらおうかな~? キュウリを薄く切るの、モードの方が上手だし」

「そんなに変わらないと思うけど……、わかった」

 アフタヌーンティーのお茶請けに欠かす事ができないのが、キュウリ(キューカンバ)のサンドウィッチ。パンもキュウリも紙のように薄く切り、薄ければ薄いほど良いとされる伝統的な一品だ。他にも何種類かのサンドウィッチは用意するが、やはり、キュウリがあってこそ、という感はある。

「ケーキは何にしよっか? リンゴがいっぱいあるから、リンゴのタルトを焼こうかと思うんだけど~」

「あ、いいわね。賛成」

「でも、何種類か欲しいよね~。あと、何にしようかなぁ? チーズか、チョコレートか」

「チョコレートケーキがいいわ。それなら私も何度か作っているし」

「この前、作ってくれたのでしょ? 私もモードのチョコレートケーキって好き。ちょっと甘さ控えめで、大人っぽい感じで、おいしかったな~」

 モードも多少は料理もする。デヒティンほどの腕前ではないが、そこそこの出来映えの物は作れるし、得意なレパートリーもいくつかはある。ただ、そういう家庭的なイメージと普段のイメージのギャップをさらすのを恥ずかしく思う気持ちもあり、あまり大っぴらにはしていない。

 どんな菓子を作ろうかという話に意識を移した二人は、すっかり明るくなった様子で楽しげに語り合っていた。

「モード、頑張ろうね」

「……うん」

 励ますようにかわいらしくきゅっと拳を握って腕を構えて見せるデヒティンに、モードはこくんと頷いた。


 次の週末。

 予定通り、モードとデヒティンは、ハルとイアンをアフタヌーンティーに招待した。

 ハルが好きだというニルギリの茶葉を用意して、茶器はとっておきのウェッジウッド。ティースタンドには二人がかりで仕上げた手作りのお茶請け。

 甘さ控えめのスコーンに自家製のイチゴジャムとクロテッドクリーム。サンドウィッチはキュウリと卵とスモークサーモン。リンゴのタルトにルバーブのパイ、モードの自信作のチョコレートケーキ。

 いつもよりも少しだけおしゃれにも気を遣い、襟元に新しいおろしたてのリボンタイを飾る。ブラウスも新しい物にしようかと思ったが、張り切りすぎていると思われるのも恥ずかしくて、ただ、綺麗に洗濯した物にした。

 梳かした髪にほつれはないか、服に皺や埃はないか、何度も鏡を見て確かめた。

 準備は万端。すべては予定通り。

 ただ一つ、予定とは違ったのは、ハルから話を聞いて、お茶会の席にシーダーまでやって来てしまった事。


 生憎と、したたかな小さな魔女は、ライバルの動向を見逃すほど甘くはなかったのだった。


§


「誤算だったわ……」

 キッチンからトレイを運びながら、モードは悔しそうに歯噛みした。確かに、ハルにちょっかいを出そうなどと企てて、シーダーが放っておくはずもなかった。

「あはは、まあまあ。でも、その分、頑張ってこうね」

 ポットを運ぶデヒティンが、にこりとモードに笑いかけた。ゆったりした小花柄のチュニックと丈の短いパンツで、太めの足首を惜しげもなくさらす姿は、気取らない雰囲気でかわいらしい。

「シーダーに負けちゃ駄目だよ!」

「え、ええ」

 気合いを入れるようにして、太い眉にぐっと力を入れて見せるデヒティンに、モードもこくりと頷いた。

「お待たせ~」

 デヒティンとモードは客の待つ部屋へと戻り、テーブルにポットを下ろした。

 折角のアフタヌーンティーなのだから庭で、と行きたい所ではあるのだが、十一月の風はすっかり冷たくなってしまい、今日の所は室内でのお茶会と相成った。

 ハルが着いた席の隣には、シーダーがしっかりと陣取り、その隣にイアンが腰を下ろしていた。

 ハルは大きめのバルキーセーターとジーンズのラフでシンプルな格好だが、物自体はかなり良さそうな品に見える。シーダーはお気に入りのストライプのブラウスにフリルを飾ったジャンパースカート。イアンはと言うと、一番最初に目に付いた服をそのまま引っかけてきたような、適当なシャツとジーンズ姿だった。

「おしゃれして来いなんて言わないけど、おかしなとこがないかくらいはチェックしといた方がいいと思うな。ほら、襟がくしゃくしゃ」

 デヒティンはイアンの首に手を伸ばして、歪んで引っ繰り返った襟を綺麗に整えた。イアンは黙ってきちんとしていれば、ブロンドに青い目のハンサムな少年なのだが、あまり身なりにも構わないし、態度もやんちゃな悪童っぽさが抜けずにいる。

「お前ん家に来るのに気取ったってなぁ」

「人の前に出る時は、最低限の身だしなみは必要なの。将来、お家のパブを継いでお客さん相手の商売をするんだったら、なおさらだよ~」

 デヒティンに叱られて、イアンはむうと唸り声を洩らした。駄目亭主と世話女房が板につきすぎていて、実に微笑ましい光景だった。

 ハルの隣の残る片側にモードが座り、モードとイアンの間にデヒティンが入って丸いテーブルを囲んだ。

 デヒティンがカップに紅茶を注ぐと、ニルギリの爽やかな香りが立ち上った。

「ニルギリ?」

「しかも、グレンデール・トワール。モードが持って来てくれたの~」

 ハルの問いにデヒティンがそう答えると、モードは照れ臭そうに小さく微笑んだ。

「ハルが、好きだって聞いたから。その、たまたまね、ちょうど、たまたま家にあったから」

 無論、嘘だ。ハルが好きだという銘柄の、特別栽培の高級品をわざわざ大急ぎで取り寄せたのだ。

「ありがとう、モード。うん、すごく美味しい」

「そ、そう? なら、良かった」

 照れて赤くなるモードの反対側では、シーダーが口惜しげに爪を噛んでいた。

「へぇ。俺にはよくわからんけど。菓子食っていい?」

「うん。いっぱい食べて」

 答えを聞く間でもなく、イアンはテーブルのスコーンに手を出してかぶりついてた。焼きたてのスコーンが甘い香りの湯気を立てて食欲をそそる。

「ジャムとクリームは?」

「このままでも旨いよ。つーか、クリームとかつけすぎっから、ポチャ子チャビーは太るんだよ」

「あ~、またポチャ子って言う~」

 二人のやり取りに、ちょうどスコーンを割ってクロテッドクリームをたっぷり盛っていたシーダーとモードがぎくりとした。

「僕はジャムとクリームがあった方が好きかな」

「う、うん、そうよね」

「まあ、好みはあるわよね」

 何気ないハルの呟きに応じる二人の声がどこかぎこちなかった。

「サンドウィッチ、すごく綺麗にできてるね。お店で出すのみたいだよ」

「そうでしょ~? モードが切ったの」

 キュウリのサンドウィッチを摘んだハルに、デヒティンがすかさず応じた。

「モードってね、お料理上手なんだよ~。そのチョコレートケーキ、モードが作ったの。すっごく美味しいから食べてみて」

 デヒティンの援護を受けて赤くなるモードの隣で、ハルは勧められるままモードのチョコレートケーキに手を伸ばした。

「あ、本当だ! すごく美味しいね、これ」

 ハルの歓声に、デヒティンがそっと目配せした先でモードも口元に小さく笑みを零した。

「うん……、確かに美味しい」

 同じケーキに手を出したシーダーも唸りながら頷いた。甘さを抑えたほろ苦さとブランデーの香りがぐっと大人っぽい仕上がりになっている。

 作った本人も含めて、他の皆もモードのケーキを口に運び、その出来映えを褒めそやした。

「んー?」

 ルバーブのパイを口に運んだイアンは、首を傾げてから、パイの上に砂糖を一振りした。

「ちょい酸っぱいかな。タルトの方もひと味足んない感じしないか? こっちはデヒティンのだろ?」

「うん。実はちょっと分量間違えちゃったんだ、ごめんね~」

 イアンの指摘に、デヒティンはばつが悪そうに笑った。

「ふぅん。珍しいな、お前がしくじるなんて」

 デヒティンの料理上手は誰もが良く知っている。珍しい失敗に小首を傾げながらイアンがパイの残りを口に押し込むと、デヒティンがこっそり耳元に口を寄せてきた。

「実はね、わざとなの。モードのケーキを一番にしたかったから。でも、モードにも内緒だよ」

「あ、そういう事」

 この茶会の企みがどういう事かくらいはイアンも勘付いていた。モードのポイントを稼ぐために、デヒティンが懸命にフォローに回って、そのためにわざと自分の料理のレベルまで落としたのだ。

「ごめんね~。今度はちゃんと作るからね」

「いや、いいけど。まあ、ご苦労な事だな」

 そう答えながら、イアンは二つめのチョコレートケーキに手を出した。

「でも、そのケーキ、本当に美味しいよね。いくらでも食べられちゃうな~」

「まあ、確かに。でもさ、これ結構ブランデーが強いから、食いすぎると酔っ払うぞ」

 言いながら、イアンが正面にちらりと視線を向けると、赤い顔をしてハルに寄りかからんばかりのモードの姿が目に入る。その反対側では、シーダーもまた胡乱な目つきで頬を染めている。

「おい、あいつら酔っ払ってないか?」

 嫌な気配を感じて隣に目を向けると、チョコレートケーキを口に運ぶデヒティンもまた眠たげな目をして頬を染めていた。

「うん? 何か、すっごく暑いね~」

 言いながら、デヒティンはチュニックを引っ張ってぱたぱたとあおぎ、引っ張られた服の間から、汗ばんだ白い胸元が上気してピンク色に染まっているのが見えた。

「お前もかよ! って、うわ、酒臭っ!」

 急にしなだれかかるデヒティンからブランデーの香りが強烈に立ち上る。

「あーあ、ぐでんぐでんじゃねーかよ。ったく」

 イアンは椅子から腰を上げて、崩れ落ちそうなデヒティンを引っ張り起こした。

「ハル、こいつ、酔っ払っちまって駄目だわ。ちょっと寝かしてくるわ」

「え? う、うん。って、ちょ、ちょっと待って。こっちも何だか大変なんだけど……」

 既に両脇からしっかり捕まえられているハルが、慌てて助けを求めるが、イアンは冷たく手を振った。

「あー、そっちは任せる。何とかしてくれ。俺はこっちで手一杯」

「ええっ! ちょっと待って……」

 ハルの悲鳴を黙殺し、イアンはデヒティンの肩を担いでゆっくり誘導していった。

「ほら、ふらふらしやがって。ちゃんと歩けよ」

「う~ん。抱っこがいいな~」

「重たいから嫌だね」

「あ~、またポチャ子って言った~」

「言ってない言ってない。今は本当に言ってないぞ」

「でも、重たいって言った~」

「わかったわかった」

 イアンがぼやく酔っ払いを軽くいなしながら連れ出していくと、後には修羅場の予感をひしひしと感じさせる雰囲気の中にハルが取り残された。


§


「ハルっ!」

 不意にシーダーが大声を上げた。

「何なのよ、さっきからモードなんかにデレデレしちゃって! 気に入らないわ。ハルは私のものなんだからっ」

「何ですって! それは聞き捨てならないわ!」

 反対側でモードもまた声を荒げた。

「だいたい、シーダーは図々しいと思うわ。招待もされていないのに勝手についてくるだなんて、マナーがなっていないわ。人の迷惑というものを考えるべきね」

「何よ! そういうモードはあざといわ! 実は料理上手です、だなんてアピール、陳腐よ。ホントはデヒティンに作ってもらったんじゃないの?」

「失礼ね! ちゃんと私が作ったのよ!」

「どうだか。嘘つきの言う事なんてあてにならないわ! グレンデール・トワールがたまたま家にあっただなんて、嘘ばっかり! ジョイスさんのお店で無理を言って、大急ぎで取り寄せて貰ったんじゃない。ちゃあんと知ってるんだから! 姑息ね!」

 田舎の小さな村での事なので、個人情報など簡単に洩れ出してしまう。事実を突かれたモードはぐっと息を詰まらせた。

「……そんなっ! 人の行動を嗅ぎ回るなんて、そっちこそ姑息じゃないのっ!」

「ふん! それに、べたべたハルにくっついて、やーらしっ!」

「やら……っ! な、や、やらしいだなんてっ! それを言うなら、シーダーこそいやらしいわ! ブラウニングさんのお屋敷に忍び込んだ時だって、ハルに抱きついたりして!」

「ふふーんだ。あれは私が抱きついたんじゃなくって、ハルが抱き締めてくれたんだもの。こそこそつけ回してたモードの方がずーっとやらしいわ」

「な……、な、な……っ!」

 ふふん、と鼻を鳴らずシーダーに、モードは額に汗をにじませて奥歯を噛み締めた。

「ねぇ、ハル。私が待ってる『魔法の言葉』、何だかわかってるでしょ? 『I』と『あなたYOU』の間にLで始まる四文字の言葉を足してくれたらいいの。早く聞かせて」

 シーダーに詰め寄られてハルがたじろぐと、その腕をモードがぐいと捕まえて引き寄せた。

「ハルはっ、私の髪を綺麗だって言ってくれたわ。ねぇ、ハル、私の髪、好きなだけさわっていいわよ。私の髪、好きでしょ?」

「ふーん。ハルはねぇ、私のおでこが好きなの。私の寝顔を見ながら、こっそりおでこをさわろうとしたりなんかして。ちょっと変態っぽいけど、仕方ないから撫でさせてあげたわ」

「寝顔っ!? 寝顔ってどういう事!? どうしてハルがシーダーの寝顔なんて見てるの!?」

「うふふふふ。どういう事かな~」

 囂々(ごうごう)たる口論を交わす二人の間に挟まれて、ハルは完全に硬直していた。口を挟む隙もなく、圧倒されて呆然とするばかりだった。

「~~~~~~っ、ハルっ!」

 わなわなと身を震わせていたモードが、不意にハルの顔をがしっと捕まえて引き寄せた。

「え、……っ!」

 モードの唇がハルの唇に押しつけられる。

 ブランデーの香りと、それとは違う甘い香りに頭がくらっとした。

「いゃあああああっ!」

 シーダーが甲高い悲鳴を上げた。

「何やってんのよっ! 離れろ~っ!」

 シーダーはハルとモードの間に割り込んで、強引に引きはがすと、モードをきっと睨みつけた。

「それは私のよ! 返せえ~っ!」

 言うが早いか、シーダーはモードに飛びついて唇に吸い付いた。

「えっ? えええっ?」

 予想の斜め上を行く展開にハルが唖然とする前で、たっぷりと唇を吸われたモードがくらくらと崩れ落ち、シーダーは座ったで目の方にハルに向き直った。

「えっと……、わっ!」

 今度はハルに抱きついて強引にキスをした。

 チョコレートとブランデーの香り。

 甘さと清々しさの混じるシーダーの香り。

 火照った体の微かな汗の香り。

 色々な香りと湿った唇の柔らかな感触に、既に半ばパニックだったハルの胸が破裂しそうに激しく響く。

 目眩によろめきそうになると、それより先に、シーダーの体から力がふっと抜けて、するすると崩れ落ちた。

「あ……」

 ハルの腕をつかんだまま、椅子の上に倒れ込んだシーダーがすうすうと寝息を立てる。もう一方の腕はモードにつかまれたままで、こちらも既に目を閉じてしまっていた。

「えっと……」

 両腕をつかまれたハルは、諦めたように静かに椅子に寄りかかった。

「参ったな……」

 ケーキのブランデーが回った訳でもないが、顔が熱くなるのを感じながら、小さく呟きを洩らした。


§


「よっこら、せっ!」

 イアンは足下の覚束ないデヒティンは部屋まで運び込んで、どうにかベッドの上に抱え上げて寝かせた。

「ったく、世話を焼かせるよなぁ」

「えへへ、ごめんね~」

 赤い顔でシーツにしがみつくデヒティンが小さく舌を出した。

「ブランデー、入れすぎだろ」

「うん。モードのケーキね、いつもは入れないんだけど、ブランデーシロップ、入れた方が美味しそうだと思って、変えてみたら、うぅん、美味しくなったけど、ちょっとお酒が強かったね~。失敗しちゃったな~」

 苦笑いを洩らすデヒティンの前髪が額にくっついているのを、イアンは「仕方ないなあ」とでも言うように、指で払いのけた。

「あ、イアンの手、冷たくて気持ちいい」

「そっか?」

「うん。ちょっと、おでこさわってて」

「しゃあねぇなぁ」

 イアンは乞われるままにベッドの脇に腰を下ろして、デヒティンの額を掌で覆った。

「ごめんね、迷惑かけちゃった」

「いいよ。酔っ払いの相手は慣れてっからさ」

「うん。イアンは大丈夫?」

「パブで育ってんだぞ? あのくらいで酔っ払うかよ」

 家業がパブのイアンにしてみれば、酒のある風景など当たり前だ。店の手伝いもしているので、本人の言の通り、酔客の相手も慣れている。

「だから、お前ももうちょっと慣れろよ。パブの女将がケーキのブランデーでべろんべろんじゃ、あまりにもサマにならねーからな」

「ふぇ……」

 言ったイアンの顔が微かに赤くなった。

「……うん」

 と、デヒティンは満面の笑みを浮かべて頷いた。

「じゃあ、水持って来てやるよ」

 そう言って、ベッドの脇を離れようとしたイアンの袖を、デヒティンがそっとつかんで引き留めた。

「……っと、あのね……」

 もじもじしながらデヒティンは自分のゆるんだ胸元にちらりと目を向けた。

「……見たい?」

 思わずイアンもどきりとした。

「……いいよ、見ても」

「ばっ……」

 デヒティンの胸元に視線を奪われながらも、イアンはそれをどうにか振り払って、デヒティンの頭をくしゃくしゃとかき回すように撫でた。

「ばーか。酔っ払いの隙につけ込むなんてのは、いっちょまえの男がやる事じゃねーんだよ」

 にかっと笑ってイアンは立ち上がった。

「その代わり、素面になったら思い切り揉んでやるから覚悟しとけ!」

「……えっち」

「うるせー」

 背中を向けながら手を振ると、イアンはキッチンで水をくむために部屋を出て行った。


§


「イアン、まだ戻って来ないかなぁ……」

 一方、取り残されたハルは困り果てていた。

 左右の腕をシーダーとモードにしっかりつかまれたままで、二人ともすやすやと気持ちよさそうな寝息を立てて、一向に目を覚ましそうにない。

 密着する二人のせいで、激しく脈打つ胸は一向に鎮まる気配がない。唇には二人のキスの感触が残っていて、そのために胸が高鳴るのは尚更の事。

 随分と大変な事になってしまって、今はまだ落ち着いて考える余裕もない。シーダーとモードが目を覚ましたら、どんな顔を合わせれば良いものやらわからない。女の子に面と向かって「好き」などと言われたり、キスされたりなど、初めての事で、どきどきするのが止まらず途惑うばかりだ。

 しかし、そんな甘酸っぱい思いよりも、直面している問題として深刻なのは、何杯も飲んだ紅茶のせいで、徐々に尿意が近付いている事だった。

 二人を無理に振り解いて起こしてしまうのも気が引けて、じっと我慢はしているのだが、いつまでもこらえていられるものでもない。

「イアン、デヒティン、早く戻って来てよ……」

 はあ、と溜め息を洩らすハル。

 色々と台なしだった。

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